流星ブレーンバスター

小林猫太

流星ブレーンバスター


「このままだと地球は滅亡します」

 男はきっぱりと言った。僕は飲みかけたジンジャーエールを吹き出しそうになる。

「はあ?」

 思わず間抜けな声が出た。


          ☆


 ツイッターのプロフィールに「アルファ・ケンタウリ星系出身」と書いたのには深い理由などあるはずがなく、言ってしまえば浅い理由すらない。ネットの上くらいはちょっと変わった人間だと思われたい、というような歪んだ自意識は否定できないとはいえ、ざっくり「宇宙人」なんて書いたらガチのヤバい奴の匂いが漂いそうだし、まあアルファ・ケンタウリは太陽系からもっとも近い恒星だから冗談の中にも一厘のリアリティというか、それ以前の問題として僕は肩書きになるような地位も特技も思想も趣味も何ひとつ持ち合わせてはいないのだった。とはいえそれはそれでリアリティが希薄な話ではある。

 考えてみれば僕の希薄な現実感は物心ついた頃には既にあって、幼稚園でたわいもない遊びにはしゃぎまわっている仲間を冷ややかに見ながら、自分は彼らとは根本的に違うのだろうと思っていた。知識が増えるにつれてひょっとすると自分は普通の人間じゃなく、例えば異星人だったりするんじゃないかと思うようになった。今にして思えばそれは確立する前の不安定な自意識からくる認識のズレだったのだろうけれど、他人とはどこか違うのだという意識はその後もずっとあって、始めて健康診断でレントゲン撮影をした時などは、異常なしの結果に安堵よりも軽い失望を感じたものだった。

 そんなわけで、というわけではないのだが、とにかく僕はプロフィールになんのてらいもなく「アルファ・ケンタウリ星系出身」などと書いてしまったわけなのである。それでも毎日くだらないネタなどを呟いたり、面白い奴をフォローしたりしていればおのずとフォロワーも増えるわけで、ある日「直接会って話がしたい」という奴が現れた。DMを送ってきたのは『惑星ユゴスよりの者』というアカウントだった。気持ち悪いのと胡散臭いのとでしばらく無視していたが、食事を奢るというので宗教の勧誘やマルチ商法ではないという言質を取って一度会うことにした。勤めている会社がパンデミックの影響で一時休業を余儀なくされ、僕には金がなかった。毎日仕送りの米にふりかけをかけて食べていた。

 待ち合わせのココスに現れたのは茶色の髪を庭木みたいに綺麗に刈り揃えている以外は印象のひどく薄い、目を逸らした途端に忘れてしまいそうな凡庸な顔立ちの青年だった。見たところ二十代後半といったところか。だが一見して「何かおかしい」と僕は思った。どこがどうというのではない。服装だって明らかに上から下までユニクロだ。しかし歩き方とか表情とかは物腰とか、いろんな部分に言いようのない違和感があるのだ。

「お呼びたてしてすいません」

 向かいの椅子に座りながら、意外にも丁寧な口調で男は言った。言葉を話すインコのような声だった。僕は包み焼きハンバーグとジンジャーエールを注文したが、男がミネラルウオーターしか頼まないので店員が怪訝な顔をした。

「アルファ・ケンタウリの方だそうですね」

 ひとしきり気候やら景気やら差し障りのない話の後で、男が切り出す。冗談かと思ったが目が笑っていないので不安になる。あ、いや、それは、と言葉を探していると、自分はバーナード星系から来ているのです、と男は言った。

「は?」

 バーナード星って何だ。何を言っているんだこいつは。茫然としているところに注文したものが運ばれてきた。さてどうしたものかと考えながらジンジャーエールに口をつけると、男はおもむろに口を開いた。


         ☆


「何の話ですか」

「ご存知のように我々は外宇宙観測技術に長けています。その最新の観測によれば、直径十キロメートルほどの未知の天体が、ちょうどカシオペア座に相当する方角から地球に衝突するコースで接近中なのです」

 抑揚のない冷静な口調で男は言った。ひょっとするとこいつは「ヤバい」奴なのではないか。妄想と現実の区別がつかなくなっているのではないのか。

「いや、それならさすがに気付くでしょう、NASAとかが」

「そうかもしれません。ですがわかったところで公表はしないでしょう。間違いなく地球を壊滅させるサイズですから。途轍もないパニックを引き起こすだけです」

 僕は笑った。声を上げて笑った。他にどんな反応ができるだろうか。男はそんな僕を揶揄するでもなく、表情を変えぬまま続けた。

「衝突は一週間後です」

 僕は笑うのをやめた。イカれているのだとしても、もう救いようがないレベルなのだ。

「で、なぜ僕にそんな話を?」

 諦めて言うと、男は少し身を乗り出した。

「アルファとかケンタウリの方なら『念動』が使えるはずでしょう」

「ねんどう?」

「いわゆるサイコキネシスです」

 重症だ。

「私は母星でアルファ・ケンタウリ人が隕石の軌道を変えるのを見たことがあります。こうやって…」

 と、男は急に立ち上がり、両手の掌を上に向けて後ろに掬い上げるような動作をしてみせた。仰け反り過ぎて倒れそうになり、周りの客が不思議そうに彼を見た。まるで、

「ブレーンバスター…」思わず呟く。

「何ですって?」

「プロレス技の」

「知りません」

 とにかく、と男は声を強めて言った。「お願いします。あなた方が頼りなのです。これから同郷の方々にも頼みに行きます。よかったらあなたの連絡先を伝えますが」

「いえ、結構。というか、困ります」 

「そうですか。では」

 そう告げると、男はそそくさと去った。テーブルの上にはレシートがそのまま残されていた。


         ☆


 ということがあってね、と話すと彼女は予想の三倍くらいの真顔で聞き終えた。彼女は代名詞としての彼女ではなく、一応名詞としての「彼女」ではあるのだけど、何だかよくわからないけど一緒にいる時間が多いというだけで、たぶんある日突然どこかの誰かと結婚しちゃったりするんだろうと思っている。これは直感として。あなたは男だけど普通の意味での「男」じゃないんだよね、などと言うくらいだから尚更そう思う。

「あなたには自分が宇宙人だという自覚はないわけ?」

 彼女が真顔のままで言った。

「あたしは、ああそうなのか、って思ったけど」

 意味がわからない。あるいは気付かなかっただけで、彼女も元々イカれているのかもしれない。

「でもさあ、所詮人間って一人じゃ生きられないじゃない。これはあたしが作った料理だけれど」と、テーブルの上のパスタやらサラダやらを指して「いろんな人が材料を作って、それを運んで売ってくれる人がいるからできるわけよ。だからさ、あたしたちが知らないところで世界を守っている人たちだって、きっと沢山いるんじゃないかって思うんだよね」

 彼女は時々過程を飛ばしていきなり結論を話し始めることがあるので困る。

「えっと、どういうこと?」

 僕が訊くと、彼女はそれこそ宇宙人を見るような眼でこちらを見た。

「は?」

「いや、何言ってるのかわかんない」

 彼女はやれやれという風に首を振る。

「あなた本当に宇宙人じゃないの?」

 そんなわけないだろう、と僕が言うと、彼女は口元だけで笑いながら言った。

「ま、信じたくないことは信じないようなところは、どうしようもなく地球人だけどね」

 まるで宇宙人のような台詞だ、と僕は思った。


         ☆


 目に見えていることだけが真実とは限らないし、目に見えていることだって真実だとは限らない、なんて中二病全開の格言を持ち出すまでもなく、どれだけ科学技術が発展しようがわからないことは山ほどあるわけで、いやむしろ知識が邪魔をして見えなくなってしまって世界だってあるはずだ。たとえば僕たちが迂闊に思い描く宇宙人は、頭でっかちで灰色の小人だったりするけれど、実際には人間とほとんど同じ姿形をしていないとも限らないわけで、ひょっとしたら人間のフォルムが知的生命体のスタンダードであるかもしれないのだ。あるいは多くの生物が環境に合わせてその外見や構造を変えるなら、この星に長く暮らしている彼らは僕たちとほとんど見分けがつかなくなっているのではないか、とか、中には自分が宇宙人であることをとうの昔に忘れてしまっている一群だっているのではないのか、ああそうだ、緊急地震速報がたいしたことなく空振りに終わったり、日本列島を直撃する予報の台風が進路をそれたりした時に、よくSNSに現れる「なんとか間に合った」とか「また日本を救ってしまった」とかの投稿は、ことによると本物も混じっていたりするんじゃないのか、などと考えながら彼女のアパートから帰る途中に空を見上げると満天の星空があった。そういえば、男と会ったのはちょうど一週間前のことだ。

 街灯の下では主だった明るい星しか見えないが、近くの公園に移動すると光の数が少し増えた。

(確かカシオペア座の方角って言ってたよな)

 馬鹿げた話だった。きっと少し呑みすぎたんだろう。けれどもし本当なら、なんだかすべてのモヤモヤが晴れるような気がしないでもなく、そう思い込むだけでもこの先生きていけるのではないか、そんなことを考えつつ頭上にWの並びを探すと、それはすぐに見つかった。斜め上四十五度。見上げたまま両手を前に出し、手のひらを上に向けて、ブレーンバスターよろしく見えない何かを後ろに放り投げた。そのまま芝生の上に倒れ込む。

「……なあんてね」

 苦笑しながら呟いた途端、びっくりするほど大きな流星がひとつ、真っ直ぐに頭の上の方向に流れた。

 

 

 

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