第21話
「ロバート様の所業は……なんとなく予想していました。私を引き取ったくせにいやに私に無関心でしたし……腑に落ちなくて不気味でした。
でも、ウィルバート殿下との婚約解消の書類に署名させられて、宝玉を渡せと言われた時に『このために私は引き取られたんだ』と気付きました。先程メアリーから母が生き延びられた経緯を聞いた時も、彼女は黒幕の名を濁していましたが、きっとそうなんだろうと」
そしてロバートの計画通りに事は進んだ。冷静に考えればわかる。ウィルバートも父陛下に婚約の許可をもらうのに、ティアナのプロスペリア王国の王女という身分はかなりの訴求力があると言っていた。
執心している国の宝玉が王女のティアナという枷なしにフランネアのものになると言われ、皇帝陛下はロバートの計画に乗ったのだろう。だから、ウィルバートも抗えない状況に陥ってしまったのだろう……
ただ、その宝玉も偽者なので、それをしっかりと確認しなかったフランネア皇帝にとって宝玉の真贋はどちらでもよかったのかもしれない。
ティアナはゆっくりと気持ちを整理して話し始めた。
「婚約を解消する前にマリウス叔父様に迎えに来ていただいても、私はウィルバート殿下から離れられなかったでしょう。マリウス叔父様もそれがわかっていた。だから、私が自分からウィルバート殿下の元を去るよう誘導する必要があったわけですね。メアリーも共犯なのでしょう」
マリウスはしゅんとした情けない顔をして答えた。
「……ティアを守りたかったんだ。それに、あの小僧がティアを守りきれる力量を持っているならそれでよかったんだ。でも、そうじゃなかっただろう?」
ウィルバートを試す意味もあったのか。
驚いたティアナが目を丸くしてマリウスの目を見ると、彼は申し訳なさそうにしながらティアナの顔色を窺っていた。
ーーマリウス叔父様ってお母さんの弟だから……35歳前後かしら?他国の首脳陣を簡単に手玉に取ってしまえる国王陛下がしゅんとして私みたいな元・にわか公爵家令嬢、現・肩書は王女になるらしいけれど実質は普通の小娘、の顔色を窺っているなんて……ふふ。可愛い。
「マリウス叔父様の愛は重いって聞きましたけれど、誇張でもなんでもなかったのですね。でも、フランネアの上層部を手玉に取ったその手腕は是非私も学ばせていただきたいです」
ティアナが笑顔で責める気はないという意志を示すと、マリウスはほっとしたように嘆息し、やっと苦笑いを浮かべた。
「……愛が重いのは認めるよ。それに、ティアの気持ちを確認せずに勝手に動いたことは悪かったと思っているんだ。姉上にも叱られたし……」
そこまで言って、マリウスはハッとして胸元から懐中時計を取り出した。
「まずい。また姉上に叱られてしまう」
マリウスがまたへにょりと情けない顔に戻ってしまったので、ティアナは笑ってしまった。
そういえば母にはこの後会わせてもらえるのだとマリウスから聞かされていた。予定していた時間に遅れそうなのかもしれない。
「ティアに笑われるのは悪くないな」
にこりと爽やかに笑うマリウスは、心からそう思っているように見えた。
「やっとお母様に会えるのですか?」
少し意地悪そうに言うティアナは初めて会えたとは思えないくらい気安い態度でマリウスに接してくれているように感じられた。この短時間で心を許してもらえるくらい仲良くなれたようで、マリウスの表情に喜色が浮かぶ。
しかし、この後伝えなければならない事実に一転心が重くなった。
「ティア。すぐに姉上に会わせられなかったのには実は訳がある。会ってもらう前に説明をさせてほしい。ティアがショックを受けないように」
「わかりました。心して聞きます」
居住まいを正したティアナは真剣な顔をしてマリウスと向き合った。
「姉上は、事故の後遺症で結婚した後からの記憶を全て失っているんだ」
◆◆◆
ティアナとマリアの再会は、感動的なものにはならなかった。
マリアは思い出せなくて申し訳ないと困ったように笑っていたので、ティアナも極めて事務的に挨拶を交わした。
記憶を失ったマリアにとっては初めて会う娘であるので、当然なのだが……
ティアナは落ち込んでいた。
両親は共に亡くなってしまったと思っていたので、母だけでも生きていてくれてとても嬉しかったのだ。
けれど、ティアナの母だった人は、他人になってしまっていた。血の繋がりはあるはずなのに、別人のように感じられたのだ。
共有できる記憶は血の繋がり以上に大切なものであるのだとティアナは知った。
ーーマリウス叔父様があんなに優しくしてくれたのって、こうなることを知っていたからなのかな……
確かにティアナは母に会って傷ついた。けれど、その前にマリウスにこれまでの話を聞いてもらって整理ができていたおかげで心に余裕ができており、母に会った時の衝撃を受け止めきることができたことも確かなのだ。
ーーマリウス叔父様ってそつがないんだな……
マリアは結婚前までの記憶はあるので、マリウスと仲睦まじそうにしているのにもティアナは嫉妬した。
マリウスのせいではないのに、マリウスにあたってしまいそうなくらい嫉妬した自分を嫌悪した。
マリアに会って明らかに落ち込んでいるティアナに、マリウスは「今日はゆっくり休んで」とだけ声をかけて去っていった。
与えられた部屋に戻ったティアナは、晩餐の誘いも断って早々にベッドへ入った。もう眠ってしまおうと思ったのだ。
しかし、目を閉じていると今日の出来事が瞼の裏に浮かんでは消え、いくら考えないように頑張っても、母の困ったような笑顔が頭にこびりついて離れなかった。
どうやっても眠れないらしいので眠るのを諦め、頭をすっきりさせるためにバルコニーで風に当たることにした。
ーー私に会って、困っているみたいだった……当たり前だわ。全く記憶がないんだもの。初めて顔を合わせた人と、急に親子になれるわけないわ。
そして、マリウスと仲睦まじそうに笑い合っている姿も記憶に蘇る。その光景を見て感じたのは、羨望と嫉妬ーー。
「はぁ。私って本当に嫌な人間だわ」
「どの辺りがですか?」
それが自分の言葉に対する返答だと気付いたのは、サミュエルが暗闇から姿を現した時だった。
「サミュエル‥‥!そこで何をしているの?」
「もちろん、護衛ですよ」
「護衛‥‥?」
ティアナは不思議に思った。ここは一番守りが固いはずの王城である。そもそも誰の護衛なのか。
そう考えていると、彼がひらりとティアナのいるバルコニーに舞い降りた。
あれ?ここ3階じゃなかったっけ……とティアナが混乱している間に、サミュエルはティアナの目の前までやってきていた。
「……申し訳ありません。嘘をつきました。……あなたに会いにきました」
「私に?」
どうして?と聞きかけて、サミュエル達も母のことを聞いたのかな、と思い至る。
「お母様のこと、聞いたのね。それで、慰めに……?」
「………」
サミュエルは無言で否定も肯定もしなかった。
「明日、外出の許可をいただいてきました」
「そう!素敵ね!どこへ行くの?」
「近くに景色の綺麗な場所があるそうです。そこでピクニックでもしませんか?」
「しませんか?って……私が行くの?」
「あなたと私の二人で行くのですよ。マリウス様には許可をいただいていますから」
二人でピクニック?まるでデートみたいではないか。そう思ってティアナはあたふたした。
「で、でも、あの、しないといけないこととか話さないといけないこととか……たくさんあるのではないかと……思うのですが……」
サミュエルには気安く話してほしいと言われて、当初していた丁寧な言葉遣いはすっかり崩れてしまっていたが、今さら言葉遣いがこれでいいのかと気になってきた。
「マリウス様がいいと言っているのだから大丈夫ですよ。ということで決まりですね。明日お昼前に迎えに来ます。
明日のために今日はちゃんと眠ってくださいね」
ではおやすみなさい、と言いながらティアナの手を取り、指先に口付けてサミュエルは身を翻した。
その場に残されたティアナは、鼓動の速くなった心臓を宥めるのに必死になっていた。
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