第30話 大先生の真意は秘密!


 外は昨日のしかばね騒ぎを打ち消すような晴天で、僕は薬草畑を横目に見ながらぶらぶらと散策を楽しんだ。やがて私道を断ち切っている岩が現れると、僕は足を止めて周囲をうかがった。人に見られてもどうということはないのだが、離れに行くことにはまだ、どこか禁を犯すような後ろめたさが伴っていた。


 僕は岩の左右に生い茂っている笹薮を手で掻き分けると、岩の裏側に足を踏み入れた。藪が途切れると目の前に前回と同じように突如、朽ちかけた小屋が出現した。恐る恐る歩み寄った僕は、入り口の様子を見てあっと声を上げそうになった。前回、厳重に出入りを阻んでいた南京錠が消え失せていたのだった。


「人が……来たんだ」


 僕は吸い寄せられるように扉に近づくと、ぼろぼろの取っ手に手を伸ばした。思い切って引くと湿った音と共に扉が動き、中の様子が露わになった。


「これは……」


 単なる物置とばかり思っていた小屋の内部は、整頓された一種の作業スペースだった。


 小ぶりの作業机と整理された棚、床には複数のバケツが並び、壁際には染めかけの布らしきものが竿に掛けられたままになっていた。


「誰かがここを工房のようにして使っていたんだな。……しかし誰が?」


 最初に浮かんだのは地下室の住人、つまり村長の息子だった。ひょっとして『しかばね』が……まさか。そこまで想像をめぐらせた時だった。突然、背後で扉が閉まる音がして、振り返ると扉越しに施錠を思わせるかちんという音が聞こえた。


「閉じ込められた?まさか」


 僕は慌てて扉に飛びつくと、力任せに外に向かって押した。だが、ぼろぼろの扉は意外にもしっかりと戸口に嵌まり、びくともしなかった。


 いったい誰が、何の目的で?僕は外から目隠しされた窓に近づくと、僅かに開いた板の隙間から外を見た。すると驚いたことに、窓の傍で周囲をうかがうみづきの姿が見えた。


「迷谷さん!」


 そう叫ぼうとした瞬間、みづきの背後から黒い影が忍び寄り、背後から腕を伸ばして何かを顔に押し当てるのが見えた。


「……あっ」


 僕が唖然としていると、がくりと項垂れたみづきの陰から人物の容貌がちらりと覗いた。


 ――西方先生!


 村長の息子と同様にうつろな顔をした西方はこちらに背を向けると、力を失ってぐったりとなったみづきをゆっくりとどこかへ連れ去り始めた。


 まずい、なんとかしなくちゃ。そう思って窓を破る道具を物色し始めた、その時だった。


 どこからかエキゾチックな匂いが漂いはじめ、急に目の前の風景がぼやけて歪み始めた。


 ――これは……そうだ、都竹シェフの『薬膳カレー』を食べた時の感覚とそっくりだ。


 遠のく意識を呼び戻そうする努力もむなしく、やがて僕はがくりと膝から床に崩れた。


 ――西方さん、なぜ……?


 脳裏に『しかばね』となった西方の顔が浮かび、やがて意識が闇に呑みこまれていった。


                  ※


「大丈夫ですか?秋津先生」


 揺さぶられて目を覚ますと、険しい表情の草野の姿が見えた。


「あ……草野先生。どうなさったんです?」


 まだいくぶん靄がかかった頭を振りつつ、僕は自分が『離れ』で倒れたことを理解した。


「どうなさったかは、僕が知りたいな。迷谷先生から君がここにいると聞いてやってきたんだ」


 草野の言葉に、僕ははっとした。……そうだ、彼女は?確か『しかばね』となった西方先生らしき人物に……


「迷谷さんは無事なんですか?」


「ああ、無事だよ。と言っても何らかの薬物を吸わされたようで、安藤先生が容体を診ているよ」


「……よかった。それで彼女を連れ去ろうとした人物の消息は?」


「わからない。屋敷の人間に見とがめられ、大声を出されて逃げだしたようだ。


「そうですか……でも迷谷さんが無事で一安心です」


 僕はふらつく足で立ちあがると、草野につき添われる形で小屋を出た。


「君も誰かに薬を嗅がされたのかい?」


「たぶんそうでしょうね。外から鍵をかけられて、気が付くと小屋に妙な匂いが充満していました」


「ふうん……君や迷谷さんの身柄を拘束しようとしたのなら、ずいぶんと手ぬるいな。ただの作家である僕らに脅しや警告をしても無意味だし……」


 草野の言葉を聞いているうちに、僕の頭の中でもやもやとしていた疑問が一瞬、何かの形を取り始めた。


「ターゲットが僕らではないとして……」


「なんだって?」


 薬草畑の前で僕がふと漏らした言葉に、草野が反応を見せた。


「つまりこの合宿の裏に僕らには見えないプレイヤーがいるとして、僕らがどちらかの『駒』だとしたら、僕らを脅すことは誰にどんな効果を与えるんだろう、と思って」


「面白いことを考えるんだな、君は。……それを小説に書いたらいいんじゃないか?」


 草野が呆れたようにそう言った時だった。近くで車が停まる音がして、僕らは同時に足を止めた。玄関前に停められた車から降りた人物を見た瞬間、僕は思わずあっと叫んだ。


「神谷先生……」


 ワゴン車から降りてドアの前に立ったのは、何度か見たことのある神谷郷その人だった。


「どうしたんだろう。まだロケ当日まで三日もあるっていうのに」


「怪事件の噂を聞いて、真偽を自分の目で確かめに来たのかなあ」


 神谷郷らしき年配の人物は、編集者らしいもう一人の男性と共に屋敷の中へ姿を消した。


 僕はふと、思い立って草野に「すみませんが、先に戻っていて貰えますか」と言った。


「どうしたんだい、いったい。身体の方は大丈夫なのかい?」


「ええ。お蔭様で。もう少し、外の空気を吸ってから戻ります」


 草野は「そうか、わかった」と言うと、ワゴン車が帰った玄関の方に歩み去っていった。


 僕はその場で向きを変えると、中庭の方に移動を始めた。自分が屋敷に戻ることを躊躇していると感じた瞬間、脳裏に浮かんだのはあの『魔女の家』のことだった。

 

 ――正体がわかった今なら、臆することなく訪ねていけるんじゃないか。


 みづきのような探求心が頭をもたげたわけではなかった。どうせ誰も彼も怪しいのなら、一番怪しい人間に直接、話を聞いてみるのもありなんじゃないか。そう思ったのだ。


 面白い話が書けたら、それを元に一気に小説を書く。それで区切りをつけたかった。


 中庭の半分を埋めている『森』に足を踏み入れると、ほどなくおとぎ話に出てきそうな小屋が姿を現した。僕は扉の前に立つと、目を閉じて深呼吸をした。


 ――うーん、いざとなるとなかなか勇気が出ないものだな。


 ノックをしかけた手を空中で止め、ためらっているとふいに背後から声が飛んできた。


「どうしました、入るなら早く入ってください」


 驚いて振り返ると、そこには僕の腰までしかない少女――ミス・ビリジアンが立っていた。


「ミド……いや、ミス・ビリジアン。なぜここに?」


「奥様から頼まれて届け物をしに来たのです。用があるならなぜ、ノックしないのです?」


 僕が返答に窮していると、ミス・ビリジアンが痺れを切らしたようにドアを勢いよく叩き始めた。


「はい、どなたさん?」


「執事のミス・ビリジアンです。奥様から言いつかったお届け物を持ってまいりました」


「ご苦労さん。お入り。鍵は開いてるよ」


「もう一人、隣に訪問者の方がいるのですが、構いませんか」


「ほう、どなたかな?」


「秋津先生です」


 急な展開に僕が慌てふためいていると、扉の向こうから含み笑いのような声が聞こえてきた。


「そいつは賑やかでいいね。二人とも入っておいで。ボロ家でもお茶くらいは出せるよ」


 ミス・ビリジアンに「すみませんが、ドアを開けてもらえますか」と言われ、僕は『魔女』の好意的な反応に戸惑いつつ、黒ずんだ木の扉をおそるおそる、押し開けた。


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