第24話 黄木藍子の場合 <過去>

 今日の空も日差しが出ず、雪がちらつきそうな重い雲が垂れ込めている。

 そう言えば、一週間前に訪れた古民家カフェでの打ち合わせの時もこんな寒そうな空だったなぁ、と藍子はオフィスで仕事をしながら窓の外をちらりと見やった。

 藍子のデスクには大きなモニターが二台あり、どちらの画面にも『ニューワールド』の映像が表示されていた。

 そして、デスクの上は愛用しているキーボードと資料が散乱していた。

 藍子は外の風景からモニターに視線を戻し、キーボードをカタカタと打ち始めた。

 

 今藍子が進めている仕事は『ニューワールド』の期間限定イベントだ。

 アバターの限定スキンやアイテムをチーム内のスタッフに指示を出しながら、このイベント限定の機能を追加するためのプログラムを組んでいるところだった。

 この期間限定イベントは『ニューワールド』の既存ユーザーに継続的にプレイしてもらうことはもちろんのこと、これを機会に新規ユーザーを獲得することを目的にしている。

 だが、裏の目的は赤坂親子との著作権譲渡の契約を締結した後に発生する支払いに対応するために、売上の増加を目指していることは明らかだった。


「片倉さん、二番にお電話です」


 同じチームの後輩が、藍子の斜め向かいの席に座っている片倉に声をかけた。


「誰?」

「五色学園の赤坂様です」


 藍子はひゅっと息を飲んだ。ありがとう、と声をかけ片倉は電話をとった。

 ここ何回か渉の母親である赤坂景子から片倉に電話が来ており、『ニューワールド』の譲渡の件で交渉しているのだろうと推測している。

 藍子は仕事をする振りをしながら、微かに聞こえてくる片倉の電話の内容を聞き取ろうとした。


 一週間前の打ち合わせの出来事から藍子は複雑な思いを抱えていた。

 藍子はプログラミング馬鹿で、いつもゲーム制作のことばかりを考えて仕事をしてきた。今まで経営のことなんて気にもしなかったけれど、別の角度から見てみると見えないものが見えてきた。

 藍子も会社の経営状態を確認してみると、片倉が言っていたように会社の売上は右肩下がりになっていて、挽回するためにも『ニューワールド』を利益の柱にしたいという思惑が伝わってくる。


 大人になった物分かりの良い自分は会社のため自分の生活のためにも、高校生の渉から『ニューワールド』の著作権を譲り受けることが正解だと思うけれど、ゲームが大好きでゲームを作ることも大好きな子供のような自分が納得できないでいる。


「はい……よろしくお願いいたします。失礼いたします」


 かちゃりと片倉が受話器を置いたようだ。

 結局あんまり聞き取れなかった。何で隣の席じゃないかなぁ、と藍子は心の中で愚痴った。

 藍子は癒しを求めるためにスマホを取り出し、『ニューワールド』のアプリを立ち上げログインした。ログインするとスマホの画面には、藍子のアバター・レモンが画面に表示された。


 あー、この歳の頃は楽しかったな、と藍子はレモンを指先でなぞった。

 藍子のアバター・レモンは設定通り十六歳の女子高生のキャラクターだ。

 藍子がこの歳は勉強そっちのけでゲームにハマっていた頃であり、高校の友人からはゲーム廃人って呼ばれるくらいのめり込んでいた。


 やっていたのは日本で人気の高い格闘ゲームだ。めきめきと腕を上げ、暇つぶしに大会に出たところeスポーツチームから声がかかり所属することになった。

 好きなことを思い切りできる環境、勝ち星を上げた時の達成感と承認欲求を満たす周りからの賞賛。藍子がそれ一色になるのも時間の問題だった。


 ただ、eスポーツチームの存続は長くはなかった。企業本体の業績不振を理由にスポンサーが離れ、資金が続かなくなったチームはあっさりと解散した。

 あまりのショックにゲーム廃人が本当の廃人になりかけたが、ゲームへの想いが消えるわけではなく、今度は手放さなくて済むようにゲームを制作する側に回ろうと決意し、専門学校を経て今の企業に就職したのだった。


 渉が制作した『ニューワールド』に触れていると彼のゲーム愛が伝わってくる。

 少なくとも藍子にはそう感じるし、藍子が今の時代に渉と同じ年の頃だったらゲームを作る側を選択するだろうなと思った。


 それを考えるとやっぱり譲渡に関しては納得がいかない。高校生の作品を取り上げずに現状維持、もしくは大人として会社員として新しい商品を開発すべきなんじゃないかと考えている。

 ホンモノから奪ってニセモノの私たちが大きな顔をして利益を享受するのはズルイと思う。


 自分が『ニューワールド』を見つけなかったら良かったのだろうか?

 過去を変えられるわけでもないのに、藍子は過去を振り返り暗い想いに引きずられていた。

 かたりと音が鳴り、ふと顔を上げると片倉がマグカップを持って席を立った。

 マグカップを持っているところを見ると、給湯室に行くのかもしれない。

 室内から片倉が出て行くのを確認すると、藍子は彼の後を追った。

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