第51話 大御所の登場場面は、秘密!


「くそお……卑怯者め」


 両者のやり取りを固唾を飲んで見ていた僕は、はっとした。ミドリの背中に回した手に、いつの間にか爆竹の束とライターが握られていた。


「ミドリちゃん、私にだってできることはあるわ。こんな命で良ければ、あなたにあげる。……だから早く逃げて」


「茶番は終わりだ、偽善者諸君」


 神谷がそう告げた瞬間、火のついた爆竹が神谷の足元に投げ込まれた。


「……うわっ、なんだっ」


 立て続けに炸裂音がこだまし、白い煙があたりに充満した。


「ユキエ、急げっ」


 ミドリが雪江のワンピースを引っ張り、二人が足並みをそろえて荷台から飛び降りようとした、その時だった。突然がたんという重い音が響き、リフトがゆっくりと動き始めた。


「――ミドリちゃん!」


 慣性が働いたことで小さなミドリの身体が、後ろ向きにひっくり返ったのだった。


「まずい!」


 取り残されたミドリを救うべく、僕はリフトに向かって駆けだした。


「逃がすかっ」


 僕が追いつくより一瞬早く、神谷が再びミドリを羽交い絞めにした。


「ミドリ、必ず僕が助けるから諦めるな」


 僕がそう叫ぶと、神谷の腕の中でナイフを突きつけられたまま、ミドリが口を開いた。


「もういい、追うな。怪我をするぞっ」


「――馬鹿野郎、子供は大人のいうことを聞くもんだっ」


 加速するリフトと競争するように走りだした僕に、ミドリが何かを告げた。


「……えっ、なんだってっ?」


 僕が問い返した、その直後だった。ミドリが瓶のような物を取りだし、神谷に向けて振った。


「――ううっ、こ、これはっ」


 あたりに刺激的な香りが立ち込め、神谷が激しく噎せ始めた。これは――香辛料だ!


 ミドリは身体をよじると、身体を折って咳き込む神谷の腕から勢いよく飛びだした。


「ミドリ、こっちだ!」


 ミドリは荷台の端で二、三度躊躇うと、加速するリフトから思い切って飛び降りた。


「くそおっ、逃がすものかっ」


 神谷がそう叫んだ瞬間、突然、リフトが斜面の途中で停止した。


「……なんだ?」


 僕が呆気にとられていると、上の方から威厳のある男性の声が聞こえてきた。


「そこまでだ、章良。悪あがきはよせ」


 声のした方に目を向けると、かなりの高齢者と思われる男性が斜面の途中に立っているのが見えた。


 ――あれは?


「……畜生、こんなところまで来やがったのか、親父」


 ――親父?


 神谷郷が親父と呼ぶ人間と言えば……まさか?


「作家として小説が書けなくなったのなら、あきらめて会社に戻ればいい」


 老人――津元礼次郎は息子にそう言うと、安堵の表情を浮かべている雪江と共に僕たちのいる方に近づいてきた。礼次郎は見た目からは想像もつかないほどしっかりとした足取りで荷台に上がると、憔悴しきった息子の肩に手を乗せた。するとそれが合図だったかのように神谷郷はがくりと膝を降り、年老いた父親の傍らでむせび泣き始めた。


「ミドリちゃん……良かった、無事で」


 ふらつきながら現れた雪江はミドリの姿を認めると、その場に屈みこんで抱きしめた。


「なあミドリ、あの時、僕に何て言ったんだ?」


 雪江の腕の中で困ったように宙を見つめているミドリに、僕は問いかけた。


「何の話だ」


「荷台の上で逆襲する直前、僕に何か言ったろう。とぼけても無駄だぜ」


「言ったかもしれないが、脱出に精一杯で忘れてしまった。多分、大したことではない」


 ミドリがそう言って顔を背けると、雪江が「私も聞こえた気がする」と言って微笑んだ。


 あの時、自分の身を投げ出すようにして神谷と戦いながら、ミドリはこう言ったのだ。


 ――シュンスケ、ユキエ、できるなら君たちの子供に生まれたかった――と。

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