第48話 魔剣(3)

 ヨハンの遺体は雪山の麓で燃やした。

 イーダは遺灰を袋に詰め腰に結び付けると、その足でビクターを追った。

 村へ帰るつもりはなかった。

 どうしても許せなかった。どうしても我慢がならなかった。

 どす黒い憎しみがイーダの胸の奥で煮えたぎり全身を支配していた。あの男を殺せと。仇を討てと。その激情に身を任せなければ、とてもじゃないが立っていることなんて出来なかったから。

 王都メギドレイクに着いてすぐ、イーダは休むことなくビクターの姿を探した。

 あれだけ派手な男なのだ。情報はすぐに集まった。どうやらビクターは既にこの街におらず、早々に白花の国へ旅立ったようだった。

 例の貴族令嬢との結婚式のために急いでいたのだろう。イーダは落胆したが、ここで諦めるわけにはいかなかった。

 必ず夫と息子の仇を討つと誓った。あの男に報いを受けさせるまでは、母としても、戦士としても、二人に顔向けができないと思ったから。

 イーダは必要な物資と馬だけを調達し、翌日すぐに生まれ育ったロズヴェリアを離れることを決めた。

 たった一人の旅。兵士としての行軍は慣れていたけれど、こうして単身で外の世界を歩くのは初めてのことだった。

 雪原を超え雪山を超え、白花の国へ足を踏み入れた時、イーダは死を覚悟していた。

 白花の国ルドぺギアは三神教の本拠地。ビクターを狙う以上、そこに駐在する多くの聖騎士と敵対することは避けようがない。成功しても失敗してもきっと自分は殺される。そう思っていたのだが、――いざルドぺギアの王都へたどり着いたイーダを待っていたのは、まったく想定していなかった事態だった。

  一体何がどうしてそうなったのかはわからない。けれどどれだけ聞き込みをしても、結果は変わらなかった。

 イーダが王都へたどり着いた時、ビクターは聖騎士から追放されていた。

 あれほど自慢げに話していた結婚式は取りやめとなり、自身の出自であるクレランス家からも席を失ってしまっていたのだ。

 貴族が身内を見捨てるなどよほどのことだ。イーダは原因について聞きまわってみたが、まともに事情を知っている者はほとんどいなかった。

 イーダにとって、ビクターが三神教内でどんな扱いを受けようが家族から絶縁されようがどうでもよい話だ。けれど、それで彼の行方が掴めなくなってしまったことは大きな問題だった。

 イーダはビクターの足取りを追うために、あらゆる手を使った。情報屋に金を払い、腐敗した貴族のご機嫌を取り、幾日も彼の行方を調べ続けた。

 執念ともいえる努力を続けた結果、しばらくして、とある情報がイーダの耳に入った。貧困民の中に、聖騎士たちに追われるように王都を飛び出したビクターを見ていた者が居たのだ。

 どうやらビクターは聖騎士や三神教にとって都合の悪い真似をしでかしたらしかった。情報が表に出ないのも、組織内部のごたごたが原因なのだろうと推測出来た。

 他に手がかりは何もない。イーダはすぐに彼の足取りを追って、旅を続けた。

 樹海。砂漠。沼地。

 ビクターらしき男の噂があればどこへでも足を運んだ。

 何度も命の危険にあった。何度も死にかけた。

 けれどその度に夫と息子の顔を思い出し、イーダは必死に足掻いた。あの男を殺すことだけを夢見て歩み続けた。もはやそれだけが唯一の生きがいとなっていた。

 それから何年もの月日が経った頃。長い旅の末に、イーダはついにビクターの居場所を突き止めた。

 彼は緑の国マグノリアの中で、そこそこに名を馳せた退魔師団の頭になっていた。名乗る名前は違っていたが、一目見て、それがビクターであることはわかった。

 イーダはすぐに計画を練り、彼を襲撃した。

 荒んだ生活が彼を鍛えたのかそれとも元々実力があったのかは知らないが、ビクターは予想以上に手強かった。

 苦戦の末イーダは何とかビクターを追い詰めた。あと一歩で留めをさせる。そう思ったところで異変が起きた。ビクターが突然、人狼化したのだ。

 これは後になってわかった事実だが、あの日、ヨハンが殺された夜。ビクターはヨハンに噛まれていたのだ。

 重度の呪いを受けた者は祈祷術を扱えず聖騎士として戦うことは出来ない。ましてや人狼などという人々からもっとも卑下される呪いであれば、体面を気にする貴族が彼を勘当するのは当然の結果だった。

 人狼の身体能力と人間としての技術を扱うビクターに歯が立たず、手傷を負ったイーダは仕方がなくその場から逃げた。ビクターはすぐに追手を差し向けイーダを密林の奥へと追い込んだ。

 追手の中には見た顔。あの日、ヨハンを殺した聖騎士たちの姿があった。彼らもビクターの手で人狼に感染させられたらしく、人里を離れるなりに獣化し、イーダに襲い掛かってきた。

 退魔師の隊長だったはずの男が今では人狼の王だ。まったく大した皮肉だった。

 イーダは反撃を試みたものの、一体でも強力な人狼が複数。それも聖騎士として経験を積んできた者たちも居るため一筋なわではいかず、追いやられるように洞窟の中へと逃げ込んだ。

 ここまで来て、ようやくあの男を見つけて、それでも仇を討てない己の無力さに、歯がゆさに、イーダは口惜しさで頭がいっぱいになった。

 このまま死ぬと思った。憎悪と無念と屈辱に塗れたまま、ゴミのように死んでいくのだと。

 イーダが血まみれの体で全てを諦めかけた時、洞窟の奥であるものに出会った。それは横たわった死体の横の壁に突き刺さった、黒い剣だった。

 自分の持っていた剣は既に折れ曲がり、使いものになりそうにはなかった。イーダは特に深く考えもせず、その剣の柄を掴んだ。


 どう戦ってどう殺したのは定かでは無いが、その日イーダは生き残った。

 気がつくと足元には複数の人狼たちの臓器が撒き散らされており、自分の手にはあの黒い剣が握られていた。血を滴らせた刃はこれ以上ないほど美しく、イーダはその輝きから目を離せなくなった。

 部下の大多数が殺されたと知ったビクターは、イーダから退魔師団の正体が人狼の集団だと証言されることを恐れ、街から逃げだした。

 当然、イーダはすぐに彼の後を追ったが、相変わらず逃げ足だけは早く中々捕まえることは出来なかった。

 それから――……イーダは何年も何年もビクターを探し続けた。何年も何年も旅をし続けた。禍獣を倒し、盗賊を殺し、斬って斬って殺し続けた。

 ようやく灰夜の国で再会した時、ビクターは初めて会った時とは別人のような姿になっていた。イーダを恐れて街に寄り付かなかったためか、それとも単に呪いの進行を抑えられなかったのか、彼は何人もの退魔師を殺害した人狼として有名な討伐対象になっていた。

 灰色の森の中でイーダが近づくと、彼は既に人間性を失い、ただの獣のように唸り声を上げた。もはやイーダが誰かもわからないようだった。

 長く激しい戦いの末、イーダは彼に致命傷を与えることに成功した。

 口から血を吐き出しそれでも目の前の命を奪おうとビクターはあがいた。

 イーダは口の中で夫と息子の名を叫ぶと、渾身の力を込めて彼の心臓に黒剣を差し込んだ。

 ビクターの最後の声は、酷く小さかった。

 彼はイーダを睨みつけたまま激しくもがき苦しんだ後、力が抜けたように身動きを止めた。

ずっと待ち望んでいた瞬間。長い間夢見た光景。けれど喜びの感情はほとんどなかった。

 毒々しく流れる黒い血を見て、イーダはようやく、自分の旅が終わったことを悟った。


 

 焚火の火が再び弾ける。いつの間にか火はかなり小さくなってしまっていた。カウルの影が火の揺れに合わせ部屋の中で揺らめく。

 ベルギットは壁に背を押し付けたまま、淡々と話を続けた。

「私はあの男が生きていることが許せなかった。ヨハンを犠牲にしたまま何の咎(とが)もなく平然と生きていることが我慢ならなかった。他の何を犠牲にしても、あの男を殺したかった。

 もしヨハンが死んだあの日。ビクターを追わず村に戻っていれば、私は決して今のように酷い生活を送ることは無かっただろう。親戚や村人たちは私を気遣い世話をし、時が経てば再婚だってしていたかもしれない。心のどこかに後悔を感じつつも、今の私のようにこんな山奥で一人、目的も生きがいも無くただ死んだように禍獣を狩り続ける生活はしていなかったはずだ。

 どちらの人生が幸せかといえば、答えは明白だ。わかりきっている。けれどそれでも、私は息子の仇を討つことを選んだ。そして選んだからこそ、それを成し遂げることが出来た」

 ベルギットの咳き込む音が響いた。

「もう一度言うがカウル。私がここに居るのは私の意思だ。お前が責任を負う必要はない。

 ――……私は、今までお前が抱えているものが何か聞いたことは無かった。だがそれの重さは十分に理解しているつもりだ。

 お前は十五歳という若さでたった一人この山を上り、そして私の地獄のような訓練を乗り越えここまで生き延びた。生半可な覚悟では決してここまで私についてくることなどできはしなかっただろう。その思いは、こんなところで無下にしていいものでは決してないはずだ。自分にとって何が一番大切なのか、よく思い出せ」

 焚火に照らされた強いまなざしがこちらを見つめる。

 何かを言いかけて、カウルは黙りこんだ。声を出せば、それが最後の会話になってしまうような気がしたからだ。

 今後を考えればここでベルギットの下を離れることが正解だ。今この時を逃せばもう二度と刻呪の後を追えなくなるかもしれない。そしてそうなれば、絶対に自分は後悔をする。

 今でも夢に見る。あの光景を。血まみれで倒れる村人たちを。光の中へ消えていった父と母を。

 何としてでも刻呪を殺し、村のみんなを開放する。その決意は変わらない。変わらないが――……。

 ただ一言「わかった」と、そう言えばいいだけなのに、どうしてもその言葉が絞り出せない。どうしても体が動かない。

 老いたベルギットの顔を見ていると、自然とこれまでの記憶が蘇る。

 たった四年間。長いようで短すぎる時間。けれど確かに彼女は、師であると同時にカウルの家族だった。父を、母を、全てを失ったカウルにとって唯一の心の拠り所だったのだ。

 ぱちぱちと火花が飛び散る音が響く。あと僅かな時間で消えてしまいそうな焚火。今更薪を増やしたところで、もう火は燃え広がりそうにはない。

 けれどどうしても、カウルはその場から動くことが出来なかった。





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