第二章 エンターテインメントの城 8

「何だったんだ一体……」田中は唖然とした表情で遠藤の後ろ姿を眺めた。


「もしもしお兄さん一体何者?倉ノ下櫻子本人から声を掛けられたり、今はスタッフの女の子とも何か話していたみたいだけど」


 声を掛けてきたのはダーク系のスーツを着た軽めのパーマのかかった髪の長い女だった。化粧は濃いめだがなかなかの美人だ。


「おたくこそ何者ですか?」


「雰囲気からしてただ者じゃないような気がするんだけど、もしかして警察関係の人?」

 

 田中は内心ドキリとしたが、できるだけ顔に出さないように女の目を見た。


「僕みたいなのが警察だったら大変ですよ。只の櫻子ファンのサラリーマンです」


「そうかな~。私の勘って結構当たるんだけどな。私はこのような者です。宜しく」


 軽いノリで話ながら、名刺を差し出した。その名刺には『週間ライゼ 不動峰子』と書かれている。


「雑誌の記者さんなんだ。取材ですか」田中は少し探るように尋ねた。


「それは一応秘密なんだけど、お兄さんになら教えてもいいかな」上目遣いで見ながら少し色気の漂う言い方で答えた。


「どうして僕になら教えてくれるんですか?僕、口が軽い方ですけど」


「好みのタイプだから。私って好き嫌いで何でも決めるの。嫌いな奴にはそれが自分に得になることでも教えない」

 

そう言った不動峰子の目には、意思の強さと気の強さがにじみ出ていた。


「倉ノ下櫻子に興味があるわけじゃ無いのよ。最近ノリノリのペリペティアの社長久我山信明の方が気になるのよね。父親との確執とか、そのからみで裏で警察と何かこそこそやっているみたいだし。だから、うちの上司に掛け合ってこのイベントにねじ込んでもらったの」


 ペラペラと話し終わると「どう?」というような表情をして更に続けた。


「で、お兄さんはどんな情報を私にくれるのかしら?」左の手のひらを上に向けて何かを要求するような仕草をした。


「只のサラリーマンに提供するような情報なんて無いですよ」


「何か面白い情報があったら高く買い取るんでよろしく~。じゃあ」


 不動峰子はてのひらをひらひらさせながら受付カウンターの方へ歩いて行った。

 

 田中は不動峰子が言っていたことを思い返して、気分が落ち込んでいる自分に気が付いた。自分が考えている理想とは違う物が現実だということは職業柄十分に理解しているつもりだが、やはり疚しいことをやっているということを忘れるのは簡単なことでは無い。

 

 せっかく休日を満喫するつもりだったのを、いつもの現実に引き戻されたような気がして、漫画の登場人物のように分かりやすく肩を落として大きく溜息をついた。


「こんなところまできて、嫌なこと思い出させやがって……」


最初は順調に進んでいた受付だったが、十人を過ぎたあたりから様子がおかしくなった。


 秘書の坂本が何やら首を傾げながら端末を操作しているのだが、何かがうまくいかないのか列が一向に進まなくなった。


 坂本は慌ててどこかに電話を掛けて指示を仰いでいるようだったが、結局解決できずにいた。


 そこへ慌てた様子で久我山信明がやってきた。どうやら電話の相手は信明だったらしい。信明が坂本に代わって端末を操作したが問題は解決しないようだった。


「皆様、大変お待たせしてすみません。システムに不具合が発生しましてすぐに解決できそうもありません。すでに受付を済ませた皆様にも大変ご面倒をおかけしますが、こちらでお部屋の鍵をお渡ししますので、一時、扉のオートロック機能を停止させていただきます。お渡しする鍵で通常通り解錠出来ますのでよろしくお願いいたします」信明は残念そうな表情で説明した。


 田中にすれば、部屋の鍵など何でもいいのだが、久我山信明達この施設側の人間にすれば、このようなトラブルは一番嫌なことなのだろう。悔しそうな信明の顔を見ればそれが感じ取れた。


 部屋の鍵を受け取りながら説明を受け、招待客は各々の部屋に向かおうとしたが、ここでもう一つトラブルが発生していた。


 部屋の鍵だけで無くエレベーターの操作用のタッチパネルも不具合を起こしており、結局液晶パネルを跳ね上げ、その裏から出てきた普段よく見るエレベーターのボタンで操作するよう説明を受けた。


 久我山信明は坂本に一言二言指示を出してから、またどこかに姿を消した。


 坂本は最後の田中の受付を済ませた後もその場にとどまり、招待客が部屋に移動するのを見届けている。その視線に見送られるように田中はエレベーターに乗り込み行き先階ボタンを押した。


 六階に到着し自分の泊まる部屋の前に着くと、説明された通り本来ドアノブがありそうな部分を軽く押し込むとその部分が跳ね上がりそれがノブ代わりになる仕組みになっていて、その下に現れた鍵穴に鍵を差し込み解錠して部屋に入った。


 先程もみくちゃにされたお陰で少し疲れてはいたが、櫻子を至近距離で見れた高揚感から少しにやけた。そのにやけた顔が鏡に映っているのを自分で見て、少し気恥ずかしくなりわざとらしく部屋を見渡した。


「あれだけでも、今日来た甲斐があったな」


 独り言を言うと、上着をハンガーにかけてベットに倒れ込み少し仮眠をとることにした。


 この後は櫻子と食事ができる。そう考えたらまたにやけてきた。

 

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