月の監視塔【ウォッチタワー】

鐘方天音

月の監視塔【ウォッチタワー】

 ここから、月の裏側は見えない。物理的に不可能なのは当然であり、むしろ大きな蒼い星――地球の方がよく見えるくらいである。

 月の表側は、今まさに表面上では繁栄を極めていた。15年前から地球との関係改善に伴い、輸出入が増加し物資が潤い、生活の質が向上した為である。月の政府は、月の民に向けて、

『今や月の文明は、地球を遥かに凌いでいる』

 と、喧伝したのは約10年前のことであった。確かに、技術や科学、そして経済面でも月は地球よりも一歩リードしている情勢である。しかし、それは月の民の大半の幸福を切り捨てて成り立っているものであり、皆がそのことに気が付いてはいても、見て見ぬ振りをしているのであった。


                 ◆


 月の中心、第一クレーターにある政府中枢の象徴である“プロトポロス・タワー”がよく見える場所――その一つが監視塔〈ウォッチタワー〉である。月の表側におよそ25ヵ所立てられており、その役目は文字通り月の政府が市民を見張る為の施設である。

月では市民が一等から三等までのランクがあり、一等に近付くほど富と権力を持つ。三等もしくは存在しないことにされている三等以下の市民は、一等市民と接触してはいけない法律がある。他にも厳格なルールが一等市民から三等市民に等しく敷かれているが、とにかく異なる階級の市民同士の接触を見張るのが憲兵隊の仕事の一つであった。


 監視塔は憲兵隊の駐留所にもなっている。“プロトポロス・タワー”に近い第5号基の監視塔に、一人の少女・ライカが配属された。

ライカは新人憲兵であり、二等出身である。実際、二等以上でなければまず軍事学校に入ることすら出来ない。ライカは奨学金を受けて、何とか学校を卒業して憲兵となった。憲兵になった理由はただ一つ。二等から一等市民に昇格する為である。軍に入り、一定の功績を上げれば一等に昇格出来る可能性は高いからだ。ライカの同期も、似たような理由で軍に入った者が多くいた。そのためか、ライカは自分自身も周囲も、入隊してからどこか毎日ピリピリしている空気がある。皆少しでも手柄を挙げる為に、監視塔の至る所にある街中の様子を移したモニターを睨んだり、出動を報せる腕時計型のレーダーをやたらと気にしていたりした。市中を見回るパトロールでは、更に気を張って些細なことにも神経を尖らせている始末である。一日一日が終わる度に、ライカの溜め息は増えていた。


                 ◆


「ライカ、ライカ!」

 朝のパトロールを終えたあと、ライカが塔内の休憩室でソファーに座り、ぼうっとしていると、自分を呼ぶ声が耳に入って来た。はっとしながら声のした方を見ると、呆れ顔の同期兼友人のローリエが、傍で仁王立ちをしていた。

「あ、ごめん。なに?」

 ライカは少し抜けた声で尋ねた。

「なに? じゃないわよ。シミュレーションルームで一緒にトレーニングするって約束してたでしょ!」

「あ、そうだった…ごめん」

 ライカは約束を思い出して謝罪した。――ローリエは見目麗しいが、短気な所がある少女である。第4世代の特徴である二色ある虹彩の色は、オレンジとヘーゼルであった。一方ライカは、紫と金の二色であり、ローリエからは“宝石のアメトリンのようだ”と褒められてからは、特に気にしていなかった自分の少し眠たそうな目が好きになった。

「まったく…疲れてんの?」

「ううん。…うん、そうかも」

 軍事学校時代から付き合いであるローリエは嘘を見抜くことが得意であることを思い出し、すぐに本当のことを話した。

「そう。…まあ入ったばっかりだから慣れないことが沢山あって疲れるのは当然だけどね」

 ローリエはそう話しながら、ライカの隣に腰掛けた。

「私もそう思ってるよ。でも、それとも違うものがあるっていうか…」

「違うもの? …まあアタシも何となく心当たりはあるけどさ」

 ローリエとライカは、同時に白い壁に掛かっているモニターに目を向けた。そのモニターにも、まるで娯楽番組のように市民たちの様子が映し出されている。

――月の市民には生れたときから、体内にIDチップを埋め込むことを強制されている。そこには当然、個人の等級も刻み込まれており、憲兵たちや街中のセンサーは、それで市民たちの等級を見分けていた。――憲兵隊に入る前から、ライカは自分も含めて市民が監視されていることには気付いていたが、まさかここまで執拗なものだとは思わなかった。「新人だけならともかく、まさか先輩たちまで常にピリついてるとは思わなかったよ。そりゃ、入隊する理由は同じだからそうなるのは分かるんだけどさ」

「うん…。憲兵隊の皆は、今までどうやって過ごして来たのかな」

 ローリエの言葉に対し、ライカは問いで返した。

「さあね、やっぱ我慢でしょ。そもそもアタシたちに選択の余地なんてないじゃない。こっから這い上がっていく為に憲兵隊にいるんだから」

「そう、だよね……」

 大して解決策になっていない答えにライカは内心落胆したが、ローリエの言うことは実際、真実であった。生まれたときから等級に縛られ、余程の運と努力や人脈がない限り、一生をその等級で終え、子供のそのまた子供も、そうなっていくのだ。


――ライカは幼い頃、一度自分の置かれた環境に疑問を持ったことがあった。一等級の子供たちはいつも新しいおもちゃを買って貰っていて、その親もいつも身綺麗で高い服やアクセサリーを身に着けていた。その一方で、大通りから少し離れた路地を見ると、道に転がるように眠っている人や、虚ろな目をして座り込む人、時々物やお金を恵んでくれるように近付くボロボロの身なりの人々がいた。その人達を見かける度にライカの両親は、ライカを無理矢理遠ざけた。後にライカは、そのボロボロの人たちが三等市民であることを知った。そして、ライカは思わず訊いてしまったのだ。

『ねえママ、どうして一等の子たちはお金持ちなのに、三等の子たちは貧乏なの? 何でわたしは一等じゃないの?』

そう尋ねた瞬間、ライカの母は家庭用モニターから視線をライカに向け、真っ青な顔になる。そして、いきなりライカの小さい肩を力強く掴んだ。ライカは突然のことに吃驚して泣き出しそうになる。

『いい? ライカ。そんなことはこれから絶対、お外で話しちゃダメよ!? もし誰かに聞かれたら、怖い人たちに知らないところへ連れて行かれちゃうからね! だから、もうそんなことは話さないって約束して!』

『う、うん…わかった…』

 母の鬼のような形相に、ライカは恐ろしくてただ首肯するしかなかった。そしてそれ以来、今の月の市民の状況について不思議に思うことがあっても、決して口にはしなくなった。――


                 ◆


 休憩室のモニターには、憲兵隊や政府に監視されていることを知ってか知らずか、白とメタリックブルーが特徴的な均一化された街で、老若男女が様々なことをしている様子を映している。道路には月面浮遊車が行き交い、歩道側に並ぶ店先では、案内用ロボットが客の呼び込みをしている。一見すれば平和で、皆豊かな生活を送っているように見えた。

ふと、そこに憲兵隊の目印でもある青色の制服を着た人間たちが映り込む。ライカたちと交代したパトロールの面々である。その瞬間、楽しげにしていた人々の空気が一変してぎこちないものとなった。何も法に触れることをしていなくても、市民の態度は一気に恐怖へと変わってしまう。それが憲兵という存在である。ライカもパトロール中に市民の表情を見ているが、常に強張ったものであった。

「…それで、どうすんの? 一緒にトレーニングするの?」

 ローリエの声で、ライカの意識はモニターから離れる。ローリエは立ち上がり、ライカに答えを促した。

「……うん、するよ」

 ライカもローリエに続いて立ち上がり、休憩室を後にしようとする。すると、突然耳をつんざくようなアラート音が鳴り響いた。ライカとローリエは驚いて手首のレーダーを確認する。だが、二人のレーダーに反応は無かった。

「ややこしいなあ」

 そう言いながらローリエはモニターを見た。ライカもモニターに目を遣ると、アラーとの発信元はモニターに映る仲間の憲兵たちのものであった。

 ライカは気になり、モニターへと近付く。よく見てみると、憲兵たちは一人の少女を取り押さえていた。銃口を向けられ、地面に身体を押さえつけられているにもかかわらず、抵抗を止めずに暴れている。髪はボサボサで、所々シミや穴の開いた服を身に着けていることから、すぐに三等市民であることと、顔立ちからライカたちと同じくらいの歳であることも分かった。少女は何か喚き散らしており、その声を聞こうとライカは耳を澄ました。

〈…てめぇら目ぇ覚ませよ! こんなクソみたいな場所の、クソみたいな仕事して、クソみたいな一生送っても良いのかよ!? クソッ! どいつもこいつも地獄に堕ちろ!!〉

 少女はそこまで叫んだところで、唐突に地面に顔を伏せて沈黙した。ライカは少女の身に何が起こったのか分からない。

「あー、こりゃ麻酔打たれたか。一番酷い牢に入れられるんだろうけど…。三等市民なら今までとそう変わらないか。むしろ、屋根が付いて食事が出る分、檻の中の方がまだマシかもね」

 ローリエは呑気な調子でモニターを見てそう言い放った。ライカは瞬間、ローリエに対して腹立だしさを覚えたが、すぐに抑える。ローリエは当たり前のことを言っただけなのだ。なのに、ライカは何故かローリエの言葉に反発してしまった。ライカはそんな自分自身に驚いていた。

「…ライカ、どうしたの? 早くトレーニングに行くよ」

「あ……うん」

 ローリエは何事もなかったかのようにライカを呼ぶ。ライカは動揺を抱えながらも、ローリエにただ黙って付いて行くしかなかった。


                 ◆


 後日、ライカはあのモニター越しに見た少女について詳細を知ることが出来た。少女は実は二等出身、元憲兵隊の隊員だったのである。彼女は入隊当初こそ真面目に勤務していたが、暫くして小さな隊律違反を重ねていき、とうとう除隊処分にされた上に、何故か二等から三等へ降格されたのである。その理由について公式の情報では伏せられているが、噂では彼女が国家叛逆罪に該当する行為をしていたのではないか、と出回っていた。

 ライカはその事実を知ってゾッとした。少女がライカと似たような境遇であることもそうだが、少女の心変わりとその顛末について、ライカ自身にも思い当たることがあったからである。少女のことがなければ、ライカが少女のようになっていた可能性もあるのだ。そして仮に、少女のようになったとしても、決して国家権力に敵うことはなく、つらく苦しい人生が待っていることを思い知らされたのだ。

 ライカは今日も憲兵隊の任務に当たる。だが、街から、そして監視塔の窓から見える“プロトポロス・タワー”を見る度に、ライカは言いようのない、くすんだ虚無感に襲われるのであった。


                                 ―了―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月の監視塔【ウォッチタワー】 鐘方天音 @keronvillage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説