第14話 城塞の街

 旅は順調だ。

 城塞都市ヴェーダにたどり着くまでに、荷物持ちの小者を三人雇ったが、何度か殺し屋に襲われて、三人が三人とも逃げ出した。

 金貨一枚という破格の報酬だというのに、根性の無い奴らである。

 なだらかな草原の真ん中に城塞都市ヴェーダはある。

 かつては独立都市だったが、帝国に吸収された。

 アメントリルが街の浄化を行う以前は、魔都ヴェーダと呼ばれていた。吸血鬼の王や地底の悪魔ネズリルの巣食う悪徳の都だったが、今となってはその面影も無い、ということになっている。





 塔のように高い城塞を抜けると、人でごった返していた。

 ミラールは街の喧騒に大層ご機嫌斜めのようだが、好物の干し肉とイチジクを食べさせてなんとか宥めた。

 馬子もおっかなびっくりという様子で厩舎に連れていく。


「エルフの大鹿ですか、初めてみたぜ」


 馬子はミラールの頬を撫でて、厩舎に連れていく。

 常人では扱いきれぬミラールを、馬子はなんとかといった様子でいなした。


「ふむ、どこにでも一流というのはいるものだ」


 どこにでもいそうな馬子だが、生まれさえ違えば軍馬の調教師にでもなれたかもしれない。

 ミラールの気性をいなせる人間は少ない。


「おい、頼むぞ」


 と、リリーが銀貨を投げれば、馬子はそれを受け止めてにやりと笑う。

 うむうむと、リリーは頷いた。


「少し、過分ではありませんか。二分銀でよろしいでしょう」

 

 アヤメは呆れたように、いや、心底呆れたといった様子で言った。


「ミラールは千金さ。あれでも安いくらいだ」


 アヤメはそれを聞いて笑った。

 常識が無いと小馬鹿にして鼻を鳴らして笑う様は、聖女にあるまじき行いだ。こういう厭味なところが、リリーの癪に障る。


「いつ来ても、この街は面白いな」


 と、リリーは気を取り直して、街の喧騒に笑みを浮かべた。

 師はこの街を堕落の都と言って嫌っていたが、リリーはこの都市が好きだ。

 バザールの喧騒も、人売りの声も、大道芸人の兵法技ひょうほうわざも、どれもが生命力に満ちている。

 人は虫のようなものだ。それでいて、虫では無い。

 この街にいるとそれを強く感じる。


「あなたは深山幽谷しんざんゆうこくを好むと思ってましたよ」


 とアヤメが意外そうに言うと、リリーは口角を釣り上げる。


「それはそれで好きだよ。だがな、人の営みは面白いじゃないか」


「……気に入らないわ」


 アヤメはどこか弱気な顔で言った。

 命を投げ出す生き方をしている者は、居場所を失う。はぐれ雲のように、大空に一つきり。それを孤独とも感じない。

 どこにも属さないというのは、そういうことだ。

 アヤメは無明の闇の中を漂い、リリーは太陽の下、一人きり。

 厭なヤツだな、とお互いがお互いを想い合う。


「お腹、減りましたね」


「ああ、お前の手料理にも飽きたよ」


「ふん、美味い美味いと食べていたくせに」


「坊主の作る食事も悪くは無いが、もう少し油っ気が欲しい」


「太りますわよ」


「それは、ちと困る」


「気づいていますか?」


「細作か、それ以外か。あからさまに見てくるなんて、不躾な奴らだよ。なにはともあれ、そこの小路には良い酒場がある。山羊の肉を出す店なんだが、腹は空いているな?」


「……あなたのお金ですし、お任せします」


 アヤメもまた空腹で、旅の食事には飽きていた。

 どんな大義を背負っていようが、腹は空く。


 ウドは街に入ってすぐに、小路に消えていた。すぐにこの視線の相手を突きとめるだろう。

 さて、どんなヤツがいるか。

 戦いの予感があった。





 ユリアンは齊天后マフの怒りに触れた。

 自らを一度殺した女二人、必ず抹殺せよと命ぜられている。

 ユリアンがアヤメの打撃から回復するのに十日を要した。

 魔物狩りの恐るべき手管。あれをただの女と見誤っていたのが敗因だ。


 敗北を喫し、齊天后からは恥辱をそそぐ機会をえた。そして。今は地下世界と呼ばれる魔物の巣に死神と二人きり。

 赤毛の男、死神のジャンと共にあった。

 

 帝都の下水道の地下深くに、その世界はある。


 帝国建国時に封じられた、地下迷宮ダンジョン。悪鬼ネズリルの支配する魔窟である。

 灰色の肌と白い眼を持った、巨大な猿の如き魔物、それがネズリルだ。

 ネズリルは人の脳を喰らう。

 脳喰らいを至上の快楽とするネズリルは、牙の生え揃った口の奥に、蛆虫のような口吻こうふんを持つ。

 人の頭に口吻で喰らいつき、頭蓋骨を突き破って脳を啜る。

 吸血鬼よりもおぞましい怪物だ。


 マフは地下世界の封印を解き放った。


 アメントリルの時代、今の時代よりも強い魔術が存在した半ば神話のような時代に張られた結界を、マフはたやすく解いてしまった。

 眠りから覚めたネズリルの巣に、死神と二人きり。

 地下を這いまわる巨大な漆黒の百足、その殻で飾られたネズリルの回廊を進む。

 薄ぼんやりと、壁に取り付けられた迦楼羅石かるらいしが青白い光を放っている。


「ははは、なんだぁこいつは。息吹がよくとおるじゃないか」


 子供のようにはしゃぐ死神のジャンは、人食い姫から奪った魔剣ドゥルジ・キィリでネズリルを一刀のもとに斬り伏せる。


 恐ろしい、とユリアンは思う。


 人食い姫の剣を見た時、あれは人の身でありながら虎か龍であると感じた。自らに無い気高さを穢してやりたくなった。

 それに対して、同門であるというジャンの剣は「魔」そのものだ。

 まるで、相対した者は自ら死に向かうかのように、彼の剣に吸い込まれていく。

 しまりのない口元はいつものこと。髪を人さし指でいじる癖がある。くるりと、赤毛を巻くように弄ぶ。

 よそ見をしながら振るう剣が、ネズリルの柔らかい場所に吸い込まれていく。

 並の剣士ならば、その剛体を叩き斬ることすらできずに弾かれるだろう。

 それほどの魔物であるネズリルを、ジャンはやすやすと悠々に血の海へ沈めていく。


「どうやったら、そんなにスパスパ斬れるんですか」


 問うてみた。言葉にした後に、機嫌を損ねてなますにされることを想像したが、意外にもジャンは子供のような笑顔でユリアンに答える。


「筋肉の隙間とかな、斬りやすいとこがあるのさ。牛の肉をバラすのと同じで、慣れたらできる」


 そんな馬鹿なことがあってたまるか。


「息吹はお使いになられていない?」


「ああ、こんな雑魚にはもったいねえよ。それに、ちょっと危ない方が遊びは楽しいだろ」


 邪気が無い。

 この言葉、ジャンは心の底からそう思って吐いている。

 三百年近く生きたユリアンも、ここまでの怪物にはお目にかかったことがない。


 ユリアンは幸運な吸血鬼だ。三百余年を安泰に生きている。


 吸血鬼は長く生きれば生きるほど、宿敵ができてしまう。

 血を吸った者の縁者、教会騎士、人間との間にできた我が子。だいたいは、そんな復讐者たちにその命を狩られる。

 せせこましく生きれば、吸血鬼は安泰に暮らせる。しかし、それが生きていると言えるのか? それこそ、虫と同じではないか。


 だからだ。


 誰にも成し遂げられなかった野望を達成させる。

 深い歴史と強さを併せ持つ帝国で、吸血鬼の自身を、怪物ではなく臣民として、大貴族の地位を得て堂々と歩いてみせる。

 そうできれば、死した後も語り継がれるだろう。

 生きた証を残した吸血鬼として、英雄として歴史に残るのだ。


「死神殿、あなたは人食い姫を斬らぬのですか?」


「ああ、あいつはまだこれからだよ。あのアヤメちゃんってのはもう伸びないだろうから斬ってもいいんだが、人食い姫はまだ伸びる。なんせ、あいつが弟子にとったんだからな」


 にやりと、ひどく酷薄な笑みが死神の口に浮いた。


「あいつとは?」


 物陰から現れたネズリルが、ジャンのド頭に向けて爪を振る。


「俺と同門の女さ。いい女だったぜ」


 言いながら、くるりとステップを踏んでネズリルの首を斬り飛ばす。

 空気を切り裂くような一撃の後、軽く剣を振って血を払った。

 なんと、恐ろしい。

 死、そのもののような剣。


「決着つけられなかったんだよなあ。もうちょっと、人食い姫には上手くなってもらわねえとな。あんな下手クソじゃあ、楽しくないや」


 この男が敵に回らない限り、地下世界の奥深くに向かっても死ぬ気はしない。

 死神の刃に、悪魔が勝てるはずもない。格が違いすぎる。


「ガ・チャンの宝珠、私とあなたなら手に入れられますぞ」


「はは、ま、頭脳労働は任すさ。俺を飽きさせるなよ。飽きたら帰るぜ」


 この男を飽きさせてはいけない。

 吸血鬼の古巣から持ち出した地下世界の宝の地図は、ユリアンの手にある。

 危険な守護獣のいる通路を選べば、死神はきっと満足してくれるはずだ。





 山羊の肉は近くの丘にいる遊牧民が定期的に卸しにくる。

 城塞都市ヴェーダは帝国の中でも珍しい自由都市だ。トラセン男爵家が治めているが、法律は帝国より諸国連合のものに近い。

 商人たちに多くの権益を認め、奴隷市を公的に認めるなど、帝都の貴族からは掃き溜めの都市とも呼ばれている。

 ここは金のある者がいくらでも力を手にすることができる。が、それは帝国の手のひらからはみ出さなければの話だ。


 始祖皇帝が亜人や異国人に力をつけさせる場を認めた理由は諸説ある。だが、真相は皇帝に近しい者と教会の上層部、そして、地下の要石かなめいしだけが知っている。





 山羊肉は筋張っているが、美味い。

 顎が痛くなるのも旨味の一つなのではないだろうか、とリリーは思う。

 鍛冶場の鉄職人たちが集まる剣の小路にある『栗鼠の穴倉亭』は、何代も続く山羊料理の食事所だ。

 ヴェーダは味で売る名店が多い。その中でも、野卑で粗野な料理といえば、この店が挙がる。


 師はここで出るスープが好きだったな、と昔のことを思い出す。


 修行の旅のはじめ、リリーはノミだらけの安宿に辟易して、家に帰りたいと泣いた。修行は楽しいのに、そんなことが一番辛かった。


「どうしました?」


 こんな店でもマナーを維持するアヤメの問いかけに、リリーは追憶から今に帰る。


「いや、なんでもない」


 山羊肉だけでは体が臭くなるので、焼き野菜も食べる。この街では熱した兜や石で肉と野菜を焼くのが五百年ほど前からの伝統なのだそうだ。

 肉ばかり食べて腹がくちくなり、饅頭を頼んだ。

 アヤメもそこそこよく食べる。


「よく、食べますね」


 と、自分のことは棚に上げてリリーに向かってアヤメは言う。


「ん、まあな。どうにも、食べられる時に食べる癖がついている」


「戦場の倣いですか?」


「いや、師も、私も料理が下手だからだ。不味いものが続くと、美味いものをたくさん食べたくなるだろ?」


「毎日美味しいものを食べるために、多少の努力をなさったらいかが?」


「ああ、その手もあったな」


 とんと気づかなかった。と、リリーが手を打つと、アヤメが変な顔をしている。

 食後に山羊の乳で造った酒を飲む。

 酸っぱい。


「これ、好きな味だわ」


 ぽつりとアヤメが漏らした。


「お前もそんなことを言うんだな」


「好き嫌いはありませんわよ。アメントリル様の聖句に従っていますからね」


 坊主は二種類に別れる。聖人の言葉を繰り返すだけのボンクラと、聖人の言葉を適度に利用する狸だ。そして、さらに良いボンクラと悪い狸に別れる。


「お前は狐みたいな女だ」


「喧嘩、売ってますか?」


「まさか、誉めたのさ」


 人に懐くことのない狐は、家族単位でしか行動しない誇り高い生き物だ。

 雪景色の中でこちらを窺う狐の顔。なぜか、アヤメの時折見せる坊主ではない素顔は、それを思い出させる。


「ウドさんが探ってくれてるようですけど、あからさまですわね」


 アヤメは露骨に話を逸らした。


 不躾な視線は今も続いている。

 気を張る必要は無いと分かっている。これは、よくある喧嘩を売らせるための視線ガンつけだ。殺し屋のものではない。


「街を出たら来るかな」


 木刀の柄をさすると、指先が熱いのに気づく。

 殺し屋の剣は冷たい。野槌のミシャがそうであったように、彼らの剣は心を凍らせる冷たい意志に満ちている。それを悪意とは呼ばない。楽しんで殺しをする者がどれほどいるか。

 金のための剣は、空虚なまでに何も無いか、命を金に変える労働の剣であるかの違いしかない。


当世流行とうせいはやりは騎士商売、ですか」


 節回しをつけてアヤメが唄うように言った。平民や傭兵たちに流行っている小唄の一節だ。


流行はやりの自由騎士か。あれはあれで悪くない者もいるさ」


 騎士を名乗りながら、忠誠を誓う主も無く浪人のようにさすらう無頼は少なくない。剣の腕に加えて教養まであるというのに、上手く生きられない連中だ。


 太平の世が、剣の活きる道を閉ざしていく。


 人を殺すための棒キレ。その振り回し方に、どうしてこんなにも魅せられるのか。

 芸術家のように何かを遺すこともないというのに、命をかけていいと思っている。それも、いつからか分からないくらいに昔から、ごく自然にそのために生きている。リリーはそんな女だ。


「悪くないとは、腕っぷしのことでしょう?」


「否定はできんが、面白いぞ」


 時に、無頼は本人も気づかぬ内に秘技を身に着けることがある。

 幾度かそういった者と戦ったことがリリーにはあった。

 多少は話に色をつけて武勇伝でも語ろうかとリリーが思ったその時、不躾な視線の主が動いた。


「噂の人食い姫殿とお見受けします」


 鈴を転がすような声音である。

 ごく小さな声だったが、その瞬間、店が静まり返った。それほどの、人を蕩けさせる美声であった。

 アヤメの目が細められた。胸元に隠した針を取り出そうとしているが、リリーが目で制して止める。


「そうだが、貴公は?」


 リリーは声の主と目を合わせた。

 美しい瞳だった。

 天が、稀に作り出す生きた宝石だ。

 紫色の瞳に青い髪。その全てが美しい。そして、その瞳の収まる顔もまた、あまりにも美しい。

 古い美人画か、それとも発狂した画家の描く死と退廃の女神か。言葉では形容の出来ない美形の女であった。


「贖罪のシャザと申します。言うに言われぬ事情があり、金貨一万枚のお首を頂戴致したく、恥を忍んで参上しました」


 ちりちりと、産毛が総毛立つほどの鬼気。

 冥府の神が、闇と夜をこねて作りだしたような女。それがシャザだ。遊女にも見える格好をしているというのに、地獄が口を開けているかのような威圧感がある。


「仔細がありそうだな。この首、安くは無い。そこもと御一人か」


 問えば、シャザは小さく頷いた。瞳の奥で闘争の炎が燃えている。

 アヤメもまた、昂ぶっていた。目が据わり、狐が狩りに挑む貌になっていた。


「……いえ、お仲間の不名誉司祭様には、この者が」


 贖罪のシャザと名乗る女の後ろから、ドカドカと粗野な足音が響く。


「ご機嫌麗しゅう、お姫様方」


 シャザとは対照的に、立ち振る舞いも華やかで陽気さが顔に出ている男だ。

 仕立ての良い騎士服と羽帽子。胸元には薔薇が添えられている。

 姫に捧げる花はなくとも、自らを飾る花はある。そんな、伊達男だ。なのに、腰に下げているのは聖銀造りの片手斧である。


「誇り高き吸血鬼狩りが、賞金稼ぎの真似事ですか。同じ闇を狩る者として、見過ごせませんわ」


 アヤメの言うところ、それは秘匿されたものではない。

 その技は隠されていても、聖銀の武具を持つ者は闇に属する鬼を狩る者だ。そのほとんどは虚仮威こけおどしだが、本物もいる。


「なァに、当世流行は騎士商売。闇狩りでは食っていけんというものさ」


 口元に整えられたカイゼル髭をつまんで整える様は、どうにも隙が無い。


「アヤメ、そちらの伊達男殿は任せる」


「リリーさん、二人とも倒してしまってもいいんでしょう?」


「ハッ、やれるものなら無論」


 リリーの笑いに、アヤメも笑みを作った。

 贖罪のシャザは口元に獰猛な笑みを浮かべた。それは、物狂いになった姫のようで、見る者に怖気を走らせる悪魔の貌だ。


「あなたたちは、真の戦士でしたか。人の噂は当てにならぬもの。この巡り合わせも、ス・ズィギ様のお導きでしょう。明日、戦いの広場にて」


「ス・ズィギといえば、オーク種の部族が崇める野蛮なる大槌だったか」


 ス・ズィギは五百年ほど前にオークを率いた大英雄の現人鬼あらひとおにだ。大いなる混沌に召された後、戦いと反逆の神格として祀られている。


「死ぬには、良い日になりそうです。では、昼二つに」


「よかろう」


 シャザは現れた時と同じように、何事もなかったかのように背を向けた。

 後ろ姿まで美しいというのに、歩き方は大股を開いたものだ。彼女もまた、リリーの持つ何かに刺激されて昂ぶっている。


「お姫様方、ごきげんよう。最後の一日を美しくお過ごしになるのを祈っているよ」


 伊達男も去った。

 彼らがいなくなった後、店主に多めの金を押し付けて席を立つ。

 店を出た後で聞こえるのは、怒号。

 喧嘩と恋はヴェーダの華。

 店の外は陽射しが眩しい。なのに、冷や汗が出た。


「すっかり、見世物でしたわね。すぐに噂は広がるでしょう」


 名誉欲を刺激して逃がさない策か。いや、案外、正々堂々としたいだけかもしれない。


「一人で来ると思うか?」


 弱気の虫が鳴く。


「……わたしは武人じゃァありません。リリーさんの方が、分かっているでしょう」


「一人で、来るだろうな」


 伊達男は分からないが、贖罪のシャザは一人で来る。あれは、詰め腹を切ることを当然としている修羅の顔だった。


 まだ、齊天后マフの方がラクかもしれない。


 ヴェーダの賑わいは、先ほどのことが嘘のように猥雑で明るい。

 ラファリアは孤独な冷たい地獄にいたと言った。あの女もまた、似たようなものだ。生きながらか、それとも死後か、炎の中を裸で歩んできた女だ。

 炎を歩き死ななければ、いつかその身は炎そのものとなるだろう。


「蝋燭の火くらいしか消せんのだがな。……アヤメ殿、付き合わんでもよいぞ」


「あなたが逆の立場ならどうします?」


 聞いたような話をしている。


「……嫌いな女など放っておくさ」


「私はあなたが大嫌い。だから、あなたの思うようにはしてやりません」


 イヤなヤツだな、コイツ。

 何か言い返してやろうかと思ったが、リリー自身、意外にも口を突いて出たのは感謝の言葉だった。


「ありがとうな」


「~~~ッ。もう、知りません」


 アヤメは早足で歩く。


「おい、食べた後にそんな歩き方をするな」


 なんだか変な空気になった。そのまま歩いていると、狭い小路から柄の悪い男たちが現れる。腰には短めの寸鉄。歩き方からして、短刀を隠し持っている者もいる。

 前と後ろ、だいたい10人前後か。


「人食い姫様とお見受け致します。お控えなすって」


 左目に眼帯をつけた荒くれ者らしき男が言う。

 野太い声である。丁寧な言葉遣いをしているのに、威圧感のにじみ出る無頼に似合いの良い声だ。

 こういった声の資質だけでも、百人長にまで行ける者がいる。怖い顔も、押し出しの強さになるだろう。


「いかにも。何用であるか」


 リリーは真っ直ぐに男を見つめて返した。

 たじろぐ雰囲気がある。


「贖罪のシャザとの決闘、あっしら青錆組あおにびぐみに見届けと仕切りを任せては頂けませんか」


「……無粋だな」


「断られちまったら、尋常の勝負とはいきやせんぜ」


 リリーは木刀に手をかけた。

 ドゥルジ・キィリがあったとしても、木刀を使っただろう。痛みを与えるだけなら、木刀の方が加減しやすい。


「リリーさん、お待ちになって。無頼殿、領主様を止められますか?」


「へい、もとよりそのつもりで。帝都の細作も締め出しやす」


「あなたは、シャザの味方かしら?」


「どちらにも与することはしませんぜ。青錆組としちゃあ、シャザが勝てばそれでよし。負けたとしても、利はあります。どう転んでも得になりますので」


 アヤメは小さく鼻を鳴らした。

 この挑発的な態度。味方でも「ちょっとヤダな」とリリーは思う。


「いいでしょう。横入りを止めてくれるなら見世物にでも何でも、勝手になさい」


「へへ、人食い姫様に司祭様、健闘を祈らせてもらいますぜ」


 無頼たちは、去っていく。

 興味津々と見つめる周囲の人々の中に、ウドはいるだろうか。

 全く分からないが、あの男は呆れるほど有能だ。夜になる前には、細作の技でこの裏に潜む仔細を突きとめると信じている。


「ウドに任せるか」


「そうですわね。リリーさん、少し体を使いたいのですが、よろしいですか」


「……馴らしておくか。腹ごなしにもいい」


 そういうことになった。





 リリーは木刀を構え、アヤメは拳で構える。

 浮浪児に小銭をやって、開けた場所で人目につかない所まで案内させた。

 ここは、城塞都市ヴェーダの外れにある貧民街だ。粗末な小屋を建てて住む人々の通りを往くと、城塞の影になる一画に出る。

 子供たちの遊び場ということだ。

 小銭を払って子供たち追い出したのだが、彼らは遠巻きに二人の様子を見ている。


「……子供に見せていいか、悩むところですわね」


「どうせ、明日は見世物だ。変わらんよ」


 サーカスだって、子供は銅貨四枚。しかし、今、こっちが金を払って見物させるのは、本気になってしまいそうな『軽い』立会いだ。

 時刻は昼の盛り。

 日陰の涼しさはあるが、少しここは暗すぎる。

 アヤメは貴族様式の衣服のままだ。扱いとして平服ではあるが、上等なもので、胸元が開いた大胆なデザインだ。

 井戸水でハンカチをしぼり、アヤメは汗ばんだ胸元をぬぐった。独特の色香がある姿だ。教育に悪い。


「はじめましょうか」


「応」


 両者共に構えた。

 リリーは木刀。アヤメは拳。


 アヤメに隙は無い。

 リリーと違って、アヤメには完成された技がある。

 水晶宮で背中を合わせた時にも感じたことだ。未熟な自分自身とは違うのだな、とリリーはアヤメが少し羨ましい。

 木刀を下段に構えて、じりりと距離を詰めていく。

 アヤメが駆けた。


「ご覧あそばせ」


「ッッ」


 目の前に、刺繍の花模様。

 アヤメの投げたハンケチが広がっていた。木刀で凪ぐと、濡れたハンカチが木刀に巻き付く。

 距離を詰めてきたアヤメのこめかみに向けて、木刀の柄を叩きつようとするが、ひらりとかわされた。


 斬り下ろし、横凪ぎ、斬り上げ。

 蹴り、突き、手刀。


 互いにかわし、距離を取れば詰め、詰めれば取る。

 息吹が高まる。


 狙いはアヤメの身に纏う邪術の瘴気だ。

 無心に体が動く。アヤメも同じだろう。

 殺気は霧散していた。

 相反して、決して交わらない。

 昼と夜のように、互いを追い立てて交わらない。

 いつしか、時間を忘れて舞っていた。

 互いの背中を取って、最初に始めた位置で構えあって、同じ瞬間に息を吐く。

 全身を熱い汗が覆っていた。


「……リリーさん、ヴェーダは初めてです。湯屋があるなら、案内してもらえますか」


「ああ、身を清めに行くか」


 子供たちが見ている。

 なんとはなしにくすぐったい。

 幼い日、リリーは師の修練を見つめていた。師はこんな気持ちだったのだろうか。


 贖罪のシャザ。

 地獄で燃え盛る炎のような女だった。


 腕は立つだろう。どれほどかは分からない。しかし、勘が、本能とでも呼ぶべきものが警鐘を鳴らしていた。

 決戦は、明日。

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