第15話 あと、礼儀

 たどりついた駅の自転車置場には、まばらに自転車が置かれていた。

「あと、礼儀れいせつを重んじる人物だってのも重要だよな」

礼儀れいせつ?」

「まあ、それも一種の信じ方、だけど。あやかしと人間は、互いの了承のもとにしか関係を結べない。なんにも思わないし、信じもしない人間が油揚げを持ってきたって、よろこぶのはカラスだけさ」


 シオは自分の自転車の横に立ち、前カゴにお面を置いた。

 その無造作な態度に千颯ちはやはとつぜん、怒りがわいてくるのを感じた。


「だったら、最初からそう言えばいいだろ! そんな、キツネのふりなんかして!」


 真剣に訴える千颯ちはやを見て、シオは笑った。


「悪かったよ。眠ってるとこ起こして」

「ち、ちがうよ、そこじゃない!」

「窓叩いたことか?」

 心の底から不思議だという表情で、シオは聞いた。


「ちがう、ちがうよ、僕をだましたことだ。なんでそんな肝心なところがわからないんだよ! やることが決まってたんなら、い、言えばよかっただろう! 紙垂しでだって、破ったのが悪いことみたいに言ったくせに、わ、わざと破らせて、僕をびびらせて、そそ、そういうの卑怯じゃないか。僕が悪いみたいに言って!」

「まっすぐ伝えてうまくいくならそうするさ。俺だって夜は寝たい。でもさ、今夜のは使命感がキモだったから、千颯ちはや様に妙な好奇心とか探究心を持たれちゃ、うまく行かなかったよ」

「そ、それなら、自分でやればいいだろ。きみだって、見えるんだから」

「あー、だめだめ、俺、薄揚げキライなんだよ」


「は?」


 予想外の返答に、千颯ちはやは苦いものを口に入れたような顔になった。


「食べるわけじゃないんだから、そんな、好き嫌いの問題じゃ」

「無理無理。あんなスカスカな食べ物、見るのもゾッとするね」

 問答無用もんどうむようの真実を告げるような態度に、千颯ちはやもそれ以上追及する気になれなかった。


「…往還おうかん山に連れて行ったのも、最初からこうするためだったわけ?」

「ご名答。そうかっかするなよ。おキツネ様だって千颯ちはや様に感謝してるだろうし、そのご加護が、いつか思わぬ形でめぐってくることもありえるよ」

 千颯ちはやはうつむき、ふう、と息を吐いた。それから「千颯ちはや様」という呼び方は馬鹿にされて聞こえるからやめてくれと頼んだ。これにはシオも素直にうなずいた。


「あ、あとさ、靴のことも嘘だから」

 はシオは千颯ちはやの足を指でさした。

「え?」

「昨日さ、放課後に待ってるあいだに調べたんだ。見た目で新品ってのはわかったからね。靴底を確かめると、溝のあいだが黒く塗られてた。知らないだろ? 夕刻に下駄げたをおろすときは、底にすみか灰を塗るって」

 千颯ちはやは首を横に振った。


「うん。それでこう推理した。千颯ちはやの身近には伝統に敬意けいいを払える人物がいる。家族だろう。両親のどちらか、それとも祖父母か。この季節の新品だから進級祝い。親なら一緒に暮らしているのだから、朝に靴を出すよう注意すれば事足りる。ということは祖父母からの贈り物か。遠方に住んでるのかな。夕方におろす可能性を考慮して、靴底にすみほどこしておいた。そう考えて、裏山で鳥居をくぐったときに、ちょっとカマをかけた。案の定、夕方に新品を履いてしまったことを白状した。それで筋書きができあがった。嫁入りの手伝いにはもってこいの人物、ってわけだ」


 確かに、靴は祖母にもらったものだった。

 遠方ではなく、電車で二駅のところに暮らしているが、シオには黙っておいた。

 シオは自分の自転車にまたがり、じゃあな、と帰っていった。





 自宅に帰りついたあと、千颯ちはやはなかなか寝つけなかった。

 ベッドに入って五分と待たずに起きあがり、毛布をマントのように肩にかけ、学習机の前にあった椅子を窓辺に移動させると、カーテンを開け、座って外を見た。

 川の向こう岸を、宴会帰りのキツネたちが通らないかと期待しながら。

 しかし、夜の川べりには、キツネはおろか、人も、車も、鳥の一羽も通らなかった。

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