第8話 師匠と弟子から

 良い子が寝静まる直前。


 夜の九時頃に、俺は自分の部屋の玄関の扉を、仁王立ちで睨み続けていた。

 心の準備をするためこのポーズを始めて約一分。


 約束の時間まであと三十秒ほど。


 手元のスマホで見ていた生放送が終了したことを確認して、俺は再び腕を組む。

 精神統一……精神統一……。


【ピンポーンピンポーンピンポーン】


「……入れ!」

「先輩!!!」

「止まれ!」


 スマホの時計が20:59から21:00に変わったであろう瞬間に、怒涛の勢いで今日の対戦者は部屋に入ってくる。


 その対戦者の名前は八坂すみれ。俺の天敵。


 何もなければ絶対に部屋に入れることなどない。しかし今日は特別。

 八坂のために、不用心に鍵を開けて俺は待っていた。


「絶対に靴は脱ぐなよ。……そして、この部屋は土足厳禁だ」

「……先輩」

「なんだ」

「なんでそんなに遠いんですか……?」


 玄関に立った八坂は、玄関の正面にある扉を開けたさらに先の壁に背中をくっつけて立つ俺の向かって言った。


 若干聞こえにくい。


「今日は話すだけだ。これ以上近づく必要がどこにある」

「聞こえにくくないですか?」

「……仕方がない」


 まったく……わがままな奴だ。


 クレームを付けてきた八坂のために、俺は今いる部屋の扉のところまで前進した。

 常識的な範囲の距離にはなった。


「それで闇也先輩! 今日は話があるって聞いたんですけど!」

「そうだ」

「本当ですよね!?」

「そうだ」

「やったー! ありがとうございます!」

「……お前、何か勘違いしてね?」


 あれ、話があるって言うだけでこんなに人って喜ぶもんだっけ。

 俺が話すこと自体珍しいからか?


「言っとくけどそんな喜ぶことじゃないぞ」

「だって!」

「うん」

「先輩が言ったんじゃないですか!」

「うん?」

「『話がある』って!」

「うん」

「ほら!」

「……うん?」


 これ今翻訳失敗してる感じ?

 真面目な話をしにきたはずなのにテンションの差が凄いんだけど。


「ちなみに今どういう話をすると思ってる?」

「いや先輩!」

「うん」

「異性が異性に『話がある』って言ったら!」

「うん」

「あぁ……! 嬉しいです先輩!」

「一人で盛り上がって勝手に近づいてこようとするんじゃねぇ!」


 靴は脱がずに這って進もうとするな!


 ダメだこいつ……やっぱり化け物だったか……?

 いや、今の行動はどちらかというと妖怪だったか……?


「だから! 話を聞け! ……俺が話すのはそういうのじゃなくて……わりと、真面目な話だ」

「…………」


 そう言うと、散々盛り上がっていた八坂は表情を戻して、靴を脱いで玄関マットの上に正座する。


「……いや地味に靴脱ぐなよ」

「真面目な話ならちゃんと聞かないといけないので」

「はぁ……聞く気があるなら、最後までそれで聞いてくれよ」


 俺は別に「付き合えない」の一言で終わらせてもいいんだ。

 ただ、それだと八坂が納得できないだろうから……一応、話すことは決めてきた。


「まず……確認したいんだけど」

「はい」

「八坂は、まだ俺のことが好きって認識でいいのか」

「当然です」

「告白もされたって認識でいいのか」

「しました」

「……了解」


 もし、既に八坂の気が変わってたら恥ずかしい、なんて気持ちのために確認したけど、八坂には聞くまでもない質問だったらしい。


 それなら、これから何の心配もなく話せる。


「じゃあ、告白の返事だけど」

「ぇあっ……はい」

「俺は八坂とは付き合わない」


 告白の返事だと言った瞬間、普通の女の子のように八坂は緊張を見せた気がした。

 だけど、その表情はすぐに俯いて見えなくなった。


 ちゃんと顔を合わせて話すためにこの場所を選んだはずなのに、そんな八坂の反応を見るのが怖くて、俺はすぐに次の言葉を探す。


「いや……八坂とは、というか……俺は今、多分誰とも付き合わない」

「…………」

「元々俺は人見知りだし、人と関わるのも嫌いだし……俺に今一番大事なのは、闇也としてネットで人気になって、ずっと一人で生活できるようになることだ」

「…………」

「それで考えると……変な噂が立つのはマイナスだし……というか、八坂にもよくないし。だから俺は、付き合うとかはできない、んだけど」

「…………」


 俯いた八坂から返事はない。


 俺の中の体温が、一気に下がっていく感じがする。

 別に俺は八坂を悲しませたいわけじゃなかった。


 八坂のことは苦手だ。苦手だけど、それで言うと、俺は全人類が苦手だし、八坂のことが特別嫌いなわけじゃない。


 親の仇でもない相手が俺のせいで悲しんだかもしれない事実は、人と関わることのない人見知りには重たい。


 だから嫌だったんだ。ちゃんと話そうとしたって、付き合えないなんて直接伝えたら誰だってこうなるに決まって――


「私、頑張ります!」

「…………ん?」


 え、なに。


 誰か俺達の会話スキップした?


 めちゃくちゃ落ち込んでるんだろうなと思ってたら急にめっちゃ元気そうな声が聞こえたんだけど。


「私、世界一のVtuberになります!」

「……え、今何の話してる?」

「私が世界一のVtuberになるという話です」

「ああ、そう」


 俺のしようとしてた話はいつの間にか過去のものになってたのか。


「一応聞きたいんだけど」

「はい?」

「俺八坂とは付き合えないって部分、聞こえてた?」

「はい」

「落ち込んでた?」

「落ち込み終わったところです」

「早くない?」


 今八坂が話し出すまで三十秒くらいじゃなかった?

 失恋ってそんな一瞬で立ち直れるんだ。知らなかった。


「一応お姉ちゃんから何となく話は聞かされて、覚悟はしてたので」

「ああ、なんだ。風無からも聞いてたのか」

「その時は『余計なこと言わないで』って言っておきました」

「えぇ……」


 可哀想。シスコンなのに。


 ……ということは、八坂は大体察してた上であのテンションで入ってきたのかよ。メンタルまで化け物か。


「……じゃあ、今してる話はなんなんだ?」

「闇也先輩の彼女に相応しい女性になるために私が世界一のVtuberになるという話です」

「そんな会話の流れどっかにあった?」


 その話確実に今急に湧き出てきたよね?


 俺、八坂がVtuberとして人気じゃないから付き合えないとか言ったっけ? 思ってもいないのに口に出してた?


「闇也先輩は人気になって、ずっとVtuberとして生活していきたいんですよね?」

「そうだな」

「そのために今私が彼女になると変な噂が立つの困るんですよね?」

「そうだな」

「なら私が人気になれば全て解決します」

「なんで?」


 どうしてそんなに自信満々に話せるの?


「確かに今の私と闇也先輩が付き合い始めたら主に私が反感を買うと思いますし闇也先輩も新人に食いついたみたいな印象になると思います」

「お、おう」

「でも私が闇也先輩を超えるくらい大きくなった後ならその心配はありません。Vtuberの大物同士の恋人となれば皆盛り上がること間違いなしです。いっそカップルチャンネルを作れば闇也先輩の生活ももっと安定すると思います」

「いや確かに今よりはマシかもしれないけどその根拠は――」

「さらに、私が闇也先輩より大きなVtuberになることで最悪の場合私が闇也先輩を養うことも可能になります。闇也先輩の人気がなくなるなんてことがあるとは思えないですけど、闇也先輩一人から、同じくらいの人気の私という保険ができれば闇也先輩の生活も安定すると思います」

「いや保険になるとしても二人で同じ業界の同じ会社っていうのはリスクしか――」

「つまり! 私がVtuberとして成長できれば! 闇也先輩にはメリットしかないということです! どうですか! こう見ると私は魅力的だと思いませんか!」

「俺の声は聞こえてないのか……?」


 自信満々なところ悪いけどその理論も穴だらけだし。


「ということで私が人気になれば先輩の生活安定度は何倍にも膨れ上がり! 何不自由ない未来が私達を待っています!」

「いや……」

「どうですか先輩! 私は既に事務所に入ってVtuberにもなっています! 魅力的だと思いませんか!?」

「……ここで魅力的だからそうしようって言われたらお前はどういう気持ちになるんだよ」

「普通に喜びます」


 なんて残念な奴なんだ……。


 八坂の提案は完全に俺をヒモにしようとしてるし、まだ女子高生なのにそんなこと考えてヒモを飼おうとする八坂が普通に心配になったりもするんだけど。


 ただ今は、告白を断らなきゃいけない相手が、八坂で良かったという気持ちが強かった。

 こいつじゃなかったら、多分こんな明るい展開にはならなかっただろうし。


「ということで闇也先輩」

「……ん、なんだ」

「私を弟子にしてください」

「え、そこで俺頼んの?」


 俺と付き合うために人気になるって言ってたのに? フッた直後の俺に頼むの?


「いや……師匠なら別に俺にする必要ないだろ……」

「だって私ほとんど闇也先輩の配信しか見てないんですよ!? 先輩に見捨てられたらどういう面白さを目指せばいいのかもわからなくなるんですよ!? 絶対迷走しますよ!? 闇也先輩は可愛い後輩を見捨てるんですか!?」

「急に脅す路線に変えるな」


 まあ、八坂が俺目指してそうなのは薄々感じてたけどさ……。


「大体……俺なんて何も考えてない奴師匠にして何になるんだよ」

「闇也先輩は人気になる方法を自然に知ってるので大丈夫です。私はただただ闇也先輩のアドバイス通りに動きます。闇也先輩の操り人形になります」

「面倒くさいから嫌なんだけど」

「ある程度自動で育ちますから! 一週間くらいなら水あげなくても大丈夫ですから!」

「観葉植物かよ……」


 ……今更ながら、告白を断ろうとしただけで、どうやってこの状況になったのか全くわからないけど。

 俺に話したいことがあったように、八坂にも話したいことがあったんだろうな。


 俺の目的は一人で過ごすようになること。

 そして、八坂の目的は多分、どういう手段でもいいから俺に近づくこと。


 最初から真っ向から目的が対立してるんだから、大人しく話し合いが終わってくれるはずはないか。


 本来ならこの馬鹿な提案も跳ね除けるところだけど……どっかでどっちかが妥協しないと、話し合いの意味はないんだろうしな。


「はあ……まあ、Vtuber活動を手伝うだけなら、別にいいけどさ……」

「なんでダメなんですか!? お願いします! 迷惑は掛けませんから!」

「いや今別にいいかなって言ってやったんだよ!」

「え?」


 なんでここで急に察しが悪くなるのか小一時間問い詰めたいところだけど。

 そうすると決めたなら、俺はすぐ伝えてすぐにこの話し合いも終わらせたい。


「だから……八坂のVtuberの活動については、手伝ってやるって」

「えっ……本当ですか? やったー!」

「正座のままこっちくんな!」


 今日一日で新手の妖怪みたいな動き次々作り出すな!


「はあ……言っとくけど、迷惑なことしてきたらこの話はナシだし、手伝うのは、Vtuberの活動だけだからな」

「大丈夫です! 絶対に迷惑はかけません!」

「信用できない絶対だな……」


 そもそも、真城さんが言うには俺と八坂じゃ迷惑の基準が違うらしいし。


 ……まあ、告白は断ったし、関わるのもVtuberの部分だけって制限ができたなら、だいぶマシにはなるか。


 少なくとも、俺の部屋らくえんの安寧を破ったら師匠はやめるって交換条件は突きつけられるだろうし。


「とにかく……そういうことだから、今日の話は、終わりだな」

「はい! あ、じゃあ記念にゲーム実況のコツとか教えてくださいよ! 闇也先輩の部屋の機材も見たいです!」

「いや待てよ。それ以上入るなよ。その先は迷惑の領域だからな」

「部屋がダメなら会話だけでもいいです! あ、ゲームの中で教えて下さい! 私も早くFPSでバンバンキル取るかっこいい配信できるようになりたいです!」

「いや俺今日この後……」

「お願いします!」

「いや……」


 ――この時点で、恐らく『迷惑はかけない』という約束は八坂には守れなさそうなことを察しながら。


 俺はこの日から、新人Vtuber八坂すみれの師匠になったのだった。




 そして後日。


「……なに盛り上がってんだこいつら」


 何となくツイッターを覗いていると俺の話題で何やら盛り上がってる人種がいたから、気になって何の話の最中か辿ってみる。


 すると、盛り上がってる連中が「師匠」とか「弟子」とか言ってるのと一緒に、八坂の配信を切り抜いた動画がツイッター上で見つかる。


 既に舌打ちしそうになりながら動画を再生。


『闇也先輩と? いやぁ順調も順調で! 最近先輩が私の師匠になってもらうっていう――……あっ』


 反応を見ると『普通に仲良くなってたわ』『「あっ」が完全に素』『言うなって言われてたんやろなぁ』『闇也、裏ではちゃんとフォローしてたんだ』と、俺と八坂は実は普通に仲が良いけど、俺が仲悪いフリしたがってた、みたいな流れになってる。


 俺が何言っても「はいはいw」で終わりそうな雰囲気。


「ふぅ……」


 迷惑なことはしない……迷惑なことはしない……迷惑なことはしない、ねぇ……。


「……あいつあああああああああああああああ!」


 俺の慟哭が隣の部屋まで届いたかはわからないけど、その日、八坂は『一緒に釈明配信をしませんか?』とツイッターから俺に提案してきた。


 当然、するかバカ、と返しておいた。

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