第27話 再会
森エルフのリッドは目を覚まして、ねじくれた木の枝に背を預けていたことを思い出した。
身を委ねている巨大な木は、セカイジュと呼ばれる神話に語られる巨木である。その大きさは天を突くほどの巨大さで、神が宿ると言われていた。
セカイジュの枝からの眺めは絶景だ。高さがあるせいか、朝の空気はことの他エルフであるリッドに活力を与えてくれる。
人間たちの造る塔よりも高いその巨木は、人の侵入を拒む魔封の地にある。
帝国最南端、人の開拓を頑なに拒む緑の大地だ。
その昔、リッドの故郷である大森林は大陸の隅々にまで広がっていた。神々が様々な種族のために木を引き抜き大地を整えたが、緑の王はそれに怒り戦争を引き起こした。
緑の王は敗北したが、その体は魔封の地に還り、セカイジュになったという。
今も、自らの墓標であるセカイジュが人の侵入を拒んでいる。
セカイジュは緑の王の墓標であるとされている。
「いかんな。寝すぎた」
世界樹には様々な生物が住む。
ムカデに似た巨大な地竜、巨大な鷹、そして
「よく寝ていたね。まだ交代には時間があるよ」
栗鼠の人、とはリスに似た亜人である。くるりと丸まった尻尾を持つ人に似た種族だ。
「ああ、メシを喰ったら行く」
リッドは顎に浮いた無精髭を撫でてから、腫物を潰して顔をしかめた。
どどん、と大きな音が響いた。
高い木の枝から眺める鬱蒼とした森、そして海岸線。その中間地点で火の手が上がっていた。
「来たか。食いながらいくしかねえな」
栗鼠の人が止めるのを待たず、リッドは巨木を走り滑るように大地に降りた。
木の実を口に運びながら、騎竜に跨る。
二本足で地を駆ける竜である。馬や鹿と比べると頭が悪く凶暴な爬虫類で、乗りこなすのが難しい。しかし、その凶暴性は戦争には有用だ。
仲間であるゴブリン、夜の氏族と呼ばれる黒い頭巾を被った小鬼や
◆
「これは参ったな」
フレキシブル教授は黒眼鏡のツルに指をやって、位置を直しながら言った。
目の前には魔王国の軍勢。
海を渡った先にある魔王が総べる国。今なお生き残る禿鷹の魔人、狂戦士と異形が亜人と共に起した多民族国家、その尖兵が歩を進めているのだ。
彼らの持つ死の火杖が煙と轟音を上げる度、森の戦士たちは屍を晒すことになる。
「魔国の騎士殿、国交を結びたいというのなら交渉から始めてはどうかね」
巨石の陰に隠れたフレキシブル教授はそう声を張り上げた。
六十歳を過ぎてからこんなに大声を出すはめになるとは思ってもいなかった。
死の火杖は、一度撃てば次までに多少の時間がかかる。
『撃ち方ァ、止め』
相手方の下士官の号令が微かに聞こえた。
フレキシブル教授も手を上げて、森の戦士たちが動くのを制した。
魔国の軍勢が割れて、指揮官らしき者がやってくる。
「これはよくないかもしれんね」
その威容を見て、フレキシブル教授は笑みを引き攣らせた。
身長は200センチを超えるだろう。そして、体重もそれを上回るかもしれない。
太陽を反射する煌びやかな鎧を着ていた。それは、帝国風のものではない。二本の角を生やした兜に、悪鬼のごとき意匠の象られた面頬。
何よりも異様なのは、その鎧が全て純金で造られていることだ。
「指揮官がいるなら出てこい。斬らぬ」
フレキシブル教授は巨石の上に這い登ると、にこやかな笑みと共に手を振った。
「ここだここだ、指揮官殿。ボクはみんなからはフレキシブル教授と呼ばれている。キミの名前はなんというんだい」
「
「ふむ、武大将ということは、魔王の指先の一つかね」
「ほう、魔王十指を知るか」
魔王十指とは、単身で竜を切り裂いた魔王ユウの偉業にちなんでつけられた、高級武官を意味する言葉だ。
魔王の名代を名乗るに相応しい権力を持ち得る格の武将であることを示す。
「若いころは世界中をフラフラしていたからね。まあ、それはいいんだけど、こんなところを領地にしてどうするんだい? 飛び地にしても、ここに港を作るのは難しいんじゃないかな。帝国への侵略にも向いてない」
フレキシブル教授はどこかのんびりと、道化のような節回しで言葉を回す。
「降伏せんのなら、ここで死に絶えろ」
「はははは、最初からそうするくせによく言うよ。戦争は楽しいだろう、若いの」
「くふ、ははははは、面白い爺だ。こっちに来るか?」
「ふむ、歳を食うと分かるんだけどね。不義理っていうのは身が重くなるものなんだ」
「ならば、死ぬが良い」
フレキシブル教授は転がるようにして巨石を滑り降りた。その瞬間、死の火杖から放たれた弾丸が今まで頭のあった所を通り過ぎる。
「銃を実用化してくるとはなあ。ちょっと早すぎないかな。いや、魔王の国だし、あれは自然発生なのか。うーん、難しいね」
独り言をやめて見やれば、時間稼ぎの成果が見えた。
栗鼠の人の操る大鷲(フレスベルグ)の羽音と、百足地竜(ニーズホグ)の走る地響きが近づいてくる。
「生き残ってる者は撤退だよ。さあ、生きて帰ろう」
頭を低くして、フレキシブルは叫びながら手の交差で合図を出して走り始めた。
背後を振り返れば、大鷲の強襲に大砲の準備が間に合わず、蹴散らされている。
「さて、あの化物は……。参ったなこれは」
大人五人分の大きさである大鷲を、斬馬刀で斬り伏せる黄金騎士グロウの姿がある。
魔国の軍勢の雑兵が、空を飛んだ。文字の如く味方を跳ね飛ばして背後からやって来るのは、巨大な馬である。
「
と、黄金騎士の叫びが聞こえた。とんでもない名前の馬だ。そして、その名に相応しい怪物である。
魔国の軍勢の多くが、彼の将軍に魅せられている。
指揮官が単身突撃とは愚の骨頂。しかし、黄金騎士はその愚で、兵を英雄へ変える。
「銃を作ったってのに、それをやるんだもんなァ」
フレキシブル教授は死を覚悟した。
世界で一番の知恵者を自負しているからこそ、最も噛み合わない、いや、相性の悪い敵だ。むしろ、確実に負けるという予見がある。
知恵比べに確実に勝つ方法がある。
それは、知恵を凌駕する愚直な暴力で押し切ることだ。
雷鳴のごとき嘶きと共に轟魔という名の軍馬が駆ける。
黄金騎士の駆る巨馬。怪物の愛馬は魔物を凌駕する魔物であった。
「爺、もらうぞ」
「年上を敬えよ、若いの」
走って逃げられる相手ではない。
振り上げた斬馬刀を、黄金騎士はフレキシブル教授ではなく見当違いの方向に振り下ろす。斬馬刀が斬ったのは、雷神の鋭さで飛来した矢であった。
「爺さん、逃げろ」
「ええい、皆で人を年寄り扱いしおって」
フレキシブル教授は走り、救援に向かった栗鼠の人に拾われて距離を取ることができた。
追おうとした黄金騎士に向けて放たれたのは、氷で出来た魔術の矢である。しかし、それに対して黄金騎士は籠手で殴りつけるという行動で魔術の矢を叩き潰す。
「この俺に矢と魔法か。あの爺さんは潰したかったが……」
背後では魔国の軍勢と森の民の混戦が始まっている。この混乱を収めねば、被害は大きくなるだろう。
「代わりに射手、お前の命をもらうか」
深追いするのは、愚かな選択と言えるだろう。追うのが、この黄金騎士でなければ。
轟魔という名の巨馬が、黄金騎士と一体となって駆けた。
「とんでもねえ化物め」
リッドは騎竜で距離を取りながら弓を射掛けるが、多少いいところに刺さった程度では、黄金騎士と豪魔は止まらない。
常ならば、痛みに止まるであろう場所に矢は刺さっているというのに、黄金騎士の瞳は戦の喜悦に染まったままだ。
「逃げるぞ」
仲間に言った時には遅い。
騎竜には大きな欠点がある。二本足の竜は、闘争本能により敵に向かう習性ある。それにより、乗り手を無視する。
「くそっ、このトカゲ」
リッドは竜から飛び降りる。
眼前には、竜の頭を両断する黄金騎士がいる。
強い。これほどの益荒男が魔王の将か。
「長耳の傭兵よ、俺につくか? お前の矢は気に入った」
「ははは、森エルフはな、森を焼くヤツには容赦しねえ。それにな、裏切りってのはダサいだろ。男ぶりを下げる訳にはいかねえんだよ」
「面白いやつ。俺に出会った不運を呪え」
リッドは息を吐いて、にやりと笑って弓を構えた。
目を射抜けば、この化け物も死ぬはずだ。相討ちになるだろうが、それは考えない。
背後で奇怪な光が走る。しかし、今の二人にそんな些末事は目に入らない。
ぎりりとリッドが矢をつがえれば、眼前には迫りくる黄金騎士。
びゅん、と何かが空を走った。
「邪魔を」
黄金騎士、矢を意に介さないはずの男が鋭く走ったそれを切り払う。落ちたのは、岩人の作であろう帝国様式の短剣だ。
「リッドッ」
懐かしい声がした。
「なっ、おい、マジか」
リッドにとっては馴染み深い大鹿の嘶き。
轟魔はミラールの体当たりで体勢を崩し、黄金騎士は自ら馬から飛び降りる。地に降りても体勢を崩さず、ぶうんと大きく斬馬刀を振った。
大ぶりの一撃を、襲撃者は体を低くしてかわしていた。
「ぬ、女か」
「きいえええええ」
気合と共に黄金騎士に恐るべき鋭さで放たれたのは、腕を狙った木刀の振りおろしである。
黄金騎士は籠手で受け止めようとした。しかし、その瞬間、本能とでも呼ぶべきものがもたらした悪寒により、意識より先に肉体が反応する。
巨体に見合わぬ身軽さで、黄金騎士は距離をとった。無意識のうちにである。
「俺を、退かせるか」
手を打つはずだった木刀の一撃、なんと鋭い。そして、ただの振りおろしではない。何か、異常な何かの乗った一撃であった。
黄金騎士は喜悦に染まる瞳で、彼女を見た。
旅姿の女剣士といったところだが、腰には虎の毛皮を巻いていた。
意志の強そうな瞳、琥珀色の髪、そして、瞳に宿るのは炎のごとき闘志と、罪を持つ者だけにある翳り。
「グロウ・クーリウ、俺の名だ。女、お前は」
「リリー・ミール・サリヴァン」
惑いなく応える凛とした立ち姿。
黄金騎士の背後で、グロウの指示を乞うための合図である三連の銅鑼が鳴った。
「お前、俺のモノになれ」
「アホかお前は」
「お前であれば、共に駆けることができる。が、今はお預けだな」
ミラールと争っていた轟魔を口笛で呼んだ黄金騎士は、愛馬にまたがり陣地へ戻ろうとしている。
リッドは弓をつがえていたが、下ろした。女の陰に隠れて矢を放つ。それができないのがリッドの弱みだ。
「リッド、前とは逆になったな」
「ああ、助かった。益荒男よ」
「淑女だと何回言わせる?」
本物のリリーだ。
リッドはリリーとその一行を連れて撤退する。
特に、今はお互いの事情を知る時であった。
◆
脳男による転移で放り出されたのは鬱蒼とした森の戦場である。
前からは異国の軍勢、背後からは亜人たちの群れ。
混乱に陥りかけた時に見つけたのがリッドだった。
リリーはそのように説明したのだが、全く理解できない。
地下迷宮を走破し、幾つかの紛争を解決して名が売れたと思っていたリッドだが、リリーはそれのはるか上の悪名を手にしている。
リッドが案内したのは、魔封の森の中心部であるセカイジュの根本だ。
今現在、ここは森の民たちの本陣となっていた。
本来ならば、ここは祭祀に使われる場所なのだが、祭壇の前には天幕が並び、ゴブリン、恐竜人、栗鼠の人、魔エルフなどが集まっている。
かなり遠くに来たことだけがリリーには分かった。
「で、ここはどこだ?」
「そっからかよ。帝国最南端の魔封の森だ」
てっきり大森林にでも転移させられたかと思ったが、思うよりも遥か遠くへ来ていた。
セザリアからだと、船でも一か月近くかかるだろう。脳男の恐るべき力の一端を垣間見た気になった。
「で、お前はどうして」
「おっと、そこからはボクが説明しようじゃないか」
銀色の髪を撫でつけた老紳士然とした男が割って入る。
カイゼル髭の先端をつまみながら、得意げな顔だ。しかし、大貴族の出であるリリーから見て、山師のような胡散臭さを感じる人物であった。
「ボクはフレキシブル教授と呼ばれている。今後ともよろしく」
高級品である黒眼鏡を戦時でも外さぬ老紳士。特徴的なこの男のことを、リリーは二人目の師より聞かされていた。
「もしや、シャザの先生とは、あなたのことか」
「ほほう、シャザくんの知り合いかね。彼女は息災かな?」
「はい。剣の道で師と仰いでおります」
「愉快愉快。ボクにとってシャザくんは娘同然だからね。さてどこから説明したものかな」
「おい、俺が話しているってのに爺様ときたら」
リッドが言えば、フレキシブル教授は大げさに肩をすくめて、リッドにだけ分かるように目配せをした。
若いものはガッついていていかん、任せておけ。
と目で語っているのだが、人は目だけで会話はできない。
◆
リッドがフレキシブル教授や女魔術師と出会ったのは、地下迷宮を攻略するという冒険者たちの集まる酒場でのことだ。
攻略と言えば聞こえはいいが、盗掘や死体漁りの類である。
英雄の時代の遺跡には、今も宝があるという伝説が残っていた。一攫千金を夢見る傭兵が挑むこともあるが、その多くは死体になる。
迷宮の中にあるのは、魔物と追剥と罠だ。
ここでは割愛するが、リッドは今の仲間たち、そしてとある領主の嫡子と共に一つの迷宮を走破した。
その後、面倒なお家争いを避けて南へ南へと旅している内に、魔封の森へやって来た。
魔封の森で魔エルフと出会い、成り行きで侵略者たちとの戦いに身を投じているとのことだ。
「うん、大冒険なのは分かった。リッドが森を出たのは意外だったな」
「ははは、まあ色々と思うことがあってな」
フレキシブル教授が、肘でリッドを小突く。口説け、の合図だ。
たき火を囲み、森の民の造る茶色い泥水のようなスープをすすれば、驚くほど美味い。
塩見があり、それ以上に奥深い味がする。初めての味で、リリー一行には似たもので表現できないのだが、とにかく美味い。特に、塩味の効いた味は疲れた体に染み渡るようだ。
「リッドのお客人、ミソスープの味は如何ですか」
と、そこにまた新たな者がやってきた。
真っ白な、病的なまでに白い肌と紅色の瞳を持つ魔エルフの姫君だ。装飾で、彼女が姫と呼ばれて差し支えない地位にいることが分かる。
「過分なもてなしに、感謝いたします」
リリーは貴種として礼を言う。
少しだけ魔エルフの女は驚いた顔をした。
「人間はわれらをダークエルフなどと呼ぶというのに、珍しい御仁ですね」
「一飯の恩義に対し、礼を逸することはできませぬ」
「よい。楽にしておくれ。リッド、語らいもよいが戦の話もある。済ませたら妾の天幕まで来ておくれ」
「ああ、すぐ行く」
魔エルフの姫はリッドに艶っぽい流し目を送ると、背を向けた。
魔エルフ、ダークエルフとも呼ばれるが、魔封の森に住む異形のエルフである。
洞窟で暮らし夜に活動する彼らは、白すぎる肌と紅色の瞳を持つ。お伽噺では悪役としてよく登場し、アメントリルの時代以前には魔物として狩られていたこともある種族だ。
「リリー、悪いな。この戦で雇われているんでね」
「いや、いいよ。しかし、これではアメントリルの墓所を捜すのもままならんな」
フレキシブル教授は、ぴたりとスープを掬うスプーンの手を止めた。
「ふむ、墓所に行くのかね。それなら、魔エルフ、さっきのディネルースの氏族に頼まねばならんよ。あの一族は墓守をしているからね」
「……それは秘密なのでは?」
リリーは鋭く言う。
どうにも、油断のならないものを持った男だ。例えシャザの師であったとしても、今の会話に食いつくのは違和感があった。
「ボクは考古学者でね。本当はそれを見に来たんだけど、成り行きで戦争をしているのさ」
「左様ですか。……侵略者というのなら帝国の危機、それに、友の危機でもある。やらねばならんか」
運命というヤツはいつも、リリーの邪魔をする。戦わずに進めたことが無い。
「リッド、わたしも天幕に行こう。どうせ、あの黄金騎士はわたしを狙うだろうしな」
剣を合わせれば分かることがある。
いつ、どこで、如何なる状態で出会ったとしても、あの男とはこうなっただろう。
斬り合いを避けて通れぬのが、剣の道。いや、リリーの道か。
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