帰還

第43話 雪

 大森林の冬は冷たく厳しい。

 神が姿を消しても、季節は変わりなく訪れた。

 戦場の傷痕は白く染まりつつある。

 しんしんと降り積もる雪が、全てを覆い隠してくれるだろう。それだけで、全て終わったかのように思える。



 修行を行うのはずっと久しぶりのことだ。

 森エルフの集落を借りて、真剣を振る。

 必要に迫られた何かのため練習をすることあっても、ただ地力を上げようとする修行からは離れていた。

 リリーは息吹の行を行わない。

 どうしてか、妖精との戦からやろうにもできなくなっていた。

 枯れ枝に残った葉が舞い落ちれば、それを自在に斬れる。

 剣の振り方だけは、上手くなった。

 ふうと息を吐いて、剣を鞘に納める。


「いかんな」


 リリーはそう漏らして、足元の雪を蹴った。

 灰色の空からは、大粒の雪が舞い落ちている。


「お嬢様、お見事、とは言えぬ様ですな」


 下男の装いで現れたウドは言って、手拭を差し出した。気の利く男だ。出会った時からずっと、絶妙に神出鬼没である。


「ありがとう。やはり、分かるか」


「殺気、怒り、敵意、全て足りませんぜ」


 ウドはリリーを見た。その瞳には、不思議と暖かなものがあった。


「齊天后殿は、なかなか律儀に助力してくれただろう。どうにも、な」


 妖精の後に疲弊した領主軍を討つこともできたはずだ。しかし、彼女はそれをやらないどころか、こちらのために薬や医者、金まで置いて去った。


「ははは、なるほど、はははははは」


 ウドが心底楽しそうに笑うのを見るのは初めてのことだ。


「可笑しいか?」


「ええ。お嬢様らしい。憎しみでは、斬れませんか」


 リリーは小さな笑みを零す。


「わたしは、何で斬っているのか。憎しみも怒りも、その一瞬だけだよ。別に世捨人や神仙を気取ってるんじゃあない。分からないんだ」


 敵のことも、分からない。そして、味方のことも。

 森エルフの集落に逗留しているのは、それが分かっていたころを思い出すためだ。

 学院へ向かう道すがらのあの時は、こんなに迷うこともなかった。ただ、敵は敵と割り切れた。今となってはその時の気持ちは分からない。


「誰かに相談されてはどうです?」


 ウドが何を言わんとしているかは分かる。


「シャザ殿か」


「適任でしょうな」


 リリーはかぶりを振った。


「なんとも合わせる顔がなくてな。大見得を切ったというのに、妖精は元から死んでいるようなものだったから」


「シャザムという男も変わりませんでしたよ」


 ウドは魔人についてそれ以上を語らなかった。

 ウドにとってシャザムという魔人、いや、シャザムという男がやろうとしたことは分かる。あれと、己がザビーネに求めたものは同じだ。

 強い風が吹いた。

 雪が吹き付けて、口に入る。冷たい。

 ウドが見やれば、リリーは唇に付いた雪を舐め取っていた。


「ウド、雪で頭が白いぞ。ははは、まるで爺じゃないか」


「お嬢様こそ、はしたないお転婆娘といったご様子ですな」


 リリーはそれを聞いて笑った。大きく口を開けて、心底おかしいと笑う。


「お転婆娘と言われたのは初めてだよ。子供のころから、ははははは、棒ばかり振っていた。それのせいで、お転婆なんて言われなかった。風変わりに物狂い、陰で呼ばれて、どれだけ母上と乳母が気に病んでいたか。ははははは、お転婆でよかったんじゃないか」


 雪がしんしんと降りしきる中の笑い声は、響き渡ることが無い。

 真っ白な雪は、音を吸い取る。

 ウドはリリーを見て、こう思った。

 こうしてみりゃあ、ただの小娘じゃないか。ちと、風変わりではあるが。


「こんなに可笑しいのは久しぶりだ。……ウド、どうした?」


「その、お嬢様は未だ十六なんですなあ」


「今年で十七だよ」


「小娘じゃあないですか」


「なあ、ウドには、わたしがどう見えていた?」


 リリーを見て、空を見て、周りを見る。

 森エルフの集落には天幕造りの仮屋がある。冬篭りが始まる前に領主軍は森から出ていかねばならない。


「お嬢様は、お嬢様ですよ。あんたに付いていこうと思ったのは、ザビーネのこともあったが、あんたとはぐれちまったら、きっと暗いところに戻ると思ったからですよ」


 そのように思ったままを言う。

 ザビーネを失った後に、興味本位で手助けしたつもりだった。自らの頭はそう思っていても、意図せず漏れたその言葉が真実だ。


「そんなに大層なものだったかな。会ったばかりのわたしは」


「あん時は、あっしも気取ってたんで……。お相子じゃねえですか」


「はは、そうだな。いつだったか、お前を配下にすると言ったな」


「ええ」


「もう旅も終わりだ。今から、友ではいかんか」


 雪が空から落ちてくる。これは本当に精霊とやらが降らしているものなのか。摂理の中にあるものは、どれも不思議で仕方ない。


「いけませんぜ。お嬢様は本当にいけねえ人だ」


「何を言う」


「いまさら、一人でケツを拭こうだなんて。貴族のお姫様みてぇなワガママが通るって思ってるんですかい?」


 リリーは口ごもった。

 五人と五人が一人になるまで戦う一騎打ち。正気ではない。


「ウド、口が過ぎるぞ」


「お嬢様、一人で五人をやろうなんざぁ、あっしもアヤメ殿もおっかない魔女に影法師殿も許しやしませんよ。シャザ殿なら、尚更のことでしょうな」


「……齊天后殿に、死神、吸血鬼、それにあの黒騎士。どれも、人と呼ぶことすら憚られる魔人の類だ」


 ウドはくつくつと笑った。


「いつものことじゃありませンか」


 リリーは空を見た。

 灰色の空はどこまでも冷たい。


「そうだった。確かに、そうだ。わたしは今から厭なことを言うぞ」


「どうぞ」


「見世物になるぞ、わたしはお前らに闘奴の真似などさせたくない」


「ふざけるんじゃねえや、この小娘ッ」


 ウドは笑顔のままで怒声を発した。


「なっ、なんという口を」


「黙って聞いてりゃあくだらねえ。そんなもんが怖くてあんたの友だちなんてやれるものかよ」


 リリーは顔を強張らせて、それから、手で顔を覆った。


「お前たちはっ、どうして、どうして」


 手の隙間から零れ落ちる雫が、雪を溶かす。


「理由なんざ、もうえンです」


 ただ仲間であるということ以外に何があろうか。そうせねばならないと、知っているだけだ。


「馬鹿共め、お前らは、馬鹿者だ」


 嗚咽は雪に吸い取られる。

 ウドはそれが止むのを待つ。

 奇妙なことだ。薄汚い細作であったというのに、いつのまにか人の言葉を紡げるようになった。

 リリーと出会う前から、修羅の日々にあった。そして、母と出会い、人に立ち返る。

 聖銀の短剣の柄を握り締めれば、分かった。ウドにとって、リリーとアヤメは家族である。

 妹を見捨てる兄がいてたまるものか。


「風邪をひきますぜ」


「ああ、くそっ、誰にも言うなよ」


「もちろんですよ。あっしも気恥ずかしい」


 共に雪の中を歩んだ。

 兄妹のように、並んで歩いた。




 フレキシブル教授はほっと息を吐いた。

 木陰に身を隠していたが、大森林の寒さは骨身に染みる。ぶるりと身体が震えた。

 白く染まる吐息に黒眼鏡が曇る。


「賭けは僕の勝ちだね、シャザくん」


「流石は先生。と言いたいところですが、多少は心配されていましたね」


 シャザは苦笑する姿までもが美しい。野暮ったい防寒着姿でも、姫のままだ。美貌に些かの衰えも無い。

 教授がそれに見惚れることは無かった。


「鋭いね。ここで解散と言い出さないか冷や冷やしたさ」


「あの子はそういうところがありますから……。難儀な弟子です」


「キミはどうする?」


 シャザは少し考える仕草をした。


「吸血鬼、いえ、父との決着を付けます。世の流れには逆らいません」


「齊天后殿の治世はそこまで悪いものにならないと、キミもそう理解したか。流石は僕の弟子だ」


 太平の世は長く続かない。

 帝国の経済状況を鑑みるに、内乱か経済のための戦争を行わねばならない未来であったのは覆せない事実だ。しかし、齊天后マフの出現でそれは変わった。


「齊天后マフは大陸に戦を巻き起こすだろうけど、帝国の瓦解は防がれる。それに、彼女が正しいなら人は進歩するだろうね」


 父母も同じことを言っていた。

 魔人が世界中を荒らすことで、様々な発展があったのは事実だ。文化、医療、戦争、全てが大きく変わったのは魔人の現れた時代に端を発する。


「先生ほどの智慧はありませんから、私にはそこまでの予見はできません」


 それでも、齊天后の治世がお伽噺のようなものでないのは確かだ。亜人という叛乱の火種を取り込んだ手腕は見事としか言いようがない。


「ラファリア皇帝陛下があっちに付いてくれるのが理想なんだけどねえ。それでリリーが負けてくれたら、この国にとっては最高の再出発(リスタート)になる」


「それでも、先生はリリーの力になるのですか」


「もちろんさ」


 シャザとフレキシブル教授は笑った。

 死なないということは病だ。

 二度目の生を受けたシャザはそれを知る。そして、その病に侵された父母を間近で見てきたフレキシブル教授もまた。


「僕は好きに生きた。シャザくん、人生最後の肩書が帝国宰相というのは悪くないと思わないかね?」


「面倒なことはお嫌いでしょうに」


 悪ぶる御仁である。

 いつだって道化の仮面を被るひねくれ者である。


「先生、そろそろ身を固められては?」


「僕は老人だよ」


 それでも珍しい話ではない。

 花街で相手を見繕うかな、とシャザは思った。

 二度と会えないかもしれなかった恩師に報いるというのも、悪くない。



 リリーたちは森エルフの長老の家に泊まり、最後の歓待を受けた。

 翌日、戦いを控えた一行は北へ向かい城塞都市ヴェーダへと進む。春まではヴェーダを拠点として、五人の勇士は力を溜める手筈となっていた。

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