第7話 2人目・サブリナ(前)

 かつては節制され、健康的にひきしまった体だった。

 プロポーションが崩れ始めた頃から、サブリナはヘルムの食糧を取り上げるようになった。あるいは逆で、取り上げるようになったせいで、自慢のプロポーションは崩れ始めた。

 なぜヘルムだったのか、理由は明白だ。ヘルムはエルヴァンからやたらと見下されるようになっていたし、ジョヴィオの怒りの対象だった。それに、サブリナも思うところがあった。だから、ほとんど自然な成り行きだったのだ。


 体型に自信があったサブリナは、余計な脂肪がついても気付いていないふりをした。しかし、椅子の背に括り付けられた両手をなんとか外そうともがいた時、ズボンの上にだらしなく乗っかるそれが自分の贅肉であると再確認させられることになった。


 ――何なの、いったいどこなの、ここ?


 周囲を見回す。天井も壁も床も、見覚えがある。ここはまだ迷宮の中のようだ。けれどもひとつ違うのは、自分が一人でいるということと、椅子に縛り付けられ、腕も動かないよう固定されているということ。

 何度体を捻っても、腕はぴくりとも動かなかった。

 それどころか、ずっと見ないふりをしてきた自分の体型と向き合うことになってしまったのだ。


「ちょっとー! だれかあー!」


 誰かいないか声をあげる。

 もういちど手をがちゃがちゃと無理矢理動かしてみるが、どうにもならなかった。


「なんっ……なのよこれえ、いったい誰の仕業なの……」


 何度も何度も腕を動かすと、ズボンの上に乗った脂肪が震えた。顔を顰めたそのとき、がちゃりと音がして誰かが入ってきた。はっとしてサブリナは動きを止める。


「……だれ?」


 こつこつと足音が近づいてくる。

 訝しげに見ていると、見覚えのある杖が見えた。

 見覚えのあるローブ。

 見覚えのある少女。

 サブリナの目に、やや安堵の色が浮かんだ。


「フラヴェラ! 無事だったの?」


 フラヴェラはサブリナの姿を見ても、表情ひとつ変えなかった。


「良かった。ちょっとこれっ……外してくんない?」


 もういちど腕を動かしてもがく。けれど、フラヴェラは首を振るだけだった。

 近くに寄ってくると、肉が焼けたにおいがした。サブリナの喉がごくりと鳴る。


「ごめんね、それは無理なの」

「え?」

「でも、代わりに食事を持ってきたのよ」


 食事と聞いて、サブリナは見るからに目の色を変えた。

 フラヴェラは片手に持っていたお椀を、朽ちかけたテーブルの上に置いた。


「そ、そう? 悪いわね……」

「このままだと悪いし、私が食べさせてあげるね」

「ええ」


 フラヴェラは杖を置くと、椀の中にスプーンを入れて少しだけかき混ぜた。

 魔物の中でも動物に近しいものは食べられることもある。ただ、そういうものは森や外に生息しているほうが多い。

 迷宮の中においては、毒の無い虫などをミンチにして焼き、食糧とすることもあった。ただ、それはよっぽど切羽詰まったときの方法だ。

 いったいなんだろうと思ったが、今更どうでもよかった。食べられれば何でも良かった。フラヴェラが差し出したスプーンからは、香しい匂いがした。サブリナは恍惚とした表情を浮かべ、開いた口の中に糸を引きながらスプーンの中身を呑み込んだ。

 食べた事の無い肉だった。干し肉と乾パンばかりの食事だったので、ずいぶん久々にまともな部類のものを口にした気がした。ときおり、小さな欠片が口の中を刺激する。吐き出すのすら惜しい気がして、サブリナは他の肉と一緒に呑み込んだ。


 フラヴェラがスプーンを再び差し出すと、サブリナは貪るようにして口にした。まるで快感でも覚えているかのように、もっともっととスプーンの中身をねだる。それは幸福感でもあったが、それに似た快感でもあった。

 食べることはもちろん嫌いではない。けれども、自分が思う以上に異様なほど求めてしまう。でもいまはどうでもよかった。なんでもいいから食べたかった。最後のほうは、もはやフラヴェラが椀ごとかきこませてやらなければならないほどだった。

 すべて食らいつくさんとするその直前、椀の中身が見えた。そこに浮かんだごつい指先が見えなければ、サブリナは我に返ることはなかっただろう。


「ごほおっ! うっ……」


 ゲホゲホと咳き込むと、フラヴェラが椀を持ったまま離れた。

 口の中でかみ切れないそれを一緒に吐き出すと、膝の上に小さな爪が落ちた。


「……ねえ、そ、それ……何なの」

「ああ、見ちゃったの?」


 フラヴェラは椀の中に躊躇無く指を突っ込むと、それをつまみあげた。

 焼けた肉の合間から姿を見せたそれは、確かに指だった。魔物のものでもなく、確かに人間のものだった。


「……あ、あんた……どこから、それを……」

「美味しかった? 美味しかったよね? これをね、ヘルムにも食べてもらいたいの。サブリナがそんなに美味しそうに食べるならきっと大丈夫だよね。美味しいって言ってくれるよね? ね?」

「ねえ、それ……」


 急に喋り始めたフラヴェラに、我に返る。


 ――いま、何を、食べたの。何を食べさせられたの……!


「だって頑張ったの。きっとヘルムもお腹を空かせてるはずだから。でもその前にサブリナにあげなきゃいけないなって思ってたの。だってサブリナに全部食べられちゃったら困るから。ね?」


 椀の中に残った肉の隙間から、見た事のある瞳の色が覗かせた。

 それは、よく見た色だった。

 思えば指先も、どこかで見たようなごつさだ。

 いつもは全身が鎧に隠れているその指先を、物珍しげに眺めた日のことを覚えている。忘れるはずはなかった。


「美味しかった? ジョヴィオも、今頃喜んでるよ」


 何もかも理解してしまった。胃の中から上がってくるそれを手で受けることもできず、せいぜいが膝を開いて避けることしかできなかった。


「うえっ! ごほっ、ごぶっ、うえええっ……」


 盛大に地面に胃の中身をぶちまけると、次の波がやってきた。そんなことを二度繰り返してから、はあはあと息をし、涙目になりながらフラヴェラを見上げた。

 すると、目の前に杖につけられた魔法石が飛んでくるのが見えた。


「うぐうっ!」


 頬を杖がぶん殴っていくと、口の中をぐしゃぐしゃにしながら呻いた。


「ねえ。私、吐いていいなんて一言も言ってないんだけど」

「なん……なの。なんなのよ……フラヴェラ……」

「でも、大丈夫。いまから、もっと満足させてあげる」

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