第8話 2人目・サブリナ(後)

「サブリナ。次は水が欲しいでしょう?」

「え……。ええ……」


 サブリナは曖昧に頷いた。頷いてしまった。


「うん。そうだよね。サブリナならそう言うと思ったよ」

「フラヴェラ、あんた……」

「《アクア・トルネード》!」

「おぶっ!」


 喉を動かす暇もなく、魔力の水が喉の奥へと入り込んだ。

 魔法によって出現した水は、フラヴェラの操るままにサブリナの口の中へと入っていったのだ。致死量を越える水が、一気に胃の中へと落ちて貯まっていく。抵抗することもできず、サブリナはそれを呑み込むしかなかった。


「お、おぐっ! うぶうっ!」


 がくがくと膝が震え、目が見開き、腹が膨れていく。椅子がそれにあわせてがたがたと僅かに動く。

 ぎちぎちとズボンを留めていたベルトが音を立てると、サブリナは苦しげに顔を顰めた。フラヴェラがおもむろに荷物袋からナイフを取り出す。ひたひたとナイフを片手に近寄ると、顔を歪めるサブリナのベルトに当てた。ぴっ、と勢いよく千切る。ボタンが留められなくなったズボンはいとも簡単に左右に開き、ぼん、と音を立てるかのように膨れた腹が飛び出した。それを合図にしたように、水流が蛇の尻尾のように喉の奥に消えていくと、流入が止まった。


「はあっ、はああっ! あっ……」


 サブリナは肩で息をしながら、苦しげに目を開けた。

 自分の体を見たくなかったのに、目を開け、俯いたときに見てしまった。許容量の上がった胃の中に水分を詰め込まれ、膨れた腹部。否応なくここに何かが入っていると意識させてくる。


「う……ううっ……」


 ただの魔術の水だ。

 寄生型の魔物でもない。

 それなのに恐怖がこみあげてくる。


「まだ入るよね?」

「も……もう……、無理よ……」

「《アクア・スラッシュ》」

「うぐぅぅうっ!! ごっ……がぼっ……!」


 渦を巻いた水流が、こじ開けるようにしてサブリナの口の中へと無理矢理に押し入った。何度口を閉じようとしても、その勢いに圧されて閉じられない。苦しさに顔を上に向けた瞬間、勢いを増して喉の奥へと入り込んだ。

 収容された胃は急激に膨れ上がり、限界を超えて押し広げていく。


「わあ、凄い。人のお腹ってこんなに入るんだね」


 フラヴェラがはしゃぎ、妊婦のように膨らんだ腹に杖を乗せた。だがそこに入っているのは愛し子でもなんでもない。ぼちゃぼちゃとした水分ばかりだ。

 容赦なく、杖の先についた魔石でぐりっと捻るように強く突く。


「ううううっ!」


 サブリナはいまにも吐きそうに呻いた。だがフラヴェラの杖には魔力が宿ったままで、サブリナの腹の中に水を押しとどめていた。あがってきたのは苦い水だけだ。何度も上がってきた胃液は、サブリナの食道を焼いただけだった。

 フラヴェラはその様子を見ると、急ににっこりと笑った。


「うんうん。まだ満足できないよね」

「はっ、はあっ……はああっ……。ふ、フラヴェラ……ど……う、して……。こんな……こと……」

「どうしてって?」


 当然というように、フラヴェラはその目を見開く。


「だって、ヘルムのこと虐めてたじゃない。私はぜったいに許さない。ヘルムのことを悪く言うやつは嫌い。ヘルムのことを虐めるやつは大ッ嫌い。あんたたち、みんな嫌いよ。ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに殺してやる……!」


 杖を今にも折らんばかりに握りしめると、僅かにみしりと音がした。


「こ、ごんな……の、魔力の……でしょ……」


 サブリナは息も絶え絶えにそう言うしかなかった。

 本来、魔法による水分は喉を潤してくれない。砂漠を無理に横断した冒険者が、水系魔術による水分補給を試みて息絶えた例は、新米冒険者の注意点として口酸っぱく言われることのひとつである。

 理由は明白で、それが魔力で作り上げられたものだからだ。炎の場合は燃料、つまり薪や固形燃料さえ燃やすことができれば、火を移すことは可能だが、水は違う。使い手の魔力が霧散してしまえば、水も霧散する。


「うん。魔力よ」


 サブリナはもはや限界を感じてもいた。

 無理矢理に胃を広げられる生物的な苦痛。だが、そこに腹を満たす快感とが混ざり合う。もっと食べたい。もっと飲みたい。何もかも気にすることなく、満たされたい。


 ――いつから……。いつから、私……は……。


 もはやそれは《暴食》とでもいうべきものだった。

 フラヴェラはそんな彼女の欲望を感じ取ると、哀れなものでも見るような目で杖を構えた。


「そう。まだ足りないなら、もっと満足させてあげる」

「あっ……あっ……!」

「《アクア・トルネード》!」

「おああああっ! がぼっ、ごぼおおっ!」


 口が左右に動き、水から逃れようとする。

 しかし、狂気を目に宿したフラヴェラには、それは通じなかった。

 溺れたような悲鳴が暗闇に無情に響く。ロウソクに映し出される影の中で、サブリナの腹が限界を大きく上回っていった。その皮膚に血管が浮き出ると、ぴりぴりと表皮が裂け始めた。背中を限界まで反らし、耐えきれなくなった背骨からぼきりと小さな音がする。


「ほら。飲みなよ。満足しないんでしょ。ヘルムの食べ物まで奪ってたもんね。自分のだけじゃ満足しないんでしょ。ほら。ほらっ! ほらぁあっ! 飲めって言ってるのよっ!」


 杖の先がひときわ強く青く発光する。


「《アクア・ランス》!!」

「おぼああああっ!!」


 致死量以上の洪水が、注ぎ込まれた。

 目から大量の涙を流しながら、ひときわ大きく体が逸れた。ぐるんッ、とその眼球がひっくり返ったそのとき。

 ばん、というような破裂音がして、がくんと大きく跳ねた。

 水が大量に地面に溢れたかと思うと、急激に静かになった。びちゃびちゃとあちこちから液体が零れる音がして、サブリナの体から力が抜けた。口から入った魔力の水が、虚しく地面に溢れ返る。

 ぴっ、とフラヴェラの頬に紅が飛んだ。


「……あ」


 フラヴェラは不意に我に返ったような顔をして、音の先を見た。

 サブリナの腹は大きく損傷し、中身を晒していた。急激に挿入された水分量に耐えきれず、一気に膨れ上がった胃がそのまま破裂したのだ。それだけではない。皮膚がちぎれかけていた腹もまた限界が訪れ、内圧に耐えきれずにはち切れたのだ。

 しゅうしゅうと魔力で作り上げた水が蒸発するように消えていくと、勢いで弾けた中身が零れ、あたりには血しぶきが残るのみだった。


 フラヴェラはサブリナの肩と掴んで、小さく揺らした。動きは無く、その口元からも魔力の水が蒸発すると、つうっと血が流れていくのが見えた。


「……うんうん。破裂するまで満足してくれて良かったあー。これで、ヘルムの食べ物を取るなんて、お行儀悪いことはできないよね?」


 白いローブは血が付着し、赤く染まりつつあった。だが彼女はまったく気にしていない様子で、まるで乙女のようにくるりと回った。


「これで半分だね。あと二人、もっと、もっと苦しめて殺してあげるよ、ヘルム……」


 サブリナの死体の前で、恍惚とした表情で、頬を染めた。

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