第二章 エンターテインメントの城 3

 ロビー横のラウンジでソファーに腰掛けながら周りの景色を不思議そうに眺めていた水尾の視線の先に、駐車場に静かに入ってくる一台の黒塗りの高級車が見えた。出されたコーヒーを飲みながら三十分程待ったことになる。


「お着きになられたようですね」元平がぐいっとコーヒーの最後の一口を飲み干して、空になった高そうなカップを高そうなソーサーの上に置いた。


 黒い車が水尾達が乗ってきたセダンの少し前あたりに止まり、助手席から背の高い痩せ型の男が降りて、続いて運転席から運転手が降りた。


 助手席から降りた男が、助手席側の後部座席のドアを開けると、髪がロマンスグレーの初老の男が降りた。初老といっても動きは若々しい。反対側の後部座席のドアを運転手が開けると、黒のロングドレスを着た髪の長い女が降りた。離れた距離でも分かる華やか容姿だ。


「後部座席から降りたあの男、久我山聡やぞ」水尾が意外な物を見たような表情で元平に告げた。


「今日、会長も来るって話しでしたっけ?」元平は怪訝な表情を見せた。


 最初に車から降りた細身の男が恐らく久我山信明だろうと水尾は思った。


 その男は、先程水尾達が入ってきた扉の方向へ歩いて行き、秘書の坂本がやったのと同じように壁に手を翳した。扉が開いて最初に久我山聡、次に黒いドレスの女、最後に久我山信明と思われる男の順に建物に入ってきた。


 刑事二人はソファーから立ち上がり、入ってきた三人の方へ向き直った。


 久我山聡は二人に視線すら向けることなく、スタスタと通り過ぎた。


 黒いドレスの女は僅かに視線を向けたが、すぐに目を逸らし久我山聡の後を追った。


 最後の久我山信明らしき男は、二人に気が付くと軽く会釈して「すみません」と小声で言ってから、爽やかな笑顔を見せて「もうしばらくお待ち下さい」と付け足した。


 先程水尾達に飲み物を用意したスタッフが自分の目前を行き過ぎようとしている男が久我山聡だと気付き、慌てて後を追って声を掛けていた。


 受付カウンターでスタッフの男が久我山聡の相手をしているのを確認して、細身の男は踵を返して水尾たちの所へ戻ってきた。


「お待たせしてしまいどうもすみません。私がここの代表をしております久我山信明です。会長が突然スケジュールを変更されまして。まあ、いつものことなんですが。周りも振り回されっぱなしで。本当に迷惑な人です……。あっ、これは会長にはオフレコでお願いします。では、早速今回相談したい内容をお話させて頂きたいのですが、場所はここでもよろしいでしょうか?お飲み物のおかわりもすぐ用意させますので」


 物腰の柔らかい、相手を不快にさせない話し方をするその男は、着ている物も無論良い物なのだろうが主張し過ぎるでも無く、派手な時計やアクセサリーもせず、一つ一つの仕草が相手の警戒を解くような、さりげない気遣いのある立ち振る舞いで、水尾は会う前に抱いていた久我山信明のイメージを大きく裏切られた想いだった。


 二人の刑事にソファーへの着座を進めるその仕草も実に自然で優雅に計算された物に感じられた。


 信明が何かに気付いた視線を水尾達の背後に向けて、軽く人差し指を立てるような仕草をしてニコッと微笑んだ。


「坂本くん、すまないね、いつものことながら迷惑を掛けて。そう言いながら早速使って悪いんだが、お二人の飲み物と僕にもコーヒーを一つお願い出来ないかな?お二人は同じ物でよろしいですか?」エレベーターホールから歩いてきた秘書の坂本に、部下に話すような高圧的では無い、まるで恋人にでも話すかのような柔らかい声色で話した。恐らくこの男は誰に対してもこのような態度で接するのだろうと感じた。


「それではコーヒーを三つでよろしいですね。すぐにお持ちいたします」坂本は軽くお辞儀をして、ラウンジのバックヤードに消えた。               


「ご相談したい内容はある程度事前にお伝えしているとは想うのですが、当の本人はあまり気にしていない様子でして。今回のようなことは以前からも何度かあったものですから。最近頻度は増しておりますが、特に実害があった訳でもありませんし。会長の性格からして逃げ隠れするような行動はしたくないということで、行く先々の警察の皆様には大変迷惑をお掛けしている次第なのです」信明は先程までの柔らかい表情からは一変して厳しい表情で語った。


「いえいえ、私ども警察は犯罪を未然に防ぐというのも仕事ですので。迷惑などということはありません。それで、その脅迫状はいつ頃から頻繁にくるようになったのですか?」


「最初は去年の年末頃でした。そのあと数回不定期に送られてきています。ここだけの話、会長は敵を作る事が多いタイプですので……」そう言いながら信明は少し口元を緩めた後、唇に人差し指を当て「これは内緒で」と小声で言った。


「で、今回こちらの施設のオープニングイベントへの妨害ともとれる脅迫状が届いたと。会長は今回のイベントではどの様なことをなされる予定なのですか?」水尾はポケットから手帳を取り出した。


「当初、会長はこのイベントには参加しない予定でした。しかし、私どものこの施設への意気込みを見せるという観点から、会長に是非スピーチをして頂きたいとグループの役員一同から声があがりまして、グループの総意として私が会長にお願いしました。ただ、ひとつ気になる点がありまして。この会長の参加は外部に知られていないということなのです」


「つまり、脅迫状の送り主が内部の人間ではないかと疑われているということですか?」


 元平が少し身体を前屈みにして、声のトーンを落として尋ねた。


「警察の方ならご存じだとは想いますが、前科があるもので……」信明は少し表情を曇らせた。


 そのことに関しては水尾は事前に聞いていて少ない情報ながらも知ってはいた。一年前にあった同じような脅迫事件が、久我山聡の身内の犯行だった件である。


「会長にしてもずっと警備してもらうのは勘弁してもらいたいというのが本音で、少ない人数でも警察が目を光らせているというだけで十分効果があるとお考えなのです。そこで、わがままは承知の上で大阪府警に優秀な刑事を二人ほどお借りする事はできないかとお願いした次第なのです」軽く頭を下げて、困ったというような感情を前面に出した表情をした後、水尾と元平を交互に見つめてからニコリと微笑んだ。

 

 水尾は内心この久我山信明という男の仕草や立ち振る舞いのきめ細やかさに感心していたが、反面少し嫌悪感も抱いていた。


 刑事の勘などというと、また元平にからかわれそうだが、水尾の中にある刑事としての要のような物が「この男の全てを信用してはいけない」と警告を発しているような気がしていた。


 お互いがしばらく言葉を発しない時間が過ぎ、次の言葉をどちらが発するのか探り合うような空気が流れた。水尾が耐えかねたかのように話しだそうとした時、秘書の坂本がコーヒーを持ってきた。


 二人の刑事の前にカップが置かれ、最後に信明の前にカップが置かれるのを待って、信明が先程と同じように優しい口調で坂本に尋ねた。


「倉ノ下様方はお部屋でお待ちになられているのかな?」


「社長が到着されたことをお伝えしてまいります」


「お願いするよ。挨拶は早めにしておいた方がいいからね。お迎えした方が遅刻するなんて大変失礼なことだから」と言いながら少年のようにペロッと舌を出して坂本に微笑んだ。


 その仕草に水尾は驚いた。先程まで刑事二人に対して話していた男の大人な雰囲気とその仕草があまりにもギャップがあったからだ。


 水尾はこの久我山信明という男の人を惹きつける魅力の一端を見たような気がした。

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