第一章 脅迫状 2

「なにニヤニヤしてやがんだ、気持ちわりーな」篠原は半ば呆れたような口調で、隣にいる後輩刑事に聞いてはみたが、内心その内容にさほど興味は無かった。


「この張り込みが終わった後のこと考えたらにやけちゃって。今日やっと交代要員がくるんでしょう?やっと自分の部屋に帰れるな」


「何だ?女でも待っているのか?」


「というより女神ですよ。俺の女神が待っているんですよ」


「お前いつの間に女なんかできたんだ?」  


「違いますよ。俺を待っているのは、発売されたばかりの倉ノ下櫻子のベストアルバム初回限定版です。今、携帯に宅配完了のメールが届いたんで楽しみで仕方ないんです。初回限定版には特典映像ブルーレイまで付いているんですから。早く帰りたいですよ。一週間も続けて張り込みって、これ、労働基準法にひっかかりません?」

 

 ふざけた物言いのこの男は、警視庁捜査一課の刑事で、篠原の高校の後輩で部下でもある田中だ。

 篠原は隣で熱心にあれこれ語る田中を無視しながら、鋭い眼差しを五十メートル先にある屋敷の玄関口に向けた。

 

 一週間ほど前に、この屋敷の主人である久我山聡くがやまさとしのところに一通の脅迫状が届いた。

 

 久我山聡は日本のみならず、海外にも展開する一大ホテルチェーンで、建設業、飲食業も束ねる久我山グループの会長で、政界にも影響力を持つ財界の超大物だ。

 

 脅迫状の内容は殺害予告ともとれる物で、通報を受けた警察はすぐさま久我山宅周辺を警戒するよう、篠原と田中に指示をだした。別の脅迫事件から解放されたばかりの二人だったが、そのまま現場に直行し、一週間ほぼ車の中での生活を余儀なくされている。


「何で交代要員が今頃なんすか?」田中は不貞腐れたような口調で話した。


「別の大きなヤマに人員、割かれてんだ。向こうは正真正銘の殺しだぞ。こっちはまだ脅迫状だけだしな。悪戯って可能性も大いにある。何せ、脅迫されるのが当たり前ってくらいの人間だからな」篠原は、自分が発した言葉のあまりに下らない内容に顔をしかめた。


「そんなに嫌われてるんですか、あの会長」


「そりゃあ、あれくらいの大物になったら恨まれることも一つや二つじゃ無いだろう。金持ちはそれだけで妬みの対象だしな」


「よかったですね。篠原さんはその方面では恨みを買うことは無さそうだ」


「お前はその口の利き方に気を付けないと、俺の恨みを買うぞ」


「いやだな~。冗談ですよ、冗談。このくらい聞き流さないと、また署内で堅物って言われますよ。只でさえ見た目が岩石みたいなんですから。柔らかく、柔らかく」


 田中の、見た目通りのこの軟派な口調を篠原は気に入らないのだが、何度言っても直そうとしないので、注意するのはとうの昔に諦めていた。


「話しは変わるが、お前の女神とやらは今日が最後じゃなかったか?」篠原はさして知りたい訳では無かったが、関わった経緯上聞いてみた。


「そうですよ。今日の大阪が最後の七カ所目です。やっぱり悪戯だったんですかね、あの脅迫状。『今回のファンイベント中にあなたの命を頂きに上がります』なんてふざけたこと言いやがって。何かするんなら、俺が見張ってる東京こっちでやりやがれってんだ。そうなったら俺がとっ捕まえて、さくちゃんの前でヒーローになれたのに」

 

 篠原は、言いたい言葉は山程あったが、呆れたを通り過ぎて言うのをやめた。

 

 篠原は仮眠を取ろうと一旦目を閉じたが、車の後部座席のドアが開いて男が二人乗り込んできたので、ルームミラーに視線を移してその姿を確認した。


「篠原お疲れ、交代だ」

 

 リム無し眼鏡を掛けたいつもの出で立ちで声を掛けてきたのは、篠原の同期の東出だ。


「田中さんお疲れ様です。そこで見かけたので鯛焼きを買ってきましたよ」


 新人刑事の小荒井こあらいが、高校生ともとれる幼い表情で微笑みながら手にした紙袋を持ち上げて見せた。


「おう、なかなか気が利くな。小荒井くんもそろそろ人付き合いのなんたるかが分かってきたようだね。俺が何を欲しているかよく把握してるな」

 

 田中はそう言い終わる前に、小荒井が手にした紙袋から鯛焼きを一つ取り出してかぶりついた。


「本当にお前は甘い物ばかり食ってるな。そんな物ばかり食ってないで、栄養バランスを考えた食事を取るようにしろ。俺達の仕事は身体が資本なんだから、もっと食い物に気を遣え」


「篠原さんみたいに何でもストイック過ぎるのも考え物ですよ。人間死ぬ時は死ぬんすから、好きな物食って、好きなことやって生きた方が楽ですよ」田中は二つ目の鯛焼きを食べながら言った。


「お前がどんな生き方して、どんな死に方するのも勝手だが、俺の目の前で仕事中に死ぬのだけは勘弁してくれ」と言いながら、紙袋の中の鯛焼きを一つ取り出して口に入れた。


「そんなこと言いながら篠原さんも結局食うんすね……」


「ところで殺しの方はどうなったんだ?」


 篠原は、後部座席で煙草に火をつけようとしていた東出に尋ねた。


「スピード解決だ。被害者の女房がゲロった。夫の暴力に耐えかねての犯行だそうだ。近所では、虫も殺せない様な人間って評判だったらしい。人の心証なんて大して当てにならないっていい証拠だな」東出は、なかなか火の付かないライターを何度も振りながら答えた。


「こっちもスピード解決なら良いですけどね。『悪戯でした』みたいに」

 

 そう言って田中は三つ目の鯛焼きに手を伸ばした。


「見てるこっちが胸焼けするな……」

 

 三分足らずの間に鯛焼きを三つ食べようとしている田中を見て、篠原は心底呆れた。


 


 この数日後、田中が言ったことが本当になったかのように、この脅迫事件はスピード解決する。

 

 関係者をしらみつぶしに事情聴取したところ、そのうちの一人があっさり自供。その人物が久我山聡の親族であったという、正に身内の恥を晒す結末になり、久我山氏はそれを気にして火消しに躍起になり、強大な力で事件をもみ消すという、後味の悪い結末となった。

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