第2話 大事も大事、一大事なり

 一大事とやらの話を聞き終えると、再び柱時計のリズムだけが室内を支配する。


「…………」


「…………」


「…………」


 この長い沈黙は、俺の感情の荒波が鎮まるのを待つための時間。

 ……我が家の一大事とは、たしかに掛け値なしに紛う事なき一大事だった。


「…………」


 いや、正確には『二大事』だった。

 親父の第二夫人であるマグノリアさんの王宮への召還。

 そして……その娘であり、俺の妹であるノラことエレノアへの襲撃。のち、行方不明。


 ……互いの関連性は不明だが、まさか無関係ということはないだろう。


「…………」


 前者については強く抵抗せず、後者については未然に防げなかったという二人の対応。

 思わず荒げた声を上げそうになるが……そんな浅はかな真似をするわけにはいかない。


 身内の事には合理主義を投げ捨てる二人ならば、間違いなく打てる手は打ち尽くしたはず。

 そして……身内に領民をも含める二人にとっては、断腸の思いだったのも想像に難くない。


「…………」


 当然、現在も打てる手は打っているはずだし、ありとあらゆる知恵を絞っているはず。

 政治においては二人の足元にも及ばぬ俺がすべき事は……俺なりの考えを示して、二人に何らかの発想を与えることだ。


 突拍子もない発想ばかりのダチを思い出しながら、俺は重い口を開いた。


     ◇


「マグノリアさんの件については……俺が王都にいる間には、何の噂も聞こえてこなかった。だから、離縁状の意図も分からん」


 マグノリアさんが王宮に召還されたあと、親父の元には本人直筆の離縁状が届けられている。


 その理由として真っ先に思いつくのは……彼女が何かの嫌疑を逃れ得ず、こちらに類が及ぶのを避けるために書いたというもの。


 しかし、王都でその手の出来事が起きていたというのなら、間違いなく俺の耳にも届いていたはずだ。

 ……というか、俺も拘束されていたかもしれないわけだ。


「ならば、やはり単に儂が嫌われたというだけでは……」


「ないだろ」


 俺が親父の言葉に被せるように否定するのは、二人の関係性をよく知っているからだ。


 彼女とノラが別邸で隔離されるように暮らしていたのは、マグノリアさん本人が希望してのこと。

 後妻ではなく第二夫人と扱われるのも、本人が「私なんて『妾』で十分」と頑なに主張した末の折衷案だと聞いている。


 一方、親父は親父で……歳の離れた妻とどう接すべきか、柄にもなく日夜悩んでいた。

 そして、あの人の元を訪れる際には、柄にもなく前日からソワソワしていた。


 そのうえ、会えば会ったでお互いにギクシャクしながらも甘ったるい雰囲気で……とにかく、息子としては複雑な気持ちになるほどの初々しさだった。


「おい、まだ『マグノリアさん』かよ……」


「うるせぇ」


 兄貴がウザい顔で指摘するのは、俺とマグノリアさんの関係性についてだ。


 突然現れた血の繋がらない母親と、近く思春期を迎えようとする男児。

 ……その何とも言えない気不味さは、誰にだって簡単に想像がつくだろうに。


 そのうえ、あの人は妙に色気がムンムンしているからな……


「……とにかく、すぐに処刑されるような事態ではないはずだ。残念ながら、こっちの件も今はどうしようもないんじゃないか?」


 王都に粛清の嵐が吹く兆しはなかった。

 ……しかし、この先どうなるかは分からない。


 そんな当たり前の事は口にせず、俺はもう一つの一大事について己の考えを述べた。


     ◇


「二人とも薄々察しているだろうが……ノラの行方不明は、十中八九『拉致』じゃなくて『出奔』だろう。だから言っただろうが、もっとちゃんと話し合っておけって……」


 俺の言葉の意味するところは……修道院への襲撃について、ノラから二人の関与を疑われてしまったという事。


 マグノリアさんの件について何か分かるまで、ひとまず身を隠させる判断自体は間違いではなかったと思う。

 しかし、そのあたりの経緯については、変に気を遣わずノラにも説明すべきだった。


 親父も兄貴も失態を自覚しているらしく、抗弁もせずに深く項垂れる。


「…………」


「…………」


 正直なところ、この二人とノラの関係は、あまり良好ではなかった。

 しかし、それは嫌っていたり疎んでいたりといったものではなく、こちらも二人の行き過ぎた配慮が原因だ。


 この二人にとっては、初めての娘、あるいは親子ほどに歳の離れた妹。そして、思春期真っ只中の女の子。

 ノラとしても、一見して肚の内が読めない二人には、完全に気を許すのは難しかった。


 つまり、慎重に接しようとするがあまり、上手く信頼関係が構築できなかった……という、ありがちな悲劇だ。


 ……まさか、こんな最悪な形で顕在化するとは思っていなかったが。


「ただ、すでに襲撃者の手に落ちたという可能性は低いと思う。あいつなら捕まる前に自ら命を絶つはずだし、そのときは何人か道連れにしてても不思議じゃない」


 修道院が襲われてから数ヶ月が過ぎているというのに、襲撃者どもはまだ領内を逃げ回っているらしい。

 そいつらの目的が拉致か殺害かは知らないが、少なくとも目的は未達成ということだ。


 この二人は、襲撃者どもが『ノラを拉致もしくは殺害したうえで、次なる行動を起こそうとしている』と見込んでいたらしいが……


「そして、野垂れ死んでいる可能性も低いと思う。あいつなら道端の草を食ってでも生き延びられるし……下手すりゃ、どこぞの島でバカンスでもしてるかもしれねぇな」

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