第15話 シリン・シェイド

 マグナル魔術学園・医務室。


 清潔なベッドがいくつも並んでいる大部屋で、ぼくはメルセと二人で、ベットのひとつで静かに休む少女の横に立っていた。

 シリンは健やかな寝息を立てている。


「顔色もだいぶよくなったようだ。あの呪いの首輪の後遺症もないようだし、もう心配はいらないだろう」


「ありがとうございます。診ていただいて……」


「なに。これでも医療魔術も師匠階位だからな」


 メルセ・オブリージュは、炎系魔術と医療魔術を極めた学園きっての才媛だ。

 いつも身につけている白い手袋は単なる潔癖症というだけではない。


 ぼくたちはシリンのベッドから離れ、カーテンを閉じた。


「そういえば、君の傷をまだ診ていなかったな」


「え? あ、いや、ぼくはどこも怪我とかは……」


「しかし、シリンの雷撃魔術を胸に食らっていただろう。念のためだ。診てやろう。さあ、上着を脱ぐんだ」


「い、今ですか!?」


「当たり前だろう。医務室だぞ。なにもおかしいことはない」


「そうかもしれないですけど……」


 メルセはぼくの制服のシャツに手を伸ばす。

 ひとつひとつボタンをはずし、現れたぼくの胸板を、彼女の手袋越しの手が、そっと撫でていく。

 くすぐったいやら恥ずかしいやらで心拍数が上がる。

 彼女にも悟られたかもしれない。


「……ふむ、確かに大丈夫そうだな」


 メルセは安堵、というよりは満足した様子でぼくから離れた。


「さて、シリンが起きたら、色々と事情を聴く必要があるだろう」


「……そうですね」


「少しだけ、彼女を見てくれるか? 経過を学園長――いや、元学園長たちに報告しておかねばならない」


「はい。わかりました」


 ぼくは頷き、彼女の背中を見送った。

 だが途中で、メルセがこちらを振り返った。


「――ああ、そうだ。忘れていたが……」


「なんです?」


「君は、とても勇敢だったぞ。正直に言うと……見直した」


「えっ……」


「君との婚約は親の決めたものだったが……案外、悪くないのかもしれないな」


「ええっ!?」


 彼女の予想外の言葉に、ぼくはさらに気が動転した。

 それはつまり、もしかして……。


「ふふっ、まだわからないぞ」


 メルセはからかうような微笑みを残して去っていった。

 我ながら、まさかオネスがメルセから好意を持たれることになろうとは……。


 ぼくは複雑な思いを抱きながら、再びシリンのベッドに近づき、カーテンを開けた。


 だが、そこはもぬけの殻だった。


 一瞬、思考が停止する。

 シリンがいない? どこに――


 混乱した直後、背中に柔らかいものが押し付けられた。


「せーんぱいっ♪ つかえまちゃいました」


「え――」


 後ろから、誰がぼくの首に手をまわし、もたれかかるように抱きついた。

 だれか――そんなことはすぐにわかった。


 シリン・シェイド。さっきまでベッドの上で眠っていた少女だ。

 いったいどこをどう移動したのか、まるでわからなかった。


「そんなに驚かないでください。シリンは隠密魔術が得意なんです」


「そ……そうなんだ。あの、ところで、いったいなにを……」


「なにって、シリンを救ってくれた命の恩人に、抱き着いてるんです♪」


 ぼくは背中にあたる柔和な感触に戦慄を覚えた。制服越しに体温が伝わってくる。


「あれ? オネス先輩、なんだか耳が赤いですよ?」


「い、いいから、一旦……一旦離れよう!」


「離れた方がいいです? 残念です」


 シリンはそう言って、ようやくぼくから離れた。

 まだ心臓がどきどきしている。


「えっと……もう、起きて大丈夫なの?」


「はい、すっかり元気です。先輩方のおかげで」


「そっか……よかった。本当に……」


「……ありがとうございました。先輩がシリンを助けてくれたこと、うっすらと覚えています」


「あ、そうなんだ」


 どうやらあのときの記憶が残っていたらしい。


「だから、シリンはオネス先輩が好きになっちゃったんです」


「そうなんだ……。えぇっ!?」


 飛び上がったぼくを、シリンは可笑しそうに見つめている。

 こんな展開、まったく予想してなかった。なにせ救えるはずのなかった子だ。


「シリンには、実はまだ他にも秘密があるんですよ?」


「そ……そうなの?」


 ぼくは馬鹿正直に聞き返してしまった。


「知りたいですか? 先輩になら……教えてあげてもいいですよ」


 シリンは唇に人差し指を当て、ぐっとぼくの方に身を寄せた。

 その細い指がぼくの頬をそっとなぞる。


 魔術でもなんでもないただのその行動に、ぼくは蛇に睨まれた蛙のように、身動きひとつ取れなかった。


「お邪魔しますー。あの、オネス君いる? 医務室にいるって聞いたから、怪我でもしたんじゃないかって心配したんだけど――」


 ルッカが現れたのは、そんな最悪のタイミングだった。


 彼女の視界に、至近距離で見つめ合うぼくとシリンが入る。

 途端、今度はルッカの顔が真っ赤になった。


「ななっ!? お、オネス君! いったい……その子……なにしてるの!?」


「ちちちがうんだ! これは、その……」


「その子、予科生の子!? 年下の子になにをさせて……!」


「愛があれば、年は関係ないと思います」


「「あい!?」」


 シリンの予想外の言葉が、さらにぼくたちの混乱に拍車をかけるのだった。



 *



「スパイ……だった? この子が?」


 事情を説明していくにつれ、ルッカの表情は強張っていった。

 先ほどのあらぬ誤解は解けたものの、べつの意味で動揺を引き起こしている。


「はい、そうです。シリンはこの学園を潰す気でいました」


「どうして、そんなこと……」


「入学前、ぼくたちが学園に向かっているとき、謎の魔術師たちに襲われたよね。シリンに命令を出していたのは、奴らの親玉なんだ」


「あのテロリストの……!?」


「シリンは奴らに、無理やり従わされてたんだ。呪いの首輪を使って……。もし彼女が命令に逆らえば、命がなかった」


「……はい。でも、その首輪を、オネス先輩が壊してくれたんです」


「そ、そうだったんだ……。オネス君、すごいね……」


「いや、たいしたことは」


 例によってすごいのはぼくではなく魔術道具の方なのだが、それはさておき。


「シリンは……当然退学、ですよね?」


「え……」


「だって、シリンは皆さんを裏切っていたんですよ」


 シリンの切実な声音に、ぼくは言葉が詰まった。


「……いや、そんなことはさせない」


「え? ど、どうして……」


「悪いのはシリンじゃなくて、シリンに命令していたやつらだ。だから、君が責任を取る必要はないよ」


「オネス先輩……」


 シリンは呆然としていた。


「そっか。わたしも、オネス君の意見に賛成。同じ学園の仲間だもんね」


「うん、ぼくがなんとかするよ。幸い、今はぼくが生徒兼学園長だしね。はは……」


 あの行動が、まさかこんなところで役立つことになろうとは。

 けど、ぼくは自分の心に従っていると思う。

 原作通りの展開でなくても、ぼくは自分なりの道を選びたい。


「……ありがとうございます、オネス先輩」


 俯いたシリンの肩が震える。

 その瞳から、一筋の涙が頬を伝い落ちた。

 

 彼女の涙が収まるまで、ぼくたちはしばらく一緒に付き添っていた。

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