第11話


「なに!?一足遅かっただと……!?」


 その日、いつものようにティアナがウィルバートの執務室に足を運ぶと、彼の声を抑えた叫び声が聞こえた。


 ーーあれ?ランドール様とお話し中なのかな?でも、フィルさんは入っていいって言っていたし……どうしようかな。


 ティアナが出直そうかと迷う間にも会話は進んでいく。


「ロバートに宝玉を渡したと!?国王陛下がそう仰ったのか?馬鹿な!あの男の手に渡ったとしたら……あの男がティアのために手に入れたとは到底考えられない」


 ーー……え?私の話?


 何やら深刻そうな会話の中に自分の名前が出てきて、盗み聞きはいけないと思いつつも、一気に会話の内容に興味を引かれる。


「父上との交渉に使うつもりなのだろう。プロスペリアの宝玉が手に入らないとなると、父上がすぐにでも僕とティアとの婚約を破棄しかねない……!」


 こちらに背を向けているので彼の表情はわからないが、とても逼迫した状況を伝えてくる声色だった。


 ーー婚約破棄……?


 ティアナは頭が真っ白になっていた。

 まだ衝撃は収まっていなかったが、何が起こっているのかを把握するために、ティアナは気が遠くなりそうになるのを抑えるように唇をぐっと噛みしめながら話に聞き入る。


 ーー盗み聞きしてごめんなさい!でも、絶対に婚約破棄は嫌だ……!


「どうすればいい……!ああ、そうだな。まずは宝玉を取り戻そう。……だめだ。ティアにはもうあの家には一度たりとも戻ってほしくない。危険だ。それ以外の方法でなんとか穏便に取り戻せる方法を考えよう」


 通信魔法で会話をしているらしく相手の声は聞こえてこないが、ウィルバート達はどうやらロバートに出し抜かれて対応が後手に回っているらしいこと、まずはロバートに奪われた宝玉を取り戻そうとしていること、それを取り戻せないとティアナとウィルバートの婚約が破棄されるかもしれないことを理解した。どうやら話を聞く限り、皇帝陛下にとっては私と宝玉が揃っていることに価値があるようだ。

 そして、ティアナが動けば穏便に宝玉を取り戻せるかもしれないこと。けれど、これは罠である可能性が高いということも。


 ーー私がルスネリア公爵家に戻ると何か益がある?……そうだわ。宝玉と宝玉の後継者たる私が揃うと交渉のカードになり得る。その二つさえ揃わなければいいのだわ。私が安全なこの宮殿から出ずにいれば……解決する?いいえ、宝玉と私が揃わなければ……ウィルの婚約者が私である必要はないのだわ。もっと皇帝陛下にとって息子の伴侶となるのに都合の良い女性が現れるかもしれない。私はどうすればいいの……


 ティアナは必死に頭を働かせながら、今後の展開を予想した。

 でも、いくら考えてもティアナにできることはとても少ない。


 ーーだから私はいつも政治の話から遠ざけられているのだわ。


 ティアナはがっくりと肩を落としながらとぼとぼと自室へと戻っていった。





 ティアナが部屋に戻ると、部屋にはミリアーナしかいなかった。

 この時間はウィルバートとお茶の時間と予め伝えてあったから、他の仕事にとりかかっているのかもしれなかった。


「どうしたの?殿下とお茶の時間ではなかった?」

「ええ。ちょっとウィルが忙しそうだったから。フィルさんに託して戻ってきたの」

「そう。今日は新作のお菓子を作ったのに、目の前で感想を聞けなくて残念だったわね」


 ティアナはこくんと頷く。両手はお腹の上で左手で作った拳を右手で包むようにして握りこまれている。

 その様子を確認したミリアーナは困ったように笑った。


「何かあったのね」


 ティアナは俯いていた視線を上げ、ミリアーナを凝視した。


「私、そんなにわかりやすい?」

「まあ、そうね。隠したいことがあるのならもう少し表情を取り繕う練習をした方がいいわ」

「きっとミリィの前だからよ。信頼している人の前で取り繕うのなんて難しいわ」

「ふふ。ティアナらしい言い分ね。それで?何があったの?」

「ううん。私が最初から貴族の娘として教育を受けていたら何か違ったのかなって……どうしようもないことを考えていただけだから」

「そうしたら今の素直で純粋なティアはいないわね。まあ、ティアのことだからそんなに変わらないような気もするけど」

「でも、そうしたらもう少しウィルの役に立てたかもしれない」

「そうねえ。何を悩んでいるのかわからないけれど……皇太子殿下にとってはティアが側にいるだけで十分なのではないかしら?役に立つ立たないで言うと、間違いなく役に立ってるわね」

「そういうものかな……」


 ティアナとて、ウィルバートが自分を大事にしてくれていることはわかっていた。

 けれど、それと「伴侶として信頼されること」そして「皇后として肩を並べて歩んでいける素質・素養があること」は別問題だと思うのだ。


「やっぱり……私では役不足なのではないのかな」

「なに言ってるの。ティアが皇太子妃にならなかったらあのティア大好き皇太子殿下のことだから、発狂しちゃうわよ」

「そうかもしれないけど、でも……」


 ミリアーナはいつも笑顔でポジティブなティアナがここまで思い悩んでいるのは珍しいと感じていた。慣れない場所で、慣れない仕事をしていることで心労が溜まっているのかもしれないと憂慮した。


「ティア……大分疲れが溜まっているのではない?今日の午後の予定は特にないから、ちょっと休んだ方がいいと思う」

「……わかった。そうする」

「晩餐の時間にまた様子を見にくるから」

「ありがとう」


 ティアナは笑顔を浮かべていたが、やはりミリアーナには元気がないように見えた。

 ミリアーナが退室しようと踵を返したところで、着ていたドレスのスカート部分をきゅっと控えめに引っ張られたので足を止めて振り返った。


「ミリィありがとう。大好きよ」


 そう言って力なく微笑んだティアナの表情に、ミリアーナは「心細いのかしら。相当弱ってるみたいね」と感想を抱いた。


「ふふ。私もよ。またあとでね。ゆっくり休んで」


 ーーこういうときは一人でゆっくり休んだ方がいいわよね。


 ミリアーナは少し休めばまたいつものティアナに戻るに違いないと考えていた。


 けれどこの日、この時を最後に、ティアナはアドルファス宮殿から姿を消したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る