第34話 忍びよる影⑨

 病院の玄関を出るなり、もと子はラインを開いた。もと子応援隊に理事長の話を流した。すると八重からすぐ返信があった。

「もと子ちゃん、理事長さんと息子先生と話をする場所が決まってないなら、うちのお店使って。もと子ちゃんが自分の気持ちをお二人に語るところ、理事長さんが反対してるところを動画に撮ってリュウ君にみてもらおうよ。お姑さんになる人が反対してる姿見たら、あの子ももと子ちゃんと先生の結婚はダメだって気がつくんちゃうかなあ?」

「八重ちゃん、ナイスアイデア!」

「棚橋さん、いつでもシフト変わるから心配しないで。」

八重に続いてママ、川端からも書き込みがあった。

「ありがとうございます。理事長にも話してみますね。」

もと子はみんなの気持ちがありがたく、思わずスマホに頭を下げた。


 次の日、勤務明け、もと子は理事長室に電話をかけた。

「失礼します。棚橋です。昨日のお話ですが、理事長、先生とお話しさせてもらってるところを動画に撮らせてもらえないでしょうか?この動画を見てもらえれば彼の心も戻るのではと私の友人からアドバイスがありました。いかがでしょうか?」

「フフフ、面白いじゃない。いいわよ。」

「良かったです。友人が喫茶店をしてまして、場所も貸してくれるんです。こちらはいかがですか?」

「それもいいわよ。お知り合いのところならいろいろと配慮してくださるでしょ。正樹と3人で会う日は今度の日曜の午後でどう?」

「わかりました。調整してみます。またご連絡させていただきます。」

もと子は静かに電話を切った。


 理事長、正樹、もと子の3人で会う約束の日は川端がシフトを変わってくれてすぐ決めることが出来た。約束の日、もと子は1時間も前から八重の喫茶店に来ていた。八重の喫茶店は表通りから一本路地を入ったところにある。小さいながらもベージュ系の内装でまとめられた落ち着いた雰囲気の店だった。話し合いの席は奥の4人がけのテーブル席。窓辺で気が散るといけないからと津田からのアドバイスがあった。津田は今回、動画を撮る事を瀬戸から聞き、直接八重の店に来て、いろいろとアドバイスをくれた。仕事柄、録音や録画には慣れている津田が正樹には気づかれないようなカメラやマイクを貸してくれ、セットまでしてくれた。仕事があるから立ち会えないが、津田は去り際にもと子の頭をガシガシなでていった。

「大丈夫や、頑張れよ。」

津田の応援を受けて、もと子と八重はあらためて気を引き締めた。


 約束の時間を少し過ぎて、理事長と正樹がやって来た。2人はもと子の姿を認めるともと子の前に並んで座った。

「今日はお忙しいところ、お時間を取ってくださりありがとうございました。」

笑顔の正樹と真面目な面持ちの理事長にもと子は頭を下げた。

「いいんだよ、棚橋さん。母から呼び出されたんだろ?こっちこそごめんね。」

もと子を熱く見つめる正樹の顔をウンザリしたように一瞥した理事長は様子を窺う八重にコーヒー3つ、とオーダーした。

「今日はあなたの気持ちを聞きに来たのよ。早速だけど始めましょ。」

もと子はあらためて座り直し、背筋を伸ばして2人に向き直った。

「あらためて申し上げますね。私には須崎さんという婚約者がいます。先生と須崎さんの間でどういうお話があったのか知りませんが私の心は変わりません。」

「正樹と結婚すればあなたもセレブの仲間入りよ。そんな正樹より須崎さんが良いっていうのはなぜ?」

理事長の問いに、もと子はリュウとの出会いから話を始めた。バイト先でしつこく客に絡まれていたのを助けてもらったこと、この件でクビになったので新しいバイト先を一緒に探してくれたこと、節約しなければいけないのに家事の出来ないもと子に定期的に料理や家事を教えてくれたこと、ストーカーやスカウトに連れ去られそうになった時、ナイフをかざす相手に躊躇なく立ち向かって助け出してくれたこと、寮が火事になった時に行き場のなくなったもと子を居候させてくれた上に、明け方、仕事から帰って来て、寝る前に毎朝弁当を作ってくれたこと、弁当がキャラ弁で、そのかわいさから友達のいなかったもと子に友達ができたこと、伯父に貯金を取られそうになったのを防いでくれたことなどを初めは淡々と、次第に声を振るわせ、涙を浮かべながら説明した。

「…だから私には大切な人なんです。子供の時に両親を亡くして一人ぼっちだった私には彼は恋人だけではなく、兄のような親のような、もう家族のようなかけがえのない人なんです。」

もと子の話を聞き終えた頃、理事長は目尻に涙を溜めていた。

「あなた、苦労したのね。須崎さんと別れちゃダメ。須崎さんほどあなたを大切にしてくれる人はいないわ。」

「そうかな?須崎君が棚橋さんをとても大切にしてきたのはよくわかったよ。だからこそ彼から任された僕はもっと棚橋さんを大切にするからね。」

正樹は母の言葉に複雑な表情をチラリと見せたがすぐ笑顔でもと子に語りかけた。もと子は正樹の笑顔から目線を外すとスマホを取り出し写真を2人に見せた。

「これ、彼が作ってくれたお弁当です。」

そこにはウインナーのタコやうずら卵のヒヨコ等のかわいいおかずがたくさん入れられた、いかにも可愛らしいお弁当が映っていた。その弁当の写真を何枚も見せた。

「朝まで仕事して疲れてるのに、あなたのためにこんな手の込んだお弁当を作ったんやね。」

穏やかな優しいまなざしで理事長は写真を見つめた。母ともと子のやりとりを正樹は眉をひそめて見ていた。

「彼は頑張りましたね。でもこれまでより

、これからが大事でしょ。僕なら彼よりもっと明るい未来を棚橋さんに見せてあげられる。」

正樹は写真をチラリと見ると顔を背けてしまった。そのやり取りを見ていた八重はもと子の前途を思い、心が重くなった。


 理事長と正樹、もと子の3人のやり取りを収めた動画を無事撮ることができた。もと子、川端、八重の3人はピンクに集まった。ママと4人で動画を見た。動画では、もと子と正樹の結婚前提の交際を理事長が反対しているのは撮れたものの、当の正樹がもと子を諦めるとは言わない。4人は頭を抱えた。

「正樹先生が諦めるって言ってくれたらねえ。」

ママの言葉に3人がため息をついた。何も良い考えが浮かばず、いつしか4人の間に沈黙が流れた。

と、その時、もと子のスマホが鳴った。メールの着信。

「誰から?え、理事長!?」

もと子の声に3人もスマホをのぞきこんだ。

「前回、正樹先生が諦めるとは言わなかったから、リュウさんに直談判するみたい。連絡先教えて欲しいって。」

「理事長さんが直談判!いいじゃない!もと子、理事長さんにリュウの連絡先伝えたら?」

うなずくともと子は早速リュウの連絡先を伝え、先日理事長、正樹先生と3人で集まる場所を提供してくれた八重や応援してくれている人たちと今、4人で集まっていて、理事長のアイデアに大賛成ということも伝えた。

メールを返信するとすぐ理事長から電話がかかってきた。

「良かったら私も参加していい?他の人の知恵も借りたいわ。」 

もと子が3人の顔を見ると3人ともうなずいた。

「是非、お願いします。場所は…」

スマホを切ってしばらくすると理事長が現れた。

「理事長、来てくださってありがとうございます。」

「こんばんは。初めまして。正樹の母です。」

理事長は明るい髪色に染めた手入れの行き届いたヘアにイタリア製の高級スーツをを着こなしたいかにもできる女という風情。もと子の隣のスツールに腰かけた。もと子は川端、八重、ママの3人をそれぞれ紹介した。

「八重さん、先日は素敵なお店を利用させていただいてありがとうございました。」

理事長は八重に頭を下げた。

ママは理事長が頼んだウーロン茶を出した。

「今日はお邪魔させていただきありがとうございます。ここも居心地のいいお店ですね。」

理事長はママに微笑んだ。

「理事長さん、リュウに直談判してくれるんですって?ありがとうございます。八重ちゃんの店で撮った動画ではリュウを納得させられないから困ってたんですよ。」

「そうなんです。正樹先生が棚橋さんを諦めるって一言あれば良かったんですけど。」

ママと川端のため息混じりの言葉に理事長は反論した。

「あら、あの動画いいんじゃない?棚橋さんのなぜ彼が好きなのか、大切な人なのかの話を聞いて私泣いたわよ。」

「ええ?私の話をリュウさんに聞いてもらっても効果ありますか?」

もと子は驚いた。

「あなた達、本当に切ない恋人同士じゃない。正樹は意地になってるだけだと思う。だからあの話聞かせて、私が母として棚橋さんと息子の結婚は絶対反対と言えば彼氏、考え直してくれるんじゃない?正樹の諦めるの言葉なんて要らないんじゃない?」

「あ、でも棚橋さんの姿が見たらリュウさん、逃げるかも。」

川端が難しい顔をして腕を組んだ。

「じゃあ、私が話があるって彼氏を呼び出す。その時に動画を見せて、その後、結婚反対の話をするのはどう?」

理事長のアイデアに八重がのった。

「もと子ちゃんが顔を出せないなら私が動画を持っていきます。」

「八重ちゃんならリュウの上司の彼女だし、昔から世話になってる人だからリュウも無碍にできないもんね。もと子はこの裏のスタッフルームには居ればいいしね。それナイス。」

「ついでにママさん、彼氏とここで話をさせてもらってもいい?もちろんその時は貸切にさせていただきます。彼氏を説得出来そうな人が他にもいたら来てもらって。」

「あ、それいい。そうしましょう。日が決まったら教えてください。」

理事長のアイデアに全員が賛成した。


 リュウはもと子に別れを告げてから毎日、走り込みや護身術の道場に顔を出し、クタクタになるまで体をいじめた。家に帰って疲れてすぐ眠るようにしないと、もと子を思い出して辛くなるから。ラインはブロックしても、別れを告げた日から毎日もと子はメールを送ってくる。内容は日々の何気ないことが綴られているが必ず最後に自分の気持ちは変わらないとある。初めは読むのをやめようとした事もあったが今はそのメールが心の支えになっている。また川端とのラインは変わらず続けていた。正樹の様子、もと子の様子を教えてくれるから。この日も川端からメッセージが来ていた。ラインを見ると、正樹の母、理事長が会いたいので理事長に連絡して欲しいとあった。驚いたものの、もと子を正樹の妻にするためには理事長に会ってもと子のことを頼み込む必要がある。リュウは早速連絡を取り、ピンクで理事長と会うことにした。


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