第44話


「ティアナ嬢、母上やレオが申し訳なかった」


何度も訪れたことのあるウィルバートの執務室に入って腰を落ち着かせたところで、ティアナは開口一番ウィルバートに謝られてしまった。

ちなみに、皇后とは後ほど謁見する予定があらかじめ組まれているらしい(本当にせっかちだった)ので別行動だ。だから、いまこの執務室にいるのはウィルバートとレオナルドとティアナ、同席してもらったサミュエルも合わせて四人である。


「いいえ。大丈夫です。予想外のことでしたので驚きましたが……。それより、ウィルバート殿下のお申し付けを守ることができなかった私の方が謝るべきです。勝手に入国してしまって申し訳ありませんでした」

「いや、入国自体は正式な手続きがとられて許可もきちんと下りているから問題ない」

(ただ、アンジェとランディがすべて裏で手を回していたから、僕自身は最近まで徹底的に秘密にされていて知らなかったけれどね……)


 内心むくれながらも、顔にはおくびにも出さないウィルバートである。そのことを伝えられた時の衝撃(恨み)は今でも覚えている。教えたらすぐにでもティアナに会いに行きそうだからとかなんとか理由をつけて(知っていたら当然すぐにでも会いに行っていたが)念入りに秘密にされていたのだ。だから今日この時間はランドールに仕事をすべて押しつけてきた。地味な仕返しである。


「それでも、ウィルバート殿下からのご連絡を待つとお約束していましたから。本当に申し訳ありませんでした」

「ふふ。ティアナ嬢は本当に頑固だよね。昔から」

「……そんなことはありません」


昔から『頑固』と言われると反発してしまうティアナを知っているウィルバートには、不貞腐れたように否定するティアナの反応が可愛くて仕方ないのだが、さすが皇族として教育を受けたウィルバートは簡単には顔に出さない。内心悶えつつも完璧に表情筋をコントロールしたウィルバートは、ティアナを賞賛するように皇族らしい綺麗な笑みを浮かべた。


「こちらの不手際で起きてしまった事件をティアナ嬢が解決に導いてくれたと聞いている。その事実を鑑みれば、たとえ不法入国していたとしても罰することなどできるはずもない。その上、ティアナ嬢はこの短期間で我が国の文化の発展に大きく寄与してくれたのだと聞く。その点に関しても大変感謝しているところだよ。褒賞を受け取ってもらいたいほどの功績を残してくれているのに罰するなんて愚者がすることだろう?」

「身に余るお言葉、光栄にございます。ですが、是非そのお言葉はアンジェリーナ様とブランシュのみなさまへお贈りください。私はみなさまに乞われて少しだけお手伝いをさせていただいただけですので。それに、アリスちゃんの誘拐事件に至っては私の義妹が引き起こした事件でしたから、私には家族として協力する義務もありました。今や私もルスネリア公爵家の人間とは言いづらい立場になってしまいましたが……それでも、彼女は血の繋がった従姉妹ですから。私は当然のことをしたまでです」


ウィルバートは『そういうと思っていた』とでも言わんばかりの表情で肩をすくめた。


「そう。あなたは理由と経緯はどうあれ、事件を解決に導く手助けをしてくれた。そのおかげで私たちは最悪の事態を回避し、最良の結果を得られることとなった。アリス嬢もあなたのフォローのおかげで順調に回復していると聞いているよ。事件が大きくならなかったのはもちろんアンジェや店のみんなが解決に向けて動いてくれたからに他ならないが、結果を見ればあなたの協力がなければその道がより険しくなっていただろうことは明白だ。事件解決に大きく貢献した功績をもって、私との約束を破ったことはチャラにしよう。それでいいよね?」

「皇太子殿下の仰せのままに。ご配慮に感謝いたします」

「じゃあ、この件は解決だね」

「はい。ありがとうございます」


いくら非公式の訪問で、非公式の取り決めであったとしても、一国の皇太子殿下との約束を破ってしまったのだ。ティアナはその罪をどう償えばいいのかと頭を悩ませていたところだった。落とし所をきちんと見つけてくれていたウィルバートに大いに感謝して、深く頭を下げた。


「それに、こちらもやっと準備が整ったところで、タイミング的にもちょうどよかったよ」


ティアナは頭を上げて背筋を伸ばした。


「ウィルバート皇太子殿下の皇帝へのご即位が内定したと伺いました。この度はおめでとうございます」

「うん。ありがとう。私の即位に伴って現皇帝は離宮へと隠居していただくことが決まってね。その前にティアナ嬢へ謝罪してもらおう。それから、ルスネリア公爵家への処罰は保留にしてあるよ。ティアナ嬢の意向を聞いてから正式決定されることになっている。あなたが一番の被害者だからね」

「お心遣い感謝申し上げます。処罰の決定に私の意見を取り入れていただけるなら、直接ロバート・ルスネリア公爵に話を聞きたいです」

「うん。そう言うだろうと思って、ルスネリア公爵ロバートと直接話せる機会を設けることになっている。確か理由を聞きたいんだったよね? どうしてこんなことをしたのか。一応こちらで聴取はしてあるけど、事前に聞いておく?」

「いいえ。本人から直接聞きます」

「わかった」


両親を亡くしたと知った後、それまでのティアナを形作ったすべてを捨ててルスネリア公爵家へ引き取られることになった。

一般市民として生活していたのに、突如として貴族の一員として生活することになると聞いて驚いたが、蓋を開けてみると使用人と同等か、むしろそれ以下の扱いを受けることとなった。

表面的な血縁だけは認めてもらえたが、ティアナがルスネリア公爵家の本当の家族として認められることはついぞなかった。


家族であるはずなのに家族の一員であることを否定され続ける毎日は、気づかないうちにティアナの心に日々小さな傷をつけ、それが蓄積していき、最終的には大きなトラウマとして成長していた。

ルスネリア公爵家という狭い世界で形成されたティアナの大きな心の傷は、より広い世界を知り、色々な人から様々な形の愛を受けたことによって、まだ完全ではないが少しずつ癒えていた。そんな今だから、ティアナは思った。義妹であり、従姉妹のアマンダもきっとあの狭い世界で苦しんでいたに違いないと。


「あの……。僭越ですが殿下にもう一つお願いがありまして……」

「いいよ。なんでも聞こう」


願いごとを聞く前から「なんでも聞く」と即答できてしまう度量の大きさに感心しつつ、ティアナは願いを口にした。


「アマンダ様とも話をさせていただきたくて」


ウィルバートは眉を顰めた。


「……正直、賛成しかねる。彼女は今、普通の状態ではないし、あなたを逆恨みしている様子が見られるから、危害を加えられる危険性もある」


その言葉を聞いて、ティアナは自分の身の安全が確保されれば話をすることは問題ないのだと解釈した。

それならサミュエルが守ってくれるからきっと大丈夫だ。ティアナの身の危険を真っ先に心配してくれるウィルバートの優しさが嬉しくて、思わず笑みが溢れた。それは壮絶なほど美しい笑みだった。


「大丈夫です。私にはサミュエルがついていますから」


ね、というように、笑顔のまま振り返ったティアナと目が合った護衛騎士のサミュエルは、ティアナが自分に心から信頼を寄せてくれていることへの喜びと、美しすぎる笑みを目の当たりにした衝撃で一瞬固まったが、その後にとろけるような笑みを向けて答えた。


「……はい、もちろんです。お任せください」


笑顔で見つめ合っている二人の様子を見て、信頼し合っていることがわかる言葉を聞いて、気に入らないのはウィルバートだ。


「もちろん彼は信頼できる騎士だと思うが、ティアナ嬢は私の大切な賓客だ。どうしてもアマンダ嬢に会うというなら私も同席する」

「でも……皇太子殿下はお忙しいでしょうし……危険なら殿下はなおさら近づかないほうがいいのでは……?」


ティアナは今一番忙しく、貴い身分であろうウィルバートの邪魔はしたくなかったので、同席は遠慮しようとしたが、ウィルバートは被せ気味に言った。


「あなたは私の大切な賓客だという言葉を聞いていた?」


ウィルバートが笑顔で剣呑な雰囲気を漂わせつつ凄むので、ティアナはその勢いに若干腰が引けつつも頷くしかなかった。


「……殿下のご予定が大丈夫なのでしたら、よろしくお願いいたします……」


ウィルバートはティアナの言葉を聞き、にんまりと満足そうに笑って首肯した。

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