蒼空さんの、茶箱

小椋正雪

茶箱と抹茶と、蒼空さんとの出会い。



 ――彼女の箱には、いろんな魔法が詰まっている。そう、思うことがある。




 どうしようもない気分で公園をうろついていたとき、変わった格好の女の子に目がとまった。

 見た目からして、わたしと同じ高校生くらいだろうか。

 今時珍しい藍色の着物姿で、手にはこれもめったにみない風呂敷包みを提げている。

 静かに歩くその様子は、まるで過去からタイムマシンでやってきたお姫様かなにかのようだった。

 わたしがみているのに気付かないまま、その女の子は遠くに海がみえるベンチに座ると、傍らの風呂敷を解いて、中身を取り出した。

 大きな水筒と、靴箱くらいの大きさの――綺麗に磨かれた、木の箱。

 そこからは、まるで魔法のようだった。

 箱の中から、四次元ポケットのように色々なものがでてきたからだ。

 筒に収まった竹で出来た泡立て器。

 それよりも小さい筒に丸めて収められた、白い布。

 小さな硝子瓶には、なにかきらきらしたものが入っている。

 細長い布の袋に入っていたのは――大きな耳かきのようなもの?

 ひとめ見て重要なものがはいっているとわかる、黒いつやのある小さな容れ物。

 それらをすべて、箱の横に折りたたんでおいた風呂敷の上に次々と載せていく。

 そして最後に茶碗が出てきて、わたしはようやく女の子がなにをしようとしているのかわかってきた。

 抹茶を作ろうとしているのだ。

 とはいっても、茶道なんてテレビや漫画でしかみたことがないから、どうやって作るのかわからない。

 なおもみていると、女の子は茶碗に黒い容れ物から大きな耳かきのようなもの(?)で何かをすくいとり茶碗に入れる。

 そして水筒からお湯――湯気がたったので、そうだろう――を注ぐと、竹の泡立て器を静かに差し入れ、思っていた以上の素早さで、静かにかき混ぜていく。

 その動きのひとつひとつが、不思議と綺麗だった。

 おそらく姿勢がよいからだろう。

 みていてほれぼれするほど、背筋がぴんと立っているし、道具を箱から取り出すときはゆっくりとした動作なのに、竹の泡立て器を振るう時は意外と俊敏で、みていて飽きない。

 そう、なんでもないはずの動作ひとつひとつが、まるで歌舞伎やフィギュアスケートの演技のように鮮やかで、目を奪われてしまうのだ。

 気がつくと、女の子は抹茶を作り終わったのか、竹の泡立て器をそっと立てて、お椀をゆっくりと持ち上げ、顔の前で傾けている。

 飲み終わった女の子のその表情は……ほっとしていた。

 よっぽど美味しかったのだろうか、口許をわずかに緩めたその表情は、同性のわたしでも思わずみとれるくらい美しくて――。

「……?」

 そこで、わたしがみていることに気付かれた。

 慌てて立ち去ってしまおうか。

 一瞬だけ、そう思う。

 でも、それはあまりにも失礼だから……意を決して、わたしは話しかけてみることにした。

「ごめんなさい、ついみとれてしまいました」

「いえ、こちらこそ気付かず失礼致しました。お見苦しかったでしょうか?」

 初めて交わした言葉は、お互いに謝罪だった。

 あとにして思うと、なんだかおかしなはじまりだったと思う。

「そ、そんなことないですよ。とてもその、綺麗でした」

 我ながら、もうちょっと語彙があってもいいと思う。

 けれども――。

「ありがとうございます。そう仰っていただけると、嬉しいです」

 女の子はそう笑顔で返してくれて、どこか安心するわたしがいた。

「お茶をてるをみるのは、初めてでしたか?」

 鈴を転がすような声で、質問される。

 ――見た目は私と同じくらいだと思ったけど、その声を聞くと、もしかしたら年下かも?

 そう思わせるような、そんな柔らかい声だった。

「はい。はじめてでした。それと……」

「それと?」

「その、お茶を飲んだときのほっとしている顔が、よかったなって――」

 いってしまってから気付く。

 ちょっとこれ、踏み込みすぎじゃないかって。

 すでに背中からは、冷や汗が流れはじめていた。

 そんなわたしであったが、女の子は顔色ひとつ変えずに、

「それでは、貴方も一服いっぷくいかがですか?」

 予想外のことを、訊いてきた。

「いいんですか?」

「ええ、もちろんです。まだまだ、お茶はありますから」

 そういって、女の子は黒い容器の蓋を開けてみせてくれる。

 中には、鮮やかな濃い緑色の粉――抹茶が入っていた。

「それじゃあ、お願いします」

「かしこまりました。少々おまちください」

 そういって、女の子は白い布で茶碗を綺麗にぬぐうと、先ほどと同じ動作で、お茶をいれていく。

「先にお菓子をどうぞ」

 そういわれて指し示された女の子の手の先をみる。

 いつの間にか、二つ折りに畳まれた小さな紙と、その隣に硝子瓶があった。

「ええと……」

「その中から好きなだけ振り出し、お召し上がりください。たくさん出てきたら、その懐紙かいし――紙の上にどうぞ」

 おそるおそる硝子瓶を手に取る。

 丸いそれは竹の皮で包まれた何かでできた栓がしてあって、中身は桃色の――。

金平糖こんぺいとう?」

「はい。銀座の専門店から取り寄せました」

 てきぱきとお茶をいれる作業を進めながら、女の子が答える。

「なんか、星みたいですね」

 手作りレジンのアクセサリーで、みたことがある。

 瓶の中でまたたく、綺麗な星。

「あたりです」

 ちょっと驚いた顔で、女の子がそういう。

「この金平糖、流星菓りゅうせいかっていうんですよ」

 どうやら、わたしの想像は的外れではなかったらしい。

 栓を抜いて、桃色の金平糖を手の中に降り出してみる。

 からころと軽やかな音と共に飛び出したそれを、口の中に入れると、ぱっと梅の香りが広がった。

「梅の金平糖なんて、はじめてかも」

「それがお茶によく合うんです……おまたせいたしました、どうぞ」

 いつの間にか、抹茶ができあがっていた。

 黒い石から削り出されたかのような、小さなお茶碗。

 その中に、まるで湧き出てきたかのように抹茶がある。

 水面にはカプチーノのようにきめ細かい泡に覆われていて、それ全体がまるで古いお寺にある、苔むした庭のようだった。

 わたしは手前に置かれたお茶碗を手に取り――。

「えっと、三回どっちかにまわすんだっけ?」

 そうやるのを、どこかでみた気がするんだけれど……。

「いまは正式な茶会ではありませんから、あまり気にしなくていいですよ」

「ありがとうございます、それではいただきます……」

 確か抹茶って、苦いはず。

 だから、少しだけ口に含んで――。

 まず飛び込んできたのは、目の醒めるような爽やかな香り。

 続いて広がるのは、お吸い物かと思うくらいに濃厚な、お茶の旨味。

 後味はわずかに甘いくらいで、最後になってようやくほのかな苦味が来た。

 けれどもそれは決して不快なものではなくて、さっぱりとした爽やかさがある。

 ……なんて、色々な感想が押し寄せてきたけど、ひとつにまとめるとこうなる。

 美味しいっ!

 気がつけば、一口だけのつもりだったのに一気に飲んでしまっていた。

 思わず、溜息が漏れる。

 先ほどの女の子の気持ちがよくわかる。なんというか、すごくほっとするのだ。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

「あの、すごく美味しかったです」

「それはよかったです」

 箱から出していた白い布で茶碗を拭きながら、にっこりと微笑んで、女の子はいう。

「すごいですね。わたしにもできたらな……」

「試してみますか?」

「え、いいんですか?」

「もちろんです」

 抹茶に興味をもってくださるひとは、最近珍しいので、嬉しいんですよ。

 本当に嬉しそうに、女の子はいう。

 そしてなにかに気付いたかのように、はっとすると、

「名乗りが遅れました。兼森かねもり蒼空そらと申します。お名前をお伺いしても、よろしいですか?」

璃久りく浅野あさの璃久りくといいます」

「よろしくお願いします。浅野さん」

「あ、璃久でいいです」

「わかりました。では、私のことも蒼空で」

「えっ、でも……」

「みたところ、歳も近いようですし。どうか、それでお願いします」

「わかりました。改めてよろしくお願いします。蒼空さん」

「いえいえ、こちらこそ」

 そういって笑う蒼空さんは、とても嬉しそうだった。

 まるで、はじめて友達ができたみたいに……というのは、さすがにいいすぎかもしれない。

「それでは、簡単に抹茶の点て方をお伝えします。まずは――」

 蒼空さんがまず教えてくれたのは、道具の名前だった。

 おかげで竹の泡立て器は茶筅ちゃせん、大きな耳かきのようなものは茶杓ちゃしゃく、茶碗を拭いた白い布は茶巾ちゃきん、黒い容器はなつめというのだとわかった。

 名前もわからないと調べることも出来なかったから、まずそこから入るのは、とてもありがたいと思う。

 ――そして、木の箱の名前は茶箱ちゃばこ

「これがあると、こうやって外でもお茶が点てられるんです」

 蒼空さんが、そう説明してくれる。

 より簡易的な茶籠ちゃかごというもののほうが、コンパクトで持ち運びに向いているそうだけれど、蒼空さんは色々な道具が入る茶箱の方が好きなのだそうだ。

「次は、璃久さんが自分で点ててみましょう」

「え、いきなりですか」

「はい、いきなりです。こういったものは、古今東西、習うより慣れろ――ですから」

 そういわれてしまったら、もうやるしかない。

 わたしは蒼空さんに教えられるまま、棗から茶杓で抹茶を二回すくってお茶碗に入れると、水筒からお湯をエスプレッソ二杯分くらいをそそいで、茶筅でかき混ぜる。

「かき混ぜるというと、ぐるぐる回すイメージがあると思いますが――」

 わたしの真横で蒼空さんが囁くように続ける。

 すぐ側で感じる息づかいにちょっとどきどきしながらも、わたしは蒼空さんの言葉に集中する。

「縦一文字――アルファベットの、アイを連続して書くようにしてみてください。上手く混ざるはずです。そして、手首全体で混ぜるのではなく、手首を支点に振り子のように混ぜてみてください。その方が、早いはずです」

「アイ……手首を支点……」

 茶筅を摘まむように持ちながら、言われたとおり手首にスナップをきかせて混ぜてみる。

 言葉にすると簡単だが、これが結構難しい。

 マグカップに入ったコーヒーにミルクを入れてかき回すときはカチャカチャとできるけど(それもあまりしてはいけないけど)、茶筅は竹で出来ているから強くぶつけると穂先が折れそうだし、お茶碗だって傷がついてしまうかもしれない。

 だから、茶筅はお茶碗の底に付けず、そして縁にもぶつけず。

 それでいてなるべく早くかき混ぜるのは、本当に難しかった。

「できた、かな?」

 十分混ざってはいる気がするけど、蒼空さんが作った抹茶とはだいぶ違う気がする。

 泡立ってはいるけど、先ほど蒼空さんが点ててくれた抹茶のようにきめ細かくなく、第一泡の大きさが不揃いだ。

「大きな泡は潰すように混ぜれば小さい泡に分裂します――ええ、それで最後は泡をふんわりと中心に寄せるように……はい、大丈夫ですよ。飲んでみてください」

「じゃあ――」

 茶筅を置き、おそるおそる茶碗を両手で持って、自分で点てた抹茶をいただく。

「……よかった。美味しい」

「はじめてでしたら、上出来の部類だと思います」

 蒼空さんが、そういってくれる。

「それなら、もっと練習すれば――」

「ええ。いずれは私と同じように点てられるようになりますよ」

 蒼空さんは断言した。

「よぅし、がんばろう!」

 なんだろう、久しぶりになにかに打ち込めた気がする。

 そんなわたしをみて、蒼空さんは安心したように微笑むと、

「少しはお気持ちが晴れたようで、なによりです」

「えっ……?」

 思わず、隣にいる蒼空さんの顔を見つめる。

「――眉間。少し、しわがよっていました」

「あ」

 反射的にそこへ指を当てる。

「なにか、気に病むことでもありましたか……?」

 心配そうな――とは全く真逆の、今日の天気を訊くような様子で、蒼空さんはそう問いかける。

「……ちょっと、友達と喧嘩しちゃって」

 けれどそれが逆に、わたしが抱えているものを、口にすることができた。

 どうやらぐちゃぐちゃになっている感情は、フラットな方へ惹かれるものらしい。

 それを意識していたのだろうか、それとも偶然なのだろうか。

 ちょっとわからなかったけれど、蒼空さんは頷いて、

「そうでしたか。それは、よろしくないですね」

「ですよね……」

 それは、わたしもわかっている。

「ですが、どのようにすればいいのか、璃久さんはもうおわかりなのでは?」

「――はい」

 それも、わたしにはわかっていた。

 そう、本当は最初からわかっていたことだ。

 こういうのは、どっちが悪いというわけじゃない。

 先に気付いたのがわたしなのだとしたら、こちらから謝りにいかないと。

「ありがとう、すごく……気が楽になりました」

 蒼空さんに、頭を深く下げる。

 もしここで出逢わなければ、わたしはきっと、いつまでもうじうじと悩んでいたに違いない。

「あの、もしよかったらこれからもお茶の点て方とか、教えてもらってもいいですか?」

「もちろんです。少々お待ちください――」

 そういって、蒼空さんが着物の懐から取り出したのは、意外なことに最新式のスマートフォンだった。

 しかも防塵防滴耐衝撃モデル。

 わたしだと、確実にもてあましそうな気がする。

「ええと……」

「あ、そこはこうして――こうです」

「ありがとうございます」

 必要最低限、電話番号だけを交換し、メッセージのやりとりが出来ることを確認する。

「それじゃ、また。友達と仲直りできたら、連絡します」

「ええ。お待ちしております」

 わたしは勢いを付けてベンチから立ち上がる。

 蒼空さんも、広げていた道具類を全部茶箱にしまい、風呂敷で包んで席を立っていた。

「蒼空さん」

 そのまま行く前に、全身で振り返って、いう。

「はい」

「蒼空さんのその茶箱、魔法の箱みたいですね」

「えっ……?」

「わたしの悩み、全部消えちゃいましたし。それに、心がとても暖かくなりました」

「それは――とても、よかったです」

 とても嬉しそうに微笑んで、蒼空さんが一礼する。

「それじゃ、今度こそ――」

 公園の出口へとまっすぐ歩きながら、わたしはスマホの画面をタップした。




Fin.

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蒼空さんの、茶箱 小椋正雪 @masayukiogura

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