羽搏くのが罪だとしても

南屋真太郎

羽搏くのが罪だとしても

 宿命を携えて、殻を破った。


 曇天の下に生まれた俺は忌み子とされ、空の道理から外れぬよう、いんと名付けられた。

 俺の家系は典型的な島鳥だった。一生を島で過ごす留鳥だ。

 言葉を話せるようになった段階で、親鳥に開口一番訊ねた。


「空の道理ってなんだ?」


 親鳥は困った顔をして、時期にわかると答えを濁す。まるで俺が道理から外れると端から確信して、それを阻止せんとばかりに。

 無駄な努力だった。成長するに連れて視界が明瞭になり、隠し通すのは難しくなった。


 かくして俺は墜啄ついたくを目撃したのだ。

 その日の夜は月が燦然と輝いていた。雲はなく、無数に点在する星々が明瞭で、宇宙を間近に感じた。


 ひゅるりと夜風が吹いたとき、視界の右端から、赤い光が横切り始めた。

 火炎で包まれた球だ。火球は小さく光る星々を線で繋ぐように、紅蓮の尾を引いていく。縦横無尽に飛び回る。火球はなにかを追っているらしい。

 やがて火球がどんどん大きくなってきた。親鳥が翼を広げて、巣を覆う。急降下してきたのだ。羽毛の狭間から、外を覗く。轟々と燃え盛る火球は凄まじい勢いで頭上を通り過ぎ、また上昇していった。俺は思わず口を開けていた。


 火球のなかに、鳥がいたのだ。焔を纏った鳥だ。その衝撃たるや筆舌に尽くしがたいが、おぞましくも神秘的な姿は畏怖を抱かせた。

 焔の鳥に追われているのは、俺とさして変わらない小鳥だった。

 決着は一瞬であった。小鳥は森に向かった。焔の鳥は首を低くすると、速度を上げた。焔の鳥の嘴に貫かれ、小鳥は欠けた翠星のごとく、木々のなかへ落ちていく。


 俺は思わず飛び出していた。親鳥の静止も振り切って、暗闇に包まれた森に入った。けれど遅かった。頭上で燃えていた小鳥は、地に落ちることもなく、燃え消えた。灰が風に運ばれて消えていった。跡形も残らなかった。

 身が震える。再び空を見上げると、焔の鳥はまた尾を引いて、彼方へ消えていった。


「なんなんだありゃ……」

「不死鳥だ」

 どこからか聞こえた声に、俺は振り向いた。

 木々のなかに、黄色く光る双眸を見つける。梟だった。

「不死鳥って、何度でも甦るっつーやつか?」

 俺が聞き返すと、梟は目をすっと細めた。

「いかにも」重々しく頷くと、梟は首を四十五度に回した。「お前、人間だな?」

 俺ははっとして、梟に詰め寄った。

「梟! もしかしてあんたも……」


 梟は答えず、黙って首を木に空いた穴に向かってなぞった。

 俺は巣穴へ入った。梟はごうと名乗った。業は近くで見ると、右目を失っていた。

「なあ、どうなってるんだ。俺は死んじまって、気づいたら鳥になってた……」

「こっちも似たようなものだな」

「業さん。教えてくれ、いまは何年の何月何日だ。俺が死んで、どれくらい経った」

「鳥になればなるほど、人間の頃の時間感覚は希薄になる。私の情報は頼りにならん」


 業は月を眺めながら得々と話しだした。

「なぜ、私たちが人間の記憶を保持したまま鳥になったのかは、おそらく永久に分からない」


 休息に自分がしぼんでいく気分だった。業は続けた。

「まず、この空は絶対的なルールが存在している。人間で言う、法律のようなものだ。そのルールとは種族の役目を全うすること、これを乱せば不死鳥の墜啄を受ける」

「墜啄?」

「不死鳥が啄むだけで、並みの鳥たちは墜落する。その様子になぞらえてそう呼ぶ」


 鳥の世界でいう処刑のようなものだろう。

 翼をくださいという曲を思い出す。全く逆だ。この空はあまりにも不自由だった。 鳥たちは夢を抱いて羽搏くことすらままならない。ルールを敷く不死鳥に怒りすらわいてくる。


「俺は、会わなくちゃいけないやつがいるんだ」

「お前は留鳥だ。渡り鳥ではない。もしお前が『渡り』を行えば、さきの小鳥のように、大地を拝むことは二度とないぞ」

「それでも、俺は飛ぶぞ。この融通の利かない不自由な空に、羽搏く宿命がある」

 業は俺を睨んだ。俺たちは暫く見つめ合っていたが、業は言った。

「少年。自分の名前は憶えているか? 鳥の因じゃない。人間の名前だ」

「ああ。憶えてるぜ」

「後生大事にしろ。名前は目的達成の鍵だ。私はとっくの昔に忘れてしまったよ」

 業は傷ついた片目を歪めた。かつては彼も、渡りを行おうとしたのかもしれない。

「来い。この森の賢者が、飛び方を教えてやる」


 こうして俺は業の下で、渡りのための修業を始めた。

 まもなくして知ったのだが、業は卓抜した知恵の持ち主だった。病気で死に、梟となったあと、彼は知識を蓄え、不死鳥を出し抜く術を虎視眈々と狙ってきたのだ。


 滑空法、低空飛行から上昇へと至るスムーズな筋肉の動かし方、各鳥たちの種族と気性、掟を破る鳥は迫害を受けるため、迂闊に自分の考えを喋らない方がいい、最悪の場合思想犯として、飛び立つ前に墜啄される恐れがある。いわゆる鳥の伊呂波を教わった。

 知恵と知識を蓄えるごとに、俺は渡りの成功を確信し始めていた。すべては業のおかげである。俺は業に対して畏敬の念を抱いていたが、一方で時折軽蔑に似た侮りを感じるようになった。師に対して、この卑しい感情はどこから来るのかわからなかったが、それは俺が渡りを行う段になって初めてわかったのだ。


「じゃあ、行くよ」

 夜明けまでは少しある時間だった。墜啄が一番起きやすい時間は丑三つ時だ。不死鳥の裏をかく作戦である。俺と業は浜辺にある岩石の上で、闇へと続く茫洋とした大海を眺めていた。波風が立ち、羽毛は揺れた。


 業が聞いてきた。諦念さを湛えた金色の瞳が真っすぐこちらを見ている。

「因。怖くはないのか?」

「もしそうなら諦めて虫でもつついてるよ」

「私はそうなった」

「……聞きたくないね」


 業は無視して続けた。

「私はいたって普通のサラリーマンだった。妻と娘がいたんだ。幸せだったよ。だから渡りを行った。一目でいいから家族を見たかった。でも、渡りは失敗した。逃げおおせたはいいが、以来私は森から出ることを恐れた。あの焔が焼いたこの目が疼くのだよ。良くないことばかり考えてしまうんだ。そしていつの間にか、名前を失っていた」


 ああ、俺は恐れを軽蔑していたのだ。業はずっと恐れから目を逸らしてきたのだ。けれど、いま、弱さと向き合ったのだろう。

「俺は、あんたを尊敬してる」

「ありがとう」業は一度目を閉じると、空へ向き直った。森の賢者の顔だ。「行け。因。恋人に会ってこい」

 俺は翼を広げた。それが返事だった。飛び立つときが来たのだ。


 そのとき、浜辺の奥の森から、ずる賢そうな鳥が顔を出して、けたたましく鳴いた。

「ああ! 渡りだ! 渡りだ! 因が渡りをやりやがった! 罪鳥ざいちょうだ! 不死鳥さまァ!」

 警報は空へと響き渡った。

 一瞬の静寂。全身が総毛立つ。風が、焔の香りを運んできた。



 頭が真っ白になった。

「構うな!」

 業が怒鳴って、俺は正気を取り戻す。

「くそっ!」

 最初に出た言葉がそれだった。全神経を両翼に集中する。体力の温存を気にせずに全力で飛び上がった。上空で翼を広げて風を読む。


 追い風から音が乗ってきた。

 後ろを見やると、隕石のような速さで、光球が迫ってきていた。もう目前だ。

 巨大な翼が風を受け止めているのだ。恵まれた肉体から生まれる膂力で、吹き付ける風を利用してさらに速く、より速く飛ぶのだ。


 嘘だろ、いくら何でも速すぎる!

 一刻も早く風に乗らなければならなかった。何度も何度も実践したことだ。体は 無意識に逃げの姿勢を取っていたが、それを追い越すように、熱波が頬を撫でた。


「おいおいマジかよ……」

 メンタルはそこそこ強いほうだと思っていたが、動揺は体を強張らせていたらしい。

「貴様が因か?」

 あの日、初めて墜啄を見たときと変わらない姿。燃える翼を広げて、不死鳥は俺の進路をふさいでいた。


「違う、っつったら?」

「嘘を吐くか試した。お前は因だ。わしにはすべてわかっている」

「なんでもお見通しってか。そいつは大層すげえ話だな」

「貴様は留鳥の身でありながら渡りを行おうとした。規定の海域からは出ていないが、答え次第では処刑を免れぬぞ」

「なあ、あんたに会ったら聞こうと思ってたんだが、なぜ留鳥は渡りをしてはいけないんだ。そいつの自由だろう。そいつの一生なんだから」

「身をわきまえろ小僧。ルールに従うのは当たり前だ。はみ出せば、諍いが始まり秩序は破綻する。自然に逆らうな」

「だから、誰がその秩序ってやつを決めたんだよ?」

「偉大なる世界がそう言ったのだ。わしは世界に従っている」

「地球が喋るかっつーの。世界は俺に、宿命を遂げろって言ってくれたぜ」

「不毛な議論をするつもりはない。どうやら貴様は世界に反逆したいらしい」

 不死鳥は翡翠の目を鋭く細めた。

「偉大なる世界の教えに従い、このぜんが処罰を下す。因よ、ここで死ね」

 焔はぐいと首を持ち上げた。


 修行中、業から不死鳥について学んだことがある。

『不死鳥最大の武器はなんだと思う』

『墜啄だろ? 嘴で刺し殺されたら終わりだ』

『間違いではない。だが不正解だ』

『どういうことだよ』

『やつの武器は妖術のごとき飛行速度にある。ワニの咬合力は約二トンあるというが、動かないワニに脅威は感じないだろう?』

『たしかにな。追い付かれたら終わりってことか』

『その通り。ただ、やつにも唯一の弱点がある』

『マジか! でも、不死鳥って死ぬのか?』

『物騒なやつだ。殺すわけではないよ。やつは文字通り不死だ。潰れようが海に浸かろうが甦るさ。殺すのは不可能だ』

『じゃあ、弱点ってのは?』

『うむ。もしやつに追い付かれたら――』


 俺だって不毛な議論をする気はないぜ。周囲を見渡す時間を作っていたんだよ。

視界の端で一本の光の線を見つけた。その光の線は、海上から伸びていた。より正確には、海上を進む一隻の漁船だった。しめたぞ!


 焔は嘴を槍のように突き出した。

 俺は左翼を傾けた。斜めに急降下していく。槍の直撃コースから逸れて、漁船に向かって急降下していく。漁船には網を引く人間たちがいた。夜が明け始めていた。俺は人間の一段に突っ込んでいく。


「させんぞ!」

 俺の狙いを察知した不死鳥が、逃がすまいと声を荒げた。

ギリギリだ。いや、このままだと間に合わない。追い付かれる。

半ば死を覚悟していた俺の耳に、唸り声が割り込んできた。金色の双眸が、弾丸さながらに俺と不死鳥の間を通り抜けた。


「業さん!」

 業はすぐさま旋回して、不死鳥へと向かっていった。邪魔者に、不死鳥がたじろぐ。その間に、俺は漁船の縁へと到達しつつあった。

 俺の目論見は成功するだろう。だが、悔いが残りそうだ。

「やめろ業さん! 死んじまうぞ!」

「振り返るな因!」

「……っ!」

 業の叱咤を背中に受け、俺は一心不乱に風を切った。やがて漁船に滑り込んだ。

 空中を振り仰ぐ。

 まさに焔の嘴が、業を貫いた瞬間だった。

「業さん!!」

 墜啄を受けた業は、ゆっくりと海原へと落ちていく。体は既に灰となりつつあった。

 この鳥の世界で、たった一人の理解者が死んでいく。俺のせいで。


「因! 成し遂げてくれ!」

 それが最後の言葉だった。業の体は塵となって、海面の手前で吹き消えた。

大した礼もしてなかった。目的を果たして森へと帰還するのが、なによりの返礼だと思っていた。


「焔! ここへ来てみろ!」

 やるせなさから出た言葉だった。思った以上に激しく鳴いていた。

 不死鳥は忌々しげに俺を睥睨しつつも、ホバリングを続ける。

「来れないだろ! お前は人間に姿を見られてはならないんだからな!」

『もし追い付かれたら――人間のいる場所へ飛び込め』

 業の教えだ。やつは神秘というベールで包まれている。ゆえにベールが取り払われるのをなによりも恐れる。


「俺たちの勝ちだ!」

 俺が翼を広げると、焔もまた翼を広げて怒鳴った。

「黙れ! 次飛立つときは後ろに気を付けろ小僧! 貴様のような無法者を、わしは幾度となく始末してきた! 貴様は世界を顧みぬ罪そのものだ!」

 俺たちはにらみ合いを続けた。船が沖へと帰りだし、彼我の距離が離れても、見えなくなるまでにらみ合いを続けた。譲れなかった。

 ようやく焔が見えなくなって、朝日が昇った。胸が痛くなった。太陽を反射する海面が、目に染みた。海は荘厳な穏やかさで、俺を見送る。


 上手く人間の船へと入り込んだら、船内をくまなく探索しろと業は言った。新聞を探すためである。

 俺が死んでから一体どれくらいの月日が経っているのか、それは業もわからないと言っていた。鳥として生きる時間が長くなればなるほど、鳥の感覚に、人間の頃の感覚が上書きされてしまうのだ。

 果たして新聞は見つかった。ただ新しい新聞かはわからなかった。おそらく古新聞だろうが、それでもないよりましだ。

 俺は嘴で紙をつつきながら、ようやく日付が印字されたページを見ることができた。

 息が止まったのではないかと錯覚する。思わず倒れてしまいそうだ。

 何度も何度も確認した。違う新聞も見つけて無我夢中で漁った。

 誰か……嘘だと言ってくれ……。

 けれどどれだけ確認しても、無駄だった。

 焔が意地悪くほくそ笑んだ妄想すら浮かぶ。

 新聞の日付はどれだけ古くとも、俺が死んだ年から三十年余りが過ぎていたのだ。


 俺が死んだのは十八の頃だ。高校三年間は実に恵まれていたといってよい。中学の頃に付き合いだした彼女とは、一緒の高校に進学して、喧嘩こそときどきしたものの、特にこれといった問題もなく交際を続けていた。臆面もなく言葉にすれば好きでたまらなかった。


『一つの青春だな。中年には少しばかり眩しいよ』

『いや業さん。あんた既婚者だろ』

『それとこれとは別だよ、因』

『今頃どうしているのやらだ』

『どうして会いたい』

『いや、会うというより、一目見るだけで構わないんだ。俺はもう鳥になっちまったし、どうすることもできないだろ。けど、殻を破る前から、俺はあいつを見なければならないって思ってたんだ』

『……あえて残酷なことを言わせてもらうが』

『いやいいよ。わかってる。あいつが他の誰かと幸せになってるってやつだろ』

『…………』

『聞いといて罰の悪そうな顔すんなよ……。正直、それは凄く悲しいよ。どこの誰なんだよとも思うよ。けど、俺はあいつを突然残してきちまった。だから確認したいんだ。どうか幸せになっていてほしいから』

『そうか……。さて、では続きだが、日付を確認しても、所在が分からなければ話にならん。こういうとき、どうすればいいかだが――』



「――、――――い、――おーい、おーい」

 目を覚ますと、ぱちっとした瞳が見つめていた。

「悪い、寝てた」

「長距離飛行は慣れないかい? まだまだだよ」

「燕と一緒にしないでくれよ、しゅう

 目の前の燕はダメダメだなあ、と首を竦めた。


 漁船が港へと帰ってきたあと、俺はしばらく呆然としながらも人間の近くを飛んで、街へと入った。

 三十年では、人の営みはさして変わらない。けれど改めて街で拾った新聞を確認しても、やはり間違いなく三十年が過ぎていた。

 俺は受験会場に向かう途中事故に遭った。車にはねられたのだと思う。

あのまま過ごしていれば、彼女は四十八。いい年のおばさんだ。子供もいておかしくない年齢だ。

 俺が絶望したのはなにも時の流れに対してではない。もちろんそこまで経過しているとは思わなかったが、それ以上に、彼女の消息が掴めないリスクが高まったことに絶望したのだ。


 収と出会ったのは、俺がどこぞの家の屋根でぼうっと突っ立っていたときだった。

『大丈夫? 酷い顔してんね。不死鳥を振り切ったっていうから、僕はてっきり、もっと勇ましい鳥だと思っていたんだけど』

 第一声がそれである。

『あんた、燕か?』

 紺を基調とした体。腹は白く、首筋は少し赤みがかかった羽毛だ。

『うん。燕の収だよ、きみは?』

『因だ。なんで俺を知ってるんだ?』

『燕のネットワークさ。全国あちこちに仲間がいるんでね。風の噂はすぐに届くよ。まして、あの不死鳥を振り切った鳥となると、伝播も速くて当り前さ』

『そうか……なあ収。いきなりなんだが、頼み事があるんだ』


 業は燕を頼れと言った。彼らは人間と密接に暮らし、かつ定期的に各地を飛び回る種族だ。

 そんな彼らを頼れば、捜し人は見つかる。

 こうして俺は自らの話を収に聞かせた。収は快く了解してくれて、それから三日間、俺は収と共に空と飛びながら過ごしている。ある場所を目指して。


「いやあ、さすがだよ因。きみの話は実に面白い。いまじゃ僕まで有名になっちゃったよ。面白い話はぐんぐんと広がるね」

「俺は大したことはしてないが、おかげであいつの居場所がわかったんだ。感謝してるよ」

 燕たちのネットワークは三日にして彼女の居場所を突き止めた。いま俺は収の案内で、彼女の住む街へと向かっている。

「なに言ってるんだよ。きみはもはや有名鳥さ。感謝なんて。むしろこっちが感謝したいよ。きみの話を聞けたおかげで、僕はちょっとした名誉すら感じる」

 燕をはじめとした大陸の鳥たちは、人間と密接に暮らすため、墜啄の心配がほぼない。彼らはとかくおしゃべりが好きで、面白い話をすることは彼らにとって名誉の勲章らしい。


「それにしても驚いたよ。ここまで見つかるのが速いとは」

「面白くないって言う口汚い鳥もいるけどさ、やっぱりみんな興味があるんだ。昔はたくさんいたらしいんだよ。渡りをする鳥たちが。でもいつしか不死鳥が現れて、面白い話はめったに聞けなくなっちゃったんだって」


 修行中、業も似たようなことを言っていた。昔は自由に渡りをしていた鳥たちがいたと。その時代にぜひとも生まれたかったと。


「つまんないよね。いつしか不死鳥の信仰群までできあがってさ。墜啄を受けたら、大地に寝そべることもできないんだ。怖いよ、とても」

「ああ、怖いな。死んじまうやつもいるんだ」

「僕たちはきみのような生き方はできない。だから僕たちがおしゃべり好きなのは、憧れや羨ましさから来るのかもしれない」

「どうして、不死鳥がいるんだろうな」

「さあね。……おっと、見えて来たよ因。きみの捜し人がいる街が」


 その街は、優しい風が吹いていた。セピア色の家が数多く立つ住宅街が見える。

 情けなくも不安が腹の底から這いあがってきた。

 収は軽く俺をつついて笑った。

「家はばっちり把握してるよ。遊覧飛行としゃれこもうじゃないか」


 そのときのことを、どう言えばいいだろう。


 彼女の家は閑静な住宅街の一角にそっと佇んでいた。俺は収に見守られながらも、彼女の家の庭の木に止まった。


 二階建てのその家の窓に、少し皺のよった女性が見えた。洗濯物をたたんでいるらしい。間違いない。彼女だ。少女の頃の面影が、しっかりと残っている。


「久しぶりだな」


 付き合い始めたときから、死ぬまでの間、ずっと近くに感じていた。けれどいつの間にかずっと遠いところに行ってしまったような気がしていた。けれどこうして長旅をして、たどり着いた。それなのにどうしてだろうか。とても、遠く感じる。


 女性は洗濯物をたたみ終えると、化粧をし始めた。随分と手馴れていて、化粧は苦手だと言っていたあの頃から、時間の経過を感じさせた。これからも彼女は変わっていくのだろうか。


 けれど、良かった。横顔が、とても幸せそうだ。

 化粧を終えて、彼女は見えなくなった。近くの電信柱に止まっていた収の元へ行く。


「綺麗な人だね」

「別人のような気さえするけど、本人なんだなって、わかるよ」

 玄関の戸を開けて、彼女が出て来た。これから買い物にでも行くのか、エコバックを持って、自転車にまたがっている。


「行かないのかい。彼女の前に」

「行ってもどうにもならない」

「近づけば、なにかわかるかもしれないよ。もっとわかるかもしれない」

「正直怖気づいてるんだ。行って、ただの鳥だと認識されると、もうあいつは俺を見ていないとわかってしまう。はっ、当たり前なのにな」

「因……」

「行こう収。ありがとな。連れてきてくれて」

「いいよ」

 宿命は果たせた。俺は再び翼を広げる。


「収! 大変だぞ!」

 突然、一匹の雀がやってきた。雀が言わんとしていることはわかった。

 風が強く吹いたのだ。その風を俺は知っている。焼け焦げる、やつの香りだ。

「不死鳥の焔だ! やつはもうなりふり構ってない。因を墜啄しに来たんだ!」

「まさかここまでくるなんて……。因、いますぐここを離れよう。まだ間に合う」

 収はそう言うが、俺は動く気がなかった。

「いや……もう遅いぜ」


 街の彼方から、流星が向かって来ていた。

 俺は収に向き直った。

「いいか収。俺とお前はここまでだ。もしやつに問いただされても、お前は俺に脅されていたんだと白を切れ」

「だけど……!」

「心配すんなよ。俺はあいつを振り切った鳥なんだぜ」

 なおも心配そうに見つめる収の背中を叩いて、俺は火球へと向き直った。

「因。僕はきみを見届けるよ」

「しゃあねえ。あんまり近寄るな? ほら、行け!」

 俺は心のなかで、収に詫びた。たぶん、もう会うことはない。


 収が去って間もなく、火球は因の前までやってきて、ぼうっと炎の翼を広げた。

「随分と遅いお出ましじゃねえか。目ざといお前にしては」

「口の減らない小僧だ……」

 焔は増悪を隠そうともせずに言った。

「あそこを見ろよ焔。そう、いま自転車を漕ぎだした女性だ。俺の渡りの目的だよ」

「貴様っ。貴様のおかげで、わしは人間の目を何度もかすねた。存在が消えかかっているのだわかるか! 世界のルールが揺らいでいる!」

「知ったことか! あんたが勝手に決めたルールだ! あんたが支配しただけだ!」


 言いたいことは言ってやった。なぜ不死鳥が存在するのか、いまは少しわかった気がする。

 誰かを否定して生きているのだ。無法者は誰かを傷つける。調和を取るために、こいつがいるのかもしれない。


「だが朗報だ。焔。俺の渡りはまだ達成してねえ。遠くから眺めるだけじゃ満足できなくなっちまってな。彼女の前に俺はいまから姿を晒す。これで俺の渡りは完結だ。俺がやり遂げるか、あんたが死ぬかだ」


 俺は大きく翼を広げて、目の前の化物と向かい合った。焔は俺の意図を察したのか、かつてないほど炎を滾らせる。

 風が強く吹いた。俺が飛び立つのと、焔が宙を蹴るのは同時だった。

 焔の嘴を紙一重で躱し、電信柱と水平に飛びながら、地面に向かって加速した。

 そこから低空飛行をして、彼女の元へと飛ぶ。

 翼が燃え出した。背中が痛かった。火炎の気配を全身で感じ取る。身がすくむ。

 だがこれは一世一代の大勝負。

 否定されても、宿命をやり遂げる。たとえ、羽搏くのが罪だとしても。


 最高のスピードに乗った俺は彼女を追い抜いた。たった一瞬だけ、彼女を近くで見た。

目が焼けて激痛が走った。飛ぶ力を失った。落下するのが体感でわかって、鋼鉄にぶつかったような衝撃が全身を襲った。


 キキーッと甲高い音がした。わずかに涼しくなって、体が暖かかった。そっと宙に浮いた気がした。焼けているのか、灰となったのか、それとも拾い上げてくれたのか。

 幽かに懐かしい声が聞こえた気がした。

 俺は、やり遂げたのだろうか。

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