第16話 活人と殺人の咎

 リリーはシャザと、アヤメは闇狩りの伊達男と相対した。

 噴水の左右で、互いが互いを見ている。

 奇妙に静まり返っていた。

 周りを囲む無数の目よりも、目前の怪物の瞳はどこまでも不快で、どこまでも心地よい。



 ヴェーダに巣食う渡世人、青錆組は賭け札を売って回るのに夢中であった。

 シャザはリリーに向けて、嫣然えんぜんと微笑む。


「人食い姫様、いえ、リリー・ミール・サリヴァン、皇帝を害そうとした悪女と聞いております。それは正しいことでしたか?」


「無論。しかし、力及ばず仕損じた」


 すう、とシャザの気配が変わる。

 あの教会騎士との立会いにも感じた、強者の持つ存在感とでも呼ぶべきものだ。それが、膨れ上がる。


「わたくしは、迷っております。この首を差し出せば、この戦いで得られる幾ばくかの金銭でわたくしの大切なものを代わりに救ってくれるお方かもしれないと、感じているのです」


「試すのはよしてもらおう。口を開けてメシが落ちてくるのを待つようなことができるものか。女が廃るというもの」


 シャザの口元が歪に引き攣れる。

 呵呵大笑かかたいしょうしたいのを我慢しているのだ。


「我慢はよしたらどうだ、シャザ殿」


「くふ、はははははは。金のために戦う醜さを恥じるのは、貴様を舐める行いであろうな。許せよ、人間の誇り高い女よ」


「エルフからは益荒男ますらおと呼ばれたよ」


 リリーは木刀を抜く。

 対するシャザは全身を覆い隠す合羽かっぱで、両手を広げた。

 手がそこにあるのは分かるが、体は見えない。そして、その姿のなんと奇異なことか、役者の演じる魔女のような姿だというのに、隙が無い。


「我流ではあるが、弔流と名付けておる」


 弔いの業か。

 この言葉遣いが素なのだろう。美しすぎる姫の仮面を脱げば、武人がいる。


「流派の名は知らんが、師より受け継いだ息吹の剣。推して参る」


 口上を上げての戦いなど、古の戦記でしか見たことがない。本物の武人と、まさか自分がすることになるとは。

 リリーは滾る血を冷ますため、息吹の呼吸で木刀と一体になる。

 シャザは腕を広げたままだ。

 腕から垂れさがる合羽。まるで蝙蝠のようだと、不気味な威圧感がある。


「キイェェェェ」


 気合と共に先に仕掛けたのはリリーだ。上段からの振り下ろしを見舞う。

 合羽の裾がひるがえり、視界を奪うが、一顧だにせず振りぬいた。

 手応えは無いが、死地を脱したという感触がある。

 ゆらりと、怪鳥のようにシャザは舞っていた。

 何らかの返し技を避けけることができたのは分かる。しかし、何をされそうだったかは、全く分からない。


「奇異な動き」


「心地よいな、そなたの剣は。息吹か。その剣は好きだ」


 シャザが牙を剥きだしているように見えた。

 自身をオークの生まれ変わりと語る物狂いと聞くが、これがただのオークなどというものであるはずがない。


 その美形の下に、恐るべき修羅がいる。


 その剣筋は、全く違うというのに師を思い出させた。

 打ち込む隙はある。だが、その後が怖い。


「かぁつッ」


 シャザの大声に、リリーはびくりと体を反応させてしまった。

 来ると感じ、体が動くようになった瞬間になって、シャザが一歩も動いていないことに気づく。


「その様子では、わたくしには勝てぬぞ」


 合羽で全身を覆い隠してたシャザ。

 あまりにも奇妙なその姿勢。これでは、シャザが手にしているであろう得物すら分からない。そして、未だ一合、打ち合ったとも呼べないというのに、シャザの言葉は的を得ていた。

 リリーが感じているのは不気味さだ。布を相手にしているようで、斬れるという思いすら湧かない。


 木刀を握る手に力が篭る。

 舐めるなと言いたいが、力の差を、嫌というほどの差を感じていた。師と同じか、それ以上か。


「戻る道も無いと知れば、斬り進む他に無し」


 リリーは息を吸い込んでそう言った。自らを鼓舞するための言葉だ。

 引き返す道は無い。進むことでしか生きられぬ地獄の旅である。


「真っ直ぐ進むか。その心意気は好し。だが、非力と知れ。そなたの進むは血の池である。血は体にまとわりつき、いつしか剣も握れぬほどに血達磨になろうぞ」


「望む所よ」


 断言したリリーに、シャザは失望の色を見せた。


生命いのちを軽んじる者に活人剣はつかめぬ。そなたの師の代わりに、わたくしが教えよう」


 シャザは一歩、前に出た。

 来るか。

 戦いは力の差だけでは決まらない。弱い者が強い者を討つこともある。人の身体はどれほど鍛えても。刃で、矢で、容易く傷つき死に至るものだ。

 秘剣というものがある。きっと、シャザはそれを持つ。


 リリーには秘剣と呼ぶべきものは無い。しかし、ただの振り下ろしと切り上げの速度には、師に限りなく近づいているという自負があった。


「クゥァアア」


 シャザの気合の叫び。

 さらに半歩を踏み出したシャザに、リリーは返しの木刀を振り下ろした。

 命に価値など無い。いつ消えてもおかしくないからこそ、それを燃え上がらせて剣を放つのだ。


「小童がっ」


 木刀を振り下ろさんとされるシャザの声に、怒気が乗る。




 アヤメと伊達男の対決は噴水を挟んで始まった。

 伊達男は自由騎士がよくやる派手な騎士服に羽帽子である。対して、アヤメは司祭服だ。


 誰が、この二人が戦うと思うか。


 先に構えたのはアヤメである。

 両手には包帯を巻きつけているだけで、無手である。


無手活流むてかつりゅうかい。やり辛いね。俺が悪党に見えちまう」


 伊達男は髭を整えて、腰につけていた聖銀の片手斧を右手に持った。自然な動作である。


「巡礼の女が二人。それを斬るのが悪でなくてなんなのです」


「あんたは殺さず引き渡した方が金になるそうだよ」


「司祭を殺せば、地獄に堕ちますよ」


「ははは、浮世こそ地獄さ」


 吸血鬼狩りの伊達男。

 闇狩りで知らない者はいない。

 半吸血鬼にして吸血鬼を狩る男。二十年ほど前に、辺境で乱を起こした弩羅妃ユアの首を取った男だ。


「吟遊詩人の詠う英雄譚、本物か確かめさせて頂きます」


「あれは、そこそこ盛ってるのさ」


 始祖の一人とされる吸血鬼、弩羅妃ユアは炎の吐息と石化の視線、さらには影から地獄の軍勢を呼び出したという。


「ご謙遜を」


「あいつが影から呼び出せるのは、地獄の騎士一人だけなんだぜ」


 アヤメが伊達男との距離を詰める。

 丹田を逆に回し、女陰を焼くほどの瘴気が全身に満ち渡る。

 邪術により、拳に瘴気をまとわせて他者を砕く邪法だ。


「シャッ」


 貫手が伊達男の頬をかすめた。指先より、生命の力を吸い上げる。


「危ない術を使いやがる」


 伊達男は大げさに体を逸らしてアヤメの貫手を避けていく。


 この男は強い。


 アヤメとて御年一七歳。経験の無い小娘である。

 それでも、常人には分かりようが無い修練を積み。修羅場鉄火場を潜り抜けてきた。

 アヤメも相当に強いだろう。しかし、この男は違う。

 肉体の最盛期が長い半吸血鬼が、生きた時間のほぼ全てを戦いに注いで出来上がった闇狩りである。

 

「さて、次は俺からいくか」


 片手斧を、両手で握る。

 伊達男の斧術は、一撃で首を刈り取る剣である。


「おいでなさいませ」


 対するアヤメは無手のままだ。素手こそが最も恐ろしいとさえ言う兵法家もいる。


「……ちょいとあんたは、小さくまとまりすぎだな」


 伊達男は大ぶりに片手斧を構えて、投げた。

 これには意表を突かれたが、避けるのはたやすい。横に跳べば、斧が風を斬る感触が伝わる。


「油断するなよ」


 その声にアヤメが反応した瞬間、投擲された斧が弧を描いて後ろから戻って来た。


「なにっ」


 なんとか避けることはできたが、目の前に伊達男がいる。

 防御姿勢をとる前に、アヤメは腹を殴られていた。

 あまりの衝撃に、アヤメは膝を突く。身体の奥で瘴気を練ることができない。

 ただの打撃なら、吸血鬼のものであっても耐えられたはずだ。しかし、この男の一撃は、アヤメの中にある『気』をバラバラにした。


「な、なにを」


「邪術使いを倒そうと思ったらな、こっちもそれを覚えるしかないんだ」


「お、お願い、命だけは。なんでもするわ、だから、殺さないで」


 命乞いをしながら、息を整える。

 必死の懇願の顔で、伊達男の瞳を見やれば、それはまるで鉄のようだ。油断させようとしていることを見破られている。

 それでも、アヤメは口内から含み針を放つ。必殺の蠱毒が塗布された針である。

 伊達男は、それをあえて手の甲で受けた。


蠱毒針こどくはりかよ。虫下しは飲んでるんでな、そいつは効かんよ」


「我が業をことごとく、かわすか」


「あんたの先代とな、色々あってやりあったことがあるのさ」


 アヤメは切り札を使うため、無理矢理に身体に力を入れた。


 体内にあるという座点。チャクラとも呼ばれ、生気や精気を司る体術の秘奥である。

 座点を回すことで、「ぷらあな」という力を行使できる。

 使いすぎれば人鬼へと至る、教会の暗部に伝わる禁忌の技。


 伊達男は少し考えた顔をして、口を開く。


「アヤメさんよ、あんたは計算して戦うだろ? 汚いことだって平気でやる。それもいいが、時には感情でやれ」


 体を整える時間ができた。

 魔を狩るため、自らを魔に近づける人鬼の術。どうせ死ぬというのならと、アヤメはそれを行使する。

 アヤメの全身から、魔物と変わらぬほどの瘴気が放たれた。

 

 人間を超えた速度で地を蹴って、伊達男に拳を見舞う。


「シィッ」


 気合と共に放つのは、拳、蹴り、拳、蹴り。そのことごとくが、いなされた。


「もったいねえ」


「何を」


「こんなとこで終わるのがだよ」


「減らず口を」


 柳に風とはこのことか。

 暴風のごとき拳を、伊達男はゆらりゆらりと躱していく。傍から見ればアヤメは優勢と見えるやもしれない。

 実際には、実力差がありすぎて、攻撃が通らないだけのことだ。


『くぅわぁぁぁぁ』


 噴水を挟んで怪鳥のごときリリーの声。

 アヤメは濡れるのもかまわず、噴水に跳び、蹴りで水を伊達男に浴びせかけた。そして、リリーの戦いへ乱入する。




 リリーには信じがたいことだった。

 幾千、幾万、剣をふり続けた。

 自信は持っている。そして、戦いも知り、剣士であると自負している。なのに、なのにだ。

 鉄を折り曲げるほどにまで高めた息吹を乗せた木刀が、シャザの両手で受け止められている。


 無刀取り、と呼ばれる技である。


 真剣を拝むように、両の掌で受け止める。

 確かに、真剣に比べて木刀は取りやすいだろう。しかし、この一撃は魔物と化した虎を一撃で屠るほどの力が乗ったものだ。

 まともに受け止めるなど、人にできようもない。


「良い一撃ではあるが、さて、どうする?」


「ぐ、離せ」


 万力で固定されたかのように、剣は動かない。

 リリーが冷静であれば、シャザが掴んだ木刀の角度を変えることで、リリーに力を入れさせまいとしているのが分かったはずだ。

 リリーはそれに気づけないでいた。

 今、絶対の一撃を受け止められたというこの状況が、リリーから冷静さを奪っている。


「未熟な小童よ、ここで決めい。活人剣とするか、殺人剣とするか」


 師は、それを教えなかった。

 リリーにとって師は神に等しい。だからこそ、師の言葉に疑問を持ったことはない。

 剣は、ただ命を奪うだけの道具。

 活人か殺人か、それは結果でしかない。故に歩んだ道だけがその答えであると。


「歩んだ道でしか、それは語れん」


「人食いと噂され、皇帝陛下を暗殺せしめようとして失敗し、幾多の賞金稼ぎを血の池に沈めた悪女か」


「黙れいっ」


 息吹を総身に乗せて、剣を無理やり引き抜く。


「一度、死ぬがよい」


 総身の毛が逆立つような殺気であった。

 シャザは身を翻し、合羽の前を開けた。

 合羽の下は白装束である。そして、背中にくくり付けていた棒を取り出した。

 鍛鉄を荒く切り出したような、節くれだった鉄の棒だ。


 リリーが今まで見たどのような武具とも違っている。

 短槍とは似て非なる、オークの戦杖いくさづえ

 

「くぅわあぁぁぁ」


 恐怖を抑えるための気合と共に、リリーは木刀を横凪ぎに一閃。

 なんなく避けたシャザは、ごく軽い動きでリリーを突いた。

 身を捻りかわせば、それは囮で、戦杖で横凪ぎに弾かれた。

 立ち上がったリリーの目の前には、戦杖の切っ先がある。


「あ」


 リリーから呆けたような声が漏れた。

 今までの様々なことや、思い出が一瞬の内に思い出される。師の死に顔は満足げで、何か言おうとした時には、胸の真ん中に衝撃が走り「死んだ」と分かる。



 瀕死で最後のぎょうをつけた師の剣の鋭さ。

 青白い月の下で、木刀と剣で打ち合った。

 悪意を持った運命を斬り伏せるのだと、師は言った。

 いつからだろうか、リリーは武人として生きていくことだけを望むようになった。

 師のようになるためだけに、生きる。それは、本当に正しいことなのか。



 激痛の中で、音が聞こえた。

 噴水から水しぶきと共に来る、アヤメの必死な顔。

 なんだお前、そんな顔するなよ。




 アヤメが見たのは、地に倒れ伏して痙攣するリリーである。

 視点は定まっておらず、幾多の死を見てきたアヤメには、その痙攣から致命傷であることが分かる。


 達人と呼ぶべきものの殺し技は、斬らず、首を落とさずとも一撃で死に至らしめるものがある。

 リリーの様子は、手遅れであると知らせるに十分なものであった。


「リリーさん、あなたが死んでどうするのですか」


 自分でも思いもよらぬ言葉。

 気に入らない女だった。


 肉体の奥にあるという座点。

 人間は右回転として、魔物は左回転をして気を循環させるという。アヤメは左の回転を会得して、邪術をわが物とした。


「一の座点を解放し、続き二の座点、女陰ほとを締め、背骨より回し、額の座点を開き、心の臓を鬼骨きこつとする」


 奥義といえば奥義なのだろう。

 生きながらラクシャサと呼ばれる鬼となる邪法。何もせず死ぬのは、先に逝ったリリーに悪い気がした。


「ほう、人鬼となるか。伊達男や、任すぞ」


 シャザが言えば、背後から伊達男の気配。

 アヤメは振り向きざまに貫手を放ち、瘴気に燃える指先で伊達男の肌を切り裂いた。


「おっと、油断した」


 薄く、伊達男の胸元が切り裂かれた。

 指先が鋭利な刃物と同じ切れ味を持つ。水鳥の邪拳。

 アヤメは今の一撃で心臓まで切り裂いたつもりであった。それなのに、裂いたのは衣服と薄皮一枚。


「シャアアア」


「そうだ、それでいい。時には心でやれ。尻尾巻いて逃げるだけのヤツは運命には勝てん」


 伊達男はアヤメの貫手を受けた。

 左肩をアヤメの手が貫く。

 アヤメの口元に人鬼の凄惨な笑みが浮くが、それはすぐに凍りついた。


「吸血鬼に限らず本物の化物ってのはな、これができる。今は寝ておけ」


 貫いた手が引き抜けない。半吸血鬼ダンピールが憎むべき鬼の片親から引き継いだ異常なまでの生命力だ。

 その力は、虫にも例えられる。吸血鬼は頭を落とさねば倒せない、百足の如きもの。

 肩口を貫かれたまま、伊達男はアヤメの腹に両手を当てた。


「う、ぐ、死霊の手か」


 冷たい、生命力を吸い取る魔術の一つだ。


「あんたは生きたままの方が、いい金になるんだ」


 冷たい、心まで凍るような掌による打撃で、アヤメは意識を失い崩れ折れた。




 四人の世界に音が戻る。

 戦いが終われば、それを見る者たちの怒号。

 お前に賭けた、勝った、負けた、野卑な歓声が聞こえた。


「武は見世物か。このような時代に、こんな者たちがいる」


 シャザは言うと、伊達男に微笑んだ。

 伊達男はいつも、シャザの美形に見惚れる。そして、少し遅れて彼女が哀しんでいるのに気づく。


「紙一重ではあったよ。蠱毒針には肝が冷えた」


「余裕がありそうでしたが」


「芝居だよ。あと三年経験積まれてたらこんなに上手くはいかなかっただろうさ」


「青錆組への義理立てはこれでよろしかろう。金貨一万枚、人の命を金に変えるなど、下賤な行いでした」


 シャザが振り返れば、泣きながら手を振る子供たちの顔。


 贖罪のために孤児を育てる。

 子供を金にしようとする連中との戦いは、渡世人たちの仲介がなければ、屍山血河を築いても終わらなかった。それが、この度の決闘に繋がった。

 両親のことよりも、そちらが大事。


 見やれば、リリーの心の臓と呼吸が止まっていることを、青錆組の小者が確かめている。


「流石は贖罪のシャザ様で」


 昨日、リリーとアヤメに迫った渡世人の男がやって来て言う。露骨にゴマを擦る顔だ。


「華のある戦いとはいかなかったが、よろしいか?」


「へへへ、賭け金も上々。詳しい額は後でお知らせしやすが、シャザ様には借財を差っ引いても金貨千枚は固いですぜ」


「半分はあなたたちへの駄賃としましょう。借財の証文はここで燃やして頂けますか」


「もちろんでさぁ」


 渡世人は金貨2400枚の証文をその場で、言葉の通り焼いた。燃えカスを噴水の中に叩き込む。これで、金の呪縛はなくなった。


「さて、お約束通り、姫様のご遺体は頂いていきやすぜ」


「亡骸は供養してやりなさい」


「お優しいことで。ここはシャザ様のお顔を立てておきましょう。司祭の客人がいらっしゃいますんで、読経をお願いしやしょう」


「よしなに頼む」


 戸板に乗せられて、人食い姫の亡骸は運ばれていく。


「昼三つにもなりませんか」


 呆気ないものだ。

 死闘はいつだって、呆気なく終わる。人の命もまた、同じようなものだ。





 青白い月の下にいた。

 今まで奪った命はいかほどの数か。

 初めて打ち倒したのは山賊である。

 街道沿いで人を襲う者である。

 リリーが一二歳の頃だった。



 ひどく暑い日のことだ。

 師は路銀が尽きると商人の護衛をして旅を続けるのを常としていた。

 リリーは師の弟子として、さしたる仕事はないものの木刀に短刀を持って随伴する。

 同道する商人たちは、薄汚れていても顔かたちの美しいリリーを何かと甘やかした。


 様々な面白い話をしてくれる商人がいた。

 怪談めいた話から艶話まで、さまざまな話を聞かされた。

 時には菓子に釣られて、そのまま寝所に引きずりこまれそうになったこともあるが、そういう時は木刀で骨を一本へし折ることで切り抜けた。


 旅にも慣れ始めたある日のことである。


 昼日中、街道を塞ぐ無頼の徒。

 多少の金子で話がつけばよいが、そうならぬ時もある。


「金と命、両方を置いていけ」


 山賊は全員を殺して全てを奪うつもりであった。


 その両方は渡せぬ。

 師が前に出た。


「産を作ることなき無職渡世が、天下の往来を我が物とするは許されぬ。貴様らは最下層と知れ。ただ生かされておるだけと知れ。その領分を忘れたとあれば、害獣にも劣る。故に、ここで斬り捨てる」


 普段口数の少ない師が朗々と言う。

 戦いは一方的といってよいものだった。


 リリーも木刀を構えていた。いつ来てもと心構えはしていたが、体が重かったのをよく覚えている。


 背後から来た気配は、自分より少し年上の少年のものだった。

 悪鬼のごとき血に飢えた顔。

 夢中で木刀を振りぬいた。

 頭蓋を割った一撃に手が痺れる。


 呆気ないものだった。


 師に止められるまで叩き続け、少年の頭はスイカを叩き続けたような有様。まるで原型を止めていなかった。


 リリーは泣いた。


 命を奪うということは、かように恐ろしいことかと咽び泣いた。


 商人たちは、それを奇異な目で見ていた。下々に生きる者にとって、野盗を打ち殺すなど当たり前のことにすぎない。剣士のくせに弱虫だと嗤う者もいた。


「命とはこのようなものだ。奪い奪われる。この者たちが山賊に堕ちたのも、理由があろう。口減らしの子供が生きるために力を振るっていただけかもしれぬ」


「食うためだけに、剣を使うのですか」


「弱い者から奪うために剣を使う。我らも路銀のために剣を振る。ただな、命とはそれほどに価値が無いというのに、尊いのだ。剣に生きれば、無数の命を奪うことになる。道具であるからこそ、使う者次第だと、忘れるでないぞ」


 未だ、その意味は分からぬ。


 自らの正しさとは、恥じ入ることなき生き方だと思っている。

 活人剣というならば、野盗の少年の命を助けるべきだった。殺人剣というならば、今までに相対した剣客を、ミシャのように害するべきだった。


 手を砕かれた虎の将。この後、剣を握れなくなれば、それは死より辛いことではないか。フーゴを手ひどく打ちすえたが、本来ならば二度と連接棍を握れぬ体にすべきではなかったか。


 どちらにも決められなかったからこそ、今のリリーがある。


「人食いと噂され、皇帝陛下を暗殺せしめようとして失敗し、幾多の賞金稼ぎを血の池に沈めた悪女、か」


 シャザの言う通りだ。何にもなれず、流されて悪女になった。

 


 どれほど時間がたったか、気が付けば全身が痛む。

 アヤメは手足に枷を嵌められて壁に吊るされていた。

 分厚い鋼の枷である。

 石造りの部屋には窓が無い。代わりにあるのは、灯り台。そこに照らされるのは、ロープをほどいて作られた九尾の猫と呼ばれる拷問用の鞭と、見るもおぞましい責め具の数々であった。


「……命は、あるようね」


 声を出して喉がやられないか確認をする。耳も、目も、鼻も、潰されはいない。


 見知った抹香の匂いが鼻をくすぐる。


「お久しぶりですね、アヤメさん」


 部屋に入ってきたのは、司祭長リュリュである。

 遠路はるばる、城塞都市までやって来たようだ。ついたばかりなのか、旅姿を解いていない。


「お久しゅうございます。司祭長様、この枷を解いて神のご慈悲を頂けますか」


「ほほほ、それもよろしいですね。しかし、あなたは悔い改めてしかるべき」


 罪の印で胸を焼かれた時、散々に言い負かした。

 いらぬ恨みを買ったな、とアヤメは口元で自嘲的に笑む。


 司祭長リュリュは60歳を越した女性だ。しかし、その瞳にはぎらつく欲の光がある。それも、嗜虐的なものだ。


「アメントリル様と同じ黒髪と黒い瞳。羨ましいと幾度思ったか」


 リュリュの指はほっそりとしていて、歳を経ているというのに、艶があった。

 太ももを触る手は、女同士の性に慣れた者独特の、どこか粗野でいて、それでいてしなやかな、意地の悪い手つきでアヤメの秘所をくすぐった。


「リュリュ様は噂通りの女色にょしょく者でしたか」


「男を知れぬ尼僧の身。積み上げる修行の中では、尼同士の絆はこのようにしか辿れぬ」


 乳房をまさぐる手。


「男なぞいくらでも買えましょうに」


「私が好きなのは、お前のような信心の足りぬ者に神の愛を教えること」


 ぎり、と乳首を抓られる。


「下衆が。汚らわしいわ」


 目を合わせて笑みと共にアヤメが言えば、リュリュは手を離して、責め具の中から九尾の猫を選ぶ。

 燭台の灯りに照らされて、鞭を振りかぶるリュリュの影が大きく翻った。

 九尾の猫の刑罰は、屈強な水夫ですら二度で悲鳴を上げ、三度で失禁し、五度で従順になり、十度で狂うという。


「痛みのあとにこそ、法悦はあります」


 リュリュの喜悦の笑み。

 痛みに、アヤメは咽び泣く。





 これほどとは。

 ウドは戦慄した。

 今までの生で、常人を遥かに上回る驚天動地の戦士と幾人も出会った。しかし、この女は違う。今までの中で最も、最も恐ろしい。


 子供たちに囲まれて、スープの鍋をかき混ぜる美しい女。

 弔流の戦士、弔いの士。贖罪のシャザである。


「ウドさんもいかがですか?」


「いえ、あっしは、かような穢れ無きお子様と共にする資格は」


「細作として名高い蛇蝎のウドや、人とは、穢れとはなんぞや」


 びしりと、たおやかな声音。春の雷鳴にも似た、強い声である。


「細作稼業ゆえ、仔細はご容赦を」


「ここにおる子らは罪人に夜鷹の子ぞ。わたくしは七人の男を心胆から堕落せしめ、命を奪うまでに惑わした遊女であった。淫売の作るものが食えぬほど、穢れておると申すか」


「好いた女を、死地へ送り申した」


「笑止。生きるを躊躇う理由にはならん。この世こそが煉獄であれば、食え。腹いっぱいに食うことこそが供養ぞ」


 湯気の立つスープが目の前にある。

 子供の一人がスプーンを渡してくる。ウドは、どうしていいか分からないという手つきで、それを受け取った。


「ぼ、坊主、ありがとう」


 このようなことで礼を言うのはいつ以来か。


「皆、食べてよいですよ」


 手弱女たおやめに戻ったシャザの声に、子供たちが「いただきます」と声を揃えた。どこか遠い地方の風習だろうか。


「お祈りは捧げないので」


「司祭の前では捧げますが、ここにある恵みは子供たちで働き為したもの。神には後で祈りますとも」


 山の民のようなことを言う。いや、自らをオークと信じる物狂いなればこそか。

 昨夜、ウドは捕縛された。

 細作働きで気づかれた上に捕まるとは、思いもよらぬことである。自害しようとしたが、それは伊達男に止められて、彼らの計画に乗ることにした。

 スープを一口。

 美味い。


「美味いですな」


「そうでしょう。これは、オークであったころから得意なことの一つだったんです」


 花のように笑う。

 粗末な石造りの家は、子供たちが十二人。そしてシャザが住まいにしている。子供たちは、捨て子や夜鷹の子供だ。暮らしぶりは豊かとは言えない。


「……ご両親は逐電ちくでんいたしましたぞ」


「分かっております。ですが、義理は果たしました」


 シャザの取り分の一部を奪うと、彼女の両親は逐電した。今頃、乗合馬車で別の街に向かっているだろう。

 ウドにとって、今から行うことは賭けでしかない。

 この物狂いの女は、恐るべき者だ。

 子供たちが食べ終わるころに、伊達男が戻ってきた。


「おかえりなさい」


 とシャザが言えば、伊達男はニヤリと笑って斜め45度の角度で羽帽子を外す。


「ただいま、俺のお姫様。そろそろ夫婦になってくれるって話は考えてくれたかい」


「あなたのような男とは一緒になれません。もう854回は言いましたね」


「1000までいったら、一緒になってくれるか」


「さて、それまであなたが生きているかどうか」


「それなら、承諾も同然だな」


 軽口を叩いて席に座る伊達男に、シャザは残りのスープとパンを差し出した。そして、彼の好みに合わせて、濃くしすぎた茶を出す。


「いつもながら、このスープは美味いよ」


「ありあわせですよ」


「いや、美味いよ」


「こんな淫売を褒めて、どうするのですか」


「惚れた女を褒めるのは、男の義務だ」


「釣り上げるまでは、でしょう」


「そんなことはない。俺はいい夫になれるように日々努力してるぜ」


 ソープオペラの始まりに、ウドは頭を抱えたくなった。


「お二人とも、今からが大仕事でしょうに」


 と、口を挟む。


「心配は御無用ですよ。領主様とも話はついておりますし」


 その後、シャザと伊達男は昼間と同じく居住まいを正してから、外に出た。

 夏の夕日が、城塞都市を美しく照らし出す。

 貧民街から出て、歓楽街へ。

 青錆組の巣である屋敷に着くと、見張りの男がシャザを認めて頭を下げた。


「これはシャザ様、何用ですか」


「殴り込みです」


「は?」

 

 男の顔にシャザの掌が叩き込まれた。


「正面から行くのかよ」


「あなたには裏口を任せます。一人たりとも逃さぬように」


「お任せあれ、俺のお姫様」


 影のように伊達男は駆けた。

 シャザは昼間と同じく合羽でその身を覆っているが、その手には鉄の棒、オークの戦杖がある。

 ドアを蹴り破り、下駄番の渡世人を戦杖で打ち据える。


「シャザさんよ、どういうつもりだ」


 青錆組の、ヒゲ面の渡世人が言う。名はなんといったか、どうにも思い出せない。


「領分を忘れた渡世人とせいにんどもに、仕置きをしに参りました。命が惜しくば、手向かいはせぬことです」


「青錆組にゃあ二十人からの兄弟と、用心棒の先生方がいやすぜ」


「それが、どうされました?」


 シャザは嫣然と笑む。

 ゆらりと、オーク様式の戦杖が牙を剥いた。


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