第12話ー④


「れ、恋夜くん。あのね……。ま、まだ……こういうのはちょっと……。は、早いと思うのよ……。だから、その……」


 まるで怯えるように、掠れた声だった。


 覆い被さっているから表情までは見えないけど、俯いているような気がする。


 いつだって風を切るように美しく、エロスを放つ姿が、そこにはなかった──。


 繋いでいる手にぎゅうっと力が込められる。

 言葉を振り絞るために、必然的に力が入ってしまうような。そんな感じが伝わってくる。


 ………………………。


 お、お、お、俺はなんてことをしているんだ!!

 

「す、すみません!!」


 即座に180度クルッとまわり、真白色さんのお隣に移動!


 急激に恥ずかしさが襲ってくる。


 彼氏っぽいことをしなくちゃと思うがあまり、麻痺していた感情がうねりをあげる──。


 手、手、手握っちゃってるよ! そ、それも恋人繋ぎで力強くギュッて! ギュギュって!


 心拍の上昇が限界値を突破──。

 エクストラモードに突入──。


 ドクン。ドクン。ドクンドクンドクン…………。


 高鳴る鼓動を抑えられない。ましゅまろの感触が、今もなお、体の随所に残っている。


 今だけは忘れて、感情を落ち着かせたいのに頭の中はましゅまろでいっぱい──。


 行き場のない感情をぶつけるように、俺も真白色さんの手をぎゅっと握っていた。


 授業中の静けさ漂う廊下。

 壁に背をつけ、互いに俯き加減。


 無言の極致──。


 気まずい……なんてものじゃない! なにか話さないと。言わないと。そう思えば思うほどに鼓動は速くなり、言葉が出せなくなる。



 先に口を開いたのは真白色さんだった。「コホンッ」と軽く咳払いをして、仕切り直すように──。


「お手洗いに行きたいのだけれど……」


 また?! さっき行ったばかりじゃ……。

 いやいや、乙女の花園への旅路は見送るのがマナー!


「は、ははい! 行きましょう! 今、すぐに!」


 あっ。言ってすぐにおかしな返答だったと気づく──。


「……ついてきちゃ、だめ」


 だ、だだだよね!

 

「すすすすすみません! 今のはちょっと、間違いというか言葉の綾というか、間違いというか! 言葉が綾ってしまったというか!」


 落ち着けって!

 テンパり過ぎだろ、俺!


「ふふっ。わかっているから大丈夫よ。先に行っててくれるかしら。……そうね、隅の席で待っててちょうだい」


「は、はははい!」


 隅の席。それは神域内で死角になっている唯一のスペース。


 そこでティータイムをするとなれば、二人だけの快適自由空間。


 ってことはつまり、誰にも見られることなく邪魔だてされることもなく、連絡先の交換ができる!


 こんなことになってしまったけど、真白色さんはちゃんと考えてくれているんだ!


 今はちょっと、恥ずかしくて真白色さんの顔を直視できないけど……。初めてを捧げる時までには気を落ち着かせよう!


 ひぃひぃふぅ!

 ひぃひぃ、ふぅー!


 




 ☆


 カフェテラスに到着。


 緑と花が生い茂る庭園。

 神々の聖域にして、一般生徒は足を踏み入れることが許されない暗黙の場所。


 今では此処とトイレだけが、校内で心休まる場所になってしまった。


 でも、一人で来るのは初めてだ。

 

 入り口を前にして、足が止まってしまう。


 染み付いた三軍ベンチ魂が邪魔をしてくる。


 行けっ! 行っちまえ! 真白色さんと隅の席で待ち合わせしてるんだろ!!


 ☆


 で、こんな時に限って考えうる中で最悪な人と出くわしてしまう──。


「お前は……!」


 校内モテ男アンケート。不動の一位。

 ハイスペックイケメンにして御曹司。そして生徒会長の龍王寺先輩だ。


 テラス席に座り、優雅にコーヒーを啜りながらノートパソコンを広げて居た。


 とりあえず声を掛けられたのだから、笑顔で挨拶しないと。


「ど、どぅも。こんにちは!」


「あ? あぁ、一人か。随分と大層な身分になったな?」


 ひえっ。そりゃそうだよ。

 どの面下げて三軍ベンチが神域に足を踏み入れてるんだってことだろうな。


 ぐーの音もでない。おっしゃるとおりです。


「しかも授業サボって此処に来た訳か。お前、屑だな?」

 

 そう言うとゆっくりと近づいて来て、肩をポンっとしてきた。

 ……こんなにも悪意に満ちた肩ポンは初めてだ。


 ていうか、授業サボって此処に居るのは生徒会長も同じでは……。出掛かる言葉をぐっと飲み込む。


 殆ど初対面。言葉を交わすのはこれが初めて。それでこの態度……。

 敵意剥き出しというか、とんでもなく嫌われている……。


 それもそのはず。この男もまた、真白色さんに想いを馳せし者の一人。

 しかも付き合っている宣言をした後に、告白されたって聞いた。


 言うなれば、涼風さんの男バージョン。…………つまり、敵だ! ゆめぜきれんやは敵ッ! たぶんこのノリのやつ。


 うん。余計なことは言わないに限る。穏便に、この場をやり過ごすんだ!



「いい機会だ。ひとつ教えてやる。俺と楓は許婚だ。将来、否応にも俺の嫁になる女だ。お前みたいな一般人の出る幕はない。肝に銘じておけよ?」


 なるほど。二人は許婚だったのか。

 確かにお似合いだなぁ。俺の出る幕なんて最初からないんだけどさ……。


 でも、真白色さんはこの人のことを嫌っている節がある。


 ……それなのに、許婚?


 いや、深く考えるのはよそう。

 あんまり出過ぎた真似をすると、さっきみたいなことに成りかねない。


 今日の俺ってば、勇気を出して一歩を踏み出しては失敗続き。きっと厄日なんだよ。だからここは──。


「嫌いな相手と結婚しなきゃならないなんて、考えるだけでゾッとしますね! 俺なら絶対に無理です!」


「は?」


 は?


 えっ。俺、今なんて言ったの?

 ほ、本音がポロリしちゃったー!!



「はい! わかりました! 肝に銘じておきます!」


 すぐさまリカバリー。まだ間に合う!

 ピシッとした姿勢で明るく元気に答える!


「ふんっ。まあいい。分をわきまえる頭は持っているらしいな。ならば去ってよし。目障りだ」


 握った拳で胸のあたりを軽くコツンとしてきた。


 一瞬、ぶっ飛ばされるのかとも思ったけど……。さすがは生徒会長。一線は越えない。


 でもこの拳の握り具合。怒りに震える感じがひしひしと伝わってくる。


 さすがにさっきの本音ポロリはまずかった。何やってんだよ、俺……。本当に今日は散々だ……。


 早急にこの場から立ち去らないと!


 ……とはいえ、真白色さんと此処で待ち合わせしている。出ていくフリして、端っこにでも居るか!


 ☆


 で、今の俺は影薄シリーズの力を失っているわけで──。存在感は人並みにあるわけで。


「おい、俺は去れと言ったのだが? お前が近くに居ると思うと虫唾が走るんだよ」


 ひえっ。だ、だよね。やっぱり入り口で待とう。もうだめ。これだめなやつ!


 軽く会釈をして、立ち去ろうとすると──。


「夢崎君。どちらへ? 今、紅茶を淹れますゆえ、お座りになってお待ちください」


 じ、爺やさん?!

 いつの間に?!


 しかも生徒会長が座るテラス席の椅子を引いて、どうぞどうぞとしてくる。


 これには生徒会長も眉を捻らせ、怒りを顕にした。


「なるほどな。授業をサボるだけでは飽き足らず、楓のお付きに紅茶を淹れさせるのか。随分と優雅な生活を送っているんだな? おい、お前。何様のつもりだ? 気分はすっかりこちら側か? ああ?」


 ひ、ひぃ!

 違う! 違うよ生徒会長! 誤解だよ!



「すぐに最高の一杯を淹れますゆえ、早く座ってくれないでしょうか? これでは紅茶の準備に取り掛かれません」


 爺やさんはメガネをクイッとすると、ギラリと睨みつけてきた。


 チェーン付きメガネに白手袋。タキシードに身を包む姿は、一般的な執事とは一線を画す。


 その出で立ちは屈強の戦士にして、歴戦の覇者。断ったら殺される──!


 もういいっ。座っちゃえ!

 


「ど、どぅもです……!」


 こればかりは仕方ない。

 生徒会長と爺やさん。どちらが怖いかと聞かれれば確実に爺やさんだ。


 生存本能が生徒会長との相席を選択させる──。



「ははは。そうか。座るのか。ここまで舐めた奴だとは思わなかった。俺と対等にでもなったつもりか? 本気で潰すぞ?」


 もう本当に! この人誤解し過ぎ!

 


「やれやれ。少々、害虫の鳴き声が耳に触りますねぇ」


 えっ、爺やさん?!

 ちょっとちょっと爺やさん?!


「害虫とは傑作だ! 確かにそうだな。こいつは害虫だ! どんなマジックを使ったのか知らないが、こいつが楓の彼氏? 笑えないんだよ害虫野郎がァ!!」


 えっと。今のは生徒会長に対して言ったんじゃないの? 俺? 俺なの? ……ま、まぁ別にいいけどさ。


 ていうか言葉遣いもだんだんと荒くなってきたな……。


 このままじゃまずい。どうしよ……。

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