第47話 帰ってきたリリコ⑥

リリコは警察に何度か事情を聞かれた後、所属事務所から謹慎のためパリに戻るよう言われてパリに戻った。その間にリュウは順調に回復した。もと子も勤務前と勤務後、休みの日はリュウの側にいた。優しく身体を拭いてくれたり、ベッド周りを居心地が良くなるよう整えてくれたりと、もと子が面倒をみてくれる日々をリュウも嬉しく感じていた。


大部屋に移ったある日、リュウを検査に送り出した後、もと子はベッド周りの片付けをしていた。背後に人の気配がして振り返るとそこに目を見張るほどの美しい女が立っていた。

「リリコさん?なんで?」

豊かなロングヘア、スタイルのいい体にフィットしたブルーのドレス、大きな瞳で眉を高く釣り上げて睨みつける様は美しすぎるだけにかえって恐ろしい。

「アンタ、まだいたの?アタシがリュウのそばにいられないのをいいことに、厚かましい!出ていきや!」

気迫に押されて固まってしまったもと子が動かないとわかると、リリコはもと子の服をつかんで床になぎ倒した。

「出て行け!この泥棒猫!」

「いいえ、出て行きません。私はリュウさんの妻ですから。」

もと子は頭を上げ、覚悟を決めた。もと子が静かに言い切ったのを見てリリコは激昂した。

「はあ?なにこの女!忌々しい!」

リリコはもと子の頬を張った。この様子を見ていた同室の男の患者が慌てて声をかけた。

「お姉さん、落ち着いて。アンタ、ちょっとやりすぎや。」

床に叩きつけられたもと子を抱き起こそうと駆けよった。

「うるさいよ。」

リリコは男がもと子に触れる前に男の前にピンヒールで立ちはだかった。

「これはアタシとコイツの問題や。関係ないのはだまっとき。」

上から恐ろしげに般若の形相で睨み付けるリリコに男も後退りした。リリコはもと子に向き直ると持っているバッグを振り回してもと子を殴った。

「この泥棒猫!お前なんかがアタシからリュウを盗ろうなんて百万年早いわ!」


リュウは検査が終わり、川端に付き添われて病室に戻ろうとしていた。エレベータを降りたところでなにやら病室の方が騒がしい事に気がついた。

「何ですかね?ちょっと見てきます。」

川端が怪訝な顔で先に行くと、中村から呼ばれた。

「川端君、いいところに来たわ。ちょっと止めて。」

中村が指さしたのはリュウの病室だった。病室が近づくにつれ、女の怒鳴り声が聞こえてきた。リュウは嫌な予感がして早足で病室に向かった。部屋のなかをのぞき込む人垣をかき分けると、リリコが今まさに床になぎ倒されたもと子をバッグで殴ろうと腕を振り上げたところだった。

「エエ加減にせえよ、お前!」

リュウはリリコの腕を掴んだ。リリコは驚いて振り向いた。

「リュウ!ああ、もうこんなに元気になったんやね。」

般若のような怖い顔から一気に優しげに微笑んだリリコはリュウに抱きつこうとした。が、リュウはリリコの手をはねるのけると、うずくまるもと子を背後にかばい静かな声で冷たく言った。

「俺の嫁さんに何すんねん。お前、もう帰れ。二度と来んな。」

「,,,な、なんで?リュウ!」

「俺の知ってるリリはこんなことせえへん。リリの思い出を汚さんとってくれ!リリはもっと大人のエエ女や。」

呆然とするリリコをようやく駆けつけたアンリが抱えた。

「お前来るの遅いわ。さっさとコイツ連れ出してくれ。迷惑や!」

リュウはそう言うともと子を抱き起こし、自分のベッド横の椅子に座らせるとベッド周りのカーテンを完全に引いてしまった。


その夜、アンリからリュウにメールが入った。

「今日は申し訳ありませんでした。病院からリリコはまた出入り禁止になりました。今、病院の一階に居ます。少し話しできませんか?」

時計を見ると消灯まで時間がある。リュウは返事をうった。

「わかった。俺も話がある。今から降りる。」

リュウがエレベーターに乗った。一階に着き、エレベーターが開くと目の前に缶コーヒーを2つ持つアンリが立っていた。

「あっちの椅子に座りましょう。」

アンリは会計前のたくさんの椅子が並んだところに向かった。たくさん並んだ椅子の一つにアンリとリュウが並んで座った。アンリは缶コーヒーをリュウに渡した。

「来てくれてありがとう。リリコは君に来るなと言われてショックでずっとホテルで泣いてたよ。泣き疲れてやっとさっき寝たけどね。」

アンリはリュウの目をじっと見つめた。

「前に君が見舞いの人と話しているのを聞いた。君はリリコの命だけじゃなく、リリコの歌手としての命も守ってくれました。心から感謝します。」

アンリは立ち上がり、深々とリュウに頭を下げた。

「頭、あげてくれ。リリは歌手として大成したくて俺を捨てたんや。俺らは嫌いで別れたん違う。そこまでして手に入れたリリの夢は俺にとっても大事や。」

リュウは微笑んでコーヒーに口をつけた。

「君はリリコを大切に思ってる。なのになぜリリコを遠ざける?奥さんに気を使ってる?」

リュウは顔の前で違う違うと手を振った。

「また自殺されたら気分悪いよね。でも彼女のためにリリコを諦めないで欲しい。彼女は僕がどうにかする。」

アンリは真剣なまなざしでリュウをのぞきこんだ。アンリから目を外し、フフンと鼻で笑うとリュウはあらためてアンリを怖い目つきで睨み付けた。

「調べたんか?よう知ってんな。うちのもとちゃんをどうにかする?どないすんねん?うちの嫁さんに何かしたらただじゃ済まさへんで。」

「それがどうした?リリコが幸せになるなら僕は何でもする。」

アンリも青い瞳を冷たく光らせた。

「お前、ただの仕事の上だけと違うやろ?リリに惚れてんねやろ?」

「お前なんかと一緒にするな。僕はリリコの才能に惚れたんだ。パリに来たばかりのリリコの歌声を聞いたとき、頭を殴られたような気がしたよ。それで僕は自分のピアノを捨てて、人生をリリコにかけたんだ。リリコは好きでもない男たちの相手までしてやっとここまで来たんだ。だからリリコを幸せにするためなら僕は何でもするよ。」

アンリはリュウをにらみ返し、膝の上の拳を握りしめた。

「大した惚れようやんか。」

強面を緩めてニヤリとリュウは笑った。

「教えたるわ。もとちゃんに死なれそうになって俺は初めて自分にとってもとちゃんがかけがえのない大事な人ってわかったんや。リリも大切な奴やで。でもしょせん過去の話や。俺はもとちゃんと生きていく。」

リュウはコーヒーを飲み干すと、缶を握りつぶした。

「お前もわかってるやろ?リリにとっても俺は過去の男。リリの未来に必要なんはお前の方ちゃうか?」

「うう…」

アンリはしばらく唸っていたがポケットに手を突っ込み、スマホを取り出した。

「もう、リリコに会わないならリリコになんかメッセージを入れてくれ。」

リュウはアンリからスマホを受けとると、話を始めた。

「リリ、俺や、リュウや。俺はもうお前と一緒になる気はない。でも夢を叶えたお前は尊敬するで。だからこれからもお前のことはずっと応援する。リリ、今のお前の未来に必要なんは俺やない、コイツや。コイツはお前のためなら命がけや。エエ加減にコイツの気持ちに応えてやれ。」

「な、な、何を,,,」

アンリは顔を赤くして狼狽えた。

「お前の男気にこたえてお前がよう言わんことを代わりに言うたったんや。リリのこと、任せたで。」

立ち上がると、リュウは困った顔をしてリュウを見上げるアンリの肩をたたき、じゃあな、と片手を挙げてエレベータホールへ歩き去った。

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