第46話 罠

「あの…

 下野様から聞いてないんですか?」


紫苑は自分の出来うる限り気の弱そうな声色を出し、かつ媚びを売るように唇に微かに笑いを乗せた。


「何の話だ…?」


「…その様子だと何も聞いてないんですね」


心底困ったような表情を作る紫苑に二人は苛立った。


「貴様…何の真似だ」


「下野様もこうまで部下を信頼してないとはね」


思わせぶりにチラ、と後ろに向ける。


「僕は早く仕事を済ませて帰りたいんですが」


「仕事だと?」


「ええ、まぁね。あの死体を処分してこいというお達しなわけで。…本当に聞いてません?」


二人の僅かな動揺に精霊たちが目に見えてはしゃぎ出した。

楽しいことが大好きな彼らにとってこの展開は愉快なものなのだろう。きゃらきゃらと笑い声が高くなることに耳を塞ぎたくなりながらも堪えて今度は憮然とした表情を作る。


「困りますね、まったく」


「貴様、どういうつもりだ。我々を謀っているのか」


「じゃあ逆に問いますが、貴殿らは何と命じられて僕を追ってきたんですか?」


当然ながら、怪しんで二人は答えない。だが、それこそが答えのようなものだった。


「『追え』」


恐らく、詳しい内容の命令まではされていない。


「『妙な真似をするようであれば殺せ』ってな感じですかね。ひどいなぁ。僕ごと証拠隠滅なんて」


「……」


「ちなみに予想だと、あんたらも僕と同じように消されますよ」


「なんだと」


「だってここまで周到で、かつ人を信用してないんですよ?事情を知る者は全て消すに決まってるじゃないですか」


その一言で相手の動揺が目に見えて激しくなったことがわかった。

思い当たる節があったのか、そこで初めて視線を紫苑から逸らし、彷徨わせた。


「どういうことだ…?」



――食いついた…!



餌に引っかかった魚に心の中で強く拳を振りかざす。

逃がさないように、慎重に言葉を選びながら口を開く。



「――そもそも帰り道はどうするおつもりで?」


「それはきっと下野様が目印を送って…」


「本当に?」


不信感を煽るように畳み掛けるようにして言葉を重ねる。


「本当に、目印を送ってくれるんですか?」


「それは…」


「白杏の森が広大なことくらい、お二人とも知っているでしょう?下野様は何故、森のことを多少知っている狩人ではなく、貴殿ら二人を僕に送りこんだんですか?」


ギャアと遠くでけたたましく鳥が鳴いた。鬱蒼と生い茂る森の中では、太陽の位置さえ判断しづらく、どこを歩いても木と草ばかりで気を緩めれば元来た方向さえわからなくなってしまう。

森は、山とは違う。

麓がなく、上り下りも緩やかだ。平坦な地が続く白杏の森は白杏の民でさえ迷ってしまうため、入る者がいない。


そんなところで別行動を強いられることは自殺行為にも近い。


うっすらと丸刈りの男の額に汗が浮かぶ。そして長身の男に強張った表情で「おい…」と掠れた声で訴えかけた。


「…下野様から帰還の方法を教えられてないか」


「そんなことは、何も…」


「我らはこの白杏をどうやって抜ければ良いのだ」


「私に聞くな!私もお前と同じく、この少年を見張り、おかしなことをするようであれば消せと言われているだけだ。

…帰還方法までは教えられてない」


沈黙が落ちる。

二人はもう武器を紫苑に向けてはいなかった。


思った通りである。

この二人が今日組まれた隊の中でも最も下っ端なことは縦社会の見本であるかのような王立軍一行を見ていてわかっていた。


組織の末端であればある程、上からの命令は絶対的で、詳細を話されずとも任務だと言われれば従うが、一個人としての信頼は薄い。

しかも、下野のような見るからに自尊心が高く、自分より弱い立場にいると思えば見下げた態度を取ってくるような人物だ。

とても部下から慕われてるいるようには見えなかった。


この二人も恐らく、自らの命をかけてまで命令を実行しようとする気概も、下野に対する忠誠心もない。


お互い地を見つめたまま、この先一体どうすれば一番自分たちにとって良い選択になるのか、決めかねている。


そこで紫苑は魚達が餌を深く深く飲み込んでいくように誘導してやった。


「ひとつ、提案があるんですが」


あとは耳障りの良い言葉を並べるだけだ。


「殺られる前にヤッちゃいましょう」


ザッと風が吹いた。


偶然ではない。精霊たちが目に見えてざわついている。森が汚れるかもしれないという不安と、面白いことが見れるかもしれないという興奮。


目の前がチカチカして、二人の反応が紫苑からはよく見えなくなった。

しかし、微かに聞こえてくる息遣いから、二人が戸惑っていることがわかる。


「いや、こっちがヤるといっても何も殺すわけじゃないですよ。

――僕らの情報を上層部に話すんですよ」


「そのようなことっ…!」


「そうだ。無理だ…。上層部だって今回のことを見逃しているに決まっている…」


「まぁ、多少はそういう上の人もいるでしょうね。でも全員がそうでしょうか?下野には敵も多いのでは?」


「…あ…」


「おや、やはり思い当たる人物がいるわけですね」


「……」


丸刈りの男が押し黙る。

このまま言っても良いのかどうか決めかねているようだった。

対して長身の男はすでにこの先どうするかを選んだらしい。硬いがしっかりした声音で一人の人物名を出した。


「紅玉様だ」


――戴暉か


一番に上がったその名は、幾度となく耳にしたことがあった。半石(訓練生)からの叩き上げで隊長にまで上り詰めた、最年少にして親衛隊史上最強の戴暉。苛烈、清廉潔白、情け深いと評価される一方、『義の鬼』とまで称される程に人道を外れた者には容赦がない。――という噂だ。

一介の民でしかない紫苑はその御尊顔を拝する機会もなく、たまに風の噂で聞く程度だった。



――下っ端にもこの信頼のされよう。噂はマジっぽいな…



かくいう紫苑も、先日の空木の件で耳にしたばかりである。今の今まで藤馬のハッタリかと思い込んでいたが。


「確か、雄日芝が雛菊様の隊だったよな。そこから紅玉様に報告を」


「ちょっとちょっと、

そんなまどろっこしいことをしなくても、貴殿らの直属の隊長に話してはどうです?あんまり人を介すると、どこで情報が漏れるかわかりませんよ」


「それはもっともなんだが…」


二人共情けない程に眉尻を下げ、互いに顔を見合わせて溜息を吐いた。それができれば困ってない、とでもいうように。


「我らの班はある小隊の下に従属している。

その小隊長が今回飛竜探しに下野様を抜擢したんだが、実は黒曜隊長の寵愛を受けている人物でな」


なるほど、と紫苑は納得がいった。

下野が一人で暴走してるだけかと思えば、親衛隊隊長から信頼を受けている者自らが下野を竜探しの任を命じたのであれば、親衛隊隊長も何か背景を知っている可能性が高い。


「そもそも…」


紫苑の鼻先がひくりと動く。その時、ふと違和感に気が付いた。精霊たちが妙に静かだ。先程までざわついていた鳥類の声もしない。それに、この、僅かに鼻をつく油の匂い。

ハッと息を呑む。と即座に王立軍の二人、そしてその後ろにいる棗に向かって大声で叫んだ。


「逃げろ!!!」

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