若者のすべて〈Fujifabric〉

 札幌の夏は短い。


 お盆の時期を過ぎると途端に赤とんぼが目立ち始め、ストンと秋がやってくる。


 そのせいか夏のイベントはほとんど八月の頭に集中し、週末になると毎日どこかで花火を上げる音がするのを、屋根裏部屋の窓から聞くのが、仲川ほのかの夏のナイトルーティーンでもあった。


「ねぇねぇほのか、花火大会行こうよ」


 前々からLINEで誘ってきていたのは幼なじみの髙坂こうさか菜々で、ともに先日まで同じダンス部にいて全国大会を目指していた仲間でもある。


「まぁ時間があるしね」


 ほのかは返した。


「でも豊平川は混むし…」


「穴場があるんだけど、行ってみる?」


 ほのかは穴場だの格安だの、割の良い単語に弱いふしがある。


 とりあえず土曜日の茨戸ばらと川の花火大会を見る約束だけは取り付けて、この日は過ぎた。






 約束の土曜日。


 ほのかの家へあらわれたのは、スーパーカブのC70というバイクに乗ってやって来た菜々である。


「お待たせ」


 もともと菜々は特待生で通っており、そのため進学のための学費を捻出するためにアルバイトをしており、そのための二輪免許の許可を学校から得て取った──といういきさつがある。


 本来プライベートでの運転は認められていないが、


「今日はバイト帰りだし」


 つまり通勤退勤の時間帯なので、問題はないのだ──というような話を菜々は述べた。


 菜々はほのかをリアキャリアに乗せると、


「じゃあ穴場へ出発!」


 スロットルを開いて、何故か国道を茨戸とは見当違いの、環状通を北海道神宮のほうへと菜々はハンドルを切った。





 菜々が来たのは、大倉山のジャンプ台の駐車場であった。


「ここね、見えるんだけど誰もいないから穴場なんだよね」


 誰からそんなことを聞いたのか、ほのかには見当すらつかなかったが、おそらく菜々はほのかの知らない世界を知っているのであろう。


 やがて。


 遠くで花火の打ち上がる音がし始めた。


「ほら、あそこに上がってる」


 菜々が指差す先には、夜景の切れた先の、おそらく真勲別川のあたりであろう木々の闇の先から打ち上がる、まるでロリポップキャンディのような小さな打ち上げ花火であった。


「ちっさ!!」


「でも混まないし見えるよ」


「花火を上から見る感じなんだね」


「私もこれを教わるまでは半信半疑だったんだけどさ」


 菜々は一年生で免許をとっているので、多分その時期あたりから見ていたのかも知れない。


 小一時間ばかり小さな花火を見ながら、菜々とほのかはダンス部の話をした。





 ──菜々とほのかはともにダンス部で、他の数人と小さなユニットを組んでストリートパフォーマンスをしたりして、力をつけるトレーニングをしていた。


 やがて。


 ダンス部の日本一を決める全国大会を目指し、三年生になるまでの二年余りをダンス漬けの日々で過ごしたのであったが、全国大会にはあと少しのところで出ることが叶わず、先月も全道予選で敗退し、とうとう夏が終わってしまった──そんな矢先の花火大会である。


 まだ暑さが残り、しかしもう部活動は現役を去らなければならず、それでも無性にトレーニングをしたい衝動があったのかとりわけ菜々は、


 ──私はプロを目指す。


 と厳しいメニューをこなしていた。





 他方で。


 ほのかは、自らがベーカリーの跡取り娘でいつかは店を継がなければならず、それもあって引退後は一切のダンスやそれらに関わる全てを、避けていたところがあった。


「だって…ほら、私…長女だし」


 ほのかは、時折そんな口癖が出ることがある。


「ほのかは…それでいいの?」


「何が?」


 菜々から見れば、それは逃げの姿勢のようにも見えなくはなかったが、


「菜々ちゃんはいわゆる会社員の子で、うちみたいな自営業の子じゃないから、自営業がどれだけ大変なのかきっと、それは説明しようがないし分からないと思う」


 菜々は言葉に窮した。





 朝早くからパンを焼いて店に出し、それを夕方までに売り切ることがどれだけの労苦であるかを、ほのかは見ていただけに、ダンスを続けたい──とは言えなかったのかも分からない。


「パン一個売るにも大変で、だから稼ぐことが大変なのは菜々ちゃんだって、アルバイトしてるから分かるよね?」


 そんなときにダンスのために親にお金を出せとは言えない──ほのかは包み隠さず打ち明けてみせた。


「ほのか…」


「だからね、菜々ちゃんには行けるところまで行って欲しい。私のぶんまで託そうかなって」


 花火の連発が始まったのか、立て続けに音が鳴った。





 花火が終わると、菜々のC70で二人は大倉山を降りて、麓のファミリーレストランへ入った。


 一緒にアイスティーを頼んだあと、ドリンクバーでソーダやジュースを取りながら、


「そっか…ほのか、ダンスやめるんだ?」


 私はほのかのダンス好きだったなぁ──菜々は惜しむように語った。


「ほのかってダンス私よりキレッキレで、しかも普通にバク転出来たから。私なんかバク転出来ないからさ」


 菜々はほのかの実力を知っているだけに、


「全国には出られなかったけど、スカウトとか来て見てたの、あれ全部ほのか目当てだったし」


 それでもほのかは、


「あのね菜々ちゃん…人はここって場面で見切って決めなきゃダメな場面が必ずあって、私はそれで決めたから、なんも後悔なんかしてないよ」


 これには菜々ですら、何も言葉を返すことが出来なかった。





 帰りにほのかの家まで送ると、


「あのさ…ほのか」


「菜々ちゃん、ときには往生際も大事だと思うなぁ」


 ほのかは笑顔で返した。


「…うん、分かった」


 菜々もようやく納得したような顔つきになって、


「じゃあ、また学校で会おうね」


 名残り惜しそうではあったが、ほのかが手を振ると、やがて菜々は再びアクセルを開け、バックミラーのほのか小さくなって、やがて見えなくなった。


 菜々は大きな通りに出ると、一人で無性に転がしたくなったのか、やがてみずからの自宅とは真逆のほうへと、ハンドルを切って、スラッシュカットマフラーの音だけを残し小さく消えていった。




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