月夜鴉は火に祟る(仮)

北大路 美葉

第1話「猫」

 月が真ん丸く、やけに大きく見えた。

 ぐす、とはなを啜って、ああ、と掠れた息を吐くと、その度に男が島田のもとどりをつかんだ手を揺さぶる。

 夏でなくてよかった――と、すず・・は疲れ切った頭の隅で思った。せめて藪蚊やぶかに刺されないで済む――。

 名も知らぬ男たちは、みな同じように手拭てぬぐいを目の下に巻きつけ、顔を隠していた。

 ふんッと鼻息を漏らして、すずに覆い被さっていた男が果てた。やがてのそのそ・・・・と身を起こした男がすずの上から退くや否や、順番を待っていた次の男が、手で脚を大きく開かせて、すずの中へ這入はいってきた。

「うう」

 すずは呻きながら、いま何周目だろうか――と考えた。最前にも、このやり方と同様の覚えがある――。

 明日の朝、辰次たつじの父母の家へ共に顔見せにゆき、挨拶しようと思っていた。そこで辰次は、すずと夫婦めおとになりたい――と話してくれるはずだった。すずは、この日を心待ちにしていた。

 しかし、辰次は死んだ。物陰から出てきた複数人の男たちに口を塞がれ、背中から刺され、そのまま事切れた。刃物で心の臓を裂かれたらしく、びたびた・・・・と血が流れ出た。辰次は懐から紙入れと小銭入れの巾着を奪われ、用水堀に叩き込まれた。

 すずは声を上げる間もなく、猿轡さるぐつわを咬まされ目隠しを巻かれ、寺の裏方の墓場へ転がされた。そのまま、もう一時ほども代わるがわる、数人の男たちの慰み者にされている。

 あまりの出来事が急に起きたおかげで、すずには最早もはや、涙を流す余裕すらなかった。

 手向かえば、間違いなく殺される。だが、辰次がいなくなった今、自分には生きている意味もないとさえ思われた。

 にゃあ、と猫の声がした。


 *


 短いスカートをはためかせ、小柄な少女が後方回し蹴りを繰り出した。脚は目に見えぬ速度で一閃し、靴の踵が獣の頭部を捉えて、そのまま蹴り飛ばす。

 真っ直ぐに吹っ飛んだ獣は卒塔婆やら墓石やらを薙ぎ倒して、墓地の敷石に転がった。

「うわア」

 ショートカットヘアの少女――夏海なつみけいが、慌てて飛び退いて、それを躱す。

莫迦ばかッたれ! お前、墓場だぞ! ちっとは加減しろや」

 蹴りを放った少女に怒号を飛ばしながら、景は転げた獣に歩み寄り、掴み上げて首を捻じ切った。

 乱暴に引きちぎられた獣は景の手の中で白い炎を上げて燃え、やがて消える。

 夏休みも始まったばかりの七月二十二日。

 現在時刻は深夜二時。いわゆるうしこくどきである。

 表通りから住宅地側へ入ったところにある集合墓地では、今宵も人知れず、エトピリカたちによる尸澱シオルとの激闘が繰り広げられていた。

「――うるっさいなあ」

 景の顔をちらりとも見ず、ミニスカートの少女――河津かわつ聖亞せいあが頬を膨らませた。

「加減もなにも、デビュー戦なんじゃん。新人に文句言わないでよ、パイセン」

 そう言うと、聖亞は景に向かってぺろりと舌を出す。

「いちいち癇に障る女だなあ!」

 景は拳を振るい、傍らの墓石に叩きつけた。棹石が倒れて落ち、足元で砕ける。

「ちょっとちょっと! 夏海ちゃん! 注意してるそばから、自分が壊してどうすんの!」

 白いドレスの少女が駆け寄ってきて、景の手を抑える。蓬莱ほうらい萵苣れたす

「この下で眠ってる人も、お寺の人も、お墓を建てた人まで、びっくりして起きてきちゃうよ!」

 大袈裟なフリルやらレースやらで過剰に飾り立てられたロリイタ服は、彼女本人というよりも、彼女の妹の趣味によるものだった。

「大きな音を立てると。すぐに見つかってしまう。二人とも」

 その妹もやってきて、聖亞の手を取って諌めた。蓬莱ほうらい蕃茄とまと

「それに。あなた。無闇に周囲を壊せばいいというものではないの。攻撃と体力との。コストバランスを考えながら。闘うべき」

 これまた豪奢な漆黒のドレスに身を包み、半眼のなんだか眠そうな表情のまま、訥々と言葉を紡ぐ。

 歳下に注意を受けた聖亞は、不機嫌な顔を隠さず舌打ちをした。

「だって、こいつが無茶言うからぁ」

「誰が無茶言ってんだよ。墓場を荒らすなッってるだけだろうが」

「はあ? 荒らしてんのはあんただろ? 慣れてなくて力加減が分かんないあたしと違って、あんた今、故意に壊したよねえ?」

 可愛らしく桜桃色に染められたツインテールの髪を揺らし、聖亞が景に詰め寄る。

「ふん、お前の真似しただけだわぃ」

「お前って、誰に言ってんだ? 先輩には敬語使ってよ」

「へえ、お前さっき、あたしのことパイセンッってたよなあ?」

 顔を突き合わせ、胸ぐらを掴み合わんばかりの二人の間に、空から小さな男が二人、ひらりと舞い降りてきた。

「まあまあ御二人共」

「ここでは余人に聞かれますゆえ」

「一旦撤収致しましょう」

 仏壇に置かれる仏像のようなサイズの二人は、阿形あぎょう吽形うんぎょう。本来は根之國ねのくにの大門の門番をしている、いわゆる仁王におうの転身である。

 四人の少女たちは、宙空を飛ぶ阿吽に従って墓地を後にした。

 墓地から程近い場所にはベンチとトイレだけの簡素な公園があり、ささやかな街灯にぼんやりと照らされている。深夜の田舎町に人通りなど無く、秘密の集会にはお誂え向きであった。

 阿吽に引き連れられた景ら四名がそこへ着くと、既に大小二名の人影が待っていた。

「おーいケイちゃん、みんなー」

 小さい方の人影がぴょんこ・・・・と飛び上がって、景の名を呼ぶ。

「おう。お前ら早かったな」

「クウコちゃん! コトリちゃん! お疲れーっ!」

「お疲れさまです、皆さん」

 大きい方の人影も、両手を揃えて軽く頭を下げた。

「コトちゃんが強くてね、すぐ片付いちゃったよ」

「いえ、そんな。私はただ、さっさと片付けて皆さんと合流せねばと思っただけです」

 背の高い少女――龍泉寺りゅうせんじ琴律ことりが謙遜してみせる。

 聖亞を除く他のエトピリカたちは、戦闘中の琴律に起こる変化を既に知っており、敢えてそれに関するコメントをしなかった。

 その爆発的な身体強化きょうかは“狂化きょうか”かつ“凶禍きょうか”であり、“変化へんか”というより“変化へんげ”と呼んだ方が的確であろうと思われたが、それゆえに口に出すのが憚られたのである。

「それでは皆様」

「本日分の勾玉まがたまを回収致しました故」

「各々方に分配させていただきます」

 阿吽が降りてきて、六人の手の上に、小さなたまを載せた。

 公園の灯りの薄い光にもきらきらと輝くたまは、ドーナツから尻尾が飛び出たような形をしている。

「わお。綺麗じゃん!」

 尸澱を調伏した後に残る勾玉を初めて目の当たりにした聖亞が、思わず目を潤ませて見入る。

「……おう。じゃ、眠たくなる前に帰るか?」

 景が、六人の中で最も背の低い少女をひょいと持ち上げ、肩車した。

「もー! また子供扱いしてっ」

 軽々と景に抱え上げられた少女――天美あまみ空子そらこは、両手両足をばたつかせながら抗議する。

「子供っていうより、荷物扱いだよね」

 聖亞がにやにや笑いながらからかうと、空子は頬を丸く膨らませてむくれた。

「そうですね。夏休みとはいえ、昼まで寝ていては格好がつきませんもの。それでは皆さん、お疲れ様でした」

「おつかレース」

「おやすみ!」

「おやすみなさい」

 六人の少女たちは変身を解き、銘々の方向へ向かってぞろぞろと歩いてゆく。

 そのとき。

 にゃあ、と猫の声がした。

「お?」

 空子はそれに反応し、

「にゃんにゃがいるっ」と声を上げて、景の頭を引っ掴んで揺さぶった。

「ケイちゃん、猫だよ猫っ」

「おいこら莫迦ばかッたれ、人の頭を揺するな! 猫くらいどこにでもおるわい」

 景は空子の両足を掴むと、後方へ落とすふりをする。

「わー、ケイちゃんごめんよう」

 ちび・・の空子は慌てて景の頭にしがみつく。より強く掴まれるだけの結果になってしまったことを悔やみつつ、景は空子を担ぎ直した。

「やめれ、髪が乱れるっ」

「あっ、ケイちゃん! あそこだよっ」

 空子が指差す方へ目を向けると、公園の寂しい灯りに照らされたベンチの下に、黒い猫が蹲っていた。

 灯りが無ければ、闇に溶け込んで目視は敵わなかったであろう黒猫は、黄玉トパーズのような両眼を開いて、こちらをじっと窺っている。

「クウコお前な、夜に猫なんて、珍しいもんじゃねえだろよ。さっさと帰ンぞ」

「えー」

 愛想なく踵を返す景の頭上で、空子は頬を膨らませ、不満げな声を漏らした。

「……うおっ」

 景の足が止まる。

 何事かと正面を見れば、空子たちの眼前に――いや、周囲をぐるりと取り囲むようにして、黒猫の集団がいた。

 爛々と光るふたつの目玉が、何組あるのか数え切れない。十匹、二十匹、三十匹――それよりも多い。

 さすがの空子も景も、この光景には異様を感じて、ぐびりと固唾かたづを呑み込む。

「なあクウコ、これ……ひょっとしたら」

「たぶん……尸澱シオルだね」

「ヤ、ヤベェ、だろ……変身できんし」

「や、やばい、かもね……」

 目を逸らしたら、やられる。本能的にそう確信した二人が硬直し、肩車をほどくこともできずにいると、黒猫どもは取り囲む輪をじりじりと縮めてくる。

 深夜の公園で、目を光らせた黒猫たちに囲まれるという体験は、空子たちから恐怖以外の感情を失わせた。

 猫どもは口から汚らしい涎を溢れさせ、野生そのものの顔つきと動きで、二人に迫る。

 景は汗ばむ手で空子の両足を掴み直した。

「クウコ。最悪、お前だけでも逃げろ。走って、コト達を呼んで来い」

「え、で、でもケイちゃんは――」

 最初に見た、ベンチの下の黒猫が身を低く構え、赤児あかごの悲鳴じみた声を上げて、二人に飛びかかった。

「いやーっ、ケイちゃん!」

「くそォ!」

 黒猫どもの輪の外へ向かって、景が空子を放り出そうとした──次の瞬間。

 宙にいた黒猫が、地面に落ちた。慣性に逆らったかのような、垂直の落下であった。

 猫はキャッと・・・・いう声を上げて地に叩きつけられ、派手に潰れる。

 地面に赤い血をぶち撒け目玉やら臓物やらをはみ出させた死骸を、踏みつける足があった。

 その足の下から、青白い炎が立ち昇るのを見て、

「う、うわ」──景がようやくかすれた声を発した。

 空子も恐る恐る目を開けて、辺りを見回す。

 黒い猫の集団は相変わらずぐるりと取り巻いていたが、その輪の中には、空子と景と、もう三人いた・・・・・・

「え、あ!? コトちゃん?」

 空子は、一瞬、琴律や蓬莱姉妹らが戻ってきてくれたのかと思った。

 而してその三人のシルエットには、見慣れないもの──人には決して在り得ないものが在った。

「ねー。変身しないのぉ?」

 ころりんしゃん──と珠を転がすような、可愛らしく幼気おさなげな声がかけられる。声の主が足を上げると、まだ燃え続けている炎が青い光でその顔を照らした。

 美少女であった。空子たちよりもさらに年下であろうか。目鼻立ちがくっきりとして、まるで子役女優かアイドルのような、誰からも好かれそうな顔貌である。

 一瞬ではあったが、空子たちは恐怖を忘れ、その美少女に見惚れてしまった。

「あらあら。変身されないのではなくて、できないのでしょ。阿吽あうんがおらず、霊珠もありませんもの」

 今度はやや大人びた、落ち着いた美声。

 続いて、舌打ちの音が聞こえる。

「なんだよ! 糞の役にも立たねえな! ボサついてんじゃねぇぞクソカスどもがぁ」

 こちらは如何にもがらの悪いハスキーボイス。

 三者三様の声の主らが、猫どもの群れと空子たちとの間に立ちはだかった。

 黒猫が、今度は何匹もまとめて同時に飛びかかってきた。

「あっ!」

 空子が叫ぶよりも早く、ハスキーボイスの主は後ろも見ずに、その尻に生えた尾を振るった・・・・・・・・・・・・・

 太い尾は鞭のように撓り、真一文字に空を切って、猫どもを薙ぎ払った。尾に打たれた猫たちは公園の外れにぶっ飛ばされ、やはり青い炎を上げる。

「くそ雑魚ザコどもがコラ! 死んだやつは死んどけやボケッ」

 そう叫ぶと、ハスキーというよりヤンキーと称したほうが似つかわしい少女は振り返り、猫どもの輪に向かって踊りかかった。

「あらあら、さくらさんったら……随分とお元気な振る舞いですこと」

 ため息混じりに言った女も、大人びてはいるがまだ少女であった。琴律ほどではないが背がすらりと高い。そして、その尻にもやはり尾が見える。

「さあ、ワタクシ達も参りましょう。波ノ花なみのはなさん」

「え~? あたし痛いのとかだもーん。イモちゃんとゆかちゃんでやっちゃってよぉ」

「あらまあ」

 最も幼い声の美少女は、その子供じみた雰囲気からはかけ離れた、泰然とした態度である。

「では、ワタクシも行ってまいります」

 そう言うと、背の高い少女も猫たちに向かって走った。その尻からはやはり太い尾が伸びて、軌跡を描くように揺れていた。

「よろぴこ~」

 美少女は二人の仲間に背を向けたまま、ひらひらと手を振った。

「──なみのはな?」

 景に担がれたまま二人の会話を聞いていた空子は、聞き覚えのある名に耳を留める。

「お、おい……クウコよ」

 景が頭上の空子を呼ぶ。

「ふぇ?」

「こいつら、エトピリカ、だよな」

「そう、みたいだね」

「霊珠がどうとか言ってたな。てことは……あたしらのことも知ってるわけだ」

「あ、そうか。そうだね」

 景がじり、と後ずさる。

「今のうちに逃げっか」

「えっ」

 あたし達を助けて、戦ってくれてるのに──と言いかけた空子の前に、残った美少女が立った。

「ねーねー、二人はエトピリカでしょー?」

 その尻からも、同じく尾が生えていた。トカゲのように──弟の図鑑で見た肉食恐竜のように太く、先へゆくごとに細くなった尾。

「あ、あんたも……あんたらも、だろ」

 景が固唾をぐびりと呑み込み、珍しく臆した様子で返答する。

「えー、あたし達は違うよぉ」

 公園の薄暗い街灯に浮かび上がったきれいな顔の、口だけで笑う。

「なに?」

「えっ?」

 空子と景は驚きの声を同時に発した。

「あたし達はねぇ、ラプトルだよー?」

「ラプトル……だと」

 景はちらりと左右に視線を送る。無数の猫どもを相手取って荒事を繰り広げる二人を目の端に捉える。

「あいつらもあんたも、その、尻尾? ──が生えてるよな。それがその、ラプトル──ってやつなんか」

「うん、そだよ。二人はエトピリカで、変身すると羽が生えるんでしょ。あたし達はラプトルで、変身すると尻尾が生えるの」

「そ、そういうのも、おるんだな……」

「知らなかったー」

 変に感心したような声を出す空子は、いきなり頭髪をつかまれ、ぐいと後ろへと引っ張られた。

「うわぁ痛たたたっ」

「なんだおい、やめろっ」

 空子を肩車していた景も一緒に仰け反って倒れそうになり、慌てて体勢を立て直す。

「ふっざけんなよ、危ねえだろこら」

「びっくりしたぁ」

「おらカスども。とっとと帰って、しょんべん垂れて寝てろや。襲われたときに変身できねぇ役立たずがよぉ」

 背後には不貞腐れたような態度の少女が立っており、ハスキーボイスで毒づく。変身は解いたらしく、白いジャージのポケットに手を突っ込み、空子たちを上から下までじろじろと眺め回してくる。髪の毛は金髪に染められているが、根本から少しだけ黒髪が伸びている。そして、その尻に尾は生えていなかった。

「あ?」

 景は空子を地面に下ろし、白ジャージの少女と向き合って立った。

「なんだお前いきなり出てきて、いきなり態度わりいな。どういう教育受けてきてんだ?」

「うっせボケ。手前てめェこそ命の恩人に向かって、口の聞き方知らねぇみてぇだな? あぁこら」

 互いの服を片手でつかみ合い、顔がくっつきそうな距離でにらみ合う。

(うわ、こいつタバコ臭っせ。マジのヤンキーかよ)

 景は相手の口から、慣れない匂いを嗅ぎ取って顔をしかめる。

 その足元で、空子はおろおろと二人を見比べる。

「け、景ちゃあん……ケンカしないでねっ」

「ご心配には及びませんわよ。さくらさんは、お口の元気が過ぎるだけなんですの。ねえ?」

 しゃなりしゃなりと歩いてきた長身の少女が、小柄な少女の前で立ち止まり、両手を揃えて頭を下げた。

「片付けましたわ。波ノ花なみのはなさん」

 ふわりと漂うムスクの香り。

 こちらは肩と背中を出した薄手のワンピースドレスに、大きなネックレス。長いスカートの下からは、ヒールの高い靴が見えている。ここにブランドバッグでも抱えていれば、ナイトワークでもしているのかと思わせるような、とても空子たちと同じ年頃の少女とは思われぬ服装である。

 そして上げた顔を見れば、夜目にも分かるほどに恐ろしく睫毛が濃い。たっぷりと引いたアイラインの上に、おそらく付け睫毛であろう毛がばさばさと生えていた──否、載っていた。

(こっちはこっちで、“夜のお嬢様”って感じだな……)

 胸元からライター出して、こいつのタバコに火ぃ着けてたりして――などと、くだらぬ想像をする。

 景は煙草臭さと香水臭さに噎せそうになりながら、白ジャージの少女の胸元を軽く突き放すようにして距離をとった。相手はチッと舌打ちをすると、地面に唾を吐き出す。二人の視線が宙でぶつかり合う。

「やーやー。ゆかちゃんもイモちゃんも、お疲れちゃん。早かったねぇ」

 小柄な美少女も変身を解いた。

「わ、カワイイ……!」

 空子はつい、感じたことがそのまま口から漏れ出してしまう。

 少女の身を包むのは、淡い色のブラウスに膝丈のスカート。肌の露出や色柄の派手さはないが、全身のシルエットは腰のくびれが強調されていた。

 動くと、フレアスカートの裾のなびきが波のような形状となり、足もとに動的な文様を描いた。着ている当人が小柄であるがゆえの可愛らしさなのであろう、と、己の体格を棚に上げつつ空子は思う。

「ゆかちゃんお疲れサマルトリア~」

 少女は仲間の二人の手を取り、自分の頬に持っていって当てる。

「あざっす、なぎねえ!」

 この小柄な少女がリーダー格なのであろうか、白ジャージが深く頭を下げた。“水商売よるのしごと風”も、

「どういたしまして。あの程度の数なら、正直ワタクシたち二人でも余裕のヨッちゃんでしたわよ」と微笑んで、少女の頬やら顎の下やらを優しく撫でる。

「んにゃん♡」

 なにやら猫めいた鼻声を出し、撫でられた美少女は“水商売キャバ風”にすりすりと甘えた。

 それを見ていた“白ジャージ”が、チッと舌を鳴らして、なぜか景の顔を睨みつけた。

化猫ばけねこぶち殺しまくっといて、なに不機嫌になってやがンだよ、このヤニカス)

 景は眉根を寄せて“白ジャージ”の顔を露骨に睨み返す。二人の視線がぶつかりスパークし、間に見えない火花が散る。

「──あのぉ、間違ってたらアレなんすけどぉ」

 景の足元で、空子が声を上げた。

「あたしの聞き間違いでなかったら、さっき、波ノ花なみのはな、って」

「お? なんだクウコ、こいつと知り合いなんか?」

 空子からの意外な言葉に、景は美少女と空子を交互に見遣る。

「あ、気付いちゃったー? えへへ」

 夜目にも分かる可愛らしい顔で小首を傾げて、美少女は空子の両手を取った。

「知ってくれてるんだ? ありがとぉ」

「わわ……」

 初対面の美少女に急に距離を詰められて、空子は一瞬気後れする。

「あーでも、面倒めんどいからさ、ここで自己紹介しちゃおっか。イモちゃんゆかちゃん、よろよろぴくせる」

「あらあら波ノ花さんったら、ご挨拶は画素ではないのですから」

「あの、ねえさん。自己紹介って、こいつらにっすかぁ?」

 不服気な顔を取り繕いもせず、白ジャージの不良風が顎で空子たちを指した。

「そだよ。仲悪くしたってしよーがないでしょ。あたし達はおんなじ、尸澱シオルと戦う者同士なんだから」

「げっ、同じじゃねっすよ! 俺らは竜脚、こいつらは鳥脚じゃねっすか。一緒にしないでくださいよう」

「りゅうきゃく?」

「チョウキャク?」

 空子と景が同時に呟く。聞き慣れない言葉であった。

「言葉の意味はよく分からんけど、手前てめェに見下されてることは、雰囲気で分かるんだよなア」

 こめかみに青筋を立てながら景が一歩前へ出ると、空子がさらにその前へ出た。

「あ、あたし! 天美空子あまみそらこでっす! えーと、御影中みかげちゅうの二年でっす。えーと、エトピリカ、でーす……」

 空子は初対面の三人を前にして声が出ず、せっかくの自己紹介も竜頭蛇尾になってしまう。

 空子が、率先して自己紹介をした。あのちび・・が、血の気の多い自分を抑える役割をしてくれるとは、なんたる成長か──と景は感心する。

「あー……どうせなら、もう少し明るいとこでやらねえ? 深夜の公園で自己紹介おみあいなんて、か弱き乙女のするこっちゃねえわ。お化けも出るしよ」

 景はショートカットヘアの頭をがさがさ掻きながら提言した。本人は照れ隠しのつもりであったが、

「では、そのようにいたしましょうか」と一部から賛同意見が挙がった。

「えーっ何それ、あたしだけ暗いとこで自己紹介しちゃった……寂しいよう。やり直させてよう」

 空子が景に苦言を呈していたが、景はそれを無視して、比較的近い位置にある自宅へ移動しようと提言する。

 が、

「──あのさー」

 空子らから波ノなみのはなと呼ばれた少女が口を開いた。

「あたし、眠たくなっちゃったよね。やっぱ、帰って寝なーい?」

「あ、俺もっすわ」

 右に倣えとばかりに、白ジャージも声を上げる。

「は? ちょっと待てや」

 景はズッコケそうになるのをなんとか堪え、

「いま自己紹介しようったのは、あんただろ!」とツッコむ。

「うーん。でももう、夜の二時半過ぎちゃってるし。明日起きられないよ」

「うわぁマイペースぅ」

 空子もまた、心の声が口から出た。

「あらあら、波ノ花さんったら。先日、自分は夜行性だと仰ってましたのに」

 苦笑しながら“水商売風”が言うと、“波ノ花”はその手を取って続ける。

「そりゃもう、体調は毎日違うからねぇ。かーえろ帰ろ」

 呆れ顔の空子らをよそに、二人は踵を返して帰宅しようとしている。それを追いながら、“ヤンキー風”が声をかける。

「おい妹子いもこ! なぎねえは寝不足なんだ、ちゃんと送ってあげろよ」

 すると、妹子いもこと呼ばれた“水商売風”が立ち止まって振り返り、

さくらさん……その、妹子いもこという呼び方、よしていただけません? ワタクシずいから裴世清ハイセイセイを連れて帰ったわけではないのですから」と困り顔をして見せた。

「……あいつちょっと、なに言ってんだか分かんねえよな」

「独特の言葉づかいする人だよね」

 顔を見合わせる空子たちに背を向けたまま、“ヤンキー風”は仲間の背中に向かって、

「なに言ってんだか分かんねえンだよ!」と怒鳴った。

「あれっあの子、景ちゃんとおんなじこと言ったよ」

「うるせえぞ」

 景はうんざりした顔で空子を持ち上げ、肩に担ぐ。

「あたしらも帰っか」

「うん」

「……おい待てやコラ。クソボケども」

 仲間を見送った“ヤンキー風”がポケットに手を突っ込んだまま二人に向き直った。景は苛つきを隠そうともせず正面から視線を受け止める。

「なんだよ、どヤンキー」

「お前ら、変身するやつ、いつでも持っとけや。今夜助けてやれたのは偶々たまたまだからな。次いつ襲われるか知らんぞ」

 景は少なからず面食らった。その口からは罵倒語しか発せないものかとすら思っていた白ジャージ女が、自分たちに向かってまともに忠告めいたことを言うではないか。

「……あのな、あたしらは、ひと仕事終えたとこだったんだよ。霊珠タマくれる奴らがいなかったんだからな」

「言い訳してんじゃねえ。命に関わることなんだ、油断してンなってことだよ。分かったかよ、カスが」

「お、おお……」

 この風貌、この口調からあまり真面目なことを言わないでほしい──と景は思う。

「おい、手前てめェもだ。そこのチビガキ」

「あ、あいっ」

 空子も不意に声をかけられ、飛び上がるようにして返事をする。その様子を見て、景が前に出た。

「──お前、さっきからガキだのボケだの、あたしらに向かって好きな事言ってくれてるけどな。だいたい、どこの学校の何年何組、出席番号何番の何ちゃんなんだ。ヤニ臭さぷんぷん漂わせやがって、こんなチビ相手にイキるようじゃ、まともな教育受けてきたようには思えんな?」

 白ジャージ女は、チッと舌打ちをして景を睨み返す。

「……神影東中みかげひがしちゅう一年一組女子八番、さくらゆかだよ」

 直前までの威勢とは裏腹に、後半は声が小さくなってゆく。

「ゆかちゃん? ゆかちゃんだって!」

 空子が何故か嬉しそうに飛び跳ねる。

「ほー」

 景は顎を上げて、名乗った相手を見た。そして口の端でにやりと笑う。

「お顔に似合わずずいぶんお可愛いお名前ですねぇ、ゆかちゃん」

「関係ねえだろが。人を名前でナメんなやクソが!」

「しかもお前、一年かよ。よくもあたしら先輩に向かって、腐れた口でモノ言ってくれたなァ?」

 景が一歩歩み寄ると、桜ゆかは一瞬怯んだが、

「そ、そこのチビだって、小学生ショーボーだろ!」と再び威勢を張り直した。

「ねえケイちゃん、しょうぼうって? あたしポンプで火事消さないよ」

「お前がチビだから、小学生だろって言われてンだ」

「えっ」

 空子は両手を頭上に掲げ、

「あたし小学生じゃない、中二だよ! もー失礼だなあ!」と、ゆかに対し猛抗議する。

「ちゅ、中二……すか。マジか、中二なんだ……」

 景は桜ゆかのジャージの、ファスナーの開いた胸元を掴んだ。

「こいつが小学生ショーボー並のチビなのは確かだし、言われ慣れてるから別に構わんけどな、」

「構わんことないっ」

「あたしは二年で先輩なんだ。夏海なつみ先輩もしくはけいさんと呼んで、しっかり敬えやコラ」

「くっそ……」

 桜ゆかは虚勢をがれ、

「年上ってだけで、なに威張ってんだよボケっ」と景の手を振り解く。そして、

「もう帰るわ! ムカつくっ」と景から離れて踵を返した。

「おい! もうひとつ、先輩からの忠告だ」

 白ジャージの背中に、景は声をかける。

「アんだよっ」

「お前の勝手だから、聞き流すのも勝手だけどな。煙草ヤニはやめとけ。ガキも健康では産めんし、相手によっちゃチュウすんのも厭がられっぞ」

「あ? 恥ずかしいこと言うなクソが。俺は男やガキ産むために生きてるんじゃねえよっ」

「お前の健康を心配してやってんだ」

「……チッ」

 ゆかは何も答えず舌打ちだけして、そのまま背を向けて歩き出した。一歩踏み出してすぐに立ち止まり、振り返る。

「あの! 先輩に小学生ショーボーって、すんませんした!」と頭を下げて、今度は走り出した。

「……あのガキ、言うだけ言って逃げやがったな」

 景が呆れたようにつぶやくと、空子は

「でもちゃんと謝れたじゃん。いい子だよ」と応えた。

「へっ、すぱすぱ煙草吹かすようなガキは、いい子じゃねえな。いい加減、帰るぞクウコ」

 景の肩に再び跨り、空子は大あくびをする。

「明日は起きられないにゃー。夏休みだからいいけどさ」

「にゃーとか言うな。また猫が出るぞ」



 案の定、空子そらこは翌朝大寝坊をし、朝食を食べ損ねた。その分を取り戻す勢いで、昼食の素麺そうめんを六把、冷奴ひややっこを四丁、味噌汁を二杯、カニカマ入りのサラダに、プレーンヨーグルト二パックを平らげた。

 自室に戻って漫画を読んでいると、携帯電話が鳴った。龍泉寺琴律りゅうせんじことりからの着信であった。

『クウコさん。起きていらっしゃいますか?』

「うん、起きてるよ。今ね、お昼いただいたとこ」

『昨晩は大変だったらしいですわね。夏海なつみさんとご一緒のところを、尸澱シオルに襲われたのだとか。気付いてあげられず、御免なさいね』

「うん、それでね──」

『ラプトル──ですって?』

 潜めた声で、琴律が呟くように問うた。

「あっ、ケイちゃんから聞いたんだね」

『はい。エトピリカとはまた違う、根之國ねのくにの者──戦闘要員であるとか』

「あ、あれってやっぱり、根の国の子たちなのかなあ」

『……違うのですか?』

「あたしらと同じだと思ってた。羽は生えない代わりになんか尻尾があってね、種類が違うだけなんだって思ったけど」

『……その辺りについては、話してくれていなかったようですわね』

「うん。よく分かんない。あたし、あんまり話聞いてなかったし」

『分かりました、ありがとうございます』

 琴律は声色を明るく戻し、

『では今夜、集まりましょうか。阿吽あうんからの説明を受けたいですし、蓬莱ほうらいのお二人とも話しておくべきですから』と提案した。

「はー。集まるのは良いけど、また阿吽さんからの長い話聞かなきゃなのかなあ」

『それが難点ですわね』

 通話を切った後、空子は携帯電話にストラップとしてぶら下げている勾玉を手に取って、じっと見た。

 阿吽の言葉を借りれば、尸澱を葬った後に残る“おもい”の結晶だと云う。

 死んだ後、この世に甦りたいという強い念を無理やり潰して拾った、謂わば奪い取ったものだ。

 空子も綺麗だからという理由で集め所持しているが、なにやら集めてどうこうという話もあったように思う。

(そう思うと、あんまり気持のいいもんじゃないなあ)

 携帯電話を枕元に置くと、空子は再び漫画を手に取って読み始めた。が、

(夜お出かけするんなら、晩御飯まで寝ておいたほうがいいよね)

と考え、漫画本を放り出した。

 腹の上にタオルケットを掛けるや否や、高鼾たかいびきを掻き始める。

 夏休みの宿題は、未だ手つかずである。

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月夜鴉は火に祟る(仮) 北大路 美葉 @s_bergman

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