第2話 優の考察

 執筆から逃げるようにタブレットをソファの上に放り投げた。姉の『呪い』の言葉に応えられる気がしなかった。

 優は宙を見上げ、姉の正体について考察した。「なにより私はまだ読みたい」という最後の呪詛じゅそ。それに違和感を感じたのだ。

 触れた感触もあるということは生身の人間なのだろう。彼岸であの世の門が開いて帰ってきたというわけではないらしい。夕食をともにしたことから、幽霊ではないのは確かだ。

 自分が見ている夢とも考えたが、寝て起きても天寧は部屋にいた。事象が改変されたなんていうフィクションめいた仮説も立てたが、職場や家族に連絡を取ってもやはり和泉天寧は死んだことになっている。

 なにより今の天寧には一番大事な要素が抜けている。


 ──あま姉には死んだ自覚がない。


 それが彼の感じた違和感の正体だった。とぼけた口調なのは以前からだが、天寧は面倒見がよく気を使えるきっちりとした性格だ。

 自分が死んだとわかっていてあの『呪い』の言葉を吐いたと優は思えなかった。自覚して言っていたなら、文句の一つや二つも言いたくなる。

 そんな折だった。天寧が変な言葉を口にしたのは。


「優くん。今って九月だっけ?」

「そうだけど……なんで?」

「ううん。なんでもない」


 はたから見ると他愛ない会話だ。しかし日付はともかく何月かを尋ねてくるのは妙である。まるで自分の時間とは乖離していると言っているようなものだ。


 ──もし俺が物語としてこの状況を書くとしたら?


 作家としての知識を総動員させて思案する。SF、都市伝説、ファンタジー……あらゆる要素を鑑みて、優は一つの結論にたどり着く。

 天寧は異なる世界線か時間軸の人間なのだ。

 そう考えると自分の死を自覚していない理由も納得ができた。あの時は返答するので精一杯だったが、思えば彼女の第一声は不可解だった。


 ──「あれ? 優くん。ここで会うなんて……今日は早い帰りなんだね」。


 天寧の中では優とマンションに住んでいることは当たり前だったようだ。帰宅時間を把握していたのもそのためだ。しかし、二人でこのマンションで暮らすことは叶わなかったはずである。

 再会した時に優は『もしもの世界にいる』と直感したが、あながち間違いではないようだ。そうなるとこの奇跡の原因が気になると同時に、別の疑問が浮かんでくる。


 ──もし並行世界の人間なら、このあま姉はなんで自殺しなかったんだ? あるいは……


 嫌な予感が脳裏を過った。平然と洗濯物を干している姉の横顔に陰りを感じてしまう。


「あま姉、今日どっかいかない?」


 幸い今日は連休初日だ。気晴らしに二人で出かけようと優は決めた。出かければきっとなにかわかる。


「どうしたの急に? 優くんから誘ってくるなんて珍しいね」

「いや、ほら。たまには姉孝行でもしようかなって」


 その言葉を聞いた瞬間、天寧は面食らって表情がピクリとも動かなかった。おかしなことを言った自覚はなかったが、珍しい行動であることは理解していた。買い物にいく時はいつだって優がつき添いだった。


「優くん、なに企んでるの? まあでも……お言葉に甘えようかな。どこいくー?」

「近所のアウトレットとかは? 俺が車出すよ」

「いいね、それ」


 いささか訝しまれはしたが、天寧を連れ出すことに成功した。


 ──あま姉はあま姉でも、彼女はなにを抱えているんだ? 奇跡が起きた理由もそこにあるのか?


 優は確かめる決意をする。抱えているものと理由を知った時、なにかが変わるような予感がしたのだ。

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