第一章 脅迫状 3

 倉ノ下櫻子のイベントが開催されるのは、大阪城近くにあるショッピングモールの屋外催し物会場で、中央にこぢんまりとしたステージのある二階建ての吹き抜けになっていて、ステージを囲む円形上に、色々な店舗が並ぶレイアウトになっている。

 

 水尾みずおはその会場を、火の付いていない煙草をくわえながら、難しい顔で見つめていた。


「なんでこんな警備しにくい場所でやるんや?どこからでも狙いたい放題やな。俺達の苦労を考えるんやったら、いっそのこと、雨で中止になってくれへんかな」


「もうそろそろ止むらしいですよ。中止はないでしょうね」


「脅迫状が届いてもやるって、そんなに大層な催し物なんか?アイドルっちゅうのはえらい肝っ玉すわっとんの」

 

 このイベントの警備を担当することになった大阪府警の刑事である水尾と元平もとひらは、やる気の無さそうな態度を隠すこと無く、イベント会場の下見を行っていた。


「流石に、狙撃ということは無いでしょうから、本人の周辺だけでも重点的に固めたらいいんとちゃいます?」細身で長身の元平が、軽い口調で言いながら周りの通行人に目を向けている。


「今までの会場でもなんにも無かったんやろ?最後の会場やからってそんなにピリピリすることも無いやろ。どうせ悪戯に決まっとる。有名人やからって上も神経質になり過ぎや」と言いながらも、水尾は鋭い目つきで怪しい人間がいないか周りに気を配った。

 

 そんな水尾の鋭い視線が、エスカレーターの乗り場付近に立っている一人の女に止まった。

 

 その女は小柄な体格に、何が入っているかと思う程のリュックを背負い、度のきつそうな眼鏡をかけて帽子を深く被り、大きめのマスクで顔の下半分を隠した状態で、辺りをキョロキョロと見回していた。時折何かを考えるように視線を空中に漂わせたと思ったら、人の視線を気にするようなそぶりをしながら店を覗き込んだりしている。


「どうしました?水尾さん」


「いや、あそこにいる女、家出少女かなんかと思ってな。万引き犯という可能性もあるか?少し動きがおかしいやろ?職質だけでもかけとくか。今度の脅迫状の主には見えんけどな。本当に家出少女やったらそれなりの対応もせんといかんしな」と言いながら、くわえていた煙草をポケットから出したシガレットケースに戻して、女に近付いた。


「お嬢さん、何かお探しですか?」水尾は、先程までの元平に対しての声色とは明らかに違う柔らかい口調で女に声を掛けた。

 

 女は驚いたようにビクッと肩を強張らせて、上目遣いに水尾を見た。


「私ですか?」女は目をそらすように答えた。近くで見ると思っていたよりもずっと度のきつい眼鏡で、ありふれた表現でいうところの牛乳瓶の底のようなである。


「お嬢さんは歳はいくつ?住んでいるのはどこ?」水尾は警察手帳をポケットから出した。


「け、警察。ナンパじゃ無かったんですね。もしかして私は取り調べられているんでしょうか?」


「まあ、そういうことです」


「あっ、もしかして、今日のイベントの警護をしていただく大阪府警の刑事さんですか?本日はご迷惑をおかけします」


「どうして、そのことを?」

 

 水尾が怪訝な表情で女を睨むと、元平が何かに気が付いたように手を打ち鳴らしてから女に尋ねた。


「もしかして、今回行われるイベントのスタッフの方ですか?会場のチェックをされているんですね」


「まあ、そのようなものです」


「嫌だな~水尾さん。家出少女と間違えるなんて、水尾さんの目も大したことありませんね。こんな麗らかな女性を怪しいだなんて。怪しいというなら、ほら、さっきからステージの周りを何度も行ったり来たりしている、あの男の方がよっぽど怪しいですよ」


「それも違いますよ」

 

 元平が言い終わるや否や、女が否定した。


「あの男性は自称『倉ノ下櫻子親衛隊団長』の及川守おいかわまもるさんですよ。ファンの皆の間でも一目置かれる有名人です。スタッフが困っている時にもボランティアでお手伝いしてくれるような、すっごくいい人です。まあ、刑事さん達から見たら怪しく見えるかもしれませんが。出で立ちが個性的だし。ぷぷぷぷ……」と自分が言ったことが可笑しかったのか、吹き出しながら女は説明した。

 

 その男の出で立ちは、世間一般的な常識から見れば間違い無く怪しい部類だ。少し薄くなった頭にピンクのはちまき、オーバーオールの下にはまたもやピンクのトレーナー。肩から下げた紙袋には、アーティストの名前が手書きの文字で大きく描かれていて、その中にはメガホンやら、電飾の付いた棒やらが詰め込まれていて、今にもはち切れそうである。


「元平。俺はああいった人種が理解できん。あんな格好で外を出歩ける神経が分からん」

 

 水尾は、明らかに見下すような曇った視線を及川に送った。


「水尾さん。そういった差別的な発言は……」元平が言いかけた時、女が窘めるような口調で言った。


「駄目ですよ、刑事さん。人を見かけだけで判断しては。私のことも家出少女と勘違いなされたのでしょう?私は少女と言えるような歳ではありませんし、見た目だけでその人の年齢すら正しく判断出来ないのですから。その人の本質が分かるなんて、それはご自身の能力を過信し過ぎなのでは?私から見れば、お二人も刑事には見えませんよ」とまくし立てるように言った後、『しまった』という顔をして女は続けた。


「すみません。言い過ぎました。今日は警護の方、よろしくお願い致します。それに、お二人が刑事に見えないのは、目立たないようにしておられるからですよね。生意気言って本当に失礼致しました」

 

 女は深くお辞儀をしてから立ち去ろうとしたが、その後も何度も振り返り、ペコペコと小さなお辞儀を繰り返しながら遠ざかって行った。


「いわされましたね……」元平が水尾から目線を逸らして、口元に笑みを浮かべながら言った。


「ああ、完全にいわされた……」

 

 水尾は苦笑いを浮かべた。

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