第3話 垣間見えたもの

 二人が向かった先は町田市内にあるアウトレットモールだった。映画館も併設されており、大規模な商業施設である。昔からずっと変わらずあり、幼い頃は家族と一緒に訪れる定番スポットだった。


「どこいこっかなー。あ、でも今日は優くんのつき添いか」

「いいよ、気にしないで」

「そういうわけにもいかないなー。ほら、どこいく?」

「じゃあ……服でも見ようかな」


 姉に気圧けおされ、反論することができなかった。当初の目論見とは違うが、従うしかないと優は腹を括る。普通に過ごしているうちに見えてくるものもあるかもしれない。


「あ、これとかどう?」

「赤入ってるの派手じゃね?」

「でもスーツは黒でしょー? 暗い色合わせるのもなぁ」


 二人は入った店でネクタイを見ていた。天寧が「就職祝いとしてプレゼントしたい」と言い出したからだ。ネクタイは足りているし、就職祝いにしては遅過ぎる。けれど姉の好意を優は拒否できなかった。


「じゃあこれで」

「うーん、まあ優くんがそういうなら仕方ないかなー。これはこれでいいと思うし」


 選んだのは青と紺のストライプのネクタイだった。派手過ぎず暗過ぎずという塩梅だ。

 無難なものでも天寧はすんなり納得してくれた。その様子を見た優はなんとなく「プレゼントしたかっただけなのでは?」と思ってしまう。


「あ、ほかにもシャツとかも見る?」

「シャツは足りてるって」

「あ、じゃあ私服! 帽子とかはー? 作家っぽくない?」

「いいよ。俺はプロの作家じゃないんだし。誰に作家っぽい姿を見せりゃいいんだか」

「でもーなんか買いたくない?」


 彼女の表情は不自然なくらい明るかった。心の底から楽しんでいる笑顔ではなく、努めて笑っているようだ。


「もういいって」

「ほら、まだきたばかりだし」

「だからもういいんだって!」


 引き下がらない天寧に対して言葉が強く出てしまう。苛立ったつもりはなかった。理由はわからないが、やるせない気持ちが溢れてしまったのだ。


「少しは自分の物にも金使えよ、あま姉。俺はいいんだよ。もう社会人なんだから買いたいものは自分で買えるから」


 取り繕うように天寧に言い聞かせた。彼女にとっての自分がどんな存在かわからないが、もう大人なのだ。いつまでも姉に頼りっぱなしで生きるわけにはいかない。


「それもそっか……そうだよねー! じゃあ自分のためにお金使おー! よし! 買いたいものいっぱい買うぞー!」


 吹っ切れたのか、それからの天寧は散財に散財を重ねた。安くなっていた洋服からブランドもののバッグ。挙げ句、ずっと欲しかったという調理器具まで買い出した。まるでたがが外れたかのようだ。


「ふぅ、買った買ったー」


 両手を荷物一杯にして満足そうな顔を見せる。それを見て、優は思い出してしまう。死ぬ前の姉がとった行動を。


 ──「あーこれ? 買ったの。なんか急にお金使いたくなっちゃってー。あ、これ優くんにプレゼント。はい」。


「やっぱり同じだ……あの時と」


 途端に胸がざわめき出した。この散財はただ突発的に金を使いたくなったからではない。使


「あま姉」

「なに?」

「いきたいところがあるんだけど」

「うん、どこ?」

「こっち」


 彼女の手から荷物を奪い、優は先をいく。どうしてもこのまま終われなかった。これでは過去の二の舞なのだ。少しでも引き止めなければ。

 着いたのはアウトドアのアウトレットショップだった。


「あ、ここ。昔クライミングやったよねー確か」

「今もできるよ」


 店にはクライミング用の設備があり、体験できる。クライミング目的でくる人もいるくらいだ。幼い頃の優と天寧もそのために訪れたことがあった。


「久しぶりにやってみない、あま姉?」

「いいね、それ。競争だー!」

「いや、そういう危ないことは無理だから」


 乗り気な天寧を見て、しばし安堵する。自分にもまだできることがあるのだと思えた。

 優は荷物を抱えながら、クライミングしていく姉を眺めた。動きはぎこちないが、苦しそうには見えない。真剣な眼差しはむしろ本気で楽しんでいる証拠かもしれない。


「どうよ……お姉ちゃんすごいでしょ……」

「そういうのは余裕綽綽よゆうしゃくしゃくな顔で言えよな」

「くっ……! やっぱり歳には勝てないね」

「昔はスイスイ登ってたのにな」

「優くんもやってみればわかるよ。ふふふ……昔のようにいくかなぁ?」


 焚きつけるように天寧が悪い笑みを浮かべる。その姿を見た優は呆れつつも口角が上がっていた。連れてきて正解だったようだ。


「煽らなくてもやるっての。そのつもりできたんだから」


 今度は優が登っていく。確かに天寧の言う通り、思った以上に体が動かない。成長して自重が増えた影響もあるだろう。インドア趣味が祟って筋肉は増えてないのだから、苦戦するのは当然である。


「ど、どうよ……インドア野郎でも頑張ればこのくらい余裕……」

「強がっちゃってまたまたー」

「強がりは……どっちだよ」


 降りてきてすぐの姉とのやりとりが妙に引っかかった。『強がり』という言葉。優自身、強がりな自覚はあった。

 けどそれは天寧も一緒なのではないのだろうか。同じ血を引く姉弟なのだから。姉の顔を見遣る。表情は笑っているが、奥底までは見えない。


「そういえば子どもの頃の優くん、クライミングで降りれなかったんだよね」

「そうだっけ?」

「そうだよ。天辺に登るまでは平然としてたのに、いざ上から下を見下ろしたらビビっちゃって。『あま姉怖いよー』って泣いてたじゃん」

「記憶にございませんね……」

「そういうとぼけ方覚えちゃう年頃かー」


 真っ赤な嘘である。優もそのことは覚えていた。そういう話が出ることも期待してこの場所を訪れたのだ。

 ただ、いざ話を振られると恥ずかしさが溢れてしまう。あの頃の優も今の優も、姉に頼りっぱなしだ。その事実がこそばゆくもあり、つらくもあった。


「そうだよ。俺だってもう大人なんだから。もうあま姉なしでも平気なんだよ」


 ── この奇跡は神様の気まぐれだ。あま姉が死んだことは変わらない。俺はあま姉がいない世界で書く意味を見出さないといけないんだ。


 そう直感した。姉との再会はきっと試練なのだと。作家としてやるべきことがあるはずだ。


「今日は楽しかったよ、優くん。ありがとう 。なんか色々吹っ切れた感じ」

「吹っ切れた?」

「あ、ううん。そうじゃなくてスッキリした」

「そっか……ならよかった」


 幻のようなひと時だった。そのひと時がありありと告げる。彼女はと。

 それだけわかれば充分だった。天寧がなぜ自分の目の前に現れたのか。自分はなにをしなければいけないのか。点々と思い浮かんでいた考えごとがひとまとまりになって光出した。

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