第22話 ラストアトラクション③

「おい嘘だろっ!?」


 ダンっ! と思わず窓に両手をついて俺は絶叫にも似た声を上げる。

 人生最高のシチュエーションに突如訪れた最低鬼畜過ぎるレボリューション。

 もはや俺の人生そのものが何者かによって操作されているとしか思えないこの状況に、俺はただ呼吸を止めて身体を小刻みに震わせる。


「と、と、と、トリアエズオチツコウ」


 早くもゾンビと化した俺の言葉に、「筒乃宮様、落ち着いて下さい」と川波はすぐさま大人な対応を見せる。って、何だよこれ。もうさっきのシチュエーションが台無しじゃねーかよオイっ!

 

 そんなことを頭の中で咄嗟に叫ぶも、俺の心は急速に不安と恐怖に飲み込まれていく。 

 さらにそんな自分を追い詰めるかのように、ゴンドラ内に設置されているスピーカーから突然音声が流れ始めた。


『只今、機械の不具合により観覧車が一時停止しております。ご迷惑をお掛けして大変申し訳ごさいませんがもうしばらくお待ちください』


「…………」


 どうやら正真正銘のトラブルに間違いはないらしい。

 もしかしたら俺たちの雰囲気を盛り上げるためのフラッシュモブ的な何かのサプライズなのかと僅かに期待したのだが、現実はそう甘くはないようだ。


「なんでこんな時にっ!」と俺は再び座席に腰掛けると頭を抱える。

 しかもイタズラな神様はどれだけ悪ふざけをすれば気が済むのか、観覧車が停止したのはちょうど俺たちが乗っているゴンドラが頂点を通過した直後だ。

 つまり我々は今、このアトラクション内で誰よりも高い場所で静止して鎮座している。


「ふざけんなよマジで……」

 

 頭を抱えながら思わずそんな言葉を漏らす自分の前では、「筒乃宮様、お気を確かに」と俺のことを心配して声をかけてくれる川波。悲しいことに、もうその関係はいつもの主人と家政婦に戻っているではないか。

 

 いやいや俺よ、何を情けない姿をさらけ出しているんだ。俺の方がしっかりと川波のことを支えないとダメだろっ!

 

 やっと男として本来すべき役回りを思い出した俺は、この状況で一番不安がっているのは女の子である川波のほうだろうと気づき頭を抱えることをやめた。

 そして今さらだとは思いながらも、「怖いよっ!」と叫びたい衝動をぐっと堪えて平静を装った顔で彼女のことを見る。


「すまない川波、取り乱してしまって。でももう大丈……」


 ゾンビ口調にならないように細心の注意を払いながらちょっとハードボイルドな感じで喋り出した俺だったが、ふと視界に飛び込んできた光景に言葉を止めた。

 

 それは川波の後ろ、自分たちの一つ前を進むゴンドラの中で繰り広げられている光景。

 

 あのお揃いキーホルダーカップルが、互いの肩に手を回しながら怪しいぐらいに密着しているではないか。


 おいおい、嘘だろ……

 

 何やら濃厚そうなキスを始めたバカップルの姿を見て、俺は思わずゴクリと唾を飲み込む。というよりこの緊急事態にアイツら何やってんの? マジでおバカップルさんなの?

 

 なんかパイナップルと語感が似てるな、と俺も一瞬バカなことを考えそうになってしまい慌てて首を振る。そして目の前に座っている川波へとすぐに意識を戻した。

 

 さすがにアレを川波に見せるわけにはいかない……

 

 清楚かつ純白な心と身体を持つ川波がもしもあんな18禁みたいな光景を見てしまったら、それこそ卒倒するか、もしかしたら「筒乃宮様もあのようなはしたないことに興味があるのですか?」と俺まで飛び火して軽蔑の眼差しで見られるかもしれない。

 

 そんな展開を恐れた俺は再びゴクリと喉を鳴らす。

 できれば視界の隅で盛っているバカップルたちが早く落ち着いてくれることを願うも、もちろんそんなことにはならず、何なら彼女さんのほうが完全にスイッチが入ってしまったようで彼氏に対して馬乗りになり始めたではないか!

 

 まさか本当にヤバいことでもし始めるんじゃないかと一人ヒヤヒヤしていると、そんな自分の耳に再び川波の声が聞こえる。


「筒乃宮様、大丈夫ですか?」

 

 何やら不安そうな表情で俺のことを見つめてくる川波。おそらく俺がこの状況に相当ビビっているとでも思われてしまったのだろう。

 いや正直言うと確かにビビってる。

 故障中のこの観覧車にも、そして頭が故障中のあのバカップルにも。

 

 そんなことを思いながらも俺は、これ以上川波のことを不安にさせるわけにはいかないと取り繕った笑みを浮かべるとすぐさま口を開いた。


「だ、大丈夫だ! 別に変なものなんて見えていない」

 

 動揺のあまり完全に墓穴を掘ってしまった自分の言葉に、「え?」と川波が今度は訝しむような表情を浮かべる。

 そして何か感じ取ったのか、そのまま後ろを見ようとしてーー


「か、川波!」

 

 俺は慌てて声を発すると、後ろを振り向きそうになっていた川波を阻止した。

 そして彼女の視線が別のところを向くようにと、「あれを、あれを見てくれ!」と言ながら左側の窓を指差すも、もちろん何か見つけたわけではない。なので俺は……


「川波見てくれビルが建ってるよビルが! 凄いなー! 五階建てぐらいかなー⁉︎」


「……」

 

 どこにでも建っていそうななんの変哲もないビルを指差して大興奮する自分に、川波がかつてないほどの冷たい視線を送ってくる。いや俺だってこんなことしたいわけじゃないからねっ!

 

 なんてことを心の中で叫ぶも、川波の視線をあの18禁ゴンドラに向けさすわけにはいかないと危機感を募らせる俺は、「おっ、あそこには郵便局が見えるぞ!」と胸を痛めながら演技を続ける。するとそんな自分を見て川波がぼそりと口を開く。


「あの筒乃宮様、もしかして私に何か隠していますか?」


「げっ」

 

 勘の鋭い川波の言葉に、俺は思わず気まずい声を漏らしてしまう。そしてサーっと顔から血の気が引くのを感じながらも、それでも俺は迫真の演技を続ける。


「そ、そんなわけないだろ! 俺はただ川波と一緒に景色を見たくてだな……」


「……」

 

 俺の必死の名演技も虚しく、何故かますます疑いの眼差しを向けてくる川波。なんなら俺が無意識にチラチラとバカップルたちの様子を観察してしまうものだから、その視線を怪しまれている感じさえある。

 くそっ、頼むから早く観覧車動かしてくれよ! それとあの女は上着を脱ごうとするな! 

 

 ますますエスカレートするバカップルの行動に、俺はもはや興味津……もとい、警戒のために目が離せなくなっていく。

 けれどもそれ故に余計川波にはあの光景を見られてはマズいので、俺は何か良い策はないかと必死になって頭を働かせる。が、そんなことを考えている間にも再び川波が後ろを振り向きそうになってしまう。


「そうだ川波! ゲームだ、ゲームをしよう!」


「ゲーム……ですか?」

 

 突然の俺の出まかせな提案に、再びこちらを向いて少し困ったような表情を浮かべる川波。

 しかし口にしてしまったものは仕方ないので、俺はこの場のピンチを切り抜ける為のゲームを即興で作り出す。


「そうだ。その名も、『あっち向いちゃイヤ』」


「……」

 

 いったい俺は何を言っているのだろう。

 

 クールにしてはあまりにも冷た過ぎる川波の顔を見つめながら、俺は思わず己の発言を呪った。すると今度は川波の方から怪しむような口調で口を開く。


「……何ですかそのゲームは?」


「……」

 

 スルーされることはなく聞き返されはしたものの、言い出しっぺの俺自身がまったくゲームを理解していない。っというより、そもそもそんなゲーム自体が存在しない。

 なんだよ『あっち向いちゃイヤ』って。ちょっとエロそうな乙女ゲームのタイトルみたいになっちゃてるじゃねーかよオイっ!

 

 なんて己のネーミングセンスの無さも呪いつつ、俺はそれでも川波にこれ以上不審がられないようにと無理やりゲームの説明を始める。


「ルールは簡単だ。お互い見てはいけない方向を一つ決めて何があってもその方向は見てはいけない」


 じゃあ川波は後ろをーー、とそのまま俺が早口でゲームを始めようとした時、何やら呆れたようなため息をついた彼女が静かに口を開いた。


「やっぱり筒乃宮様は何か隠していますね」


「え?」 

 

 不意にそんな言葉を口にした川波は、今度は自分の背後に何かあると確信したのだろう。俺が頭を捻って三秒で作り出したゲームのルールを無視して彼女は後ろを振り向こうとする。

 その瞬間、「ダメだ!」と咄嗟に声をあげた俺は思わず立ち上がると両手でがしっと川波の肩を掴んだ。


「……つ、筒乃宮様?」

 

 突然の行動に驚いた川波が目をパチクリとさせて俺の顔を凝視する。もちろん言うまでもなく、こんな風に彼女の身体に触れたのは初めてのことだ。


「い、いやその……」


 咄嗟のことだったとはいえ、自分でも予想しなかった己の行動に思わず頭の中が真っ白になってしまう俺。

 掴んだ肩は驚くほど細くて柔らかく、それでいて手のひらから伝わってくるのは彼女の確かな温もり。


 普段行動を共にしている川波もさすがに今回ばかりは予想外だったのだろう。

 夕暮れに照らされているとはいえ、その頬がさっきよりも赤くなっていることにすぐに気付いた。

 そんな彼女の姿と、そして窓の向こうに見えるゴンドラ内で繰り広げられている光景に焦った俺は、もはやヤケクソだといわんばかりに衝動のまま口を開いた。



「そ、その川波はこれからも……俺のことだけをずっと見ていてくれっ!」

 


 胸の鼓動をかき消すほどの大声で、俺はそんな言葉を口にした。このまま観覧車が終わるまでの間、川波に後ろを向いてほしくなくて。

 けれども勢い余って口にした言葉は、目の前にいる彼女を見た時、もしかしたらまったく違う意味を持って伝わってしまったのかもしれないと気づいてしまう。


「あ、いや今のは……」


 肩を握りしめているほどの至近距離にいる川波の顔は、耳の先っぽまで紅く染まっていた。

 その唇はただただ小さく震えているばかりで、何かを伝えようとしているのかもしれないが、まったくもって声にはならない。

 

 やっとことの重大さに気付いた俺は、「ち、違うんだ!」と慌てて彼女の肩から手を離すと、先ほどの口にした言葉の意味を伝えようとした。

 

 が、どうやらこの妙な空気感に飲まれてしまったようで、俺の方まで顔が熱くなるし声が出ないしと思わず立ったままたじろいでしまう。すると俺のことを見れなくなってしまったのか、川波がさっと顔を伏せた。


「……」


 今までとは違う、熱気を帯びたような沈黙がオレンジ色に染まるゴンドラ内を包んでいく。

 夕暮れに黒髪を輝かせながら視線を下げたままの少女に何か伝えなければと口を開いた瞬間、今度はガコンっという音と共に再び観覧車が回り出す。


「な、直ったのか……」

 

 止まっていた世界の時間が動き出したかのような感覚に、俺はほんの少しだけ冷静さを取り戻す。同じく窓の外に見える景色を見上げた川波が、「そうみたいですね」と安堵の息を吐き出した。


「良かった……これで無事に地上に帰れる」


 観覧車の回転と共に不安や恐怖が流れ去っていくのを感じながら、俺はヨロヨロとした動きで再び腰を下ろした。

 そしてこの喜びを分かち合おうと目の前に座っている川波のことを見るも、その瞳と視線が合った瞬間、何故だか恥ずかしくなってしまい互いに目を逸らしてしまった。

 

 ……なんか、変な誤解を持たれてしまったかも。

 

 チラチラと横目で川波の様子を伺いながら、俺はついさっきやらかしてしまった失態のことを思い出してしまい小さくため息をつく。

 諸悪の根源となっていたあのバカップルも、回り出した時間によってようやく我に返ったのか、いそいそとした様子で身なりを整えていた。

 

 結局俺たちのゴンドラが地上に戻るまでの間、川波は約束通り後ろを見ることはなく、時おり様子を伺うような目で俺のことを何度か見ていた。

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