第40話

 


「クリス……私も侯爵様と同じようにクリスとお話できればいいのに。そうしたら、クリスが今、何に困っているのか、何に悲しんでいるのかわかるのに。クリスの全てを知りたいのに。」


 自室のベッドに腰かけて、クリスをぎゅっと抱きしめる。人間よりも少し高い体温がとても気持ち良い。それに、猫特有のやわらかく、しなやかな身体もとても愛しい。


 クリスを抱きしめていれば私はとても幸せなのに。なのに、私を幸せにしてくれるクリスの悩みや悲しみの理由がわからないだなんて。と、自己嫌悪に陥ってしまう。


「……アンジェリカ、あんまりクリスに依存しない方が良いわよ。後で幻滅するといけないから。」


「ええ。アンジェリカお嬢様。あまり、クリス様にくっつきすぎない方がよろしいかと思います。」


 どうしてだろうか。今までは私がクリスにくっついていても抱っこしていても何も言わなかったロザリーが、急にクリスにくっつきすぎないようにと言ってきた。今までそんなことは言わずクリスと交流を深めている私を見て、微笑ましそうな顔で見守っていてくれたのに。今は、なぜか怪訝な表情を浮かべながらクリスのことを見ている。


 やっぱりクリスに何か悪いところでもあるのだろうか。


「ロザリー?やっぱりロザリーはクリスのこと何か知っているのでしょう?教えてくれないかしら?」


「……はぁ。私の口からは恐れ多くて申し上げられません。ただ、あまりクリス様に近づかれるのはどうかと思います。少し距離を置いた方がよろしいのではないでしょうか。」


 ロザリーはちらりとクリスとローゼリアを見たかと思うと、深いため息をついてそう言った。やはり、ロザリーからは情報が聞き取れないようだ。それどころか、クリスと距離を置けとまで言われてしまう。


「どうして?……もしかして、私がクリスに構ってばかりいるから、クリスのストレスになってしまったのかしら?そうよね。猫ってずっと構われてばかりだとストレスになるって聞いたことがあるし……。そういうことかしら?」


 そう言えば聞いたことがある。猫という生き物は単独行動を好むから、構ってばかりだとストレスになると。適度に自由な時間を持たせる必要があると。


 私がクリスに構ってばかりいたからクリスはストレスで元気がないのかもしれない。それならば、ロザリーの言うとおりクリスとは少し距離を置いた方がいいのかもしれない。


「……ぷっ。そ、そうねぇ。少し距離をおいてみましょうね。」


 ローゼリア嬢も私がクリスと距離を置いた方がいいと言っている。ただ、ローゼリア嬢が笑ったことがちょっと気になる。すぐに取り繕ったみたいだけど、なぜ、笑ったのだろうか。


「クリス。ごめんね。私が負担になっていたみたいで。これからは私からはあまり近寄らないことにするわ。クリスが私に構ってもらいたいと思うときによってきてくれる?」


 クリスと離れるのはちょっと……どころかかなり、相当辛いけれど、これもクリスのためだと自分に言い聞かせる。


 すると、クリスが私にそっと寄りかかってきた。そして、私の手をその小さいピンク色のザラザラとした舌で慰めるようにペロペロと舐めてくる。


 私は、私を慰めてくれているようなクリスの行動に思わず涙を浮かべた。


「クリス……。クリスは私のせいでストレスが溜まってしまっているのに、それでも私を慰めてくれようとしているのね。ありがとう、クリス。クリスはとても優しいのね。」


 そう言って優しくクリスの頭を撫でる。するとクリスは気恥ずかしそうにプイッと横を向いた。


「……アンジェリカお嬢様。わかってくれたようでなによりです。クリス様も、こちらにいらっしゃるよりは侯爵邸にお帰りになった方がストレスなく気楽に過ごせるのではないでしょうか。」


「……そうね。そうよね。」


 クリスに触れない分、クリスのことを目で見て愛でようと思っていたのだけれども、私の視線すらクリスの負担になりかねないものね。クリスだって自分の住んでいる侯爵邸の方が落ち着けるだろうし。クリスが元気になるまでは、クリスは侯爵邸にいたほうがいいのかもしれない。


 昼間は毎日クリスと会っていたから、とても寂しいけど。クリスのためと思えば我慢できなくないことも……やっぱり我慢できないかもしれない。


 触れなくともせめて姿だけでも見ていられれば多少は違うとは思うのだけれども。考えただけで禁断症状が出そうだ。きっとクリスに会えない日々が続いたら私はクリスのことが心配で心配でたまらなくなりそうだ。


「にゃぁう……。」


 クリスも私と離れるのが寂しいのか、どこか悲し気に一声鳴いた。そして、私の膝の上に乗り名残惜しそうな様子で私の身体にもたれ掛かった。


「ク・リ・ス・様ぁ?」


 その瞬間、ロザリーがギロッとクリスのことを睨んだ。


 あ、あれ?なんでクリスがロザリーに睨まれているのだろうか。いつもだったらロザリーは微笑ましそうに見ているだけなのに。これは、私がクリスに構ったということになるのだろうか。


「にゃ、にゃあ……。」


 ロザリーに睨みつけられたクリスは私の膝の上から飛び降りると部屋のドアの方にかけて行った。そうして、そのまま私の部屋から出て行ってしまった。侯爵家に帰ってしまったのだろうか。


 そう思うと寂しさがこみ上げてきた。


「ロザリー。なにもクリスを追い出さなくても……。」


 膝の上にあった暖かく優しい体温がなくなったことに寂しさを感じて、ロザリーのことを恨みがましい視線で見つめてしまう。クリスと少し離れていた方がクリスのためだとはわかってはいたけど、このようにクリスを追い立てる感じでお別れというのはとても悲しい。


「アンジェリカお嬢様。これは、アンジェリカお嬢様のためでございます。これ以上クリス様と必要以上に戯れるのはおやめください。」


「……は、はい。」


「ぷっ。うふふふふっ。」


 ロザリーに窘められてシュンとしていると、ローゼリア嬢が面白そうに笑った。その笑い声を聞いてロザリーがローゼリア嬢を睨みつけたのは言うまでもない。


「ふふっ。安心なさい。ローゼリア。クリスは私がちゃんと侯爵邸で見ててあげるから。なにかあったらすぐに知らせるから安心してちょうだい。」


 ローゼリア嬢はそう言うと、クリスの後を追って部屋を出て行ってしまった。


 


 


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