第17話 天使のささやきは秘密!


「秋津先生、課題の進み具合はどう?」


 リビングから人々が去った後、みづきが何気ない口調で僕に聞いた。


「おっ、世間話と見せかけて敵情を探る気だな。そうはいかないぞスパイめ」


「人聞きが悪いわね。……いいわ、じゃあこっちの手の内を先に明かすから、それで疑いは晴れるでしょ?……まだ一行も書けてません。嘘じゃないわ。……これでいい?」


「わかったよ、疑って悪かった。僕も同様さ。一行どころがヒントのかけらも降りて来やしないよ」


「良かった、私だけじゃなくて。……それじゃ、今日の午後も探索につき合って下さる?」


「内容によるね。ホラー紛いの冒険はもう十分だよ」


「山の方に行ってみたいの。昨日よりは警戒されていない気がするの」


「凝りない人だな、君は。……まあ少し考えさせてくれ」


「いいわ。昼食が終わったらもう一度、聞くわね。それまでは別行動ってことで」


 みづきはそう言い置くと、くるりと踵を返してリビングを出ていった。

 やれやれと僕は太い息を吐き出した。殺人事件こそ起こっていないものの、この屋敷は至るところ謎だらけだ。昼食まで、薬草畑でも眺めながらのんびり過ごすとしよう。


 僕は外に出ると、屋敷の壁際に放置されている朽ちかけたベンチに腰を下ろした。


 ――魔女の家、謎の離れ、秘密の住人か……お昼前だというのにお腹がいっぱいだ。


 鳥のさえずりを聞きながら日差しを浴びているうちに、僕の中で合宿のことも『第七の作家』のこともお湯に溶けるように薄まってゆく気がした。小説が書けなかったら、それはそれでしょうがないかもしれないな、そんな風に思いかけたその時だった。


 つま先に何かが当たり、僕は目だけを下の方に動かした。足元に転がっていたのはフットサルで使うようなボールだった。はて、こんなもので遊びそうな人が宿泊客にいただろうか。僕は身を起こすと、ボールを拾いあげた。


「……すみません、それ、私のです」


 ふいに横合いから子供の声がして、僕は思わずえっと叫んでいた。


「君は……」


 声のした方に顔を向けると、十歳くらいの髪を後ろで結わえた少女が僕の方を見つめていた。僕は少女にボールを手渡すと「こんにちは。君はこの家の子かい?」と尋ねた。


「うん」


「お名前は?」


「――日名子。……あ、ごめんなさい。お客さんに話しかけちゃダメだってお婆ちゃんに言われてたんだ」


「お婆ちゃん?」


「ご飯の時だけ、二階からエレベーターで降りてくるの」


 僕ははっとした。この子は家主の孫娘か。となると「あいつ」がここに来たのも――


「ねえ君、ここには誰ときたの?」


「お友達。私がお婆ちゃんに会いに行きたいっていったら一緒に来てくれるって言ってくれたの」


「そのお友達はなんて言う名前?」


 僕が問うと日名子という少女は一瞬、口を開きかけ、それから何かを思い出したように口をつぐんだ。


「……ミドリっていう子じゃないかい?」


「あの、ええと……知りません。さよなら」


 僕が畳みかけると日名子は急に慌てだし、ボールを抱えたままひらりと身を翻した。


 なるほど、どうして執事なのかはともかく、ミドリがここへやってきた経緯はわかった。


 僕はベンチに座り直し、日向ぼっこの続きを楽しもうと背凭れに身体を預けた。ところが今度は別の音が、静寂を破って僕の耳に跳びこんできた。玄関の方から聞こえてきたのは、車が停まる音とドアの開閉音だった。


「お迎えは二時間後でよろしいですか」


「うん。すまないね。施設のみなさんによろしく」


 声のする方にそっと目を向けると、以前、玄関前で安藤を降ろしたのと同じミニバンが見えた。ミニバンの傍らには見たことのない壮年の男性が立っており、男性は引き返してゆく車を見送ると、安藤の時と同じように中には入らず畑の方に向かって歩き出した。


「まずい、こっちに来る」


 僕は慌てて被っていたキャップの鍔を下げると、寝入っているふりをした。足音が遠ざかるのを確かめ、そっと目を開けた僕は次の瞬間、はっとした。


 ――あっちは『魔女の森』じゃないか。


 後ろ姿が角を曲がって中庭に消えるのを見た僕は、思わず立ちあがっていた。見知らぬ人間が呼び鈴も鳴らさずいきなり庭へ向かうという光景に、僕は強い違和感を覚えた。


 ――ほんの少し、様子をうかがうだけだ。


 僕は自分に言い聞かせると、忍び足で中庭の方へと向かい始めた。こんな風に好奇心に負けるようではみづきのことを笑えないな――そう思いながら、僕は男性の後を追った。

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