第19話


「アンジェリカお嬢様、馬車の用意ができました。」


「ありがとうございます。」


「明日は馬車でお迎えにあがりますので、キャティエル伯爵家でお待ちください。」


ヒースクリフさんは馬車の用意ができたことを教えてくれた。それとともに、明日も馬車で迎えにきてくれるそうだ。


ありがたいけど、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「……ですが、私のわがままなので迎えは……。」


「いいえ。旦那様から丁重にお迎えするようにと言われておりますので。」


ヒースクリフさんは得意の笑顔で押しきってくる。


なんだか、断りづらい雰囲気だ。


「わかりました。では、お願いいたします。」


「ええ。クリス様も一緒にお迎えにあがりますね。」


「まあ、クリスも来てくれるのね。嬉しいわ。そういえば、クリスはどこにいるの?帰る前に挨拶をしたいのだけど……。」


「アンジェリカお嬢様。そこは嘘でも侯爵に挨拶をしたいと申し出るところです。」


クリフにお別れの挨拶をしたいとヒースクリフさんに申し出る。すると、すかさずロザリーが突っ込みをいれてきた。


まあ、確かにマナーとしては馬車まで出してくれた侯爵に挨拶すべきなんだけど……。そもそも、侯爵が会ってくれるかがわからないわけで。


もしかすると、挨拶をすることで逆に怒らせてしまうかもしれないと思うと勇気がでなかった。


「……クリス様は、旦那様の寝室でおやすみになられています。寝室の中に入ることはできませんが、寝室の外から声をかけられますか?」


「いいの?あ、侯爵様にも挨拶をしたいのだけれども。」


「それはそれは。旦那様も寝室におりますので好都合ですね。ご案内いたします。」


あらかさまに取って付けたような言い方になってしまったが、ヒースクリフさんは気にしていないようだ。にこやかに笑いながら侯爵の寝室の前まで案内してくれた。


「旦那様。アンジェリカお嬢様がお帰りになるそうです。」


ヒースクリフさんは侯爵の寝室をノックすると、中に向かってそう告げた。


「侯爵様。このような時間にお邪魔いたしました。また、馬車を用意してくださってありがとうございます。」


「……かまわない。」


私がお礼を口にすると、中から一言そう返ってきた。


感情のこもっていない声は怒っているのか、なんとも思っていないのかも判断できない。


「あの、明日もお邪魔させていただきます。」


「……そうか。」


相変わらず会話が続かない。こう、もうちょっと長くしゃべってくれるといいんだけど。


「クリスにもご挨拶をしたいのですが、会えますか?」


そう告げると、しばらく沈黙が続いた。


どうしよう。クリスに会うのは反対なのだろうか。いや、でも明日、クリスに会いに来てもいいということだったから、そんなことはないんだろうけど。


「……クリスはもう寝ている。伝えておく。」


長い沈黙のあと、侯爵からそう返事があった。


「ありがとうございます。また、来ます。」


「ああ。君の好きなものを用意しておく。クリスも楽しみにしているだろう。くれぐれも気を付けて帰るように。」


今度は中からの返答が長かった。それに社交辞令かもしれないけれど、私を気遣うような声も聞こえてくる。


クリスの話題を出したら侯爵の態度が少し柔らかくなったような気がした。


もしかして、侯爵もクリスが好きなのかしら?


そうよね。一緒に寝室で休むくらいだらか、侯爵もクリスのことが大好きなのよね。


それはいいことなんだけど。困ったわ。呪いを解いたお礼にクリスを譲ってほしいとは言い出し辛くなってしまったわ。


「侯爵様。本日は急に押し掛けたのにも関わらず快くお迎えくださりありがとうございました。私はこれで失礼させていただきます。お休みなさい。」


気をとなり直して、挨拶をする。そのまま、踵を返そうとしたところで、


「ああ、おやすみアンジェリカ。良い夢を。」


中からそう返答があった。


その声はとても柔らかく暖かい声で私を包み込んだ。


思わず心臓がドキリと高鳴るような気がした。

「こ、侯爵様ったらなんなのかしら。あんなに優しそうな声まで出せるのっ……。」


帰りの馬車の中で先程の侯爵の声を思いだし思わず顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。


それほど、声にこめられた色気というかなんかもう人を包み込むような暖かさが伝わってきた。


「そうですね。驚きました。侯爵様は以外とアンジェリカお嬢様のことを気に入っているのでしょうか。」


ロザリーも同じように思ったようで、そう言ってきた。


「やっぱり。クリスかしら。きっとクリスね。クリスの話を出したら急に侯爵様は態度が軟化したわ。きっと、クリスのことを好きな同志と思われているのかも。」


「仲間意識というものですか?」


「ええ。そうよ。そうに決まっているわ。それではなければあの声音の理由がないわ。」


「そうですか?仲間意識というよりは、大切で愛しい人に向けるような声音だったような気もしなくはありませんが……。」


ロザリーは急に爆弾発言をしてきた。


大切で愛しい人に向ける声?なにそれ。それ、私相手にそんな声をだすなんておかしいじゃない。


だって、侯爵は自分の屋敷の使用人のことが好きなのでしょう?それなのに、私に向かってそんな声を出すはずがない。


「それはないわ。だって、侯爵のお好きな方は侯爵家の使用人なのよ?」


「ですが、クリスはもしかして時間になったから自分の家である侯爵家に帰っただけかもしれません。そもそも、侯爵家に侯爵様の慕われる相手が本当にいるのかもわかりません。」


「うっ。確かに。」


ロザリーに言われてハッとする。確かにその通りなのだ。


いつもクリスは日が落ちる前に帰っていってしまう。


私たちを侯爵の初恋の人の元に案内してくれたのかとずっと思っていたが、侯爵の家で飼われているということは、ただ単に家に帰っただけなのかもしれない。


それは薄々感じていたところだ。


だって、クリスは侯爵家についた途端姿を消してしまったんだもの。


「それに関しては明日探ってみるわ。使用人に聞いてみればなにかわかるかもしれないし。」


「そうですね。でも、侯爵家の使用人は皆様洗練されていそうです。無駄話につきあってくれるかどうか……。」


ロザリーは心配そうにため息をついた。


「それは問題ないわ。侯爵様の呪いを解くためと言えば、きっと快く教えてくれるわよ。」


自分の主人のためだと言われたらきっと使用人は隠さずに答えてくれるだろう。そう、自信をもって告げだ。


「本当にそうでしょうか?もしかすると、侯爵様の呪いのことを知らなかったりするかもしれませんよ?」


「えっ!?」


「噂話で呪われているとは知っていてもそれがどんな呪いなのか、もしかしたら知らないかもしれません。中にはただの変わった主人だと思っている方もいらっしゃるかもしれませんね。」


「でも、ヒースクリフさんは知っていたわ。呪いの解き方まで知っていたのよ。」


「それは、ヒースクリフさんが侯爵の右腕のような存在だからなのでは?」


ロザリーは冷静に推理する。私はそれを聞いて、そうかもしれないと思い直した。


呪いのことをいくら自分の屋敷で働いているとはいえ、他人にほいほい教えてしまうというのもおかしいだろう。


もし、そうだというならば、もっと社交界に詳しい噂が蔓延してそうなものだ。


それなのに、侯爵が目のあった女性に見境なく襲いかかるだなんて噂はきいたことがない。


「もしかして、侯爵家に行って調べるのは無意味なのかしら?」


「それは、まだわかりません。あくまで可能性の話です。」


「そ、そうね。そうよね。」


一抹の不安を覚えながらもその日は過ぎていったのだった。

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