第9話ー① 愛深きゆえに、彼氏のフリでも全力です☆


 あれから──。

 梅雨入り前の六月──。


 夏恋との予行練習は日に日にエスカレートしていき、まんまとペースに嵌められ。


 葉月との恋人ごっこは延長に延長を重ね、延長拒否を試みるも、ふしぎの国の葉月ワールドを前に成す術なく。


 真白色さんとの偽装カップルは何か大切なことを忘れているような気がするも、割と順風満帆。


 気掛かりだったアルバイトは柊木さんの復帰が決まり、連勤ともおさらば! ウキウキ!


 トニカク毎日、必死!


 ここには本物が、ひとつもないとしても──。



 ◇ ◇ ◇


 支度を終え、レッツゴーガッコー!

 靴を履いて玄関を出る。ありふれた朝のルーティーンの中で──。


「ほらっ、お・に・い! 忘れ物!」


「……は?」


 夏恋に呼び止められるも、その手にはなにも持っていない。……忘れ物なんてあったかな?


 そう思ったときにはすべてが手遅れ──。


「あっ! あっ──! ちょっおまっ──!」


 ゼロ距離まで近づく夏恋の唇。


 玄関のドアを背に精一杯の抵抗をしてみるが、これ以上の逃げ場はない。


 頬に感じる確かな温かさ……。


 あっ。また今日も……。


 その一瞬の感触に腰が抜け、そのまま尻餅をついてしまう。


 不意をつく、一瞬の抜刀ならぬキキキ、キッス。


 その抜刀術ゆえに、俺にもたれかかる体勢になっていた夏恋も一緒にストンッと膝をつく。


 玄関先のタイルはひんやり冷たいのに、それとは逆にいろいろ柔らかいものが当たり、温かい。


 物理的なシンクロ率、ほとんどひゃくぱーせんと!


「いたたたぁ……って、わわわ!」


 夏恋は焦る素振りを見せると、すぐさま立ち上がり捲れた制服のスカートをぱっぱと手直しした。


 兄としては危なっかしいソノ短いスカートの丈を、少しでいいから長くしてほしいと願うのは贅沢な悩みなのかもしれない。


「なにやってんのお兄ぃ~! 忘れ物ひとつ満足に受け取れないなんて!」


 言いながら差し出される手を取り、俺もよっこらせと立ち上がる。


「い、いきなりだったからな! ちょっとばかし驚いちまっただけだ!」


 予行練習ッ──!

 臆する姿を見せれば夏恋はツケ上がる。もっとからかってやろーって思うに違いない。


 毎度毎度、予想の斜め上を攻めてくる。

 いつ飛んでくるかもわからない、頬への攻撃に身構える朝は、体力の消耗が激しい。

 

 ただ、これより先はない。

 夏恋の予行練習に対するボーダーライン的なのがわかりつつある今日この頃。


 しかし、シチュエーションは無限大。


 よほどそのへんのカップルよりもカップルカップルしているような気がしなくもない。


 ……本当に付き合ってるワケではないんだけど。



「いっちばん大切なものを忘れるとか、お兄は成長が見られないね~!」


 昨日は自転車に跨りながらちゅっとしてきただろって。忘れ物って言われてからの展開は今日が初めて。


 それもこれも、不意打ちだからドキドキ三倍──。


「あのな、前もって言ってくれれば俺だってこんなに驚いたりはしないっつーの! 次からは言ってからにしてくれ。そ、その……キスするときは」


「さすがお兄。だめだめだね! キスしていいかいちいち聞くのはアウトです! どっちが誘ってるのかわからなくなっちゃうでしょ?」


 ちょっとなに言ってるのかわからない。

 首を傾げる俺を見かねたのか、夏恋はため息をひとつ吐くと、一歩近付き……俺の胸の中に入ってきた?!


「ねぇ、先輩……。キス、していいですか?」


 人差し指を俺の唇に当ててきた!!


 な、なんだかすごい艶っぽい。

 ドクンドクン。ドクンドクン。


 まだ家の中なのに先輩呼びって……。ていうかこんな! ていうかこんな! て、いうかこんなの!


 殆ど反則だろ!!


 ドクンドクンドクン。


 もう、だめだった。

 俺は瞳を閉じて、静かにそのときを待つ──。


 と、鼻・ツンッ!


「って、乙女か! なんでお兄が目瞑って待ってるの! ないない! これはない! 思ったとおり絶対ない!」


「ば、バカヤロー!」


 ドキドキした胸の高鳴りに反するかのように、思わず飛び出す俺のセリフは、こんなしょうもないものだった。


「まぁ、だからね、聞くのは無し。わかってくれた?」


「……あぁ、そうだな。わかった」

「うんうん。わかればよろしい!」


 なるほどな。これは心の奥底にメモしとこ。

 カキカキ。って! そうじゃないだろ!!


 でも案外、夏恋の恋愛観がわかる場面もあり、俺にとっては貴重な情報だったりもする。


 不必要な、使う日なんておとずれない情報だと、わかっていても──。



 若干、気まずい空気になりながらも……予行練習Reスタート!


「じゃあ、行ってらっしゃい! 寄り道しないで真っ直ぐ帰ってきてね! ご飯作って待ってるから! ダーリン!」


「お、おう。行ってきます! ま、マイハニー!」

 

 制服のネクタイを夏恋に直してもらい、見送らる様は新婚カップルの朝の別れ。


 ここ数日は必ずやっている。……いや、やらされている。……予行練習ならば、仕方あるまい。


 そうして、玄関を出てドアの前で十秒ほど待機。


「せーんぱい!」


 と、まぁ。行ってらしゃいと行ってきますをしたばかりの二人は玄関先でこうして先輩と後輩になる。


 やっぱりこれが、一番非現実的で夏恋を妹として割り切れない最大の要因。


 ダーリンマイハニーとか言ったって、そこは比較的、現実味を帯びない仮想現実のようなもので。


 でも、こればかりは記憶が呼び起こされる。


 始まる、スクールラブ! レッツ、スクールライフ!


 いや、本当に。別々の高校で良かった──。


 夏恋は自転車に跨ると思い出したかのように口を開いた。


「あっ、そーだ! 今日で連勤終わりでしょ? しょーがないのでお疲れ様会をしてあげます!」


 柊木さんのピンチヒッターとして、この頃はずっとバイト尽くしだった。でもだからといって、大変だったかと言われれば、そんなことはない。


「お疲れ様なのはお前だろ! 夕飯の当番任せっきりで悪かったな。明日からはしばらく俺が作るから。逆に夏恋の食べたいもの教えくれよ。なんでも作ってやるぞ!」


「げぇ~、またすぐそうやって自分をないがしろにする~。そういうの、先輩の悪いところですよー!」


「な! そ、それはお前もな!」

「やれやれ。先輩はすぐこれだ。……じゃあ、明日は久しぶりに! 一緒に夕飯作りましょっか!」


「だな!」


 そうして優しく微笑むと、颯爽と自転車を漕ぐ。


「気をつけて行けよー!」


 ふふん。と少しだけ振り向き手を振った。

 風に靡いて一瞬だけパンツが見えたことは秘密だ。……桃色!



 ──この関係がずっと、続けばいいな。


 なんて、思うも、

 次第に感情を抑えられなくなる自分が怖くもあり、悍ましい──。


「……はぁ」


 日に日に、兄としての自分が嫌いになる。


 ◇ ◇ ◇


 夏恋との予行練習で朝からライフポイントの半分を削がれながらも葉月家に寄るのもこれまた日課なのだが……。ここ最近、葉月の様子がおかしい……!


 『あと五分! 玄関開けといた!』 の、メッセージが来ない!


 それもそのはず──。


「おっはよぉ~!!」


 あの葉月が……あの葉月が! 家の外で待っているのだ!


 五分遅れの常習犯。あの葉月が!!


 でも、嬉しいと思う反面、切なさもある。


 こうやってキチンと外に出ているということは、慌ただしい朝の葉月ママを手伝い、準備を万全にしているということ。


 もう俺は必要ないのかな、とか。思ったりしなくもない。


 小鳥が巣立っていくような、そんな切なさ。


「おう、今日も早いな」

「ふふっ。とーぜん!」


 そっかそっか。もう、当然と自信満々に言えちゃうくらい、朝に強くなったのか。


 子供の頃から知っている、幼馴染の成長に切なさをくすぐられるも……!



 けれども──!


 やや混み合う電車内。

 葉月と征く、ましゅまろ電車通学の旅!


「延長はいかがなさいますかぁ?」


 謎に始まるセールストークは、もはや恒例。


「そ、そのこと……なんだが、な」


 今日こそはと! 断固たる意思を持って望む。

 しかし、葉月の頬が俺の胸のところにピタッとくっつき、延長の一言を促進させる。


「今ならお得なサービスもございますけどぉ……」


 言いながら胸元を人差し指でぐりぐり。

 そ、そこ! くすぐったいの! や、やめて!


「え、えんっちょっする」

「わぁい! まいどありがとぉございまぁす! 恋人ごっこサービス、延長承りましたぁ!」


 あぁ、また今日も……負けてしまった。


「でもレンくん! 今日もちゃんと言えなかったね! はぁーい! 言い直しましょぉ! がーんばれ! がーんばれ!」


 ぐ、ぐぬぬ。

 恥ずかしさの極致。


「え、えんちょ……う……します!」

「うんっ。ちゃんと言えてえらいね! レンくんいいこいいこだよぉ!」


 そうして俺が降りる駅が近づくと、制服の裾をぎゅっと掴んでくる。


 最初こそ、葉月が降りる駅までついて行ったけど、さすがにこればかりはまずい。


 恋人ごっこは二人だけのアンダーワールドでなければいけない。


 葉月が通う学校の改札まで行ってしまうと、お友達の巻き髪やちびっこパーカーに遭遇してしまう。


 それは、本当にまずいこと。


 わかっているけど、袖をぎゅっと掴まれると……弱い。


 それでも、指をひとつずつ解く。

 しかし、次の指を解きはじめると、解いたはずの指に力が再度入り……ぎゅっ。


 そこに言葉はなく、葉月の意思だけを確かに感じる──。


 ~扉が開きます。~扉が開きます。

 ──プシュー。


「きょ、今日だけだからな。明日は……降りるから」


 昨日もその前も同じことを言っている。

 俺がしっかりしないでどうするよ……。


 わかっちゃいるけど、上手くいかない。もどかしい。



 閉まるドアにご注意ください~。

 ──プシュー。

 

 恋人ごっこ、七分延長入りまーす!

 不本意だが、こうなってしまった以上考えても仕方ない!


「れーんくんすきぃー!」

「お、おう……!」


 恋人ごっこも、なまじリアルな言葉が飛んでくるようになった。


「レンくんわぁ?」

「ば、ばか! ごっこ遊びだろ!」

「あー! 恋人ごっこ中はそれ言わないって約束したのにぃ! レンくんまた言ったー! いーけないんだぁ!」

「……悪い。次から、気をつける」


 いつの間にかルールが存在するようになり──。


「それから! 恋人ごっこ中はね、恋人ごっこ禁止とも言ったよね? ちゃんと規約は守ってください!」


 それを葉月は規約などと言い出す。


 でも、ごっこ遊び中にごっこ遊び禁止。

 俺はその言葉の意味をわからずにいる。


 不思議の国の葉月ワールドは既に開演していて、俺は迷い込んだ一匹の子うさぎ。


 細かなことを気にしても、きっとその先は不思議に包まれている。


 とりあえず、ごっこ遊び中はごっこ禁止なのだ。うん。……うん。……う、うん?


 そんな疑問を抱きながらも、話は流れる──。


「ねぇねぇバイトはどう? いつ頃落ち着きそうなのぉ?」

「おっそれな! 今日が連勤最終日で、明日は久々の休みだぞ!」


 そういえば最近、毎日バイトの休みを聞いてくる。案の定、今日も聞かれたわけなのだが。


「わぁい! やったねレンくん! 久々の休みだわぁいわぁい!」


「お、おう。わ、わぁい」


 両手を捕まれわぁいわぁいと乗せられて、ついうっかりやってしまった。……なんだこれ。


「じゃあ明日の放課後空けといてね!」


「お、おう? ……いや、明日はだめだ!」

「えぇーなんでー? どーしてなんでどーしてー?」


「この頃、夏恋にばかり夕飯作らせてるから明日は俺が作らないとなぁ……あっ」


 言ってすぐに、背中がひんやり冷たくなった。

 葉月の目の色が変わっている。


「夏恋ちゃんの話はいらないよ?」


 普段の葉月からは程遠い、冷たい視線。

 

 やってしまった。

 名前を出すだけでもタブー。犬猿の仲。やっば。まじやっちまったよ……。


 わかっていたことなのに、たまに無意識に飛び出してしまう。

 

「あぁっと葉月! えっとな、働き過ぎた分、今週はもう全部おやすみだから、別の日なら!」


 すぐにリカバリーをかける。

 夏恋と口に出した会話をまるごと全部なかったことにして、話を続ける。


「ほんとぉに? じゃあ三日後以降でお願いしますっ」

「お、おう!」


 そうは言っても葉月はこうだ。

 俺が明日と言われたら困ることをわかってるから、余裕を見てあえての三日後。

 

 放課後に葉月と会うなんていつ振りだろうか。ちょっともう、思い出せない──。


「なにか用事でもあるのか?」


「なぁんにもないよ!」

「ないんかい!」


「えへへ。放課後ちょこっと一緒にいれればいいかなぁ、って思ってたけど、……そーだなぁ。三日後以降だもんねー。土日でもいい?」


「葉月のしたいようにしていいよ」

「やったぁ! うんっ。じゃあ色々考えとく!」


 夏恋の名前を出してしまった手前……いや、あまりにも久々過ぎる誘いだからなのか、俺の頭の中には断るという選択肢はなかった──。


 ◇ ◇


「毎日早いなー。もうバイバイの時間だぁ」

「なーにいってんだよ。明日もまた会えるだろ? ほんの少しの我慢さ」

「さーみーしーいー!」


 などと、今日も最後の時間までごっこ遊びに花を咲かせ、改札を出る。


 すると、待っていましたと言わんばかりにちびっこパーカーが突っ込んでくる。


「はーづりん! むぎゅ。ぺたっ!」


 だいたい朝はこの流れで、押し出されるように葉月の隣を取られる。


「毎朝ご苦労! えらいぞちんちくりん! ほら、手ぇ出せ!」


 そしてチョコ菓子を必ずひとつくれる。コンビニで買える二十円のやつ。


 それがどうにもペットへの餌付けと、明日も葉月をよろしくね! というメッセージのような気がしてならなかった──。


 巻き髪はと言うと、


「また今日も居るし。マメな彼氏くんですごいね~」


 巻き髪は若干、呆れた様子。

 どうやら彼氏に同じことをしてくれと言って断られたらしい。

 そりゃそうだ。高校違うのに毎朝送りにくる男なんて希少種だ。


 恋人ごっこだから、ここまでやっているというのが正しい。あくまで俺と葉月にとってはごっこ遊びだからこそ、成し得る技!


 ……でも。


「ふっふっふ。レンくんは最強の彼氏だからねっ!」

「惚気けかぁ~? 朝から熱すぎぃ~!」


 ちょっとちょっと葉月さん?

 本当にこういうのは控えてよ?


 とは思うも、葉月ワールドに迷いし子うさぎの言葉は届かない──。


 ◇ ◇


 恋人ごっこ中の恋人ごっこ禁止。なにやら引っ掛かりを覚えつつも、その答えへと辿り着くのはずっと先──。


 俺はもっと、考えておくべきだったのかもしれない。


 ごっこ遊び禁止の意味を──。

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