5.死の瞬間を売る

 やがてダラシーノも他の企画を持ち込んで実行するようになった。


「ダラシーノでーす。いま、ハコちゃんとレストランで休憩中です。今日は僕、ダラシーノ特製のレモンミントティーと、パティシエさんの賄いおやつ、水切りヨーグルトのチーズケーキです」


 給仕長室にカメラを持ち込んでくるようになった。

 おなじハコチャンネルで『休憩タイム・ハコ』というダラシーノ編集のコーナーをつくってしまった。


 葉子の手元に置かれたグラスには、涼しげな氷とミントとレモンが入ったアイス紅茶が、午後の光に輝いている。そばには白い皿に映えるシンプルなチーズケーキ。その映像を蒼が撮影している。


「シェフがサワークリームなどを作ったあとにあまったヨーグルトと、パティシエさんのところであまったクリームチーズの合体なんですよ。こうして食材ロスを減らして従業員の賄いになっています。おいしいねー、ハコちゃん」

「おいしいです。ダラシーノさんのドリンクもいつもおいしいです。ダラシーノカフェと呼んでいます」


*ダラシーノって料理できそう!

*レストランのパティシエさんの賄い!? 作り方知りたい!!


 さらに蒼はデスクの上に、いつも綺麗に磨かれておかれているカメラにもレンズを向けた。


「これが北星のカメラですね。これで、皆さんがいつもごらんくださっている生前の写真を撮影していたんですね……」


*レストランに北星さんのカメラ、置いているんだ!

*最近のダラシーノさんのコーナーも楽しみにしています。レストランのこともっと教えてください。


「のちほど、パティシエから皆様も作りやすいレシピを聞いて投稿いたしますねー」


*ダラシーノ、うるさいけど。またハコちゃんチャンネル新鮮味がくわわったね

*でもときどき、ハコちゃんが唄ってるのに、まだ変な声がはいるんだよな……

*黙って撮影できないタイプなんだね。このまえ、苔がある細い森林道でこけてた時もでっかい声が入っていたけど、ハコちゃんがしらんぷりで唄ってるの面白かった。

*睡蓮がある奥の沼、綺麗だった。いつもの場所ばかりよりずっといい。もっと北海道の景色とハコちゃんの唄と、北星さんの写真をたのしみたい。

*けっきょく、ダラシーノってなんなの

*確かに、ハコちゃんよりおじさんっぽい


 またチャンネルが賑わうようになってきた。

 これも蒼の狙いがあったのだ。ハコの唄チャンネルが落ち着いてきて閲覧数も登録者も安定はしていたが、だからと増えるともいえず、微々たる下降線を辿り始めていたからだ。

 葉子のためではない。秀星の写真集の発売までに、この閲覧数をキープしておきたいからだった。

 葉子も賛成をして、唄以外のコーナー企画はダラシーノ担当で任せることにしている。ハコが話しかけられて受け答えするのも協力していた。


 写真集の最終段階にはいり、ついに出版社サイドから『遺作はどうされますか』という最終判断の問い合わせがやってきた。

 ここで掲載しないというと、あの瞬間はナシで刊行される。


 父と最後の話し合いを、閉店後の給仕長室で、蒼も交えて行った。


 給仕長室に椅子がみっつ、蒼がデスクの椅子に、葉子はいつもの小さな丸椅子に、父も調理人ミーティングの時のパイプ椅子を持ってきてコックコート姿で座っている。手元には仕事が終わったので大沼のクラフトビールを三人でわけあい、乾杯した。


 葉子と出版社が編集をしていたこの数ヶ月で、父もいろいろと考えていたようだった。


「覚えているか、葉子。秀星が『ここの素材にはまだ飽きていない』と言っていたこと」

「覚えているよ。それでお父さんが『いつ飽きるんだよ。飽きたら絶対にここを辞めていく』と、ずっとハラハラしていたもんね」


 そんな父娘の会話に、蒼も大好きなビールを飲みながら、静かにくすっと笑いをこぼしている。


「それでいうと、じゃあ、先輩は神戸のルミナリエには素材として撮影を全うできたと思えたから、離れていったということなのかな」

「どんな思いで神戸と別れる決意をしたんだろうかと思っていたけれど、ルミナリエだったのか」

「お父さん、知らなかったの? 秀星さん、ルミナリエの綺麗な写真、いっぱい撮っていたんだよ」

「いや……、写真とやらに興味がなくて。いつだって雄大な北海道の景色がそばにあるわけだからなあ」


 その父が急に、狂おしそうな表情に変わり、眉間にしわを寄せうつむいた。


「あれが、大沼での最後の素材だったんじゃないかと、父さんは思うんだ」


 葉子と蒼はともに顔を見合わせる。最後の素材? 父はそこに秀星の思いを嗅ぎ取っている?


「吹雪が止まない時点からシャッターを切っていたんだろ。あいつが撮りたかったのはあれだったんだろ。最後の夜明けの写真だけじゃない。吹雪込みだ。険しい嵐から現れる色彩鮮やかな冬の夜明けだ。あれをいつかやってやろうと思っていたんじゃないだろうか。大沼に来て四年間、吹雪なんて何度もあった。なのに、どうして、あの朝方にそれを決行したのか。前触れすら、俺には感じられなかった。もう決意のわけも知ることはできないが、秀星にとって『危険とわかっていても撮りたいもの。今日、いま、決行する』という決意だったと思うんだよ」


 神戸はルミナリエ。大沼は吹雪開けの夜明け写真。彼が望んでいた素材であって、大沼の場合は危険極まりない行為を踏み越えて、彼は『狙っていた素材』を捕らえにいったのではないかと父が言う。


 そう聞くと、しばらくなくなっていた重苦しさが葉子の中に蘇ってくる。

 それって、もう……。あの時、秀星さんのまわりにあったなにもかもを捨てた瞬間だったのではないか。相棒だった父も、責任を持って全うしていたメートル・ドテルも。そして、ハコのことも。もうなにもかも終わりでもいいと思って、明け方のホワイトアウトへと飛び込んでいったと?


 捨てられたようなショックが襲ってくる。

 だから父も認めたくなくて、いままで口にはしなかったのかもしれない。


「まあ、俺たちとはもう終わってもいい気持ちであったかもしれないし、成功させて帰ってこようとも思っていたけれど叶わなかったのかもしれない。だが、間違いなく、あれは秀星が大沼で狙っていた素材だったということだ。危険の境目も判断できないほどに、あそこでシャッターを押すこと、狙っていた瞬間に身を委ねることを選んだということだ。あいつのことだ、どんなことが死を招くかもわかっていただろう。それでも欲しかったし撮りたかった――。俺はそう思う」


 そして、父がやっと言った。


「あいつが、最後に望んで撮れたものだ。掲載してあげてくれ」


 法的に秀星の写真の権利を持っている父の最終判断だった。

 吹雪から映していた連写をそのまま掲載することになった。


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