第44話

 


「……クリス、行っちゃったわね。私、とても、寂しいわ。」


 クリスとローゼリア嬢が出て行ってしまったドアを見つめて私はポツリと呟いた。


 先ほどまで感じていたクリスの暖かく優しい体温が腕の中から消えてしまった。クリスの可愛らしくも優雅で洗練された姿ももう見ることができない。


 私はそのショックでベッドの上に崩れ落ちた。


 クリスと離れることがクリスのためだとわかってはいる。私がいることでクリスの負担となっているのであれば、私はクリスから離れた方がいい。そんなことは理解している。


 理解はしているのだけれども、心が追い付かない。


 クリスにずっと側にいて欲しいと私の心は切実に訴えている。


「アンジェリカお嬢様。そのように落ち込まないでくださいませ。私がクリス様の代わりにクリス様にそっくりな猫を探してまいります。ですからアンジェリカお嬢様、そのように落ち込まないでくださいませ。」


「違うっ!クリスじゃなきゃダメなの!クリスがいいの!!他の猫もそりゃあ可愛いわよ!どの子だって愛せる自信はあるわ!でも、クリスは特別なの。クリスの代わりなんてどこにもいないのよ!」


 ロザリーがクリスの代わりの猫を連れてくるというけれど、クリスの代わりだなんてその子が可哀想だわ。それに、クリスの代わりなんてどこにもいないもの。クリスがクリスだからこそ特別なのに。


 私はロザリーの言葉に憤りを覚えた。


 そして、年甲斐もなく癇癪をおこしてしまった。


 驚いたようなロザリーと目が合う。


「……申し訳ございませんでした。アンジェリカお嬢様。ですが、クリス様は……。クリス様だけは……。」


 ロザリーは申し訳なさそうに謝罪してきたが、クリスのことは譲らないようだ。


 まあ、クリスの命がかかっているのだし、仕方ないのだけれども、それでも私はクリスに会えないことが辛い。


「わかってるわ。でも、感情がついてこないのよ。これ以上ロザリーと一緒にいるとロザリーにあたってしまいそうだわ。ごめんなさい。一人にしてちょうだい。」


 ロザリーと話していても平行線をたどるだけだ。私の所為でクリスが苦しんでいるなら私が我慢をしなければならない。だけど、心はクリスに会いたいと叫び続ける。こんな状態で誰かと一緒にいたら、その人にあたってしまいそうだ。だから、私はロザリーに部屋から出て行くようにお願いした。そして、しばらくは部屋に誰も入れないように告げた。


 


 


 


 


☆☆☆


 


 


 


 


「アンジェリカお嬢様。どうかお食事をお召し上がりください。このままではアンジェリカお嬢様がご病気になってしまいます。」


 クリスと会わなくなってから一週間が経った。


 私はクリスに会えない寂しさから食事の量が徐々に減っていた。そうして、とうとう食事を一口も食べることができなくなっていた。


 食べなければお父様やお母様やロザリーたちが心配するのはわかっている。だけれども、どうしても食欲がわかないのだ。食べ物を口にしてもすぐ吐いてしまう。


 それほどまでにクリスに会えないことが私を追い詰めていた。


「アンジェリカ……。」


「……侯爵様に連絡した方が良いのではないかしら。」


「うむ。そうだな。」


 食事をしないことを心配したお父様とお母様が私に聞こえないように小さな声で相談し合っている。


 私はその言葉を聞いて少し気分が浮上した。


 だって、侯爵に連絡をするということはクリスの状況を確認して、クリスと合わせてくれる気になったということだろう。


 クリスは元気になったのだろうか。クリスはどうしているのだろうか。


「……アンジェリカお嬢様。」


 そんな私を見て、ロザリーが苦虫を噛み潰したような表情で私を見た。


 ロザリーは今も私がクリスに会うことを快く思っていないようだ。


「大丈夫よ。気を付けるもの。クリスに会ったら必要以上にクリスにひっついたりしないわ。必要以上にクリスを構い倒してクリスに負担になるようなことはしないから。だから、だから……。一目見るだけでいいの。」


 クリスに会えないことがこんなに苦しいことだったなんて思わなかった。数日も経てばクリスに会えない日々にも少しずつ慣れてくるかと思ったのに。


「……旦那様が侯爵家に文をお出しになられたそうです。」


「そう。クリスに会えるのかしら。」


「それは……まだわかりません。」


「そうね。そうよね。」


 侯爵家にお父様が文を送ったと聞いて私はクリスに会えるのではないかという希望に胸を膨らませた。


「……クリス様にお会いできる可能性はありますので、どうかクリス様にお会いになる前にお食事をお召し上がりください。クリス様が心配されてしまいますよ。」


「そうね。そうよね。」


 私はロザリーに諭されて遅い昼食を食べ始めた。


 でも、三口食べたところでもうお腹がいっぱいになってしまう。今までほとんど何も食べていなかったのだ。急に食べ物をいっぱい食べることなどできるはずもなかった。


「にゃあ~!!」


 その時、ドアの外から切羽詰まったような猫の鳴き声が聞こえてきた。


 


 


 


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