第41話 ファントム視点

 


 


 アンジェリカ、アンジェリカから私にキスをしてくれた。


 私の頭はアンジェリカの柔らかい唇の感触でいっぱいだった。


 初めてアンジェリカに出会った時の感動も衝撃的だったが、アンジェリカからのキスはそれを上回るほどの衝撃だった。


 嬉しくて嬉しくて嬉しくて、私はどうにかなってしまいそうだった。


 このままアンジェリカを見ていたらアンジェリカを襲ってしまうかもしれない。そう思った私はアンジェリカから視線を外した。


 アンジェリカから視線をはずすと、アンジェリカの侍女のロザリーという女性と目が合った。先ほどまで、ロザリー嬢を見ると襲い掛かってしまいそうな衝動にかられたが、今はそんな衝動は全く起きなかった。それどころか、アンジェリカに襲い掛かってしまいそうだ。


 どうやら、呪いは解けたらしい。


 でも、呪いが解けたこと以上にアンジェリカからキスをしてくれたのが嬉しい。こんな嬉しいことなど今までなかった。いや、アンジェリカに会えたこともそれに匹敵するくらい嬉しいことだったが。


「あの……。侯爵様、呪いが解けたみたいで、よかったですね?」


 アンジェリカの可愛らしい声が私に問いかける。ああ、「侯爵様」だなんて他人行儀な呼び方をせずに「ファントム」と名前を呼んでくれたらどれほど良いことか。ああ、でも「旦那様」と呼ばれるのもいいかもしれない。


「あ、ああ……。ああ……。」


 口を開くと思わず私のことは「侯爵様」ではなく「ファントム」と呼んでくれと叫んでしまいそうだ。私は、声にならない声をだしてその場を誤魔化した。


 むしろ、これ以上喋ると「ファントム」と呼んでくれと叫ぶ。絶対叫んでしまう。


 そんなことを叫んだらアンジェリカに嫌われてしまうかもしれない。そう思ってぎゅっと堪える。


 こういう時は違うことを考えて気を紛らわすといいかもしれない。そう思ったところで先ほどのアンジェリカの柔らかく温かい唇の感触を思い出してしまった。


「……アンジェリカとキスしてしまった。ああ……。」


 そして思わず耐え切れずに言葉がでてしまった。


「侯爵様、私とキスしたのがそんなに衝撃的だったんですか?」


 声に出ていたとしても小さな呟きだったと思うのだが、アンジェリカが私の発言を拾ってしまったようだ。聞き流してくれればよかったのに。


 だが、他の誰でもないアンジェリカの問いだ。答えないわけにはいかない。


 だが、アンジェリカへの想いが爆発している今の状態で私は正常に答えることができるのだろうか。冷静沈着な紳士としてアンジェリカの問いへと答えることができるのだろうか。


「衝撃的もなにも!!アンジェリカとのキスだぞ!!もっと、こう堪能していたかったのにっ!私としたことが、驚きで固まってしまった……。情けない。せっかくアンジェリカからキスをしてくれたのにっ。こんな機会なかなかないだろうにっ。私としたことが……。私としたことが……。」


 ああ、ダメだった。


 私の口からはアンジェリカへの想いともっとアンジェリカとのキスを堪能していたかったという欲望が駄々洩れた。


 これではいけない。アンジェリカに愛想をつかされる。


 いや、そもそそも好かれてはいない自覚はあるが。これ以上嫌われるのは避けたいところだ。


 アンジェリカは自分がキスをすることで私を呪いから解放してくれようとしたんだ。ただ、それだけなんだと自分に言い聞かせる。アンジェリカの心は自分には向いていないのだと言い聞かせる。じゃないとアンジェリカに襲い掛かってしまいそうだから。


「わ、わ、私、失礼いたしますっ!!」


 やはり私が思いっきりアンジェリカへの想いを叫んでしまったことがいけなかったようで、アンジェリカは私のもとを去ろうとした。


 このままだと、完全に誤解されたまま会ってくれないかもしれない。そう思った私は、アンジェリカにこれ以上嫌われてはならないと溢れる感情を押し殺す。


「アンジェリカ。ありがとう。君のお陰で忌々しい呪いから解き放たれたよ。」


 私は自制心を総動員してそうアンジェリカの耳元で囁いた。


 うむ。今度は叫ばなかった。これなら紳士的に思ってくれるだろう。


「い、いえ……。呪いが解けたならよかったです。」


 私は腕の中の暖かい存在をもっともっと堪能したくて、ぎゅっと抱きしめた。


 ん?


 ぎゅっと抱きしめた?


 あ、あれ?私はいつの間にアンジェリカを抱きしめていたんだろうか。


 どうやら言葉は抑えられたようだが、身体は抑えきれなかったようだ。思わず衝動のままアンジェリカを抱きしめてしまっていたらしい。


 これは、油断をした……。


 私は自分で自分を自制することができなかったことがショックで、アンジェリカから一歩離れた。すると、みるみる間に視界が低くなっていく。


 これは今まで何度も経験したことがあることだ。そう。朝日が昇って私が猫の姿になる時だ。


「@☆△◇×~~~~っ!?」


 いつの間にか、夜が明けていたのだ。時間の感覚がなくすっかり夜が明けるような時間だということを失念していた。いつもはもっと気をつけているのに。


 それにしても、アンジェリカの目の前で猫の姿に、クリスの姿になってしまった。どうやら女性に襲い掛かる呪いは解呪されたものの。夜が明けると猫になってしまう呪いは消えなかったらしい。


 ああ、アンジェリカは私のことをどう思っただろうか。


 猫の姿だからと散々アンジェリカに甘えていたから、クリスの正体が私だと知って私のことが嫌いになってしまっただろうか。軽蔑されるだろうか。


 私は不安になってアンジェリカの姿を見ることすらできずに俯いた。


 


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