第12話 メルセ・オブリージュ

 とある日の放課後。


 ぼくが魔術学園の図書館で勉強していると、ルッカがやってきた。

 くすんだ赤色のローブ姿は、遠目からでもよくわかる。


「あ、オネス君。探したんだよ」


「ルッカも勉強?」


「うん。一緒にやってもいい?」


「あ、うん、もちろん」


 ぼくは若干きょどりながらも頷いた。

 しばらく、二人が本をめくる音だけが流れた。


「――オネス君」


 ふと、ルッカがぼくの名前を呼んだ。

 勉強中の彼女にしては珍しい。


「この前は……ありがとね」


「この前?」


「あの上級生たちから、ロイドを助けてくれたでしょ」


「ああ……」


 何のことかと思えば。ぼくにとってはたいしたことではない。

 そういえば、あの巨漢の上級生とこの前廊下ですれ違ったが、ぼくを見ると、まるで幽霊で見たかのように青ざめて一目散に逃げていった。


 オネスはそういう恐れられるようなキャラではないのだが……。


「わたし、オネス君と一緒のクラスになれてよかったな」


「え」


「出会ったときから、オネス君には助けられてばっかりだもん。もし、オネス君と出会えてなかったら……今頃もっと大変だったかも。……ありがとう」


 ルッカははにかむように微笑んだ。

 天使のようなその笑顔に、ぼくはどぎまぎしてしまった。

 本来それは、オネスのような金持ちの脇役キャラに向けられるものではない。


 最初はどうなるかと思ったけど、案外、オネスでいるのも悪くないのかもしれない、ぼくは思い始めていた。

 ルッカやロイドと一緒に学園生活を送れて嬉しい。

 ……と、素直に口にするのは恥ずかしい。

 せめて、ルッカのために何かしてあげられることはあるだろうか。

 だが以前も言われた通り、倹約家のルッカに高価なものをあげても喜ばないだろう。

 迷った末、ぼくはショップから、【雑貨】を選択した。


 【ありふれた羽根ペン】×1

  合計:500ゴルド


  ▼以上の商品を購入しました。またのご利用をお待ちしております。


「ルッカ、これ……」


「え?」


 ぼくは彼女に、羽根飾りで作られたペンを差し出した。


「ルッカはすごい勉強家だから。ペンは、結構使うかなって……はは……」


「オネス君……いいの?」


「もちろん」


「あ、ありがとう! 一生……大切に使うね!」


 ルッカはぼくの手を握り、大袈裟に喜んだ。

 一生というのは、ルッカが言うと冗談には聞こえない。

 その後も一緒に勉強しながら、ときおりわからないところを質問し合ったりしていると、ふとルッカが言った。


「あ、そういえば、オネス君。この学園に、秘密の地下通路があるって知ってる?」


「秘密の地下通路?」


「うん。噂なんだけどね。でね、そこがどうして秘密の場所になっているかっていうと、そこには魂を吸い取る幽霊が出るからなんだって」


「へぇ……」


 実はその噂のことは知っていた。

 ウィザアカの設定にあったからだ。

 ただ実際、秘密の地下通路は描かれることがなかっため、真偽は不明のままだった。


「秘密の地下通路か……本当にあったらいいなぁ……」


「ええっ? オネス君、どうして楽しそうなの?」


「え? いやべつに、そんなことは……」


 つい好奇心が顔に出ていたらしい。

 ルッカは誤魔化すぼくを見ながら、不思議そうに肩をすくめた。


「でもオネス君は学園長なんだから、調べようとすればわかるんじゃない?」


「いや……ぼくはただの一般生徒のつもりだから。できる限り、目立たずに平穏な学園生活を――」


『【ゲットー】クラス1年、オネス・リバーボーン。至急、生徒会室に来るように。繰り返す。【ゲットー】クラス1年、オネス……』


 校内に呼び出しの拡声音が響いた。

 ぼくは教科書を開いた姿勢のまま、固まった。


「オネス君って……やっぱり、特別だね」


 ルッカは愛らしく笑っていたが、ぼくにはあまり笑えない事態だった。


 *


「あの……お呼び、ですか。メルセ先輩」


 ぼくの目の前には、純白の手袋をして書類仕事にいそしむ上級生、メルセ・オブリージュの姿があった。


 メルセは生徒会長であり、炎系魔術の師匠階位マスターライセンスを持つ、このマグナル魔術学園でも筆頭級の魔術師だ。


 過度の綺麗好きで潔癖症でもあり、それを示すかのように、一切の無駄なく整理整頓された生徒会室は、埃ひとつ積もっていないように見えた。


「オネス・リバーボーン。いや、今は学園長だったか……」


 とんでもない状況にもかかわらず、メルセは冷静だった。


「ずいぶんと困ったことをしてくれたものだ」


「お、怒ってますか?」


 ぼくは戦々恐々として聞いた。

 なにせ、彼女は怒ると誰よりも怖い。この学園中の誰よりも。


 不潔だな。よし滅菌しよう。

 と言ってあらゆるものを塵ひとつなく燃やし尽くす。

 それがこのマグナル学園の生徒会長、メルセ・オブリージュという少女だった。


「いや……怒ってはいない。ただ、君という人物があんな行動をとるとは、予想していなかっただけだ。なにせ君は……私の婚約者だからな」


「そうですね……。え!?」


「? なにを驚いている」


 ぼくは耳を疑ったが、すぐにはっとする。


「いや……あ、そ、そうでしたね。あはは……」


 ぼくは極めて重大なことを思い出した。

 確かメルセは、オネスの婚約者だ。


 超大富豪の貴族リバーボーン家の一人息子であるオネスと、高名な魔術家系の出自であるメルセは、幼い頃から婚約が決められていた。

 ありていにいえば、お互いの両親が決めた政略結婚だ。

 だがメルセは親の決めたこの婚約を本当は嫌がっており、なんやかんやってロイドが活躍して、婚約を破棄する。それを脇役キャラであるオネスは歯ぎしりして悔しがる、それがウィザアカの本来のストーリー展開だった。


 つまり、今の時点でぼくの好感度は地の底にあるといっていい。

 つくづくオネスというは哀しい存在だった。


「できれば、これ以上の騒ぎは起こしてほしくないものだが」


「も、もちろんです」


 ぼくはがくがくと頷いた。

 メルセは内心がまったく読めない視線で、ぼくをじっくりと観察した。


「そうか。ありがとう」


 ほっとして胸をなでおろしていると、メルセがふと立ち上がった。

 こちらに近づいてくると、メルセがぐっと顔を近づけてきた。

 ぎょっとし、頬が熱くなる。


「な――なんです? メルセ先輩……」


「しっ、動くな」


 白い手袋に包まれた彼女の指先が、ぼくの肩口に触れる。

 なにが起こるのかわからず緊張と羞恥で固まっていると、メルセはゆっくりとぼくから離れた。


「糸くずがついていたぞ。焼却」


 メルセの指先が炎に包まれる。

 糸くずは閃光のように燃え上がり、一瞬で蒸発した。

 ぼくの背中から冷や汗が流れた。


「身だしなみは清潔さを維持するように。いいな?」


「は、はい……」


「それはともかく……本題だ。どうして今日、君をこの場に呼んだか、わかるか?」


「い、いえ、まったく……」


 ぼくが戦々恐々としながら答えると、彼女は不敵に微笑んだ。



「実は君に、折り入って頼みがあるんだ」


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