第6話 叶えよ、創立記念日!

 とまあ昼休みに大森とのそんなやり取りがあった放課後からの帰宅後、俺はいつものようにリビングのソファに腰掛けながら一人猛烈にソワソワしていた。


「筒乃宮様、そろそろ宿題をするお時間です」


「あ、ああ……」

 

 不意に耳に届いてきた美しい声音に、俺はいつにも増して歯切れの悪い返事を返す。そしてキッチンで夕食の準備を進めている川波の姿をちらりと見る。


「……」

 

 相変わらず制服にエプロンという高校男児の心を揺さぶり倒す姿をしている川波なのだが、今日の俺の心が揺さぶられているのはそれだけが原因ではない。

 

 ――お前だってそこはハッキリさせておきたいだろ?


 不意打ちのように耳の奥で大森の言葉が蘇る。その瞬間、俺は動揺を誤魔化すようにゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 実際のところ、川波にどんな経緯があってこの家の家政婦になったのかを俺は知らない。

 もちろん親絡み、家柄絡みのことがあってそうなったことは想像つくのだが、何故そこに川波が選ばれてしまったのかその理由がまったくわからない。

 代々筒乃宮家に仕えてきた家柄とはいえ川波の家だってそこそこに大きく人はたくさんいるし、それに彼女の叔父さんや叔母さんはそれこそ一流の家政婦として働いている人たちだ。だったらどう考えてもこんなドラ息子のお世話及び監視をつけるのなら、そんな人たちの方が向いているはずだ。……って、別に俺はドラじゃないけどね! 


 一人そんなことを悶々と考えながら、俺はキッチンに立つ川波の後ろ姿をじっと見つめる。その様子、雰囲気から彼女の心情を読み解くことは困難。いや、常にクールでビューティーな川波の気持ちや考えていることを理解できたことなんて今の一度もないだろう。

 

 だからこそ、俺は怖いのだ。

 

 もしも川波が、それこそ不幸にも、俺の親と彼女の両親の安直な考えによって無理やり嫌々家政婦に任命されてしまったのではないかということが。


「……ありえる」


 手際良く料理を進めていく川波の様子をチラチラと伺いながら、俺は思わずそんな言葉をぼそりと呟く。そもそも男子高校生の一人暮らしに幼なじみの女の子(しかも美少女!)を家政婦に任命すること自体ずいぶんと狂ったシチュエーションなのだが、そんな狂ったことを可能にしてしまうのが俺たちのバカ両親。

 人様のご両親をバカ呼ばわりしてしまうなんて失礼極まりない話しなのだが、川波のご両親もこれまたなかなかにぶっ飛んだ人たちで、その気まぐれと無茶ぶりの餌食になってしまった川波の姿を幼い頃に何度も見たことがある。そしてその度に彼女が不機嫌そうな表情を浮かべていたことも。だからこそ今回の家政婦事件も、その延長であることは十分過ぎるほど考えられるのだ。

 

 どれだけ思考を働かせてもマイナス要素しか思い浮かばない事実に、俺は頭を抱えながらついため息を漏らしてしまう。好きな人と一緒に住めることを最初は呑気にも喜んでいた俺だったが、よくよく考えてみれば川波にとってそれが大きなストレスと不幸の始まりとなってしまっているのであれば本末転倒。 

 やはりここは大森が言う通り、俺と彼女との現状の距離感をちゃんと知っておく必要がある。


「あ、あのさ……」

 

 そっと唇を開いて声を漏らすも、そんな弱々しい声は水道の音に邪魔されて一緒に排水溝へと流れていく。

 ええい男を見せろ男を! と自分で自分の心を鼓舞した俺は、すっと大きく息を吸い込むと今度は勢いに任せて口を開く。


「か、川波!」


「はい?」


 どうやら俺の声は今度こそ水道水の勢いに勝つことができたようで、川波は手を止めるとこちらを振り返った。そしてその美しい瞳に俺の顔を映す。


「そ、その……明日なんだけどさ」


「……」


 これでもかといわんばかりに俺は頭をゴシゴシと掻いた。おかしいな。デートの誘い方は下校途中に何十回と頭の中でシュミレーションを行ったはず。それこそ、「Shall we dance?」と自然と唇から溢れてもおかしくないほどに。


 Shallどころか「シューシュー」と謎の呼吸音しか漏らすことができない自分に、川波が訝しむように目を細めてくる。あぁやめて。好きな人にそんな顔で見られるほど辛いことはないからっ!

 くそぅっ! と心の中で情けない自分に喝を入れた俺は、男だったら単刀直入にカッコよく勝負をしやがれとさらに己にハッパをかける。


「ほら、明日って創立記念日で休みだろ? だからその……せ、せっかくだったらたまには一緒に……」

 

 アソビニイカナイ? と精一杯の勇気を振り絞って伝えた言葉は見事にカタコトだった。するとそんな俺からの誘いが意外だったのか、それとも尋常じゃないほどの挙動不審さに驚いたのかはわからないが、川波は珍しくほんの一瞬だけその瞳を大きくする。けれども彼女はすぐにいつもの表情に戻ると、冷静な声音で口を開く。


「申し訳ありません筒乃宮様。明日も私はこの家で働く家政婦としてやるべき事がありますのでご一緒することはできません」


「なっ!」


 その返答に、俺は思わずその場に崩れ落ちそうになる。やはり……やはり俺と川波には銀河二つ分の心の距離があるとでもいうのかっ!?

 

 しかし俺だって男の端くれである。カタコトとはいえせっかく勇気ある発言ができたのだから、ここでそう簡単に引き下がるわけにはいかない。


「い、いや明日ぐらい大丈夫だって。だってほら、川波は毎日頑張ってくれてるし」


「いえ、そうはいきません。一日も欠かすことなく筒乃宮様のお世話をすることが条件であり義務だと父と母からは厳しく言われていますので」


「……」


うわー、ダメだ。これやっぱり無理やり無茶ぶりされて家政婦になってるやつだわ。ってかほんとに川波さんのご両親、何考えてるの?

 

 ますます不安と恐怖だけが心の中で大きくなっていく中、それでも俺は必死になって川波と仲良くなれる機会を作り出そうともがく。


「いやけどさ、たまには息抜きだって大切じゃん。人間やっぱり楽しいこととか気持ちいいこととかも必要だし」

 

 川波の考えに揺さぶりをかけようと、俺は正当に思えるような主張を繰り出す。が、相手はそんな俺の主張に対して小さく首を振る。


「それなら大丈夫です。楽しいことも、気持ち良いことも自室の中だけで事足りてますので」


「…………」


 えぇぇっ!︎ ちょっと待って川波さんそれどういう意味!? そんなクールな顔しながらさらっと意味深過ぎること言わないでよっ!  

 

 想像力の豊かさがハリウッド映画監督並みの俺はその発言を聞いて、自室のベッドの上で布団にくるまりアハンでウフンなことをしている川波の姿を想像してしまいそうになり慌てて自分の太ももをぎゅっとつねる。危ない危ない。俺の方が揺さぶられてどうすんだよオイっ。 

 気持ちをリセットさせようとゴホンと咳払いした俺は、ここは攻め方を変えようと言葉のチョイスを変える。


「で、でも考えようによってはこれも家政婦の大切な仕事の一つだと思うんだ」


「といいますと?」


 大切な仕事、という言葉に川波の綺麗に整った眉毛がピクリと動いた。うんうん、さすが仕事に対する責任感と真面目さが社会人レベルのお方だ。

 でもJKだからね、と俺は一応心の中で突っ込みを入れてから再び口を開く。


「だってほら、お、俺だって一人で出掛けるよりも誰かと(川波と)出掛ける方が楽しくて息抜きになるし、それってつまり、主人の要望を満たす家政婦の立派な仕事の一つだと思うんだよな」


「……」

 

 俺のめちゃくちゃな家政婦理論に、何やら真剣な表情を見せて考え込む川波。というより俺、いくら川波と一緒に遊びに行きたいからって自分の立場を利用するとか最低だな。

 そんなことを思い、ついやり過ぎてしまったと罪悪感にかられていると、黙り込んでいた川波が「そうですか」とぼそりと口を開いた。


「わかりました。それが筒乃宮様のお望みなら、私も一肌脱ぎましょう」


「あ、ああ。それはありが……」


 って、まさかのオッケーしてもらえたんだけどその言葉使いってほんとに合ってる? なんかすっごく違うことを期待しちゃうんですけど!?

 

 なんて再びバカな妄想に浸りそうになったものの、本当にオッケーしてもらえた事実に俺は驚きのあまり目をパチクリとさせる。するとそんな間の抜けたような表情を浮かべている自分に、何やら波川が今度は少し申し訳なさそうな口調で口を開いた。


「ただ、明日筒乃宮様とお出かけをするのであれば、どうしても訪れたい場所があるのですが……」


「え?」


 川波からの思わぬ言葉に一瞬自分の頭がフリーズしてしまう。嫌々一緒について来てくれることはあり得るかもしれないとは考えていたが、まさか彼女の方から行きたい場所があるなんて言葉を聞くとは思わなかったからだ。


 これはもしかすると……

 

 胸の奥にほんの僅かだけ灯った希望に、俺は思わずゴクリと唾を飲み込む。もしかしたら自分と川波の関係は、心配していたよりもずっと良好なんじゃないだろうか?


「それでは明日はよろしくお願い致します」と川波が律儀にペコリと頭を下げてきたので、俺も慌てて「こ、こちらこそよろしく!」と同じように頭を下げた。高校生男女のデートの約束が会釈で終わるものなのかどうかは知らないが、俺は喜びのあまり叫び出しそうになるのを必死に堪えた。そして心の中で天に向かって盛大にガッツポーズをかます。

 

 これでついに川波との新しい一歩が踏み出せるぞ!

 

 学校の創立記念となる特別な日に、同じく自分の人生にとっても記念すべき日を創立することができる俺。見てろよ大森、俺だってやる時はやる男なんだからなっ!

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