第47話 一歩

 体が軽い、浮いているような感覚。



 私は今、眠っているのか。それとも、起きているのか。

 目を開けているのか、開けていないのか。


 目の前は真っ暗、何も無い。何も、見えない。


 私は何をしていたんだろう。ここで、何をしていたんだろう。


 ──……


 ん? 声? どこから。


 ──さえ。──この──


 なに、女の人? 一体、何を話してるの? いや、話していると言うより、叫んでる? 誰に、何を叫んでいるの?


 あな──この──


 聞こえない。いや、聞こえにくい。なに、聞こえない。


 もっと、耳を澄ませば──……





 あ な た さ え い な け れ ば






「うわぁぁぁああああ!!!!!!」


 はぁ、はぁ。な、なに。今の……。女の人の顔。すごく歪んでいて、憎いんでいて……。今のは、誰?


「どうした」

「…………は、らさん?」


 隣のベッドには、幡羅さんが手に本を持って座ってる。少し驚いた顔だ。私が叫びながら飛び起きたからだろうな。少しだけ、喉が痛い。


「悪夢でも見たか」

「……ま、まぁ。そんなところです。ところで、ここは……?」


 妖雲堂の安静室ではない気がする、高級感が違うし。

 真っ白な部屋。ベッドが複数あるわけじゃなくて、私と幡羅さんの二つ分。壁側には何もない。薬の棚とかあってもいいような気はするけど。


「あの、ここは……」

「お前らの呼び方に合わせるのなら、妖裁堂の安静室だ」

「そうなんですか」


 目が合わない。最初、私が飛び起きた時。声をかけてくれた時にこっちを向いてくれたけど、それ以降はずっと手元にある本ばかり。いつもの覇気がない。傷が痛むのかな。少しはだけてしまっている胸元から包帯が見える。まだ痛そう。


「怪我、大丈夫ですか」

「もう治りかけだ、痛みはない」

「そうですか……ん? 治りかけ? あの、あれから何日経ったんですか」

「まだ一週間くらいだ」

「一週間くらいであの怪我が治りかけ?」

「あぁ」


 いやいや、ありえないでしょう。あれは正直、死んでもおかしくないくらいの怪我だったと思うんだけど。


 あれ、そういえば……。


「あの、幡羅さん。美輝みきさんはどちらに? 違う部屋ですか?」


 あれ、幡羅さん。今、一瞬肩跳ねた?


 なんか、嫌な予感がする。幡羅さんも、本を捲る手を止めてしまったし……。

 自然と汗が流れる、身体が震える。聞いてはいけない。頭に警告音が響く。


風織かおりは――……


 ――――ドクン


 そ、んな。あの、美輝さん、が? う、そ……。


 ありえない、ありえない。だって、美輝さんは妖裁級。妖殺隊の最後の砦で、一番強くて。そんな人が死ぬなんて、ありえない。ありえていいわけがない。


「落ち込んでいる暇はないぞ」

「え」

「俺達は誰が死のうと、何人の仲間を失おうと、前に進まなければならねぇ。俺達には、止まっている時間はねぇんだよ」


 本が閉じる音が響く。幡羅さんの声はいつもと変わらない。淡々と、話してる。いや、淡々と話すように努めているのかもしれない。



 幡羅さんと美輝さんがどのくらいの付き合いかわからないけど、すごく仲が良かったように見えた。

 お互い信頼しあっていて、背中を任せられる仲。そんな人、そう簡単に見つけられるわけない。

 自分の半身がなくなったような。そんな感じじゃないのかな。私の場合は、彰一がいなくなってしまったような、そんな感じ。


「…………だが、まぁ。そうだな。今だけなら、立ち止まってもいいだろうな」


 え、何を言っているの? って、あれ。視界が歪む。あ……、かけ布団が、濡れて……。


「我慢したところで前に進めるかわからん。逆に立ち止まっちまう可能性がある。だから、今だけは、思いっきり感情を出せ。どうせ、誰もいねぇよ」


 やめてよ。いつも見たいに小馬鹿にするようなことを言ってよ。優しくしないで。

 そんなことを言われたら――……


「ひっ……う……。っ……う……」


 この時、隣に幡羅さんが居たにも関わらず、子供のように声を上げて泣いてしまった。

 幡羅さんがどんな思いでいたのかわからないけど、優しく撫でてくれていた感触はきっと、これからも忘れないだろう。

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