第5話 目指すは木漏れ日の先

 王都から馬の脚で半日程度の場所にポツンと残された、木漏れ日が揺れる静かな森。


 好立地であるにもかかわらず切り拓かれていないのは、ここ一帯が王家所有の保養地であり、森の奥に小さな離宮があるからだ。


 当然、一般人の立ち入りは禁止されているけれど、王宮勤めの人間だけは例外。

 いわゆる福利厚生の一環として、外縁部の保養施設で余暇を楽しむ事が許されている。


 今日、私が一人この場所を訪れたのは、不摂生に蝕まれつつある身体を癒すため……ではない。


     ◇


 番人小屋で利用手続きを終えた私は、自身の考えへの確信を深めていた。


「……やっぱり、変だわ」


 先ほど世間話がてらに尋ねてみたところ、やはり離宮に貴人が滞在しているという話は全く伝わっていなかった。


 もちろん、森全体が城壁で囲まれているわけではないので、番人に気づかれずに離宮に向かうことは可能だ。

 ただ、人目を避けるとなれば道なき道を進む必要があり、当然それだけ苦労することになる。

 そんな苦労をしている一方で、周辺の保養施設の利用については特に制限がされていない。


 ……何とも中途半端で、ちぐはぐな情報統制なのだ。


     ◇


 ひとまず逗留予定のロッジに向かおうと小道を歩いている途中、煌めく水面がふと目に入った。


「…………」


 ……かつて、私はレヴィンと此処に来たことがある。


 あの泉の傍を散策しているとき、私が「冬に来ればスケートが出来そうね」と言うと、彼は突然に考え込んでしまった。

 しばらくの沈黙ののち……彼が嬉々として構想を語り出したのが、今も私が愛用している『靴底の水層で滑走する魔術』だ。


 結局、私たちは散策そっちのけで、競い合うようにその魔術の鍛錬をすることになったけれど……そんな思い出もまた、かけがえのない宝物。


「……いつか、また来ようね」


 自分の想いを直視してしまった私は、もはや『何処かで誰かと幸せに暮らしてほしい』などと自分に嘘はつけなくなっていた。


 ……彼は、あの魔術を今も覚えているだろうか?

 ……覚えているのなら、どれくらい上達しただろうか?


     ◇


 一晩しっかり身を休めた私は、森の奥を目指して樹根の迷路を一歩ずつ踏みしめる。


 大人になってからすっかりインドア派となっていたはずなのに、私の足どりは至って軽やかだ。

 その原動力は、森を住処としたという『精霊の民』の血のなせる業か……あるいは、何らかの陰謀に近づいている手応えだろうか。


「一体、何処のお姫様なんだろう……」


 数ある離宮のうち、この先にある離宮だけは使用されるのがごく稀で、かつ慣習的に用途が限定されている。


 それは……敗残国の姫君を幽閉するための『鳥籠』というもの。


 哀れな彼女らは、国王陛下自ら、そして手柄を上げた臣下によって『味見』をされる。

 しかるのちに、後宮に迎えられるか、あるいは褒美として下賜されていく運命なのだ。


 ……もちろん、同じ女性として思うところはあるけれど、宮廷魔術師として禄を食む私に異議を述べる資格はない。


 ただ……


「……さっぱり、見当がつかないわ」


 そんな王国の伝統的な悪習を、今回に限って陰謀と断じている理由。


 それは……今、敗残国は存在しないから。

 王国軍はいくつもの戦線で押し込みつつあるらしいけど、それでも国自体が落ちるのは先の話。

 そして、もしも現段階で何処ぞの姫君を捕虜にしたのならば、戦果として大々的に報じられているはずだからだ。


 つまり……存在するはずのない幻の姫君の存在が、大いなる謎の存在を浮かび上がらせているわけだ。


「…………」


 もちろん、その幻の姫君の存在が、レヴィン君の追放に関係している根拠などない。

 ただ、何にせよ離宮が使われているわけだから、今現在『王家が関わる規模の何か』が闇で蠢いているのは確実。


 陰謀を期待する、というのもおかしな話だけれど……この謎が彼の笑顔に繋がる道筋だと、私は一縷の望みを託している。


     ◇


 先行させた蝶の視界の深緑に、眩いほどの白が混ざり込んだ。

 私は即座に彼らを霧散させ、代わりに背負っていた鳥籠を地面に下ろす。


「……よろしくね」


 この離宮の警戒態勢は不明だけど、少なくとも王宮同様と見込んでおくべきだろう。

 もし魔術的な防諜処置が施されていれば、透き通る水の蝶であっても侵入を検知されてしまうのだ。


「よし……」


 鳥籠の扉を開けたのち、自身は巨木の根元に身を横たえて目を閉じる。


 ……飛行訓練は何度となく繰り返したものの、本格的な偵察行動は今回が初めて。

 なので、もはや手慣れたはずの魔術にも、少なからず緊張を感じてしまう。


「…………」


 手を鳥籠の中に入れ、指先で止まり木を作り……意識を集中。

 すると、日々訓練された小鳥は、開け放たれた空ではなく私の止まり木へと移動する。


 続いて、魔力の導通、循環。変調、同期。出力増大……


 何度となく繰り返して完璧に記憶した一連の操作を終えると、一瞬の意識の途絶。


「…………♪」


 上手く鳥になれた私は、木漏れ日の先を目指して翔び立った。


     ◇


 初めて翔んだ王都の外の世界は、何処までも高く、何処までも遠く広がっていた。


 澄み渡る空の青さと、流れる雲の白さ……それに、力強く生い茂る樹々の深緑。

 この上なくシンプルな色彩なのに、何故かいつまでも眺めていたい気分になる。


「…………♪」


 しかし、溢れた溜息が囀りだった事で、私は今日の目的と、決して譲れぬ目標を思い出した。

 慌てて眼下を見回し……そして、すぐにそれを発見する。


「…………」


 空とは別種の青を湛えた湖、そのほとり。


 ……きっと、あの皮肉なほどに無垢な白さこそが、哀れなる姫君たちの『鳥籠』だ。

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