高原地帯の山賊一味

第1話 懐かしからずや我が故郷

 この高原地帯がノーリッシュ伯爵領と呼ばれるようになったのは、ほんの十数年前。

 俺の親父が陞爵という名目で、王宮より追放されてからの話だ。


 かつて宰相の右腕として文官を務めていた親父に対し、対立派閥が繰り出した奥の手は『曰く付きの領地を与える』というもの。

 明らかに毒を含んだ栄転であっても、内政拡充を強く主張していた親父には断れなかったらしい。


「あんな建物、以前はあったっけな……」


 馬上から眺める第二の故郷の風景には、残念ながら懐かしさを覚えることはない。


 親父が治める前のこの辺りは内戦の傷痕も生々しく、治めてからは急速な復興で帰省するたびに驚かされている。

 下手をすれば、此処で半生を過ごした俺であっても道に迷う恐れがあるほどだ。


 腐らずに領地経営をしている親父の努力の成果なのだから、嘆くつもりなんてさらさらないが。


     ◇


 見慣れぬ故郷の街並みを駆け回り、夕暮れ時には実家の屋敷へと辿り着いた。

 一応、帰還日については知らせてあったのだが……案の定、メイドたちの出迎えなんてものはなく、老執事が一人で草刈りをしているだけだった。


 ……こういうのは、ちょっと懐かしい。


「よぉ、ジジイ! まだ死なないのかよ」


「……ひでぇな、ルロイ坊」


 貴族位を持つ者同士とは思えぬそのやり取りは、身内への虚礼を嫌う親父の影響だ。

 外ヅラの穏和さと柔和さとは裏腹に、その手の配慮を一切の無駄と断じている。


 王宮を去って以来、一線を越えるほどに拍車がかかっているが……その徹底した合理主義は俺の性にも合っているので文句はない。


「…………」


「…………どうした?」


 顔を合わすたびにリンジーとの関係を尋ねてくるウザいジジイが、今日に限ってどうも静かだ。


 まぁ、それなりに長い付き合いだから……理由には大体想像がつくが。


「……こっちでも、何かあったわけだな?」


「あちゃぁ……『でも』、ですかい?」


 そして、互いに長い付き合いだから、最小限のやり取りで互いの状況を悟ってしまう。


 親父たちの力を借りて、さっさとレヴィンをリンジーの元に連れ戻してやりたかったのが……どうやら、そう都合良く事は運ばないらしい。


     ◇


 茶を淹れ終えたメイドが退出すると、柱時計のリズムだけが響く部屋に残るのは、領主一族の三人だけ。

 俺と親父、そして兄のイアンの三人だ。

 ……母は、俺が生まれてまもなく病で世を去っている。


 それぞれに積もる話もありそうだが、ともかく俺は自分の任務についての報告を済ませることにする。

 ……王国軍および中央の動向を親父に伝えるのも、ある意味では俺の任務だ。


「膠着状態だった件の戦線は、敵軍の約半数が投降。残る半数は後方へと撤退。追討は投降した者らに任せ、俺は一足先に帰還した」


 同郷の者同士で争わせるのは酷なやり口だが、残念ながらコレが最も効率が良い。

 督戦部隊も過剰気味に配置してあるので、不測の事態は起こらないだろう。


 つまり、俺の任務は完璧に遂行されたわけだが……実際には、俺の働きなど関係ない。


「ふむ……またもや、ギリアン殿が足音だけで敵を追い散らしたか」


 親父の推測どおり、膠着状態を打開したのは、あの天災のような人外魔術師が接近しているという急報だ。


 わざわざ大声で触れ回った自軍も、耳にするなり逃げ出した敵軍も、等しく情けない軍隊ではある。

 ……が、文字どおりに血の雨が降る事態になるよりは、随分マシな判断だっただろう。


「……エルウッド卿についての情報はなし、所在も未だ不明だ」


 こちらの任務は王国軍から命じられたものではなく、親父からの密命。

 そして、エルウッド卿とは、親父の盟友にして……リンジーの親父さんだ。


 娘を愛するあの人は、あいつを諜報任務に関わらせないようにする代償として、自身はより危険な任務に着くことになった。

 ……最前線よりさらに先、敵国に潜入しての工作活動だ。


 そんな事情を知っている俺としては、あいつが諜報員じみた真似を始めた事に思うところもある。

 が……あいつの気持ちを知っている俺としては、あまり強く諌める事も出来なかった。


「そうか……」


 自分で指示したこととはいえ、親父自身も容易く情報が掴めるなどとは思っていないだろう。

 ……当然のことながら、情報の秘匿性で言えば最高峰のはずであり、情報が漏れ聞こえる事自体が危険の兆候なのだ。


 ただ、それでも俺からの報告に一縷の希望を抱いていたようで……親父は落胆の様子を隠せずにいた。


「…………」


「…………」


 何と声をかけていいものか、俺が困り果てていると……テーブルに勢い良く振り下ろされたブーツが、茶器をガチャンと鳴らした。


「……気持ちは分かるが、今はどうしようもないだろ」


 椅子を行儀悪く傾けて揺らし、まるで山賊のような振る舞いをする、いかにも文官然とした銀縁眼鏡の男は……言うまでもなく、兄イアン。

 当家後継ぎの兄貴には、特に色濃く親父の血が受け継がれている。


「それより、緊急なのは我が家の一大事のほうだぜ? さっさと話を進めちまわないと、晩飯に間に合わないぞ」


 その兄貴が無理に戯けた態度を取っているあたり……どうやら、『一大事』という言葉にだけは偽りはなさそうだ。


 俺は廊下にいたメイドに声をかけ、茶のお代わりを頼んだ。

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