第24話 4

 × × ×



 「……っ」



 意識が戻って、頭に走る激痛を抑えるように腕を抱く。シャツはボタンが外れ、全身泥まみれになった自分を見ていると、どうにも笑えてきてしまう。



 「クッソ、フラッドもびっくりの大雨だな」



 バケツをひっくり返したかのような水のつぶてが、勘九郎を打ち付ける。脚を滑らせながらも立ち上がると、カメラを投げ捨てた林へ向かってリュックを探した。既に外は暗く、おまけに雨で良く見えなかったが、苦難する事十分。ようやく目的のブツを見つけ出すことに成功した。



 「……俺の命は、こっちだ」



 いくら体が傷つこうが、勘九郎にとっては些末な事だった。木陰でチャックを開けてカメラの状態を確認すると、普段通りに動作してくれた。ウォズに言われて、緩衝材を突っ込んでおいたのだ。



 「今日は、帰ろう。ちょっと、疲れた」



 リュックを背負い、片足を引きずりながら一歩ずつ歩いていく。痣は痛むが、頭の中にはさっき受けた恐怖と、この傷を書き表すためのアイデアでいっぱいだ。感情に構っている余裕はない。



 「最高だ。映画じゃ味わえない、最高の感覚だ。……へへっ、これじゃあ、エリーとミアは本編見た途端気絶してしまうかもしれんな」



 それから数時間、宿直室に財布を忘れた為アパートまで歩き続け、ポストの裏に隠していた鍵で部屋の中へ入ると、玄関の上に倒れてしまった。何とかエリーに「帰った」と連絡を送ると、再び気を失ってしまったのだった。



 ……時は少し戻り宿直室。練習を終えて部屋に戻ったエリーとミアは、今だ帰らない勘九郎を待っていた。



 「あいつ、どこ行ったのかしら」



 「雨凄いし、もう帰っちゃったのかもね」



 「そんなことするかしら。カントクはあたし達に黙って帰るような無責任な男じゃないわ」



 「……うん、そうだね」



 瞬間、近くに雷光が降り注ぐ。後を追うように破裂するような爆音が鳴り響くと、ミアは思わずエリーに抱き着いた。



 「雷、恐いの?」



 「え、えぇ。ちょっとね」



 頭を撫でて、「大丈夫だよ」と囁くエリー。その声に安らぎを覚えたミアは、しばらくの間彼女の胸に顔を埋めて黙っていた。



 「ミゲルさん、まだ学校にいるかな?」



 「迎えに来させるっての?やめてよ、恥ずかしい」



 「別に恥ずかしくないよ。ちょっと連絡してみるね」



 言って、電話を掛ける。彼はすぐに反応を示してくれた。どうやら、図書室で勉強をした後に、昇降口でたまたま出会ったウォズとクロエと雨が治まるまで待っているらしい。



 「すぐそっち行くよ。待ってて」



 ミゲルは、その言葉の通りにすぐに第三旧校舎へやって来た。スラックスは撥ねた水でびちゃびちゃだ。ミアが心配で、一目散に掛けてきたのだろう。



 「ありがとう、エリー」



 礼を言って、ミアの頭を撫でるミゲル。豪胆な性格だが、案外恐いものの多い所がかわいいとエリーは思った。

 やがて、雨脚が少しだけ弱まった。時刻は午後の六時。最終下校時刻は過ぎている。



 「……それじゃ、あたしは明日も来るわ。エリーも早く帰りなさいよ」



 「うん、気を付けてね」



 二人を見送って、ぼーっと勘九郎の帰りを待つエリー。しかし、どれだけ待っても現れない彼の事を考えるうちに心配が募っていく。



 「やっぱ、帰っちゃったのかな」



 しかし、財布や定期の入った鞄はここに置いてある。一体、何があったというのだろうか。



 手持ち無沙汰にスマホを見る。すると、見計らったかのようなタイミングで一件のメッセージが届いた。言うまでもなく、勘九郎からの物だ。



 「帰った。……そっか」



 寂しさを噛みしめてため息を吐くと、エリーは自分の鞄に持ち物をまとめる。ついでに、机の上に広げてある勘九郎の荷物を彼の鞄に入れると、部屋の隅の置いて外へ出た。



 「また、明日ね」



 誰もいない部屋に挨拶をする。しかし、翌日、その翌日と、勘九郎は現れなかった。



 「授業にも出てないみたいなの。ウォズは何か知ってる?」



 「……いや、僕は分からない」



 言い淀んだのは、彼の身に何かあったんじゃないかと予感して、しかし口止めをされている事思い出したからだ。



 「変だね、何かあったのかも」



 同じ授業を受けているクロエとウォズに相談をするエリー。今にも泣き出してしまうんじゃないかと思うその表情を見ていると、二人にも不安が募る。



 「でもさ、エリーがちゃんと帰れって言うから、家に籠ってるのかもしれないよ」



 「鞄だって置きっぱなしなんだよ?そんな事あるかな」



 「……なら、カントクの家に行ってみようか」



 「場所知ってるの?」



 「ううん。でも、財布があるなら住所は分かるんじゃないかな。学生証くらい、持ってると思うよ」



 確かに、と呟く。そんな訳で放課後、彼らは勘九郎の家に向かう事にした。

 心配していたミアとミゲルにも声を掛け、妄想ディレクション全員で道を歩く休み前の午後。三つ隣の駅で降りて、そこから更に十五分。ようやく学生証に記されている住所へたどり着くと、エリーは意を決してインターホンを押した。



 しばらくして、中から足音が聞こえてくる。そして、「はいはい」と口にしながら開かれた扉の向こうには、パンツ一丁で彼女たちを出迎える勘九郎の姿があった。



 「あぇ、全員揃ってどうした?俺、集合かけてたか?」



 「な、な……」



 「な?」



 「なんて格好してんのよ!このバカ!」



 言って、鞄を投げつけるエリー。イテっと反応して、何が起こったのかと言葉を待つ勘九郎。



 「……あんたが来ないからみんな心配してたのよ。何かあったの?」



 「いいや、何も。それより、ちょうどさっき夏に撮影しようと思ってたシナリオの台本が完成したんだ!明日持っていくから、楽しみにしていてくれ!」



 いつも通りの反応だが、何かが違う気がする。



 「その顔の傷は?」



 「あぁ、徹夜続きで転んだんだ。結構深く切ったから、学校には行かなかったという訳だな」



 「もう、凄く心配したんだよ?大丈夫なら、一言くらい連絡くれてもよかったのに」



 「悪い、夢中になってた。明日の終業式には出るから、安心してくれ」



 そう言って、少し大人びた顔で笑う勘九郎。しかし、その違和感に気が付かない者がいないことは、当然の事だった。

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