第47話


 クリスの身体がだんだんと大きくなっていく。そして、その大きさはいつの間にか成人男性ほど大きくなった。


「あっ……。こ、侯爵様っ!!?」


 そして、クリスは私のよく見知った男性に姿を変えた。


「アンジェリカ……。私は……。」


 クリスの姿から変化した侯爵様は私に近づきながら、そっと私に手を伸ばしてくる。

 侯爵様の日焼けをしていない真っ白な腕が私の頬に添えられた。

 目と目がくっついてしまうのではないかというほど、間近で見つめた侯爵様の瞳はクリスと同じ色をしている。どこか不安気な影をまとった瞳はクリスと全く一緒。


「あっ……。侯爵様。」


 ……クリスは、侯爵様だったの?

 えっ!?

 クリスが侯爵様っ!?


「こ、こうしゃくさまぁぁ~~~!!!?」


 驚きすぎて声が裏返ってしまったのは仕方の無いことだと思う。

 だって、私はクリスにあんなことやそんなこと……。もとい、抱きついたり身体をなで回したり、クリスの身体中にキスの雨を降らしたこともあった。

 いやいやいや。

 そんなの……。クリスが侯爵様だったなら、私はとんでもない痴女じゃないの。

 今までクリスにしてきたことを思い返し、クリスの姿を侯爵様に変換してみて私は「きゃあ。」と悲鳴を上げる。穴があったら入りたい。そして二度と出てきたくない。

 無理だ。無理無理。

 どんな顔をして侯爵様に会えばいいというのだろうか。いや、目の前にいるけれども。目の前にいるけれども!!

 「どうして。」という言葉が頭の中を駆け巡る。

 整理できない。

 全く整理できない。

 クリスが侯爵様だったなんて信じられないし、信じたくない。


「……クリスは私の仮の姿だ。今まで黙っていてすまない。」


 侯爵様がそう言って気まずそうに謝罪してくるが、そんなことは気にしていられないくらいに私は動揺してしまっていた。

 衝撃的すぎて思考がまとまらない。


「……どうして!どうして!!黙っていたんですかっ!!わ、私、クリスが侯爵様だったなんて知らなくてクリスの身体中をなで回してしまいました。それに、か、身体中にキスしちゃったじゃないですかっ!どうして!どうして、止めてくださらなかったんですかっ!!」


 侯爵様が悪いわけじゃない。

 私が、クリスはただの可愛くて可愛くて仕方の無い猫としか思っていなかったのがいけなかったのだ。


「クリスの!クリスのお腹に顔を埋めてぐりぐりもしちゃったじゃないですかっ!!もふもふしてて至福の時でしたけど!!クリスってば嫌がらなかったじゃないですかっ!!猫だって思うじゃないですか!なんで侯爵様なんですか。なんで、なんで侯爵様なんですかぁ……。」


 侯爵様が悪いわけじゃない。

 それなのに、私の口からは侯爵様を責め立てる言葉ばかりが飛び出してしまう。侯爵様が悪いわけじゃないのに。きっと、私があまりにもクリスを可愛がるから、実は人間なんだなんて言い出せなかったんだと思うし。そりゃあ、侯爵様にお会いしたときに「実は私はクリスなんだ。」って言ってくれれば……。いいえ、ダメだわ。それじゃあ遅いわ。侯爵様にお会いしたころには既にクリスの身体中モフった後だったし。


「す、すまない……。」


 ポカポカと侯爵様の胸を叩きながら感情を吐露していると、侯爵様が私の頭を優しく撫でてきた。ビックリして溢れていた涙がピタッと止まる。


「どうして……。どうして、侯爵様が謝るのですかっ。私がクリスが猫だと思い込んでいただけなのに、どうして……。」


「いや、だが。そうは言うが私がクリスの時の姿はまんま猫だ。猫としか言いようがないのは事実だ。アンジェリカが猫だと思うのは仕方のないことだ。むしろ、クリスが私だなんて普通思うわけがないだろう。だから、言い出せなかった私が悪い。すまない。私がもっと早くに打ち明けていればよかったんだ。」


「違うっ!侯爵様が悪いんじゃないわ!私が、見境無くクリスを可愛がってしまったのがいけないの。思えばクリスが嫌がるそぶりを見せることもあったような気がするわ。それでも、私はクリスを……。」


「いや、アンジェリカは悪くない。私はアンジェリカにクリスの姿で撫でられるのが好きだったんだ。アンジェリカの可愛い顔を見つめるのが好きだったんだ。アンジェリカの膝の上で眠るのが私にとって唯一の至福の時だったんだっ!すまなかった。すまなかった。アンジェリカ。」


「いいえっ!!いいえっ!!侯爵様、私がっ!!」


「いいや、私が悪かったのだ。」


「違うわ。私がっ!!」


「いいや、私だっ!!」


「私がっ!!」


「私だっ!!」


「お二人とも、いい加減になさいまし。それよりも侯爵様、着替えをお持ちいたしました。まずは着替えてからアンジェリカお嬢様とゆっくりお話をされたらいかがでしょうか。」


「えっ?あっ……。」


「えっ?ああっ!!す、すまないっ!!」


 侯爵様と言い合っていると、見かねたロザリーが仲裁にやってきた。その手に侯爵様のためと思われる着替えを持って。

 クリスが侯爵様だったことの衝撃で気にも留めていなかったが、侯爵様は何も着ていなかったのだ。そのことに、今頃気がついた。

 侯爵様も自分が何も着ていなかったとロザリーに言われて思い出したようで、ロザリーが用意した着替えを素早く手に取ると私の視界に移らない位置まで素早く移動した。それから、ガサゴソという物音が聞こえてきたので、着替えているのだろう。

 猫のクリスは服を着ていない。

 服を着ていないクリスが人間になったらどうなるか、想像すればすぐにわかったはずなのに。目で見ていたはずなのに。クリスが侯爵様だったことが衝撃的すぎて全くこれっぽっちも気には留めていなかった自分が恥ずかしい。




★★★




「あ、アンジェリカ。いろいろとすまなかった。」


 着替え終わった侯爵様は私の前に跪くように再度謝罪をした。


「いいえ。私の方こそ。申し訳ございませんでした。」


 少し時間が経過したことで、少しだけだけど冷静になることができた。

 この件はどっちも悪かった。そう思うことにした。

 それに、そうでもしないとずっと私たちは謝り続けることになってしまう。


「……怒っては、いないのか?」


 侯爵様は恐る恐ると言った表情で問いかけてくる。


「はい。怒ったりはしておりません。ただ……私が淑女とは思えぬことをクリスにしてしまっていたことが恥ずかしくて……。」


「そ、それは……。私も役得だったから、か、構わないが……。」


 ロザリーが用意してくれた紅茶を一口飲む。今日はミルクティーらしい。

 ミルクを飲むと心が落ち着くような気がするから、気をきかせたロザリーがミルクティーにしてくれたのだろう。


「……それより、侯爵様。侯爵様はなぜクリスのお姿だったのですか?」


 私は落ち着いたところで疑問に思ったことを口に出す。人間が猫になるとは聞いたことがない。猫が人間になるというのも聞いたことがないけれど。

 侯爵様のご両親は人間だったわよね?


「恥ずかしながら……魔女の呪いだ。日中は猫の姿になってしまう。」


「そうですか。呪いですか。」


 魔女というのはとてつもない魔力を持つ存在で、常識を覆すようなことを平気でおこなうことができてしまう存在だ。しかし、猫になる呪いをかけられるだなんて……。


 ……あ、あれ?


「えええっっっ!!!呪いは、解けたのではなかったのですかっ!!?」


 私は、侯爵様にかかっていた呪いを解いたはず。なのに、なんでまだ侯爵様に呪いがかかっていると言うのっ!?あ、あんな淑女としてあり得ないことを呪いを解くためとは言え侯爵様にしてしまったというのに。

 どうして、侯爵様が猫になる呪いは解けなかったのかしら。


「どうやら、私には二つの呪いがかけられていたようなのだ。女性を見ると発情して正気を失ってしまう呪いと、昼間は猫になってしまう呪いだ。女性を見ると発情してしまう呪いは、アンジェリカのキ、キスで解呪されたが、猫になってしまう呪いは解呪できていないようなのだ。ローゼリア嬢を問い詰めたら、2つの呪いをかけたと教えてくれたよ。」


 侯爵様は「はぁ。」とため息をつきながら、2つの呪いがかけられていたことを私に教えてくれた。


「……呪いを解く、方法はあるのですか?」


 ローゼリアさんは、侯爵様とキスをすることで呪いが解けると教えてくれた。だけれど、私が侯爵様にキスをしても侯爵様が猫になる呪いは解くことができなかった。

 となると、もしかしてこの呪いを解く方法はないのだろうか。


「ある。……らしい。だが、私にはその方法を教えてくれなかった。だが、アンジェリカが望めばアンジェリカには教えると言っていた。」


「そう、ですか。」


 ローゼリアさんは私になら教えても構わないと言ったそうだ。どうして、侯爵様には言わないのだろうか。もう一つの呪いを解く方法は侯爵様だって知っていたというのに。どうして、猫になってしまう呪いを解く方法は侯爵様に教えなかったのだろうか。

 なにか、ローゼリアさんに思惑があるのだろうか。

 それとも、本当は呪いを解く方法なんてなくて、侯爵様をがっかりさせたくない。とか?


「私、ローゼリアさんに確認してきます。」


「待てっ!……私は、別に呪いが解けなくても構わない。猫になるだけだからな。猫になっていても私の意思はある状態だ。問題ない。」


 侯爵様は勢いよく出て行こうとする私の手を握って私がローゼリアさんの元に行くのを止める。


「でもっ!!」


 私は呪いは解かないといけないものと認識している。このまま侯爵様にかけられた呪いを解かないという選択肢は私の中には存在しない。


「あら。本当に呪いを解きたいのかしら?」


「ローゼリア嬢!?」


「ローゼリアさんっ!?」


 私と侯爵様だけしかいなかったはずの私の部屋なのに、突如として優雅な女性の声が聞こえてきた。

 驚いて声のした方に視線を向けると、そこには侯爵様に呪いをかけた張本人であるローゼリアさんが真っ黒なドレスを身に纏って優雅にたたずんでいた。


「ごきげんよう。」


 ローゼリアさんはにっこりと笑みを浮かべた。


「ローゼリアさん。どうして、ここに。」


「あら、私は魔女よ。どこでも好きなところに一瞬で行くことができるわ。うふふ。それで?本当にアンジェリカは侯爵の呪いを解きたいのかしら?」


 ローゼリアさんは妖艶に微笑みながら私に向かって問いかける。


「ええ。」


 私は間髪入れずにローゼリアさんの問いかけに頷く。


「あら、そう。でも、呪いを解いてしまったら、アンジェリカの大好きなクリスにはもう二度と会えなくなるわよ?その覚悟はあるのかしら?」


「うっ……。」


 ローゼリアさんに言われてクリスの美しい姿を思い出す。洗練された黒猫のクリスはどこをとっても私の理想そのものだった。

 私は猫のことが大好きだ。

 でも、その中でもクリスは一番特別で大切だった。

 そのクリスと会えなくなる。

 いや、クリスは侯爵様なのだから会うことはできる。だって、侯爵様は私の婚約者なのだから。

 でも、クリスの姿をしている侯爵様には会うことができない。

 モフモフすることができない。

 愛くるしい顔を見ることもできない。

 ふわふわなお腹に頬ずりすることもできない。

 肉球をぷにぷにと触ることもできない。


 ……どうしよう。


 私は、ローゼリアさんから視線を侯爵様に移す。


「侯爵もいいのかしら?アンジェリカに撫でてもらえなくなるのよ?抱っこ、してもらえなくなるのよ?きっと人間の姿ならアンジェリカは侯爵に頬ずりもしないでしょうねぇ。無条件に甘えたりもしないかもしれないわねぇ。それでも、いいのかしら?」


「ぐっ……。あ、アンジェリカがそう望むのなら。」


「あら。侯爵のことなのよ?侯爵は呪いを解きたくないのかしら?」


「うぐっ……。」


 侯爵様はローゼリアさんの問いかけに苦悶の表情を浮かべている。

 どうやら侯爵様もクリスの姿を気に入っているようだ。そうよね。とても美しくて素晴らしいものね。クリスは。


「……クリスの姿の方がアンジェリカは気に入っているのだと思う。ならば、私はこのまま、呪いが解けなくても構わない。」


「ふふっ。それは本心かしら?」


「……本心だ。」


「そう。まあ、そういうことにしておきましょう、か。」


 ローゼリアさんはにっこりと含むように笑って私を見た。


「アンジェリカが望むのなら、侯爵は呪いを解かなくてもいいそうよ?それで?アンジェリカもそれでいいわよね?」


 確認するように問いかけてくるローゼリアさん。

 きっと、侯爵様はお優しいから私がクリスのことを気に入っているから、私のためを思って呪いを解かないでおくと言っているのだろう。私が、侯爵様の呪いを解くのを躊躇したから。


「……少し、時間が欲しいわ。」


「ダメよ。私、明日この国を出て行くわ。ちょっととあるお方にお呼ばれしていてね。しばらくはその国にいることになると思うの。だから、明日には旅立つわ。」


 ローゼリアさんの言葉は本当なのだろうか。それとも嘘なのだろうか。それは私にはわからない。


「わかったわ。侯爵様の呪いを解く方法を教えて。」


 呪いを解く方法を今教えてもらっても、すぐに解けるとは限らない。そんなに簡単に解ける呪いであれば、すでに侯爵様の呪いは解けていることだろう。それでも、何年も呪いが解けなかったということは、きっと呪いを解く方法は簡単なものではないはず。

 それに、今ここで呪いを解くことができたとしても、すぐに呪いを解かなくてもいいはず。

 ローゼリアさんからは呪いを解く方法を教えてもらうだけなのだから。今ここで解呪しなければいけないわけではないのだから。


「そう。じゃあ、アンジェリカにだけ教えてあげる。侯爵には貴女の口から教えてあげなさい。あのね、呪いを解く方法は…………。」


「……えっ?」


 侯爵様に聞こえないように、ローゼリアさんは私の耳元で小さく囁いた。呪いの解呪方法を。

 私は、その解呪方法を聞いて動きをピタッと止めた。

 そんな私を見て満足そうにローゼリアさんは微笑むと


「じゃあ。私はもう行くわね。」


 と、来たときと同じようにスッと消えていってしまった。


「……アンジェリカ?」


 急に固まってしまった私を心配して侯爵様が私の顔を覗き込んでくる。


「……無理だわっ!!侯爵様の呪いを解くなんて!!絶対に無理よぉ。」


「えっ!?」


 侯爵様の驚きの声が聞こえてくるけど。無理よ。絶対に無理。

 侯爵様の呪いは解きたくない。解かせたくない。


 だって、侯爵様の呪いを解くためには「侯爵が猫の姿の時に猫のことが大嫌いな女性にキスをしてもらえばいいのよ。」だなんて。

 いくら呪いを解くためとは言え、侯爵様への想いを自覚した私にはとても無理なこと。


「お願い、侯爵様っ!ずっと猫の姿でいてっ!!」


「ええっ!!?そ、それは……。アンジェリカ、いくらクリスのことが好きだからってそれはいくらなんでも……っ!」


 侯爵様が私の言葉に慌ててうろたえだす。

 私の言葉を侯爵様がずっと猫の姿のままで居て欲しいと勘違いしたのは言うまでも無いだろう。







おわり。




長い間お付き合いくださりありがとうございました。本編はここで終わりとなります。

後日、侯爵視点の番外編をアップする予定でおります。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

呪われた侯爵は猫好き伯爵令嬢を溺愛する? 葉柚 @hayu_uduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ