一 等活地獄

「――ひぃ…ひぃぎゃあぁぁぁぁーっ…!」


「うっ……す、すいません。やっぱ、もう無理です……」


 また一人、亡者が鬼の金棒に頭を潰されて脳みそが飛び散る瞬間を目の当たりにして、何か酸っぱいものの込み上げてきたわたしは口を押えると、断りを入れてからその場を逃げ出した。


 こんな残酷でスプラッターな絵面、どう考えても普通の人間には堪えられない。というか、サイコ脳か猟奇趣味の人しか受け入れられないだろう……全国の各死民課から閻魔王庁へ出向して来る者の中には、このツアーだけで壊れてしまう人もいるに違いない……。


 涙目になりながら、引率の上級獄卒のもとから離れたわたしは、ちょうど見つけた大岩の背後へ身を隠すようにして駆け込んだ。


「好きでこんな仕事始めたわけじゃないのに……ご先祖様が閻魔王庁の官吏だったっていうだけで、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのお!」


 そのまま岩陰でうずくまると、わたしは腕で顔を覆って自分のありえない運命を嘆く。


 ……だが、地獄でそんな単独行動をとり、無防備な姿を晒したことがさらなる不運を招くこととなる。


「お! こんなとこに一人隠れていやがったか……」


「……え?」


 その野太い声にふと顔を上げると、わたしの頭上には筋肉隆々の巨大な鬼が、これまた巨大な斧を振り上げてわたしのことを舌舐めずりしながら眺めている。


「亡者がいっちょ前に隠れてんじゃねえよ!」


「ま、待って! わたしは亡者じゃ…」


 とんでもない誤解をされているその状況に気づき、慌てて声をあげようとしたその瞬間、強烈な痛みと筆舌に尽くしがたい恐怖を感じながら、わたしは一面の赤い景色の中で意識を失った――。




「――おい、しっかりしろ。だいじょぶか?」


 ふと目覚めると、そんな声がすぐ近くで聞こえている……。


「……ん…んん……ここは……わたしはいったい……ひっ! きゃぁああああーっ!」


 その声にゆっくりと瞼を開け、ぼんやりと霞んでいた焦点が合って視界が鮮明になると、そこにあった牛と馬の頭をした恐ろしいバケモノの姿に、わたしは断末魔の悲鳴の如く絶叫を響き渡らせる。


「おいおい、んな叫ぶこたないだろう? 俺達だよ。見忘れたのか?」


「それとも殺されたショックで頭働かないのか? だから俺達から離れるなって言ったろ?」


 だが、そのバケモノ達はわたしを喰らうでも危害を加えるでもなく、牛馬の顔の眉間をしかめると、困ったようにそんなことを口走っている。


 ……そうだ。このバケモ…もとい、この二人はわたしの引率をしてくれている、地獄の鬼達を束ねる上級獄卒の牛頭ごずさんと馬頭めずさんだった。いわば部・課長のような中間管理職。けっこう偉いのだ。


「……そっか、わたし、あの鬼に殺されて……ええっ!? 殺された!? じゃ、じゃあ、わたしも今や亡者!?」


 二人の声で我に返り、自分の身に起きたことも思い出すわたしだったが、今度はその衝撃的な事実にまたしても大声をあげて慌てふためいてしまう。


「安心しろ。すぐに生き返った。だからまだ生者のままだ」


「よかったなあ、ここが地獄で。特に〝等活地獄〟は死んでもまた殺すためにすぐ生き返らせるようにしてある。でなきゃおめえ、ほんとに亡者の仲間入りだったかもしれねえぞ?」


 そんなわたしを、牛頭さんと馬頭さんは気さくなオジサンのような口調で落ち着かせようとしてくれる……もう、その顔からしてかなり恐いのだが、見た目に反してじつはいい人達なのだ。


「え!? え!? 生き返った!? ……ハァ~…なんか複雑だけど、確かに地獄でよかったあ……」


 その言葉に自分の身体をあちこち触りまくり、まだ生きてることを確認したわたしは、正直、いろいろ思うところはあったものの、とりあえずは安堵の溜息を吐いた。


 そう……二人が言うように地獄では、終わることのない苦しみを亡者に与える目的で、何度死んでも生き返るようなシステムになっているのだ。


 殊にここ、八大地獄の一番目〝等活地獄〟は、殺生の罪を犯した者が落とされる場所であり、亡者同士で殺し合ったり、獄卒に殺されたりする刑が科されるため、なおのことすぐ生き返らせてくれるのである。


「ま、これで身をもって等活地獄のなんたるかがわかったろう? んじゃ、次の地獄へ行ってみようか」


「これに懲りて、もう勝手にウロチョロすんじゃねえぞ?」


「は、はい! もう絶対! …ってか、なら、ちょっと待ってくださいよ!」


 辛くも亡者を苦しめるためのシステムに命を救われたわたしは、首をブンブン振って大きく頷くと、さっさと先を急ぐ牛頭馬頭コンビの後を慌てて追いかけた――。

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