第3話 牡丹

 こうして、女の正体は謎に包まれたまま幾日か経った。荻原は僕の部屋でまったりと暮らし、先輩はこの頃考えごとで忙しいらしく、僕を引き摺り込むこともしなくなった。このまま風化してしまうのだろうか、とぼんやり考えていた。

その日は十月の始めだったから、盆から五十日ほど経ってからだろうか、お金が貯まったということで、荻原と飲みに行くことになった。と言ってもお洒落なバーなどには当然入れず、学寮近くの大学生御用達の、安く簡単に酔える程度の居酒屋だ。不穏な出来事からほとんど開放された反動でか、荻原は豪快に飲み良い感じに出来上がっていた。

「そんでぇ、いや怖いけどね?怖いけど、美人だっからさぁ〜もう一度会いたいな〜」

「やめときなって」

「分かってるけど〜」

  そう言いながら荻原は、酒を水のように飲んでいた。僕は一杯で十分なほどの下戸なので、荻原の呑みっぷりは面白くもあった。だが、もういい加減にしないと帰れなくなるだろう。荻原の前からコップを取り上げ、水を頼んでおく。そしてお会計に自分の飲んだ分、つまりわずかばかりの金を置くと、荻原は「ケチ」と言いながら、自分で飲んだ分を払い出した。

「じゃあ、帰るか」

 席を立ち、荻原を引っ張る。

「あのさ」

 荻原はでろでろに崩れ落ちながら呟いた。

「やあちゃんのはかにいきたい」

「正気か?」

 そのままほっといても良かった。無理やり家まで帰らせても良かったが、大抵気丈な荻原の弱気な様子が、どうにも気になって結局着いていくことにした。僕は先輩と違って倫理もデリカシーも思いやりもあるので。

 三十分電車に乗って徒歩十分。終電ぎりぎりだ。電車に乗っている間、荻原はやけに静かで気味が悪かった。 やっと墓の最寄り駅に着いたとき、スマートフォンが振動した。びくりとしながら電話に出ると、珍しく先輩だった。

「先輩、普段は携帯使わないんじゃないですか?」

「ああ、本当は式神飛ばそうかと思ったけど上手く行かなくて」

「はぁ」

 携帯を使わない理由はこうなのだが、いまいち嘘か本当か分からない。

「とりあえず謎が解けたことを早く知らせようと思ってね!」

先輩はいつになく上機嫌だ。謎、と言われても何のだっけ?と迷うくらい、ふわふわと酔っている頭は、あまり回らない。

「長らく考えてはいたのだが、そんなに難しいことでは無い。女は二階堂弥生を知っている。そして荻原君を知っている。さらに、自宅まで送ると言われて、二階堂家まで来れる。なら答えは一つだよ。二階堂家の人、つまりは妹さんだ」

 先輩が電話の向こうで息巻いてるのが聞こえる。

「確かに二階堂家の奥さんの話だと、高校生になる娘がいる、みたいな話をしていましたね」

「そうだね。高校生なら大学生と対して変わらない。偽装なんていくらでも出来る。そのように考えると、妹だっていいわけだよ。と、いうよりも妹以外の赤の他人で考えるとやはり難しい。よほどのストーカーで無ければ無理だろう」

「じゃあなんで、妹は姉の名を語って荻原の前に現れたんでしょうか?」

 画面の向こう側から溜め息が聞こえる。

「さあ?動機なんて分からないよ。おおよそ、果たせなかった姉の恋慕を妹が代わりにやっている、とかでは?本人に聞かなきゃ分からないよ。あ、本人つまりは妹さんの名前は茅だそうだ。兎にも角にも、陰陽道はまた使えなかったわけだから、もうなんでもいいや。わたしは探偵じゃなくて陰陽師だし」

 ふああというあくびでも聞こえてきそうな言いっぷりだ。先輩は洞察力はあるものの、興味を無くすと、もう何も言ってくれない。

「そういえば、荻原が五芒星をもらってからというのも、寝つきが良くなった、とこぼしてましたよ。確かそれまでは頻繁に、花が付いた灯籠を持った子どもが夢に出てくるとか言ってうなされていたらしくって」 

てきとうに、あー、うんと頷いていた先輩の声が止まった。

「灯籠?」

「ええ」 

 先輩がひゅっと息を呑む音がする。


「牡丹灯籠」


「今どこにいる?」

「二階堂さんのお墓に向かって」

「彼、荻原君が危ない!」

「え、何が!?」

  先輩は言うだけ言って通話を切った。あの人そういうところある。 スマホをしまって、時々荻原の調子を見て休みながら、ゆっくりと歩いていた。月の綺麗な夜だった。


 墓地に着くと、先客がいて、二階堂弥生の墓の前に静かに佇む女を見た。

「荻原さん」

 女の唇がその形に動いた。

「弥生」

 小柄な女がにっこりと微笑む。

「でも、あなたは弥生じゃないはずだ」

 荻原はゆっくりと後退りし始める。

「弥生はもう亡くなったんだろう。おまえは誰だ」 

 僕は答えを知っている。その女は弥生さんの妹の茅さんのはずで、

「浅茅」

 女の唇が動いた。

 あさぢ?

 確か、先輩の情報によると、この女は妹さんで、「茅(かや)」という名前だったはず、だ。 自らを浅茅と名乗った女は気がつくと手に花柄の灯籠を持っていた。あの花は確か、牡丹。「浅茅、さん。なんで弥生の名前を、弥生は……」

 荻原は心ここに在らずといった様子で、女を見つめている。

「浅茅は」

 不意に声がした。灯籠を持った女の後ろ、今まで見た中で一番美しい人が立っていた。


「わたしの願いを叶えてくれたの」 


 美しい人はゆるりと微笑む。

「やぁちゃん……」

 荻原が一歩踏み出す。この人が、弥生さん。弥生さんは長い黒髪を揺らし、目尻の下がった柔和な笑顔で、白装束を纏っていた。この世のものではない。ひと目でわかるほど異質で、美しかった。

「あなたは覚えてないだろうけど、約束したの結婚しようねって」

「やぁちゃん、弥生」

 荻原が踏み出す。怖くなって肩に手をかけたけれど、止まらない。

「荻原、待てって!」

「けれど、私ったら死んじゃったから、そしたら浅茅が手伝ってくれた」 

ゆっくりと弥生さんが前に出る。

「来てくれると思ってた。一緒に逝こう」


「そこまでだ」

 後ろから厳しい声がした。

「灯籠を持つ、浅茅。お前は御伽婢子だろう!」

 先輩はそう声を張る。すると途端に灯籠を持った女が崩れ落ちて、地面に伏した。牡丹の灯籠が手から落ち、小さな白いぬいぐるみのようなものが転がった。

「先輩!」

「急いで駆けつけてみれば」

 タクシー使ったんだよ。あとからお代ね、と言いながら、何枚かの札を取り出した。荻原は何が起こっているのか分からず辺りを見回しているが、弥生さんはただ微笑んでいる。

「浅茅、というのは『牡丹灯籠』に出てくる伽婢子の名前だ。私は女の正体を弥生さんの妹だと考えていたが、違う。家に訪問したとき、妹さんだと思われる人の声を聞いたからだ。彼女はさらに電話の呼び鈴も認識している。耳に不自由は無いと考えた方が早い。 けれど妹では無いにせよ、女の正体は二階堂家の人で無いとおかしい。それで思い出したのだよ。墓にお供えのように置かれていた、這子をね」

  先輩はコツコツと弥生に近づく。

「人形が人に化けて動くとは、確かにこの現代考えがたい。しかし、人に乗り移って動く、ということは今でも考えられる。憑き物に関してはまだ不明なことが多いんだよ。まあ私は頭の固い探偵気取りとは違って陰陽師だからね。頭が柔らかいからか、憑き物という結論までたどり着けた。何せ天文博士だからね」

 先輩はいついかなる時も晴明の生まれ変わりアピールを忘れなかった。

「けれど、憑いたものの、君は話せなかった。それもそうだ、人形が現代の女の真似をするには無理がある。さらに君は夢の中に現れ、牡丹の灯籠を持っている、で分かってしまったよ。この話の結末がね!」

  先輩はびしっと数枚の札を突き出した。弥生さんは荻原から視線を移し、ふらりとこちらに身を振る。

「いよいよここで活躍せねば、安倍晴明の名が泣く!我こそは安倍晴明の生まれ変わり! 今は亡きもの、あの世のもの。冥界のものが命あるものを連れていくな!見よ! 急急にょ」

  かっこよく口上を決めようと、札を構えた先輩は弥生と目が合った瞬間崩れ落ちた。そう。本人は気づいてないが、先輩は霊にとても弱いのである。前にもこのような場面に遭遇し、物の怪だとはしゃぎかけて気絶してしまった。先輩は推理力は抜群にあるが、いかんせん霊能力がてんでダメなのである。正直、陰陽道とか言っている場合じゃない。 僕は気絶した先輩を抱え、荻原に近寄る。

「荻原、弥生さんはもう亡くなっていて、ほら見ただろう、弥生さんを名乗っていた浅茅も、人じゃなくて」

「俺、思い出したんだよ」

 荻原はこちらに一瞥もくれず、語りだした。

「やぁちゃんのことが好きで、結婚しようと約束したんだ」

  荻原は制止を振り払って進む。

「でも!そんな子どもの頃の話だろう!」

 荻原が振り向いた。

「大人になって今、会って。あらためて好きだと思ったから」

恥ずかしそうに照れ笑いをした。もう何も届かないと思った。

「ありがとう、ごめんな」

「行きましょう」

 彼は弥生に手を差し出し、弥生は彼の手をゆっくりと優しく握った。二人は幸せそうだった。



「結局、私が華麗に退治したのだったよね」

 都合の良いように何もかもを覚えている先輩のことは、時折羨ましいと思う。あの後、荻原は跡形もなく消えてしまった。僕は倒れている妹さんをなんとか家まで送り、気を失って気がついたら先輩とタクシーに乗っていた。先輩と自分で合わせてぎりぎりの値段だった。

 その後荻原のことは見ていない。あれで良かったのかは分からない。ただ、数少ない友達を失ったのは悲しいし、幸せなら良かったとも思っている。先輩に言われ、「牡丹灯籠」という作品を読んでみたが、ラストは二人が手を繋いで化けて出る、という終わり方だった。

「あまりよく覚えていないのだけれど、国宝級の私の能力が活かせるような、不思議なできごとがあって良かった!これは皆、私を見直す機会になるだろうねぇ」

 先輩はふふんと得意げに鼻を鳴らした。

「さぁどうでしょう」

 本を閉じ、灯籠の光に消えた二人を思い出す。今もあの二人が手を繋いで、幸せそうにしていますように、と願わずにはいられなかった。

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牡丹の婚姻 夢見遼 @yumemi_ryo

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